5-4 生徒会の魔王、刺客を送られる
「!?」
中にいた全員が驚いてそちらを振り返った。そして。
拳。
まず彼らが見たのは握り締められた巨拳であった。
無造作に突き出されたその拳が、何者かが正拳突きでコンクリの壁を破壊した事実を物語っていた。
それから拳が引っ込み――ぬぅっと、その大穴からひとりの少年が現れる。
「なっ、誰だテメェ!?」
カメレオンズのひとりが喚くが、少年は答えもしない。
(オーマ!?)
唯一、ルシールだけは心の中で彼の名前を叫んだ。
「……」
「!」
ふとルシールとオーマの目と目が合う。
それから……ほんの一瞬、彼の目尻が安堵で下がったのを彼女は見た。
その表情で、彼がルシールを助けるために来てくれたことを彼女は悟った。
「おい! この……ッ!」
一方、この状況も彼が誰かも分からない男どもは混乱しきっていた。
彼らは廃屋にあった鉄パイプなどを手に手に武装するが、誰も殴りかかりに行かない……いや、行けない。
たとえ魔力でパンチ力を上げたとしても、コンクリの壁を破壊するなど簡単にできるはずもない。
彼我の間に横たわる絶望的な戦力差を本能で理解したがゆえの立ち往生だった。
しかし、この場にひとりだけその実力差を覆す手段を持っている者がいた。
「……はっ! お、お前らビビんなよ……俺の力ならこんなデカブツ……!」
催眠男はビビリながらも催眠の前には腕力など意味がないと、強気に笑って仲間たちを鼓舞した。
「へ、へへへ、そうだったな」
「リーダーならこんな奴……!」
仲間たちも少し余裕を取り戻し、ニヤニヤと笑い始める。
「オーマ! 気をつけ……」
ルシールはオーマに危険を知らせようとしたが、催眠男の方が早かった。
「お前はそこを一歩も動くな!」
「……」
男の催眠魔法の存在など知らないオーマは、為す術なくその術中に嵌まる。
「はっ、ハハッ! ったく、ビビらせやがって!」
停止したオーマを見て、カメレオンズの連中は再び安堵から大笑いした。
「でもよリーダー、ヤバいぜ。こんな大騒ぎしたら、俺の魔法も効果なくなっちまう」
と、そこで男のひとりが催眠男に焦った様子で告げた。
彼の気配を遮断する魔法はある程度までは効果があるが、何もかも消せるわけではない。先程オーマが壁を壊した轟音は近所中に聞こえたはずだ。
「早く金だけいただいてトンズラしようぜ」
「……チッ」
催眠男は舌打ちし、最後とばかりにルシールに顔を近づける。
「命拾いしやがったなクソ女。でもな、制服は分かってんだ。その内ゼッテー拉致ってやるからな!」
「……!」
催眠男の脅しを聞き、ルシールは目を丸くする。
それを彼は彼女が恐怖したと勘違いしたようでまた笑ったが――事実は違った。彼女の目を開かせたのは恐怖ではなく驚愕だったのだ。
「……」
「……ハッ!?」
催眠男が気づいて振り返った時には、すでにオーマは彼の真後ろに立っていた。
「ヒッ!」
憐れな男は仲間に助けを求めようとしたが、彼以外の男どもはすでに昏倒して床に倒れていた。
「ななっ何で!? だっておまっ! お前は俺の催眠ででで!?」
いつの間にかオーマに仲間がやられたことに気づき、催眠男は半狂乱で涙を浮かべる。
はたして彼の催眠魔法はオーマの膨大な魔力に弾かれたのか、はたまた精神力で破られたのか、あるいは最初から効きすらしていなかったのか。
――それをこの男が知る機会はこの先一生ないのだった。
「はぶべっ!?」
オーマの拳がクリーンヒットし、中腰の姿勢だった男は床に向かって潰れた。
それは潰れたカエルという喩えがよく似合い、砕けた顎から涎を垂れ流してピクピク痙攣する様は愚か者の末路として滑稽だった。
「し、死んだ……!?」
「加減はした」
ルシールの呟きにオーマは短く答えつつ、彼女の縛られた縄をはずす。
「立てるか?」
「あ、うん……」
オーマに手を貸してもらいルシールは立ち上がる。
まだ足許がフラついたが、ルシールは休むよりもまずオーマに尋ねたいことがあった。
「何でアンタがあたしを助けに?」
ルシールの彼の前での振る舞いは、お世辞にもよかったとは言えなかった。
それに彼女が募金を持ち逃げしたと疑われても仕方のない状況だ。
なのに、よく見ればオーマの額には髪の毛が汗で張りついた跡があり、制服の下のシャツも汗ばんでいる。
その汗は催眠男との戦闘ではなく、ここまで彼女を探して走り回ったための物なのは明白だった。
「お前、オルドの娘だろ」
「気づいてたんだ」
「そりゃ、苗字がな」
「ああ、まあそっか」
言われてみれば当たり前なのだが、オーマがあまりに素っ気ないので気づいてないのかと思っていたのだ。
「てか気づいてたなら、最初に訊くこといろいろなかった? 何で同じクラスに転校してきたの~とか」
「……別に。ガッコーくらい好きにすりゃいい」
オーマは素っ気なく答え、適当に肩の埃などを払っていた。
「ねぇ、まだ最初の質問に答えてない。何で助けに来たの?」
ルシールが再度尋ねると、今度も彼は素っ気なく。
「家族を守るのは俺の役目だ」
とだけ答える。
四天会は元々社会的立場の弱い魔族同士の互助組織だった。
そのため血縁以上の結束が求められ、上下間の身分で盃を交わすことにより義理の親子関係を構築してきたのだ。
子分、つまり子は親であるボスと組織のために身命を賭す。
その代わりに全ての親にあたる頭首は子らを全力で守る義務があるのだ。
(この人……)
ルシールは彼を軟弱と侮っていた自分を恥じた。
「オーマさん! 大丈夫ですか!?」
「うわっ、何だこの壁!?」
その時、オーマと手分けして周辺を探していたランバたちが遅れてやってきた。
彼らは破壊された壁と倒れたカメレオンズを見て、大体何が起きたかを悟る。
「ルシールさん見つかったんすね。よかったッス」
「はい。お陰様で、ランバさんたちもありがとうございました」
オーマは頷くと、なぜかそのまま帰ろうとする。
「ちょっ、ボス? どこ行くんですか?」
「あんまり人に見られたくないので……俺が暴れたのは秘密でお願いします」
それだけ言うと、オーマは本当にさっさとその場から去ってしまった。
「オーマさん、待ってくださいよー!」
ランバとその仲間もそれに続いていなくなってしまう。
あとには倒れた男どもと、ルシールだけが残されるが……。
「あら~? なーにこの穴?」
そこへ今度は、やはり彼女を探していたツクモが大穴から顔を覗かせた。
「あっ、サラマンダーさん~。よかった~見つかって~」
安堵した様子でツクモは廃屋に入ってくるが、中の惨状を眺めてひと言。
「ここで何があったのかしら~?」
「あっ、えっと……」
説明しようにもオーマから口止めされている。
ルシールは口ごもって上手く誤魔化す言い訳を探していたが、そうしている間に生徒会の面々まで先程の騒ぎに気づいて続々と現れた。
「あ、サラマンダーさんいた!」
「うわっ! 何ですかこれ会長!?」
「ん? コイツらもしかして最近首都で話題の犯罪集団カメレオンズじゃないですか!?」
気絶した催眠男の顔を見て、親が警察庁長官の生徒会役員がその正体に気がついた。
「まさか会長がコイツらを捕まえたんですか!?」
「え~? そんなわけ~」
「流石はツクモ会長!」
「最高です会長!」
「本当に何でもできるんですね会長!」
「ええ~?」
ツクモは何度も否定しようとするが、周りが勝手に盛り上がってしまい、誰も話を聞いてくれなかった。
「……あ」
そこでルシールは全部ツクモの手柄にしてしまえば誤魔化せることに気づいた。
「ホントホント! あたしもコイツらに攫われちゃって、そこを会長に助けてられたんだよね~」
「えっ!? それ本当!?」
「うん。なんか催眠とかかけられちゃって~」
「催眠の魔法ですか? 確かに被害者の状態などからそういう手口を使ってるかもって、捜査本部でも意見が出てたみたいですが」
「ウソ、怖い……そっか、ごめんなさい疑って。サラマンダーさんは何も悪くなかったんですね」
「わっ! ていうか、ほっぺた赤くなってる……大丈夫?」
「とにかく無事で何よりでしたね」
「うん、ホント。会長のお陰で助かったって感じ」
「え~あの~」
「やっぱり会長はスゴい!」
「きっと表彰されますよ!」
「……」
ルシールのウソで手柄を押しつけられたツクモが視線を寄越してくる。
ただウソの理由までは分からなかったようだし、彼女を問い詰められる状況でもなかったので、ツクモはそれ以上何か言うのを諦めたようだった。
その後、警察の事情聴取は遅くまで続き、母親に車で迎えに来てもらって帰宅した時にはもう深夜になっていた。
「ルシールーーー大丈夫だったかーーー!?」
「オヤジ、ウッサい」
玄関を開けていきなり飛び込んできたオルドの体を躱し、ルシールは靴を脱ぐ。
「あたしは大丈夫だから。ちょっとヒョロパン喰らっただけだし」
催眠男はその魔法の所為か、特に体を鍛えている様子はなくパンチもショボかった。
実際もう腫れてすらいなかったのだが、娘が殴られたという事実にオルドは激怒する。
「おのれクソガキどもが……! 警察に取られなきゃ、俺がこの手でこの世の地獄を見せてやったのに!」
「そーいうのいいって別に……」
愛されているのは分かっているけれど、オヤジのこの暑苦しさはどうにかならないかな……と思いつつルシールは二階の自室へ戻る。
と思ったが、階段の途中で彼女は足を止めて振り返った。
「ねぇオヤジ……例の件だけどさ」
「おお! 何か成果はあったか?」
「ンな初日から何かあるわけないじゃん」
本当はあることはあったのだが、ここでも彼女はオーマの口止めを守った。
オーマの正体を知るオルドになら言っても問題なかったのだが……何だろうか? あの時のことはできるだけ秘密にしておきたかったのだ。
秘密を作る代わりに、ルシールはオルドに言った。
「でも……あたし、ちょっとあの人にマジになっちゃったかも」
「ん? 何か言ったか?」
「……何でもない! バカ! スケベオヤジ! おやすみ!」
少し恥ずかしい告白を無遠慮に聞き返され、ルシールは怒った理不尽な罵倒をオヤジにぶつけてから部屋に帰って布団を被る。
「……んんなああああ!」
そして、今言った自分のセリフを思い返し、恥ずかしさに布団の下で悶絶しながら眠りに就くのだった。




