鏡は
俺の目の前のやつはシャワーを浴びながら身体に付いた泡を落とす。筋肉はあまりついて無くあばら骨が浮き出て、痩せて見える。青白い肌ではなく、しっかりと日焼けしている。少し上に目を移すと顔が見え俺を見つめる。誰とは知らない顔。
シャワーが止み音が消える。しばらく沈黙。
水が滴る音が聞こえ始める。
自分の顔を余り意識していないので、鏡の前の自分は別人に思える。いや、眼鏡をはずしているからか。それにしたって別人だ。
自分の顔を直接見たことは無い。目玉を伸ばして、湾曲させて、見る。観る。そんな事が出来ないから鏡がある。
最近になってよく、身内や仲間から格好いい、とか映えるねとか言われたことがあった。
嬉しかった。だが自分はそれを認めたくはなく、彼らは俺に嘘をついていると思い嬉しさを冷ます。そんな事を二、三年間ぐらい意識している。
ある時、「俺はなぜ存在しているのか」という漠然とした疑問の広野の放り出された。広野というよりは真っ白い空間のような。頭では今世に存在することは、意味はないとわかる。わかっているのに意味を求めようとする。求めようとしないようにする。また求める。その繰り返し。
「生まれてきたことに意味が有るじゃん。」
確かに。生物は種の存続のため、子を産む。
最近、出発していない。あの巨大な柱はなんだったのだろうか。俺を嗤うために居たのか。それなら、あいつは幸運だ。存在する意味を持っている。