目指せ処刑人
結論から言えば、同居生活は問題なく続いていた。
時折ラビユーの母ーー白いウサギがきゅうきゅうと鳴き声を上げて威嚇してくることはあっても、俺は魔獣の言葉がわからない。
人間の言語と魔獣言語、双方の言葉が理解できるラビユーとスピカに通訳をお願いしないと理解できない言語なのだ。
どんなに勉強しても魔獣言語を人語に通訳するのは難しい。
ラビユーから聞いた俺は早々に理解を諦め、「あるじさまに相応しい剣」だとスピカ自ら触手を削って生み出した木製の剣を預かり振るい、ひたすら身体強化の訓練を繰り返す。
ーー俺には魔力放出の魔石がない。
生まれつき魔力を持つ人間は、魔石を身体の一部に宿し産まれてくるか、生まれた瞬間に砕いた魔石を身体の一部に埋め込まれる。
女性は魔力放出・保管の魔石を持ち、男性は魔力製造の魔石を持つ。俺には魔力製造能力の宿った魔石が左目の黒目部分に埋め込まれている。
生まれつき義眼なのだ。
本来魔石は誰の目にも触れられぬように隠すものであるが、俺はあえて隠すことなく晒していた。
俺の左目が義眼であることに気づくものはいないからだ。下手に眼帯で隠すと、変に思われる。
左目は生まれたときから常に黒い靄が掛かったようで、ほとんど見えない為、右目の視力だけで生活していた。
ヒストリカル王国は女尊男卑だ。
魔力貯蓄と放出の魔石を持つ女性はヒストリカル王国にとっては何よりの宝である。
十分な魔力さえその身に宿せば、人間に歯向かう魔獣を魔法で殲滅できるのだ。魔法の使えない男よりも優先されるのは当然だろう。
しかしながら、魔力製造の魔石を持たない女性は、魔力製造の魔石を持つ男性からの身体接触により魔石へ魔力譲渡をしなければ、魔力が枯渇し死んでしまう。
国の宝である魔石を持つ女性に長生きして貰う為の魔力タンク。
それが魔力製造の魔石を持つ俺たちの生き方だった。
左目の視力がない俺に、魔力放出の魔石が宿っていたならーーハンデを魔法で補い、王立騎士団を目指すルートもあっただろう。
しかし魔力製造の魔石では、自ら魔法を使役できない。
魔力枯渇を起こすことなく生きていけるくらいしか、メリットはなかった。
「あるじさま、むきむき」
スピカは気がつけは木製椅子の状態で俺の訓練を見つめるようになり、鬱蒼と茂る木々が植わっていない開けた場所に木製椅子から少女の声が聞こえる。
剣を振るう上半身裸の男と、野原に置かれた木製椅子の組み合わせを見知らぬ人間が通り掛かり見ようものなら、「幽霊!?」と驚いた声を上げて逃げていく。
俺がどこまでも続く森に迷い込んで姿の見えない少女の声がしたら通行人と同じ言葉を叫ぶだろうから、俺は苦笑することしかできなかった。
「スピカは俺の筋肉、ない方がいいのか?」
「どんなあるじさまでも、スピカは好き」
「さすがは主思いの精霊だな。主をその気にさせるのが上手いようで」
「…ん。あるじさま、ひょろひょろからむきむきに進化。頼りがいのある、とっても素敵なあるじさま。スピカの食事、調達するのも夢じゃない」
「スピカの食事って…犯罪者だよな?人を殺せるほどの腕力は…」
「スピカ、犯罪者の生き血が大好物。あるじさま、スピカの前に犯罪者を連れて来てくれたらいい」
「椅子に座らせたら俺の勝ち?」
「…ん」
「世の中、どれだけ俺の腕っぷしだけで倒せる犯罪者がいるもんかね…」
「憎悪、怒り、絶望、悲しみ…」
「…スピカ?」
「犯罪者に、加害されたひと」
犯罪者に加害された被害者が抱く感情?
スピカの大好きな犯罪者はどうやら人殺しを想定しているようだ。
人間同士の争いとなれば、残された人間はスピカが述べた感情を抱くだろう。
どんなことをしてでも相手を殺してやると思うかもしれない。
俺と同じように自身の無力さを抱えた人は、お金さえ払えば自分の恨みを晴らしてくれる相手が現れたら、ちょっとくらい高額であろうとも、ぽんと支払ってくれるんじゃないか。
俺は恨まれた犯罪者を処刑椅子と名高いスピカの元へ誘導するだけ。
スピカは魔力が回復できて喜ぶ。
お金も手に入るし、犯罪者がこの世から綺麗サッパリいなくなって被害者達の気も晴れる。
winwinじゃないか。やらない手はない。
「処刑椅子の噂使って、いい感じに誘導できたらいいよな。犯罪者限定。処刑椅子で恨みを晴らしませんかって」
「ん。魔力…あれば…植物仲間。呼びかける」
「そろそろ森の外、出てみるか」
チマルッタ親子と同居生活をはじめて2年の時が経つ。
時折迷い込む人間を恐怖の淵に落とすのが快感となり始め、もう2年かと感慨深い。
すっかり魔獣との生活に慣れてしまった俺はちょっとやそっとじゃ動じない鋼の心を手に入れた。
「らくるん、すぴるん!森を出るの!?」
「聖騎士に襲われたって10秒くらいは耐えられるようになったからな。人間が生きていく為には金が必要だ。スピカが生きていくためには、犯罪者の生き血が必要だけどな」
「…ん」
「姿変えて名前も変えたら、人間界でも生きていける。今までありがとう、ラビユー。この恩は、いつか必ず返すよ。お母さんにもよろしく」
「らくるん…わかった!すぴるんと元気でね!」
ラビユーは俺たちを引き止めることなく笑顔で俺たちを見送った。
いつか、俺たちの面倒を見てくれた恩を返せるといいんだけど…。
俺はひとりでにカタカタと音を立てて歩く木製椅子のスピカを引き連れて、魔獣の森を後にした。