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三日目:変なことを教えちゃいけません

「あんなに怒らなくてもいいじゃないですか」


 平沼家に行く道すがら、武雄が追いついてそう言った。左手をさすっているので、指か手首を極められたようだ。


 対して彩希はツンとした表情のまま浩太の横に付き添う。


「おまえが悪いだろ。優美を泣かせたんだから」


 浩太はやんわりと注意をする。


「そうそう。小さな子どもをからかうなんてサイテーよ」


 彩希が強い口調で言う。


「おとーさーん、おろしてー」


 と、優美が言う。すっかり泣き止んで自分の足で歩きたくなったようだ。


 浩太は腰を屈めて優美を地面に降ろした。


「しっかしこうして見るとと、かわいいもんですね」


「おまえ、どの口が言っているんだ?」


「いやぁ、彩希さんにこんこんと説教されて目覚めたっていうか、ちゃんと子供をいたわんなきゃって思いまして」


 武雄は浩太から視線を逸らして上目遣いになる。よほど痛い目に遭ったらしい。


「わかればいいのよ。武雄、今度優美を泣かせたらあんなもんじゃすまないからね」


 きつい目つきで念を押す彩希。


「あと、ちゃんと優美に謝るんだな。優美、武雄さんと仲直りしてくれるかな」


 父親らしく二人を諭した。


 すると、武雄は足を止めた。つられる形で青江家(?)の三人も足を止めて武雄に向き直る。


「あ、えーっと、ごめんな。その優美ちゃん」


 武雄は優美を見下ろして申し訳なさそうな顔つきで謝った。


 ところが優美は何も言わずに彩希の脚に抱きついた。顔は武雄に向けているが、どう反応していいかわからないようだ。


「武雄、ちゃんとしゃがんで」


 と、彩希が注意する。


「はい?」


「はい、じゃなく。目線の高さを合わせないと子どもって怖がるのよ」


 それが正しいかわからないが、彩希から有無を言わせぬ説得力を感じる。


 仕方ない、と言った素振りで武雄はゆっくりしゃがんで優美を見つめた。


「むー?」


 優美は顔を傾ける。目線の高さを合わせたおかげか、怖さが和らいだようだ。


「ごめんな、優美ちゃん」


 と、武雄は頭を下げて改めて謝った。


「ちゃんと理由も言って。なんであんたが謝っているのか」


 と彩希は腰を曲げる。


「そこまで詰めなくてもいいだろ」


 と、浩太は彩希を宥める。どうも彩希の庇護欲が強すぎる気がする。陽平が言ったように母性が暴走しているのかもしれない。


「あーっと、つんつんしたり、からかったりしてごめんなさい」


 これ以上怒らせない方がいいと思ったらしく、素直に従う武雄。ちゃんと頭を下げた。


 と、優美が彩希から離れて武雄に近づく。そして武雄の頭に手を乗せてなでなでした。


「優美、武雄さんを許すのかい?」


 浩太は優美に問いかけた。


「うん」


 と、不意に優美から笑顔がこぼれた。


「うおっ」


 なぜか驚く武雄。


「どうしたんだ?」


「いや、本当にかわいいなって。さすが彩希さんの子ども」


 武雄も優美の頭を撫でた。さっきまでの生意気な態度はどこへやら、ニンマリした顔で優美を眺める。


「おまえねぇ」


 浩太は肩の関節が外れるほどの脱力感を味わった。


「ほら、行くよ」


 彩希の声を合図にみんなが平沼家へ歩を進めた。


 優美のペースに合わせて歩いていると、そろそろ夕飯の支度にとりかかる時間帯になった。道の両側にあるどこかの家から料理の匂いが届き、鼻腔をくすぐる。


 晩飯は何にするんだ、と訊きそうになったとき、彩希はスマホを取り出して通知をチェックした。脚元にいる優美がスマホを持ちたそうに手を伸ばしている。


「明乃さんからね。えーっと莉緒さんはバイトが長引いて来れないみたい。あと、晩御飯の材料買って来たって。餃子作るみたい」


「晩飯まで済ます気か」


「いいじゃない。どうせならみんなで食べた方が楽しいよ。ええと、調理道具は流しの近くにあります、と」


 彩希が文字を打ちこんで返信した。


「そういや、武雄。帰りはどうするんだ? 帰りが遅くなるだろ」


 と、浩太が訊いたのは、武雄は宇都宮の実家から大学に通っているからである。たしか池袋から宇都宮まで二時間弱はかかるはずで、平沼家で遊んでから帰るとなると、夜遅くなりそうだと思った。


「友達の家に泊まりますよ。ちょうど新作の短編を書き終えたんで、いろんな人に意見を聞いてみたいなって」


 ほら、と武雄は言って、手提げの鞄を広げてプリントアウトした原稿を見せる。ご丁寧に人数分用意してある。


「とかいって、徹夜でゲームでもするんでしょ」


 彩希は疑いをかける。


「バレました?」


 と、冗談ぽく言う武雄。


「まあ、まずは明乃さんに読んでもらって手厳しい感想を貰うんだな」


「ひどいなぁ、浩太さん。今度のは自信作ですよ」


「どうかしら。あの人、変態だけど見る目は厳しいからねぇ」


 どうやら彩希は明乃を完全には許していないらしい。


「変態?」


「ああ、明乃さんもよだれたらして優美を愛で回したら、泣かせてしまったんだよ。んで、平沼がブチギレて、明乃さんに指関節を極めて指を折りそうになって」


 そこで言葉を切った。あのときの彩希の迫力は尋常ならざるものを感じたと思い出す。


「マジですか……」


 武雄は被害者が自分だけではないとわかって絶句する。


「おかーさーん」


 優美が彩希を見上げる。


「どうしたの?」


「へんたいってなあに?」


 無邪気な質問が両親を凍りつかせた。彩希の微笑が固まり、浩太は娘を直視できず顔を逸らした。親の反応が理解できず優美は首を傾けて不思議そうな表情になる。


「ああ、優美ちゃん。変態って言うのは――」


「おわぁ! やめろ武雄」


 浩太は慌てて武雄の口を塞いだ。


「おとーさーん、へんたいってー?」


 優美は固まったままの彩希の横をすり抜けて浩太に近寄る。


 ――さて、どうするかな?


 このまま無視するのも一つの手だが、あしらうようなことをすると両親に構ってもらえないと悲しませてしまうかもしれない。

 かといって、正直に教えるのも気が引ける。

 親として子ども疑問に向き合いたい気持ちがあるが、これは違うと思う。


「優美」


 浩太は武雄から手を離した。そして覚悟を決めて優美を見つめ、そして頭をなでる。


「世の中にはな、自然に覚えて行かなきゃならないことがあるんだぞ」


「むー?」


 優美は、わからないというふうに首を傾けて高い声を出す。


「だから、へんたいって言葉もお父さんやお母さんが教えることじゃないんだ。優美が大きくなっていくうちに、わかっていけばいいことだからな」


 苦しい言い訳だと自分でも思った。


 それをなんとなく察したのか、優美から不思議そうな表情が消えていない。


「よっと」


 その気持ちをごまかそうとして、浩太は優美を抱っこして喜ばせようとした。


「きゃー」


 優美がはしゃいだ声を出す。なんとかいかがわしい疑問をかわせたようだ。


「こ、浩太」


 彩希が苦笑して振りむく。


「平沼、子どもの前で使う言葉、考えないとな」


 これは自分にも言い聞かせるつもりで言った。父親としてTPOをわきまえないとな、と胸の内でつぶやいた。


「ごめん。ちょっと熱くなっちゃったかな。それと」


 と、彩希は浩太を指さした。


「な、なに?」


「ちゃんと彩希って呼んで」


「あ、わるい」


 まだ下の名前で呼ぶのに慣れていなかった。


「浩太さん、尻に敷かれていますね」


 ニヤニヤしながら武雄が言う。


「やかましい。おまえも優美の前で変なこと言うんじゃないぞ」


「考えすぎじゃないですか? ちょっとぐらい下品なことを教えてもいいでしょ」


 武雄は、気楽そうに言った。


「親が直接教えるもんじゃないだろ。こういうのはいつの間にか知っていたぐらいでちょうどいいんだ」


「そうですかねえ。あまり過保護なのも考え物ですよ」


「過保護とは別だろ。とにかく、あまり変なこと教えるなよ」


 浩太は武雄の減らず口を制したくて、あえて強めの口調で釘を刺した。と、もう一つ付け食わるために武雄に耳を貸すよう手招きした。


「下手なことしたら、指の一本や二本、持ってかれるぞ。おまえも平沼の怖さ、わかっているだろ」


 言葉を続けるうちに、武雄の顔がみるみる青くなった。浩太から耳を離してこくこくと頷く。


「おかーさん、こわくないよ」


 ひそひそ話が優美にも聞こえてしまったらしい。


「そ、そうだな、あは、あははは」


 乾いた笑い声が出る浩太。


「いくよ」


 彩希の冷めた声が聞こえると、彼女はすたすたと足を進めた。


 ――聞こえたかな。


 あとで、小言を食らうかもな、と思いながら優美を抱っこしたまま彩希の後を追った。



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