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無垢な罪  作者: 宮永文目
梟鵄守護章
6/6

探偵は逡巡する 2

この作品に出てくる意見は、私個人のものでなく、あくまで物語中に出てくる登場人物の考えです。いわゆるフィクションです。

「まァ、座りんしゃい。……お茶でも出そうか。確か棚に、京都で買った美味しい和菓子がある筈だ」


 ふふふ、と嬉しそうに笑いながら、棚を探って袋を取り出す彼女。袋の中にはゼリーのようなお菓子が、ぎっしり詰まっているのが見える。

 彼女はこう見えて、意外と甘党なのかもしれない。

 ──それは似合わないな。


 促されるままに席に着きながら、不躾にもそんなことを考えていた。

 しかし彼女の、珍しくも女性らしい一面は、どうでも良かった筈なのに、妙に印象に残ったのだった。


「何か話でもしようか。そうだね……さきの話の繋がりで、セクハラのことについて語り合うか」


「はァ。セクハラですか」


「何だ、そんな気の抜けた声で話すな。苛めたくなるだろう?」


「──はい! すみませんでした!!」


 正直に謝ることが出来るのは、私の美徳だと思っている。決して格好悪いのではない。


「ふん。話を戻すとだね。最近よく聞くのだよ。『アニメのキスシーンが教育上良くない』とかね」


「ああ……確か悪者を懲らしめる正義の味方──みたいなものにも、同じような批判がされていましたね」


 その内容は、パンチやキックなどは暴力的ではないか──というものだった。


 正直かなり阿呆臭かったので、途中でそのニュース番組を切り上げたことだけ覚えている。


「それと似たようなものだね。

 しかし私が思うに、大体こう云う文句は、見ている側に問題があるンだよ。

 例えばだ。両親を幼い頃に亡くした子が居た。周りの子や先生は気を遣おうとして、その子に対して少々甘くなるのだが、本人は、実はそれを嫌がっていてな。

『一々僕のすることに、家族を出してこないで欲しい。僕は僕のままで、いけない所があればそこを注意して欲しい』とか云っちゃってる訳だ。

 さて、このことから私は何を云いたいか──分かるかね?」


「差別は案外、同情心から生まれてくる──とか云う、あれですか」


「惜しいな。正確に云うと、差別は『差別を批判する者』、自分が『差別をしているのではないか』という恐怖心から生まれるものなのだ」


 彼女のそれで云うと、セクハラの件は《そういう目》で見る大人の所為だということだろうか。

 

「奇しくも差別を批判する人間が、一番差別をしているのだ。これは本当に残念なことだな。

 我々は、差別への言及を無くさない限り、差別を無くせない──という一種のジレンマを抱えている」


「少し強引な気もしますけど……。つまり、差別が差別であるという認識の問題ですか? 真に撤廃するのであれば『嫌がらせ』を『嫌がらせ』だと思ってはいけない──」


「まァ、そういうことだね。良い例として小便小僧がある。こいつはキスシーンなんかよりも、よっぽど問題だろう。何せ秘部を露出しているのだからな。本来ならもっと大騒ぎでも良い筈なのに、どうしてか皆が受け入れている。

 放尿だぞ? おい。明らかに可笑しいだろ」


 小便小僧……確か彼女が通っていた小学校にも立っていた。

 私が初めてそれを見たときは、考えるどころではなく、腹を抱えて爆笑していたのだが、今考えると少し恥ずかしい思い出だ。


 しかし、彼女の云い分も理解は出来る。

 私が小学生だった頃の校長などは、「今日の小僧は勢いが強いですねー」とか何とか云っていたが、何の問題にもならなかった。


 流石にその場は白けたが。


 もし仮に、あれが小便小僧ではなく『小便小娘』だったとしたら──どうだろう。

 少なくとも私は嫌だ。

 芸術とか、笑いとか……そんなこと関係なしに『恥ずかしい』。


「な? よくよく考えてみれば変だろう。

 私はなァ、最近思うのだが、世間は男性全員が露出狂か何かと勘違いしているのではなかろうか。

 それはあれだろう──電車内で性棒を擦り付けられた、とか。見せつけられた、とか。そんな一部の犯行で、世の男性の全てが犯罪者のように見られているのだろう。

 それこそが差別だよ。理不尽な価値観の押し付けだ」


「で、でもっ、男性にそう云う人が多いのは事実なんじゃないですか? セクハラにしても女性より、男性の犯行をよく聞きますが……」


「──だが全ての男性がそうじゃない」


 きっぱりとした口調で、私の主張を断ち切る探偵。

 こうなった彼女は止まらない。

 彼女の意見が押し通されるまで、この議論は続くし、彼女の云いたいことが終わるまで、決して反論は許されないのだ。


 ……と云うよりも、何だろう。

 彼女は小便小僧に対して、腹に据えかねるものでもあるのだろうか。


「女性と男性の価値観が違うのは、最早それは仕方のないこと。男性は体で繋がりを求め、女性は心の繋がりを重視するだろう。

 だからこそ起こる奇妙なすれ違いだよ。

 良いかい? 私は何も、女性差別や男性差別を語りたい訳ではないのだ。そんなもの、時代の流れ──その時々によって大きく変わるものだろう。長い歴史で見れば、男尊女卑より女尊男卑の方が多いと云う学説まである。

 ただ、だからこそ。だからこそ──人は本音で物事を語らにゃならん。秘密を作らず、本当に感じたことを喋らなければ、神様のかけた呪いが解けンのだよ」


 ……抽象的でよく分からなかった。


 それは余りにも偏った意見なので、私が如何反応すれば良いのやら──判断に困る。


 『あ、そうですね』と適当に同意して置けば良いのか。それとも『意味が分からない』と正直に云ってしまうのが良いのか。


 じっと睨め付けてくる、何処までも黒いその双眸。


 私はすっかり竦み上がってしまって、上手く返事が出来なかった。

「ひゅうっ」と声が漏れたのか。喉が鳴って、アア…とか、ウゥという呻き声だったように思える。


 私が意を決して、何かを応えようとした──そのときだった。


 コンコン、という乾いたノックの音が、私たちの居る部屋に響いた。


 探偵は蕾が綻ぶように、その薄紅色のふっくらした唇を歪ませる。


「十三時……()()()()()。どうぞ! 入って下さい」


 ぼそっと呟かれた一言で、私は自分の失態を予感する。


 ──嵌められた?


 私は、愚かな自分自身を責めずには居られなかった。彼女はずっとこの状況を待っていたのだ。

「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークなどお願いします。後悔はさせません。

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