三日目:ドラマ鑑賞も活動の一環です
「そんなことがあったんか」
陽平が浩太の話を聞き終えると、ソファの背もたれに深くもたれた。
ただし浩太は、彩希を守ったことだけを淡々と話した。彩希と距離が縮まったことを話すのは気恥ずかしく、今ここで話すことではないと思ったからだ。
「ほんと、大変だったよ。木刀で人を殴ったら、こっちが犯罪者になりかねないし」
浩太は去年の不行跡を思い出すと、顔が熱くなりそうだった。
「俺も後から聞いたんだが、なかなかやるなって思ったぞ」
玄一郎が腕を組んで笑みをこぼす。
「玄一郎さんがいればもっと簡単にケリがついたんですけどね。あのチンピラ、俺たちが弱そうだから強気でいたんだろうし、玄一郎さんがひと睨みすれば一発で退散したはずですよ」
浩太は頭を掻きながら、玄一郎のいかつい風貌に目を向ける。
「でもあのときの浩太、すごかったなぁ。木刀の動きなんて全然見えなかったもん」
彩希は人差し指を木刀に見立てて手を振った。
「だから、このドラマを見て浩太に考察してもらうってわけ」
明乃がリモコンを手に取って映像を流した。
浩太は床に腰を下ろして、彩希が明乃の隣に腰かけて、鑑賞会が始まった。
高校時代に彩希が主演した『JK同心花森うらら捕物控』は、言った通り荒唐無稽な娯楽ドラマである。
骨董品店を営む花森家の倉庫に長い間眠っていた十手を主人公の花森うららが手に取ったところから物語が始まる。
その十手には江戸時代に活躍した同心、松田新之丞の魂が宿っていた。新之丞は生前剣術や捕縛術の達人で、数々の罪人を捉えた同心である。死の淵まで悪の存在を憂いていた新之丞が魂となり、長年愛用していた十手にとりついたという。それを手に取ったせいでうららは新之丞の幽霊が見えるようになったらしかった。
年甲斐もなく飄々とした態度で剣術の達人だったと嘯く新之丞を、うららは疑う。
「あれ? この同心、杉山健治か?」
と、浩太はドラマを観ながら訊いた。小さいころ、祖父と一緒に時代劇を観ていたので杉山健治のことは知っていた。最後の時代劇スターと謳われた名優である。
「うん。健治さん、結構楽しんでいたよ。もう一度武士の役ができるって喜んでいたわ」
と、彩希は懐かしむように言った。杉山健治は彩希と共演したときはすでに還暦を過ぎているはずだが、ドラマを観る限り衰えはなさそうだった。
「メタ的には杉山健治が瀬能紗雪に殺陣の稽古をつけているって観ている人もいたみたい」
明乃が補足をする。
ドラマは新之丞がうららに稽古をつけるシーンになっていた。うららが木刀、新之丞が実体のない剣を構えていた。二人が互いをまっすぐ見据える様子から緊張感が伝わってくる。
うららは剣道の道場に通っており、男相手でも引けを取ることがないという設定である。そのせいか、平次郎の八双の構えに隙が無いとすぐに悟り、一筋の汗がこめかみを伝う。
稽古ではうららが先に仕掛けたが、新之丞が一足飛びに懐に飛び込み、胴を薙ぐ直前に剣を寸止めした。うららが驚きのあまり目を見開き、金縛りにあったかのように動かなくなった。カメラワークの妙もあるのか、本当に新之丞の剣捌きが鋭く見えるから不思議だ。
「いかにも、時代劇の動きって感じだなんじだな」
と浩太は言う。
「剣道経験者にはツッコミどころかしら?」
彩希が訊いた。
「いや、江戸時代の同心が現代の剣道の動きをしても不自然だし、はったりが利いていいと思うぞ」
浩太はお世辞を言ったつもりはない。現に杉山健治扮する松田新之丞には長年培った剣術の技量が垣間見えた。
「で、ここからJK同心の活躍が始まるっと」
陽平がそう言うと、浩太は画面に目を戻した。
ドラマは中盤に差し掛かり、うららの通う高校で事件が起こる。更衣室に誰かが侵入し、下着や財布を盗んで言ったという。お嬢さま学校という設定なので、生徒たちの財布の中には多額の現金やカードが入っていたようだ。
新之丞は同心の血が疼き、うららに罪人を捕まえるよう言いつける。口やかましい新之丞に根負けして、うららは独自に捜査を開始する。
「なるほど。だからJK同心か」
と浩太は独り言のように感想を漏らす。
町中を歩くうららは鞄に十手をしまい、木刀を袋に入れて持ち歩いている。幽霊の新之丞もうららにしか見えないのをいいことに着流し姿のまま付き添う。
終盤に差し掛かると、犯人は窃盗団で学校近くの民家に侵入しては金目のものを盗んでいたことがわかった。学校で下着を盗んだのはその手の店で高く売れると同時に、一味の中に変態的思考を持ち合わせる輩がいたせいもあった。
「しかし、よくこの内容がテレビで流れたな」
玄一郎が画面に映る変態に呆れたようだ。
「結構ギリギリですね。深夜だから何とかなりましたけど」
彩希が苦笑いを浮かべる。主演した本人もきわどいと思っているようだ。
やがてうららが窃盗団のアジトを突き止める。腰に十手を差し、木刀を片手に持っている。木刀を突きつけて縛につくよう窃盗団に告げる。
だが、窃盗団は彼女一人なら逃げ切れると踏み、嘲弄を浮かべながらうららを取り囲んだ。
うららは木刀を八双に構え、鋭い視線でカメラを睨みつける。
「ここから殺陣のシーンだ」
と陽平が言う。
窃盗団の一人が声を出すと同時に、緊張感のあるBGMが流れた。時代劇を彷彿とさせる剣術を披露し、次々と窃盗団を叩き伏せる。途中、後ろや左右から襲われてピンチの場面を作ったが、新之丞の指示が飛び、窮地を脱する。
そして残り一人がナイフを抜き、うららと対峙する。するとうららは腰に差していた十手を手に取った。盗賊がナイフを突き出したところ、鉤で受け止めてねじった。男は床に転がり、うららが十手を振り下ろして気絶させた。
「うーん、なんつうかなぁ」
主演した本人のいる前で感想を言うのは勇気がいった。
気になったのは主人公うららの殺陣のシーンである。
剣道部という設定があるとはいえ、女子高生が木刀を振るい、次々と犯罪者を倒していたのが気になる。演じた彩希の体格や腕力を考慮すると無理のある設定ではないかと思ってしまい、しかも短期間で、十手を巧みに遣う技量が身につくのか疑問だった。
ただ同時に、浩太は彩希の演技に惹かれた。一話目を見る限り、花森うららは感情豊かな反面、お淑やかさに欠ける設定のようだ。制服を着崩すのはもちろん、街中で大口を開けて欠伸をしたり、スカートを穿いたまま胡坐をかいていた。脇役が笑えないボケをかますと、目や歯を剥いてツッコんだりする。
そして、殺陣のシーンでの表情が見事だった。揺れる瞳で窃盗犯を睨みつける表情には、恐怖に耐えながら覚悟を決めて対峙するうららの心情が露わになっている気がした。
単純な娯楽ものでもキャラクターの性格を把握し、演じ切った彩希の演技力に目を見張る思いがした。
「ちょっと無理があるかな?」
と彩希がまじまじと見つめてくる。
「あ、ま、まあ」
浩太は、彩希の視線に耐えられず、口籠る。
「でもよ、木刀って滅茶苦茶硬いだろ。女の力でもなんとかなるんじゃないか? それに彩希のアクションだってキレがいいし」
陽平は肯定的にドラマを評価しているようだ。
「うーん、どうだろうなぁ」
浩太はわざとらしく小首を傾げて悩む素振りをする。彩希の演技が頭から離れなくなっていて、考えがまとまらなかった。
「ん? 指関節を極めるシーンがなかったな」
と玄一郎が割って入る。
浩太は玄一郎に目を向けると、彼は片目を瞑った。答えに困っている浩太に助け舟を出したようだ。
「それは第三話ね。とりあえず、二話目も観ましょ」
明乃はリモコンを手に取った。
そのとき、ドアの開く音がした。
「おかーさーん」
リビングに入ってきた優美がどたどたと足音を立てて彩希に近づく。
「あらー、もう起きたの?」
彩希は優美を抱きかかえると膝の上に乗せた。
「もう一時間経ったか」
壁の時計は二時五〇分を指していた。そろそろおやつの時間でもある。
「うふ、ふふ、うふふふふひひ」
明乃が変態的な笑い声をあげる。眼鏡が怪しく光る。
「明乃さん、懲りていないようですね」
むっとした表情を浮かべて彩希が言う。優美がいる手前、激しく怒れないようだ。
彩希が優美を抱き寄せながら明乃に警戒心を向けていると、誰かのスマホから通知音が鳴った。
「ん?」
と、陽平がポケットからスマホを取り出す。
「なんだ、また合コンの誘いか?」
浩太はからかい混じりに訊いた。
「ちげぇよ、武雄から。もうすぐ駅に着くってよ」
「じゃあ、迎えに行くか」
浩太は腰を浮かして出て行こうとした。
「わーい」
優美は弾んだ声を出してついてきた。
「よし、一緒に行くか」
「わたしも」
彩希もついてくるようだ。
「いいよ、俺と優美だけで」
「いこー」
優美はお父さんとお母さん一緒の方がいいらしく、顔を見上げて浩太を見つめる。
「よーし、行くぞー」
「はーい」
彩希が先頭に立ち、優美はとことこ後をついて行った。
「しょうがねえなぁ」
浩太の肩の力が抜ける。
「行ってらっしゃーい、お父さん」
陽平の陽気な声が背中に届く。
浩太は振り返らずに手を振って、彩希のあとを追った。
――子離れできるのかねぇ。
彩希が優美を大事にしすぎる気がして、つい遠い未来の心配をしてしまう浩太であった。