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三日目:娘を守ります

 古本市で買い物を済ませたミステリー研究会の会員たちは、もう一度三省堂書店の前に集合していた。


「これからどうします?」


 玄一郎が訊いた。


「どうせ、古本を買って終わりってわけじゃないでしょ」


 すっかり立ち直った陽平が言った。ちょうど昼飯時でどこかに寄りたいようだった。


「ファミレスでだべらない? 莉緒と武雄もこれから合流するから、そこで時間つぶそ」


 明乃は両手に袋を持ったまま言った。浩太が置いて行ったあと、気を取り直して古本を購入したようだった。


「そういえば、二人とも来てないですね」


 彩希が優美の手をつないだまま明乃に訊いた。


「莉緒さんはバイトで、武雄は宇都宮から通っているから、すぐには来れないよなぁ」


 浩太は思い出しながら言った。佐橋莉緒は一つ上の先輩で、神名武雄は後輩である。


 ふと、浩太は見上げてくる視線に気づいて、そちらに顔を向けた。


 優美は浩太に顔を向けて笑顔になっていた。


 浩太は中腰になり、笑顔を作って優美に手を振る。


「ほう、これは」


 明乃が人差し指と親指の間を顎に添えて、また怪しげな視線を投げかける。


「いい加減にしてください。優美が怖がりますから」


 彩希が強めの口調で注意する。明乃の視線に驚いたのか、優美は彩希の後ろに隠れてしまった。


「優美ちゃん、昼寝しないのか?」


 玄一郎が気にかけてくれた。


「まだ早いですよ。お昼食べて少し遊んでから寝かせますから」


 と彩希は優美の頭にそっと手を添える。

 優美は彩希の脚に縋りつきながら覗き込むように、みんなを見ている。


「なら、どっかで昼飯でも食って、みんなで彩希の家に遊びに行こうぜ」


 陽平は前のめりになって提案した。


「やめとけ。俺たちみたいな一般人が芸能人の家に行くなんて迷惑だろ」


 玄一郎は分別をわきまえて言った。


「どうする?」


 一応、彩希に訊いてみる浩太。


「そうね。どうせなら家で昼ごはん食べない? ここから歩いていけるしちょうどいいわ」


「おお、さすが一流芸能人、話が分かる」


 陽平はあからさまに喜んだ。


「静かにしろ。周りに気づかれるぞ」


 浩太は気を遣って周りを見回した。幸い、こちらに注意を向けてくる人はおらず、胸をなでおろす。


「なら決まりね。一度彩希の家に行ってみたかったのよ」


 明乃が乗り気になる。


「じゃあ、莉緒さんと武雄にはうちに来るように連絡しておきますから」


 彩希はスマホを取り出した。


「いいのか?」


 浩太は彩希の警戒心が薄いのが気になった。たとえ同じサークルの仲間とはいえ、簡単に自分の家を教えてもいいものなのだろうか。


「平気よ。他の人に教えたら訴えるから。ね、みんな」


 首を傾けて影のある笑顔を浮かべる彩希。法に訴える手段を心得ているようだ。


 彩希が妙な迫力を押し出したせいか、皆が苦笑いを浮かべる。


 気づかないのは優美だけでお母さんが面白いことをしていると感じたらしく、彩希の裾を掴みながら浩太に笑顔を向けていた。


「かたぐるま―」


 優美は彩希から離れてとことこと浩太に近づく。


「ほらお父さん、しゃがんで」


 彩希が促してきた。


「はいはい」


 促されるまま、優美に肩車をしてやった。



「すっかり父親だな、浩太」


 玄一郎は感心したように言う。


「ほんとなら、俺がなぁ……」


 また落ち込む陽平。心なしか恨みがましい目つきで浩太を見ている気がした。


「頼むから化けて出ないでくれよ、陽平」


 浩太なりに気を遣って軽口を叩く。


「死んでねえっつうの。親父の余裕ってやつか、ったく」


「そんなんじゃねえって。優美がこうして懐いているし、邪険に扱うわけにもいかないだろ」


「わー」


 と、優美が前に手を伸ばした。陽平を悪い人じゃないとわかったようだ。


「陽平、握手してやってくれ」


「わーったよ」


 片手をポケットに突っ込み不貞腐れた態度をとる陽平。  渋々といった素振りで手を伸ばして優美の手を握った。


「あくしゅー」


 優美の声が弾んだ。


「おっ」


 と陽平は声を出すと、目を見張って優美に視線を合わせた。


 優美は手を振ろうしているが、陽平の手が固くて動かないようだ。


「どうした?」


 異変を感じ浩太。


「よく見ると、かわいいな。さすが瀬能紗雪の子ども」


「それはやめてって言ってるでしょ、もう」

 

 芸名を言われた彩希は呆れたように言う。


 だが、陽平にその声が届いたか怪しかった。なにしろ、優美の手をつなぎながら浩太をじっと見ているからだ。


「なあ、浩太、彩希」


 にわかに真剣な口調になる陽平。


「なによ?」


 と彩希が応える。


「娘さんを、俺に下さい」


 真夏の日差しが冷ややかになった。辺りの光景が凍り付いたかのように見え、時が止まったかのように感じた。唯一、優美だけが状況がわからずにきゃっきゃと浩太の頭を撫でているだけである。


「……今、なんつった?」 


 ようやく口が動くようになった浩太。


「だから、優美ちゃんを俺にくれよ。二十年も経てばいい女になるから今のうちに手をつけておくに限る」


「バカこくな。いくつ離れていると思っているんだ。令和の光源氏を目指す気か、おめえは」


 呆れてちょっぴり地金が出てしまった。冗談だとはわかっているが行き過ぎている気がする。


「陽平。あんた、人の娘をどうする気?」


 彩希の声音が低い。 


 浩太はおそるおそる彩希に目を遣った。全身からどす黒いオーラが漲り、鋭く光る眼には殺気が溢れている気がした。どうやら彩希は陽平の言葉を冗談とはとらえていない。素人の浩太でも彩希の怒りが演技ではないとわかるほどだった。


「さ、彩希、冗談だって。なあ、落ちつけ」


 陽平は両腕を前に突き出し、彩希を鎮めようとする。しかし、彩希は聞く耳を持たず、ゆるりと歩みを進める。


「さ、優美。おうちに帰ろう。お母さんと陽平さん、あとで来るから」


 母親の負の面を見せるわけにはいかず、浩太は肩車をしたままその場を離れようとした。


「じゃ、じゃあ、俺も行くか」


「わ、わたしも」


 玄一郎と明乃も彩希の迫力には勝てないようで浩太たちについてくる。


「陽平。香典は弾んでやるからな」


 と言い捨てて浩太はその場を後にした。


 すぐに悲鳴が耳を打った。浩太は聞こえなかったふりをして平沼家に向かった。


 横断歩道を渡り明治通りの坂道を下っていたところ、優美が降りたがったので、玄一郎の助けを借りて優美を下ろした。


 そのとき、彩希から連絡が入った。平沼家に行く前にスーパーに寄ってヤキソバの食材を買ってほしいとのことである。ご丁寧にスーパーの場所を記した地図まで送信してきた。このスーパーは平沼家からは近いものの、ここからは若干距離がある。かといって電車やバスを使うほどでもない。

真夏の暑さで優美がまいってしまわないか心配したが、スーパーでペットボトルの水か麦茶を買い、肩車をしてやればいいかと思い直した。


 スーパーに着いて中に入った。すぐにヤキソバ、野菜、豚肉をかごに入れた。ついでに明乃が度数の低い缶チューハイを持って来た。


「明乃さん、昼から飲むんですか?」


 玄一郎が窘めるように言う。


「ほんのちょっとだけ、ちゃんと払うから」


「脳みそが縮んで六法を忘れても知りませんよ。法科大学院、そろそろ入試じゃないですか」


「そこはご心配なく。勉強は順調よ」


 と、明乃は人差し指を立てて得意げに語る。


 優美は浩太の周りをちょろちょろと動き回っている。ときどき足を止めてはお菓子をじっと見つめたり、背伸びをしてアイスの入っている冷凍ケースをのぞいたりしている。


「アイスでも買おうか?」


 と浩太は優美に声をかけた。


「いいのー?」


「お母さんにダメって言われたら、明日食べればいいさ」


「うん」


 優美は嬉しそうにうなずいた。イチゴ味のクレープアイスを指さして浩太が取ってあげる。


「あ、わたしもアイスね。糖分がないと頭が回らなくてさ」


「なら、酒を飲まなければいいじゃないですか」


 ため息を吐きつつ、浩太は六本入りのアイスバーの箱を手に取ってかごに入れる。


 会計を済ませて平沼家に向かった。


 スーパーの冷房で涼んだ身体に真昼間の日射しがもろに降りかかる。少し歩いただけで身体が火照り、汗が滲んだ。


 優美は暑さをものともせず、ときどき走っては浩太たちを追い抜き、離れると後ろを振り向いてぴょんぴょん飛び跳ねる。浩太が追い付くとまた走り出した。


「前に気をつけるんだぞ」


 と浩太は注意する。


「そうそう、さあ優美ちゃん危ないから、ふしゅるるる、お姉ちゃんが守ってあげる」


 明乃はよだれをすすると、いきなり前に進み出て優美を抱きかかえた。背後には邪なオーラがゆらゆらと漂っているように見える。


「いやぁー」


 優美が嫌そうな声をあげる。


「明乃さん、よだれ拭いてください。そして優美をダークサイドに引き込まないでください」


 浩太は古本市で見せた明乃の負のオーラを思い出した。


「浩太」


 と玄一郎が耳打ちをしてきた。


「いいんですか?」


「構わん。俺が責任を持つ。優美ちゃんの将来が心配だ」


 玄一郎も、明乃は行き過ぎだと思ったらしい。


 浩太は荷物を玄一郎に預けた。


「びええぇぇぇーん、えーーん」


 不意に抱きつかれて怖くなったのか、優美が泣き声を上げてしまった。


「泣かなくてよい。さあ、お姉さんが愛で回して慰めて――」


「失礼します」


 と浩太は背後から明乃に近づき、明乃の腕を掴んで強引に優美を引き離した。そして、すぐさま優美を抱きかかえると、ダッシュをかました。


「さあ、優美、急いで帰ろう」


 浩太は走りながら優美の頭を撫でてやる。


「おとぉーさぁーん」


 優美は涙声を出した。


 泣き止ませるため、走りながら優美を揺すった。次第に優美が泣き止み、真っ赤な目で浩太を見つめた。


 すぐ後ろから袋を擦る音が聞こえる。玄一郎がちゃんとついてきているようだ。


「待ってー! 優美ちゃーん、行かないでおくれー! そのぬくもりで真夏の暑さを忘れさせてくれたまえ―!」


 わけのわからない叫びが耳を打ちながらも、浩太は振り返ることなく平沼家へ向かう。


「おとーさーん、すごいはやーい」


 優美はすっかり立ち直ったようで、浩太に笑顔を振りまいた。


 ――ちゃんと守ってあげないと。


 日差しを裂くようなスピードで走りながら、父親らしいことを考える浩太であった。


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