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一日目:同級生は元芸能人です

 夏休み前、高明(こうめい)大学の学生食堂では前期試験のことで話題が持ちきりだった。無難に試験をこなした学生もいれば、出席日数が足りず早くも単位を落とすのが確定した学生もいる。中には今どき珍しく教授に泣きついて及第点をもらおうと画策する学生もいた。


 青江浩太は試験期間半ばにして前期試験を終え、一足早く開放感を味わっていた。夏休みのレポートをこなし、後期もきちんと授業を受けていれば単位が取得できる見込みである。高明大学は通年制なので油断はできないが、とりあえず目処を立てた格好となった。


「浩太、テストどうだった?」


 と、声をかけてきたのは向かい側に座っている同級生の矢内陽平である。彼とは入学当初からの友人で、同じミステリー研究会のサークルに所属している。


「まあ、単位はもらえるかな」


 浩太は控えめに言った。


「マジかよ。俺なんてギリギリなのに」


「ちゃんと勉強しておけよ。学部の試験なんてそんなに難しくないだろ」


「いやあ、バイトとか合コンとか忙しくてさ。他のサークルにも参加しなくちゃいけないしでもう大変なんだよ」


 陽平は茶髪の頭を掻いて苦笑いを浮かべる。


「後期で取り返せるんじゃないか?」


「だといいけどなぁ。あーあ、俺が女だったらなぁ」


「どういうことだよ」


「ほら、うちの教授たちスケベそうじゃん。いっそのこと美人に生まれ変わって色目使って単位を貰うとかさ」


「バカ言うな。ちゃんと現実を見ろ」


 と言うものの、浩太は陽平が女に生まれ変わった姿を想像して笑いそうになる。陽平は顎が細く、切れ長の目なので案外女装が似合いそうだった。


「それはそうとさ。夏休みどうする? 他大から合コンの誘いがいくつかあるんだけど」


 あっさり気持ちを切り替える陽平。早くも夏休みに思いを馳せていた。


「おい、あれ」


 と、近くにいた男子学生が声をあげた。周りの学生視線が一定の方向に集まる。


 浩太もつられ身体を後ろに傾けて同じ方向を見た。


 艶やかなショートカットの女子学生がトレーを持ってこちらに歩いてきた。顔が小さく、冴えた瞳が美しさを際立たせている。背はそこまで高くないもののスタイルの良さが見て取れる。歩く姿が様になっていて周囲の視線を捉えて離さなかった。


瀬能紗雪(せのうさゆき)じゃね?」

「うっそ、マジっすか」

「ああ、去年入学したんだよ」

「サインでも貰いましょうよ」

「やめとけ、引退したんだぞ」


 学生たちのどよめきが止まらない。


「おーい、紗雪」


 と、陽平は空気を読まずに彼女を呼んだ。


「バカ、陽平。目立つだろ」


「いいじゃん。俺たち友達じゃん」


 陽平は悪びれる様子がない。


 その声に反応し彼女がこちらに顔を向けた。すると、にわかに笑顔が浮かび上がった。


「あ、浩太。いたんだ」


 彼女は近づいてきて、トレーをテーブルに置くと、浩太の横に腰かけた。


「おい、俺は無視かよ」


 と、陽平は不満げに言う。


「デリカシーのない人を相手にしたくないの。それに今のわたしは平沼彩希(さき)、いいかげん本名で呼んで」


 と、彩希はスマホを手に取って画面に目を向ける。


「悪かったよ。機嫌直せって、な」


 陽平は片手拝みをしながら謝る。


「しょうがないなあ。今度から気をつけてね」


 彩希はスマホから目を離さずに言うと、フォークでパスタを巻いた。


「お詫びにさ、今度どっかに遊びに行かね?」


「ことわる」


 彩希は陽平の下心を見抜いてすぐに突き放した。


「はは。陽平、またフラれたな」


 笑い声を交えて言う浩太。


「やかましい」


 陽平は不貞腐れて頬杖をついた。


「あと、平沼に迷惑かけるなよ。ほら、お前が声をかけたせいで、周りの視線が痛いんだからな」


 と、浩太は居心地の悪さを感じて言った。


 彩希は瀬能紗雪という芸名で芸能活動をしていた有名人で、それを知る学生たちから常に注目を浴びている。優れた容姿も相まって、今も周りの学生たちが、彩希にちらちら視線を投げかけていた。男子学生の中には、親しく話す浩太と陽平に嫉妬の眼差しを投げかけて来る学生さえいるのだ。


 そういう視線に慣れているのか、彩希は動じることがない。陽平も持ち前の能天気さもあって、周りを気にすることなく彩希と親しくしている。


「それよりも浩太、夏休みどうするの? 地元に帰ったりする?」


 彩希がスマホから目を離してまじまじと浩太を見つめてくる。


「ん、まあ、バイトしながら予備校に通うよ」


 と、素っ気なく答える浩太。


「予備校?」


「税理士試験の準備。来年、受験するから」


「そっか、ちゃんと将来のこと考えているんだ」


 彩希は感心したかのように言った。


「別に。親の稼業を継ぐだけだよ。他にやりたいことなんてないし」


「サークルはどうするの?」


「暇を見つけて顔を出すよ。平沼は夏休みどうするんだ?」


「英検対策。秋に準一級受けるからその準備ね」


「英検ねぇ」


 陽平は含み笑いを浮かべる。


「なによ?」


「いやあ、いかにも芸能人って感じでさ。芸能界に復帰しても何の資格も取ってないんじゃ、なにやってたんだって言われるんだろ。とりあえず英検を取ると」


「遊びまくって単位落としているような人に言われたくないな」


 不意に蓮っ葉な言葉遣いをする彩希。


「遊んでるだけじゃねえぞ。他大のサークルにコンパ、それにバイトって人脈を広げるに忙しいの、俺は」


「威張って言うことじゃないでしょ。ちゃんと単位を取ってやることじゃない。ねえ、浩太」


 彩希は浩太に同意を求めた。


「俺を巻き込むなよ」


 浩太はつき合い切れない気持ちになり、テーブルに両肘をつく。


「彩希は浩太が好きなんだろ」


「ちょっと、やめてよ。浩太は大切な人。それ以外の何物でもないわ」


「平沼、その言い方は誤解を生むぞ」


 と、浩太はツッコんだ。


 ――視線が、痛い。


 彩希の言葉が聞こえた周りの学生たちから人を刺すような視線を感じた。


「とにかく、遊んでばっかの陽平と普通の学生を一緒にしないこと」


「遊びも人生勉強だっつうの。そこから学べることだってたくさんあるんだからな」


「ただの屁理屈でしょ。まったく口が減らないんだから」


 彩希は呆れて返す言葉が見つからないようだ。苦笑を浮かべながらスマホの画面に目を戻した。


 彩希と陽平のやり取りはいつもこんな感じである。軽口を叩き合う二人を眺めていると少しばかり楽しい気分になる。彩希が元芸能人であることを除けば、何気ない大学生活を送っている実感がわいてくる。


 ――大切な人ねぇ。


 もしかしたら、俺にもチャンスがあるかも、と浩太も下心が湧きそうになるも、すぐにそれはないとかき消した。彩希のような美人と、平凡な自分では釣り合わないと思い直した。

 それから少し雑談をしたあと、浩太は二人と別れてアルバイトへ向かった。


   ◇ ◇ ◇

  

 アパートに戻ると、早速テーブルの前に腰を下ろして、スマホのスケジュール帳で夏休みの予定を確認した。


 アルバイト、夏休み中のレポート、予備校の授業、勉強時間、ミス研の集まり。なんとかこなせそうだった。


 一見すると、サークルの時間が無駄に見えるが、親しい人たちと遊んで息抜きをする時間は必要だと思った。


 高明大学のミステリー研究会はマニアから初心者まで受け入れる懐の広いサークルである。小説、ドラマ、映画、漫画、アニメと媒体問わず鑑賞し、感想を言い合う。時には脱線し、ミステリー以外の作品にも手を出すこともあった。お気楽な空気のサークルなので、各々が感じたことを気兼ねなく言い合える。

 浩太は漫画や大人気警察ドラマ程度の知識しかなかったが、会員たちの緩やかな雰囲気を気に入り、息抜きにちょうどいいと思って入会を決めたのだ。


 想定外だったのは、元芸能人の彩希がいたことである。ついこの間まで瀬能紗雪として活躍していた彼女が一般の学生に混じってサークル活動するとは誰も想像していなかった。ある者は下心丸出しに近づき、ある者は彩希の魅力に尻込みした。


 彩希は高校三年生のとき、芸能活動を引退すると各メディアに発表した。子役からキャリアを積み、映画、ドラマ、CMなどに引っ張りだこだった瀬能紗雪の引退は世間を騒がせ、関係者からはその才能を惜しむメッセージが寄せられるほどだった。


 ただし、引退といってもまだ大学二年生、復帰も視野に入れていると浩太は見ている。なのに、将来の仕事につながりそうもないミステリー研究会に入ったのが不思議だった。

 詳しい理由は聞いていないが、なんとなく彩希は気ままなキャンパスライフを楽しみたいのだろう、と浩太は思っている。


 ――平沼にとっちゃ、大学生活は休憩時間なのかもな。


 メディアに出続けるには、多大な努力を重ね、神経をすり減らす生活を送る、と素人の浩太でも想像がつく。

 彩希は四年間、普通の学生として生活し、疲弊した心身を癒す時間に当てたいのだろう。


 浩太は彩希と上手く話せている実感に乏しかった。彩希の美貌や元芸能人という肩書も相まって、彼女と会うたびに静かな緊張感が忍び寄ってくる。どう接していいのか未だに掴めず、つい素っ気ない態度を取ってしまうのだった。むしろ、物おじせずに彩希に話しかける陽平の方が、打ち解けている印象があった。


 物思いに耽っていると、突然スマホが鳴った。メッセージではなく電話だった。スマホの画面には平沼彩希の名前が映し出されている。元芸能人の連絡先を知っているのも未だに現実感がなかった。


「なんかあったのか?」


 普段はメッセージでしか連絡のしてこない彩希にしては珍しかった。


 浩太は画面をタップして電話に出た。


〈浩太? 今、大丈夫?〉


「なんかあったのか?」


〈うん……ちょっと複雑な事情があって……〉


 いつもは明るく振舞う彩希が珍しく困惑気な声音をあげる。


「どうした?」


 浩太の胸が早鐘を打つ。彩希の身になにか不吉なことが起きたのかと、にわかに不安が過った。


〈ねえ、浩太〉


 不意に彩希の声が強くなったかと思うと、さらに言葉を続けた。


〈家に来てくれない?〉


「はいぃ?」


 浩太は素っ頓狂な声を上げた。


〈来てくれないと、事情を説明できないの。他に頼る人がいないし〉


「えーっと……俺、平沼の家、知らないけど」


 話が急すぎて、理解が追い付かない。


〈とにかく、地図を送るから家に来て。来たらちゃんと説明するから〉


 一方的にそう告げられてから、電話を切られた。


「なんだよ、いったい」


 浩太は怪訝な心持ちでつぶやいた。


 まもなく、彩希の家が記された地図がスマホに送られてきた。


 ――あれ?


 と思ったのは、彩希の家が雑司ヶ谷霊園近くの住宅街にあるからである。芸能人だったからてっきり城南の高級タワーマンションに住んでいると思い込んでいたのだが、彩希の場合は違うらしかった。ここなら浩太の住むアパートから近い。


 すぐにアパートを出て自転車に跨った。いったん明治通りを走ったあと路地に入り、都電沿線の通りに出る。もう一度地図を確認し、入り組んだ路地に入ると、また地図を確認して彩希の家を探す。


「マジか……」


 ようやく彩希の家を見つけると、絶句してしまった。一階はガレージで悠々と四、五台分の車が入るほどの幅がある。上には柵が張り巡らされており家屋の全貌を窺うことはできない。ガレージ脇の門扉越しに石段があり、その先に玄関がある。


 身分の違いを見せつけられるようで、気後れを感じた。東京二十三区内でこれだけの家を持つあたり相当裕福な家庭に違いなかった。


 門の近くに自転車を停めてからモニター付きのインターホンを鳴らし、彩希を呼び出した。


 すると、家のドアを開く音が聞こえ、彩希が出てきた。


「あ、きたきた」


 彩希は石段を下りてきて門の鍵を開けた。明るい表情を浮かべているあたり、事件に巻き込まれた感じはなさそうだ。


「どうしたんだよ、いきなり」


「いいから入って。あ、自転車は中に入れてね」


 彩希は門を大きく開いて浩太を招き入れた。


 門に入ってすぐ右のところに物置兼駐輪場があった。彩希に物置の戸を開けてもらい、浩太はママチャリの横に自分の自転車を置いて鍵をかけた。それから彩希の案内で石段を上り玄関に案内された。


「あれ?」


 玄関に入ると、上がり框に小さな女の子がいるのが目に入った。まだ三、四歳ぐらいで、くりくり眼の目に、幼児らしく顎の輪郭に丸みが帯びている。どことなく彩希に似ていた。


「平沼って、こんなちっちゃい妹がいたんだ」


 浩太は女の子と目を合わせながら訊いた。


「わーい! わーい! わーい!」


 いきなり女の子がぴょんぴょん飛び跳ねた。笑顔が溢れていて、人見知りせずにお客さんを迎えているようだ。


「お、元気だな」


 浩太は彩希の答えを聞く前に、中腰になって女の子と背の高さを合わせた。


「名前はなんて言うの?」


 やさしくゆっくり訊いた。でも、女の子はまだ飛び跳ねている。


「たーっち! たーっち!」


 女の子が飛びながら右手を上げた。


「おお、よしよし」


 浩太は右手を女の子にかざす。


「たーっち! おとーさん、たーっち!」


 女の子が浩太の掌を叩くようにして触れてきた。


「は?」


 浩太は一瞬女の子の言葉が理解できなかった。


 ――お父さんって言わなかったか?


 浩太は彩希に目を向ける。


「ふふん、やっぱりそうなのね」


 彩希は確信めいた笑みを浮かべる。


 どういう状況か理解できず、ただ彩希を見つめるしかなかった。


 女の子は、浩太の掌に何度もタッチをしてきた。


お読みいただきありがとうございました。


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