恋せよ少女 3
麻由里が野間悠希と出会って、二年程が経ったある日。
この頃には随分と仲も良くなって、二人だけで旅行に行くこともあった。
誰にも云わずに行く、秘密の旅行だ。
そんなときは大抵、麻由里の方から誘うことが多く、悠希はと云えば、何故だか少し抵抗があるようだった。
麻由里が思うに、それは恐らく自分の両親の所為だったのではないだろうか。特に母親は、悠希と会うことにかなりの難色を示していたからだ。
「麻由里。貴方、まだあの変な子と付き合ってるの?」
「変な子って何よ。悠希はとても賢いし、優しい人なのに」
「でもあの子……。お願いだから──私は貴方に普通の人間関係を送って貰いたいの」
「悠希は普通じゃないって云うの?」
麻由里は、母の言葉に少しだけ苛立ちを覚えながら、その顔を正面から捉えた。
久しぶりに見た気のする母の顔は、刻み込まれた皺が増え、潰れかけたその瞳は此方を憐むような、麻由里にとって一番いやらしい目をしていた。
麻由里は、事あるごとに見せるその母の目が嫌いだった。何でも分かっているような顔をして──そんな簡単に理解して欲しくないし、することが出来る程、単純な自分でもない──母は、本当は何も知らないのだと云うことを麻由里は既に知っていた。そのつもりで決め付けていた。
だからこそ、その憐憫の表情で自分が見られることは、彼女にとってひどく耐え難いものだった。
あまりの忌々しさに、あのどす黒い『麻由里』が噴出して、一度は母親の首を絞めようとしたこともあるのだ。
──今度こそ、私は私を我慢出来ない。
麻由里は、次にその衝動が来たとき、自分がもう抑え付けられないだろうということを悟っていた。ならば、今は言葉で反論するしかないのだ。
「悠希が普通じゃない……? ええ、そうよ。でもそのことを『異常』だなんて云わないで頂戴。
変だとか、可笑しいだとか。そんな言葉はもう沢山! 本当に可笑しいのは貴方達の方だわ。人のことをそうやって批判して、陥れて。
悠希は『変』なんかじゃない! 悠希は『特別』なんだ! 私にとっての大切な人なのよ!」
きっ、と睨み付けながら、麻由里はその言葉を吐く。
対する母親は、満面朱をそそいだように真っ赤になり、唾を飛ばして麻由里を叱った。
しかしその言葉は、もはや麻由里には届いていない。彼女の目には、ただの醜い肉の塊が、何億光年の星の言語で喚いているだけなのだ。
台所には、形だけが立派なテーブルに、冷めた味噌汁とご飯が並べられていた。席には一つ、いつまで経っても空白のまま、供えつけるように料理が置かれてある。
そんな空白な家庭を、麻由里は心底軽蔑したし、実に愚かなものだと思った。
※
麻由里の憂鬱を晴らしてくれたのは、やはりと云っては何だが、確かに悠希であった。
いつもは此方から話しかけるのだが、そのときばかりはどうしてか珍しく、悠希の方から旅行に誘ってきたのだ。
しかも、その話を持ちかけて来たのが、母親と口喧嘩をした翌日のことだったので、思わず麻由里は、もしかすると本当に悠希は、私のことを全部知っているのかもしれない、と考えた程だった。
──否、そうに違いないのだ。
少なくともあの汚らわしい母よりかは、ずっと分かってくれて居るだろう。
仮令全てを知らないとしても、既に一つになったことのある悠希とならば、その姿を見るだけで麻由里は救われるのだ。
苦しみも悲しみも、たったそれだけのことで消えてしまう。
悠希の誘ってくれた『秘密の旅行』が楽しみだった。きっとこの旅行は二人の間での、大切な出来事になるだろう。麻由里はそう信じ切っていた。
何故なら、それが決められた運命なのだから───。




