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第117話 46億年

 










「ほら、どうしたんだ? 早く食べてしまいなさい。儀式に遅れるじゃないか」


 ニコニコと笑う男。

 家庭では父親の立ち位置にいる。


 歯が全部真っ黒に塗られ、目玉を両方ともえぐられている姿でなければ、尖兵の悪魔も普通の人間だと思っていたかもしれない。

 その異様な姿と、親し気に……まるで、家族に話しかけてくるような気安さに、気味悪さを強く覚える。


「何を言っている? 私を誰だと思って……」

「寝ぼけているのかしら? それともわざとかしら? なんでもいいけど、食べちゃいなさいよ」


 キッチンから出てきたのは、母親の役割を担っているであろう人型。

 ただし、彼女の身体は前面を向いていても、顔は真逆を向いている。


 180度、首がねじ曲がっていた。

 前を見ることができていないはずなのに、その動きにはよどみがない。


 人であれば死んでいるであろう状態なのに、平然としている。

 そんな彼女は、大きな皿を持ってきていた。


 ドカッと遠慮なくテーブルの上に置かれるそれ。

 悪魔を襲ったのは、顔を背けたくなるような痛烈な悪臭である。


 何だと視線を向ければ、皿の上に載っていたのは、人間の赤子の腐乱死体だった。


「……気がくるっているのか? 私に人肉を嗜む趣味はない」


 顔を青ざめさせながら悪魔は言う。

 人の死体を見ることは慣れているし、赤子だからかわいそうだという思考もない。


 そもそも、腐乱死体なんて、今までの平行世界でもさんざん見たことがある。

 それなのに、悪魔に精神的なダメージを与えたのは、その腐乱死体をいかにもご馳走のように盛り付け、普通の食事にしようとしている異常さである。


 この夫婦役の人型の異形さもそうだが、ゴリゴリと精神的なものが削られていくのを実感できた。

 我慢ができず、この辺り一帯を吹き飛ばそうとして……。


「力が、使えない……?」


 他の追随を許さないほどの強大な力を使えないことに、ようやく気付く。

 まるで、脆弱な人間に成り下がったよう。


 一度危害を加えようとしたことがあちらに伝わったのか、夫婦の雰囲気ががらりと変わる。


「はいはい、食べなさい食べろ食べろ食べろ」

「食え食え食え食え」

「なっ、ん!? ふざけ……っ!!」


 頭を押さえつけられ、赤子の腐乱死体に押し付けられる。

 必死に逃れようとするが、ありえないほどの力でビクともしない。


 グチャグチャと聞きたくない水音に耳を冒され、悍ましい匂いで鼻が曲がる。

 小さく跳ねている虫が、そこら中に沸いていた。


「おえええっ!!」


 無理やり口に詰め込まれ、激しく嘔吐する。

 さらに悪臭が広がって、凄まじいことになっている。


 そんな悪魔を見て、夫婦はまた穏やかで異常なほど親し気な雰囲気に戻った。


「ほら、食べたなら早く儀式に行かないと。さあ、行きなさい」

「ちゃんと東を向きながら歩くのよ? あなたはそそっかしいから、すぐ南を向くんだから。また鼻をそがれても知らないわよ?」


 ドン! と強く押し出され、外に出る。

 もはや、抵抗できないほどに弱っていた。


 バタンと強く扉が閉められ、もう家に戻ることはできなくなる。

 戻るつもりもなかったが、いきなり放り出されたことによる不安が襲う。


 そして、外の世界を見て、尖兵の悪魔はさらに唖然とする。


「なんだ、この世界は……!?」


 空は赤く染まり、道路には血しぶきや臓物が飛び散っていた。

 それだけなら、平行世界で見てきた。


 自分たちがその犯人なのだから、何も不思議ではない。


「あら、お元気ですか? 片目がこぼれそうになっていますわ」

「またよ。最近息子が私の大腸を学校に持って行っちゃったから、大変なの」


 異常なのは、明らかに死んでいるであろう状態で、平然と生活をしている人間たちだ。

 まるで、普通の主婦の会話のようで、しかし内容は悍ましい。


 片目が溶けて眼窩から飛び出していれば、相手は腹部が真っ赤に染まって臓器があふれている。

 どうして普通に会話をしているのか、できているのか、すべてが疑問だ。


 出勤途中のサラリーマンは上半身だけで、腕の力だけで引きずって動いているため、血の跡が道路にべったりと張り付いている。

 塀の上には生首がいくつも並べられており、それらは当たり前のように会話をしている。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 何だこの世界は。


 こんな異常な世界、受け入れられるはずもない。

 そもそも、どうして自分はこの世界に紛れ込んでしまったのだ?


「ああ、お兄ちゃん! 待ってたよ! 早く私と公義氏と一緒にならないとダメじゃない! ずっと待っている間に、私はこんな苦しい思いをしているのよ?」

「ひっ……!?」


 尖兵の悪魔に兄弟なんていないはずだが、その声の主は明らかに彼に話しかけていた。

 塀にもたれかかっているのは、両手足を大きな杭で縫い付けられ、凄惨な拷問の後がある少女だ。


 目玉もくりぬかれているのに、確実に悪魔の姿を捉えていた。

 まず、自分が兄だと称するのも理解できないし、公義氏とはいったい誰なのか?


 もはや分からないことが多すぎて、尖兵の悪魔は初めて恐怖というものを覚えた。

 必死に走って逃げる。


 身体能力も明らかに落とされているため、普通の人間が走るのとほとんど変わらない。

 すれ違う老人――――足に骨がないようにぐにゃぐにゃとしていた――――が忠告をしてくる。


「これこれ、南を向いてはいかんと聞いておらなんだか? しかし、西でなくてよかった。西ならば首を曲げて東を向けさせないといけないからのう」

「ぎゃっ!?」


 ゴキッと首が捻じ曲がる。

 骨が折れていた。


 尖兵の悪魔も人間を超越した存在とはいえ、人型だ。

 首の骨を折られれば重傷で動けないはずなのに、意識もはっきりとしていて激痛だけが襲ってくる。


「おっと、お時間が近づいてきていますね。私がお運びさせていただきます。捕まってくださいねぇ!」

「ああああああああああああっ!?」


 空から降ってきたタクシーが、尖兵の悪魔を押しつぶした。

 血反吐を吐き、ピクピクと痙攣する。


 タクシーから出てきたのは、どこにその巨体を入れていたのかと思う、先程殺したやせぎすの男だった。

 タキシードからタクシードライバーの制服へと着替えている丁寧な対応だ。


「も、もう、止めて……」

「何をおっしゃいます。あの梔子 良人を殺してくれた恩人を、こんな生半可な歓迎で終わらせるわけがありません。大明聖院様からおしかりを受けてしまいます。ずっとここにいていただいても構いませんのに」

「もう嫌だ。私を出してくれ!」


 虫の息になりながらも、一刻も早くこの世界から抜け出したいと願う。

 死んでいても不思議ではないダメージを負っていても、死ぬ兆候がまるでない。


 この世界は、異常だ。

 何もかもが、狂っている。


 早く逃げ出したい。

 その一心で、悪魔は今まで見下していた人間(?)に懇願するような、情けない行動をとってしまった。


 それに対し、やせぎすの巨大な男は残念そうにため息をつきながら答えた。


「そこまで望まれるのであれば、当方も無理に引き留めようとは思いません。では、とりあえず46億年ほど過ごしていただきましょう。その間にこの世界の魅力を知っていただき、自発的に残ると言い続けるようにしてみますとも!」


 完全な善意で頑張ろうと張りきる男。

 それを聞いた悪魔は、絶望しかない。


 無論、人間と同じような寿命ではないから、長寿ではある。

 しかし、何億という単位では、もちろん生きることはできない。


 想像すらできないほど果てしない年月を、この狂った世界で過ごさなければならない。

 悪魔の中で、ブツリと何かがちぎれた。


「よろしくお願いいたします、我らが友よ」

「あ、ああああああああああああああああああああああ!!」










 ◆



「――――――」


 目が覚めたら、俺を殺した許しがたき人類史上に残る最終終身名誉クソゴミ戦犯である悪魔が、ボーッとしながら膝立ちになっていた。

 目はうつろだし、よだれとか鼻水も垂れているし。


 ……え? なにこの状況?

 チラリと周りを見れば、殺されていたはずの隠木たちも怪我が治って息をしていた。


 意識は飛ばしているようだが……。

 そして、心底不機嫌そうにしているのは綺羅子だ。


 唯一意識があって、俺が死んだ後も生きていたであろうこいつに話しかける。


「え、なにこの人。急に廃人みたいになって怖いんだけど」

「知らないわ」


 バッサリ切り捨てられる。

 いや、知らんことないだろ……。


「というか、特殊能力を封じられたよな? なんで俺生き返ってんだ?」

「知らないわ」


 何も知らねえのか、この猿ぅ。

 俺と話したくないというより、悪魔のことを話したくないという感じだろうか?


 なんかこんなに怒った綺羅子を久しぶりに見たから、ちょっと怖い。

 そんなに自分の命が危ない状況になったのが許せないのか。


 ……まあ、それは確かに許せねえわ。

 俺も殺されたし。


 ファッキュー、クソ悪魔。


「しかし、こいつどうすっかな?」


 ボーッとした廃人のままの悪魔。

 何かしら情報を得るためには生かしておいた方がいいだろうが、今のこいつがしっかり会話できるとは思えない。


 それに、生かしておいて捕まえていたら、脱走して復讐とかしてきそうだ。

 こいつ、クソ強いし。


「どうでもいいわ。さっさと殺しましょう」


 うんうんと悩んでいると、綺羅子が深紅の槍を持ちながら冷たく言い放った。

 ブンブン槍を振り回している。


 あぶねえ。


「……お前、何か怒ってる?」

「知らないわ」


 同じことしか言えんのか、この猿ぅ。

 と、今の綺羅子はなんだか怖いので言うこともできず。


 絶対零度の冷たい無表情のまま、綺羅子は廃人となった悪魔に【爆槍】を叩き込んだのであった。

 怖い……。




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