EXTRA-EPⅤ『Verisimile est alia de mundo』
ーー…復讐者が死の淵より這い上がる其の前の出来事に戻る。彼が、天使の攻撃を受けて一度死んだ時、暗闇の中から確かに何かが見えた事を記憶している。
意識が鮮明になるにつれ内容も明確化していったが、思い出せたのは一つしか無かった。
彼は仲間達と回廊を進みながら、見てきた内容をもう一度巡らせる。
まるで短い映画の様に。
ーー……………………
ーー…………
ーー……
ゴボリ。水底より泡が浮き上がる。
…映された幕に、古い映像の様な光景。
死神の様な黒衣の人物と、病院の寝台から身を起こしている女。
長い髪を纏めもせず、力弱そうに、何処か印象は儚げであるとすら見受ける者が居そうな程。
『ーー■■■■、君は■歳で死ぬ。医者から余命宣告を受けているのだろう?』
「はい…………」
『そうか。だが、虚偽は良くないよ。君は青い鳥の向こうで幾つか偽りを抱えている』
黒衣の青年の言葉になけなしの感情を剥き出しにする。
「…私嘘吐いていません!!」
生気の少ない声より一際大きい声を上げた後、ゲホゲホと咳込んで胸を抑え苦しんだ。
『難病なんだろう?』
黒衣の青年は事務的に身を案じているかの様な言葉を吐いた。
『…本題に変えよう。君は以前冗談にせよ「寿命を1000年欲しい」なんて事を書いたろう?』
「…それが、なん、ですか……冗談でも、だめだって、言いたい、の………!?」
女は相変わらず胸を抑え苦しそうにしていたが、青年は淡々と話している。
『生きたい?死にたくない?』ーー魔性の言葉を携えて。
「ーー…!!」がばっ、と顔を上げる。女の縋り付く様な瞳は青年へ向けられていた。例えるなら露西亜のーーあの一種の儚げな雰囲気を隔世ながら引き継いでいるな、と思えた。
其の瞳は確かに「死にたくない」と訴えている。言葉を介さずとも黒衣の青年は確かに受け取った。
『ほう。本心か。正直なのは善い事だ』
対して青年の声音は冷たく、無機質的だった。病院が持つ無機質さと何一つ違和感を持たない。
院の白色に、死の黒が映える。
『だが生憎ながら僕も仕事なのだよ。何れは死にゆく君の魂を冥府にでも投げ込まねばならぬ』
ーー青年の話す事が本当ならば、此の青年は死神なのだ。死神が、余命宣告を受けた女の魂を仕事故に刈り取らねばならない。
だけど、復讐者には、何処と無く"あの人"に似ている気がした。
「死にたく…ないです」女は寝台に掛けられた敷布をぎゅっと握り震える声を絞り出した。
『そうか。生憎君は今世でどれ程善行を重ねても徳は積めないと聞いている。それなのに死にたくないのか』
青年、改め死神は惨い言葉を吐き捨てた。
「!!……私がしてきた事は……何の為に…」小さな身体をふるりと震わせながら、女は俯いた。
『…………然し、』死神は語る。
『ーー「誰かに身代わりにさせる」と云う手段はご存知かな?』
窓の向こうの景色に視線を送りながら彼は禁忌を語り出した。
「!!!」
女の瞳が先程より大きく見開かれる。…其の手の話は各種媒体で見聞した事はある。本当とは思いもしなかった。
何より、神話の様な出来事は現実に有り得ない、と吐き捨てていたからだ。ーー科学で証明出来ない事柄の全ては、オカルトは、一切信じない。でも聖女を愛しているし神話は好きだし、幽霊の話も平気でしている。矛盾した考えだ。
『死にたくないのなら君の死を変わって貰えば良い。僕には其れが可能だ』
死神は更に魔性の言葉を述べて、女に延命を図らせようとする。
「…死にたくないです」
絞り出した小さな声が、死神の耳に届いた頃、死神の紫色の瞳は僅かに光を内包した。
『では…君の代わりに死ぬ人が出るが、其れでも君は死にたくないか?生きたい?』
「…。私は死にたくないです」
死を前に迫る人間には蠱惑的な響きが女の脳を侵して破壊する。
一時的に破壊された倫理は孕んだ欲に敗れ去って、死神の言葉を呑んだ。
『否定、しないのだね。良いだろう。君は死なない。でも、君の代わりに死ぬ人が現れる事は避けられないだろう』
確定した言葉を死神が告げた時、女の声は感情を含んだ。そして先程と対し今度は「どうしてそうなるんですか」と強く言う。
『君が死にたくないと答えたからだ』ーーと死神は答えたが、女は何故か納得していない様子の表情に変わっていた。
「だからってーー」
『君の代わりに誰かが死んでも駄目、死にたくないから生きたい。ーー君は我儘だ。其れとも、良心が痛み、罪悪感を感じるから?』
己の欲を優先した心に、残忍な選択をしておきながら!!
「意地悪な事を言うんですね」
明らかに矛盾し、面倒臭そうな女の其れを振る舞っておきながら彼女は純粋な様子で意地悪だと訴える。
『矛盾した言葉をぶつけて己の選択をはぐらかそうとするんじゃない。そんな事をしても無粋だ、選択は変わらない』
「そういう意図はありません」
『では強情か?「私は良い人」と云う存在で在り続けたいが為に選択をした後に善人の態度を見せて、良い子ちゃん振るのか?』
「一々トゲのある言葉を言うんですねっ」
女は意地になりつつある。
『ーー僕から「意地悪されてる!私はこんなにも可哀想だ!!」と言いたいのか?』
「そんな事言ってません!!」
女は強く、強く主張した。
『ーー君の態度だよ?』そんな彼女の言葉すら、彼は淡々と蹴り飛ばした。
「〜っ……、」フーッフーッ、と荒い呼吸をしながら何故か死神を睨み付ける彼女の様子に、平行線か、と呆れながら死神は溜息を吐いた。
話にならないのならば、と、いっそ直接行動に移そうと死神は心に思って、そして日は過ぎてゆく。
〜時が過ぎたのか、場面は代わりある女の日常が映る。
「あっこれ良さそう。欲しいな」食事を済ませた彼女は静養と称して実家で過ごしていた。父と、姉、そして姉の子供二人に家政婦が居る。
端末を手に色々なものを見ていた彼女が、何気無いテレビの音声に興味や関心を惹かれたのは言う迄も無い。世界情勢から日本のあれこれを伝える様々な情報の中に、目を向ける事柄があった為であった。
"〜日未明、■■県■■群某町に在住している■■■さんがーーーにて×××された状態で発見されました…
■■■さんは其の後病院に搬送されましたが搬送先の病院で死亡が確認され………"
「…………………………!!」女は端末の画面を見るのを放棄し、テレビの内容に釘付けとなる。
ーー■■■。其の名前に彼女は覚えがあった。
(この人、私、知ってる。……"あの人"だ。私に酷いことした、ゴミみたいな貧乏人。)
脳裏を過ぎらせて、はっと我に帰る。なんて酷い事を、と己を戒めるが既に遅い。
一度噴き出たものは簡単には収まらなくて、あらゆる思いが噴き溜まる。
ざまあ、やった、あいつが死んだ。然し其れでも彼女はこんな形でも関わりたくなかったと思う。
嫌い。不幸になってしまえ、もっと苦しめ、傷付け!!……彼女の中のある種の義憤。そうは思っても亡くなった日と重ね合わせて、彼女自身が全快した日と重なっていた。
私の代わりに死んでしまった………
ほっとしてはいるし、喜びが確かに存在する。ざまあ、ざまあ!!嬉しくて堪らない。だけど何故か心苦しく後味が悪い。
…事情を知る青い鳥のフォロワーから直ぐ様に幾つもの言葉がかけられた。大丈夫?、元気出して、姉ちゃん大好き、良かったですね………又は、死んだんだねあの人。画面の向こうには其の死を喜ぶ人、ふーんと一言で済ませる人、彼女を気掛かりに思う人、同様に複雑な心中を吐き出す人。
寄せ集められた民の様に展開されていた。
『……ありがとうででんちゃん。りりんさんも、餡さんも。』ポン
少し震える指先で文字を打ち出す。
『あれ、りりんさん木兪さんに変えたんですね!!』ポン
『うん!名義変えただけだからこれまでみたいにりりんで良いよしよちゃん♡』ポン
早い返事。
『はーい!一瞬何て読むのか戸惑っちゃったw』ポン
他愛も無い遣り取りで胸に蹲る泥の思いを紛らわせたが、其の日からずっと消える事は決して無かった。
ーー声が聞こえてくる。
『喜ぶ君は心の壊れたひと』
『淡々と済ませる君は現実から逃げているひと』
『心配する君は分かち合う事で罪を軽くしようとするひと』
『同じ複雑な君は寝覚めの悪いひと』
……其の通りだ。フォロワーの中で喜んでいる人はもう壊れている。淡々と済ませたあの人は息子さんの育児も儘成らない。ででんちゃんの様に心配してきた殆どの人は、例えば漫画を描く手が動かない、とか仕事や学業、趣味のレジンに身が入らない、とか訴えていた。
複雑そうな心の呟きを吐露した人は、もっと酷かった。
私の欲望と望んだ事が、周りの皆を変えてしまっている。
死神が呼べるなら取り消してしまいたい。
でも、取り消せば私は死ぬ。
聞こえてくる。『死んだ奴は還って来ない』なんて。せせら笑う彼の声が、私の脳内にずっとずっと響いている。
私までおかしくなってしまいそうだ。
ーーあれから夢が増えた。でも全て同じ様な夢。
私は必ず誰かに責められる。何かを投げ付けられ、真っ赤な血が付いた。
ぬるりとした感触と、罵声の数々が恐ろしくなる程鮮明だった。
あの人が最初に現れ始めて、私を責めた。
別の日には家族やいとこと思われる人も出てきて、いとこらしき人に何かを投げ付けられた。
其れは輪を広げて、知り合い、友人、見ず知らずの他人にまで。
何度も傷付けられて、そして私の髪は数本抜け落ちた。
窶れて、姉からは心配されてしまった。
学業に身も入らず論文も進まない。
食指も動かす日に日に衰えてゆく。
これじゃ入院していた時と変わらないじゃない、と思っていた。
ある時夢に本人が出てきて、その人は何かを口走る。
そして私に向かって飛び掛かり、私は何かの感触を得た。
ーー刃物だ。
鋭い刃物が、私の胸を刺した。
ぬるりと伝う血の感触は、心臓を穿かれた痛みは、服を染める赤色は、本物の様で私は悲鳴を上げる。
……夢は醒めない。誰も私の悲鳴に気付かない。
世界中の全てから自分だけが切り離された感覚。ああ、これって、私がその人に与えた、孤独かしら。
ーーそして私は気付いたの。
『間違えてしまった』と、もう遅かった。私は直ぐ傍にある誘惑に負けて自分の命を優先した。だから私は遠回しに人を殺してしまったらしい。
殺された人が私にとって悪い人だったから嬉しくもあったにはあったけれど。駄目だったみたい。
ででんちゃんも、りりんさんも、餡さんも、966さんも、Re[]さんも、みんなみーんな、壊れちゃった。
きゃははは。
わたしもこわれちゃった。にげだってののしられてもいい。わたしもうつかれちゃった。ひとごろしなんだもの、みらいはないわ!!
きゃははは…きゃははは……
きゃははははは……………
童女の様な笑い声が遠ざかってゆく。
ーー……
ーー…………
ーー……………………
勿論、復讐者に覚えは無い。彼の知る限り此の記憶は本物では無い。
こんな形ならば世界は此処まで狂わなかった。其れを深く理解している。
「……、あれは、きっと、違う可能性の結末だったんだろうな」
復讐者は語る。"あの人"がこよなく愛した解釈みたいだ、と。
女、■■■■が狂って終わった結末、可能性。
其れだけであればまだ少しは希望があったのかもしれない。
彼は死んだが、同時に彼女達も狂って、そして永遠にあの日の心は戻らなくなったのだから。そういう可能性の世界だったのだから。
「………まだマシだと思ってしまうなんて」
復讐者は自嘲する。己の生きる此の世界と比べれば、等と比較してしまう自分の感覚に。
無駄だったな、と彼は意識を現実へ引き戻して、そしてリンニレースの都に聳える白塔の頂を目指し直した。




