『Rugiet ーSoー』
『…?そんなものは……俺には………』天使の身体に直撃した二発の銃弾を「痛くも痒くもない」と言わんばかりの様子で取り出そうとしたが、其の瞬間、どくん、と大きな鼓動が天使の身体全体を駆け巡る様に脈打つ。
ーー…まるで全身の動きを止める様であり、其の息を衝かせない様であり。
『……っ…………!?…何を…?俺に…は………』
天使は目を大きく見開きながらエインを見た。
『ごはっ』
口から真っ赤な、真っ赤な血を吐き出して、天使の青年はぶるぶると震える。
「……………。」エインは無言で口元を吊り上げた。微笑んでいる。ーー笑んではいるが、目は笑っていなかった。
ーー次の瞬間にはバァン!と一際大きな爆音が天使の耳を劈いた。燃え上がる両翼が爆炎瓶によって爆破され、其の血の様に赤い翼がボロボロになる。
『あぁ……………』
飛翔能力を失い、地に落ちてゆく中で、天使は愛する神の幻影を見た。ーーリナが悲しんでいる。手を伸ばして、俺を助けようとして………
……そして其の幻は、舞い上がって散る己の羽根に掻き消された。
「地に墜ちてしまえ、…ーー紛い物め!!」
エインの放った数発の弾が天使の身体を数箇所貫いた。
『かっ…は』
更に口から赤い血を吐き出して、遂に天使は地に落ちた。
『ぐう…っ!!』
背を強く打ち付け、苦痛の声を上げたが、天使はゆらりと立ち上がり再び杖を取り出す。
『こ……の程度で、俺は倒れちゃしないよ…っ』
前に突き出す様に持った杖がぼんやりと発光すると、色とりどりの電光飾が辺りを照らし出し、まるで聖夜の冬を彷彿とさせる。
ツリーの上に輝く聖なる星が、数々の装飾が、大小様々な寄贈箱が幻視の様に浮かんでは消え、星の明滅は軈て白雪を呼び寄せる。
ーーそして天使はエインに問うた。
『………何故……………俺達を殺そうと…するんだい…?』
先程受けた攻撃が相当深かったのか、口から夥しい量の血を吐きながら、身体を真っ赤に、白い衣服を赤黒く染めながら、…だけど天使は問う。
『俺は…俺達は……リナは…ただ、純粋に、愛を、贈ろうと、愛で、満たそうと……………』
身に響く苦痛に表情を歪める中、天使の金色の瞳だけは偽らなかった。
エインは吐き捨てる。
「貴方達の遣り方が、最悪の方法で、決して許されるものでは無いからだ」
『そ…んな…………………』
「無差別に殺めては蘇らせて、更に惨たらしくま殺める事の何処が愛で、救いだと言うんだ?」
何時にも増して抑揚の無い声で淡々と語る彼の姿は、オディム達がほんの一瞬だけ復讐者と見間違えてしまいそうになる程似ている気がした。
「生死の掌握による命の蹂躙と殺戮が神からの愛と救いだと云うのならば貴方が愛する神という存在は酷く残忍で愚かで、臆病な弱虫なのでしょうね」
天使が信じる神の存在を、そう一蹴した。
『………。そう、か…やっぱり、俺達は争わなくてはいけないのかな?』
天使は物悲しそうに眉を下げてエイン達を見た。ーー変わらず、金の瞳に偽りは無い。
『…でも、俺は君達への希望を捨てちゃいないんだ』
天使が襤褸布の様な翼を広げたと同時にブワッ!!と雪が舞い上がると、空間は見知らぬ光景に塗り潰される。
「ぐっ………さ…寒い……」
「わ…たし達、塔の中に居る筈なのに!?」
カタカタと震え始める少年少女達へ、天使はにこりと微笑んだ。
『フフ…寒いだろう……?君達も思い出すんだ…素敵な聖夜に争いなんて起こらなかった事を………忘れてしまうんだ、君達の中の怒りを。憎しみを』
幻の雪はエイン達の心に過去の温もりを思い起こさせようとする。
『さあ…俺達はもう争わないで。戦うのを止めよう。今なら大丈夫だ……リナは君達を許し、愛してくれる。救ってくれる。俺は君達を憎みやしていない。さあ、この手を取るんだ、思い出すんだ、大切な人達の愛を、神の愛を!!』
天使が杖を天高く掲げた瞬間、眩くも温かな光がエイン達の視界を覆った。
「!!!」エインが其の光こそ天使の放った一撃だと気付いた時には遅く、彼等は眩さの中に取り入れられる。
ーー…一面の全てが優しい光の中、過去から今迄の記憶が泡の様に集まって辺りを浮遊している。
……復讐者、ニイス、レミエやエムオル達、世界、女神殺し。
此れ迄の道筋を戻る様に、記憶は真新しいものから目の前に存在していた。
………復讐者とニイスと離れて、単身で星の乙女について調べていた事、シーフォーンの裏の行いについて尻尾を掴もうとしていた事、
……■■■■を筆頭にした運命の女達に自分達の故郷を破壊されて、更に大切な人達が死んでゆくのを目の当たりにした事、助けられなかった事、
…せめて幸せになって欲しかった人物が、不幸な最期を自らの手で迎えた事。
其の人物を一番に慕っていた復讐者程では無かったが、事切れた其の人物の青褪めた死に顔は、今もエインの瞳の果てに焼き残っている。
血の絆よりも深く。心の中の陰性外傷が全身の血脈を沸騰させる程に。
ーー此れは怒りだ。例え絶望的でも善処しようとしなかった当時の己への、未来を奪った■■■■への。
「………■■■への強い怒りだ!!」
「そんなまやかしの幻!!!」
ダァン!!と大きな銃声が響き渡る。
「たかが一人!!そして何人もの未来を奪い取り続けたお前達に!!!何が分かる!!!!!」
ダァン!!ダァン!!と大きな銃声が再び響く。
『え…………?』
エインの叫びと共に放たれた銃弾は次の瞬間には天使の顔半分を吹き飛ばし、大きな風穴を二発開けていた。
其れと同時に一面の聖夜の温かな景色は霧の様に消え、あの輝きも泡の様な記憶の断片達も消えてゆく。
『あ………あ…?』
がくり、と膝を着いて緩やかに天使は崩折れる。
「愛?救い?馬鹿にするな!!!手前の綺麗事も欲丸出しな女神の吐かしていた事も全部全部!!手前共の都合主義でしか無いんだよ!!!!!」
ダァン!!!ダン!!ダン!!!
「上っ面だけの張りぼて染みた言葉しか言わず!!!!!何の穢れも無い上澄みしか見ない時点で手前共の高が知れてんだよ!!!!!!!!」
ダン!!ダン!!!と怒りに任せてエインは撃つ。
「俺は忘れない!!忘れてなるものか!!!此の強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い此の怒りをっ!!!!!!!!我欲で蛾の様に集まり一人を死なせた事も!!!!!私欲の限りで多くの命を奪い世界を弄んだお前達の様な本物の身勝手で無責任な奴等をっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
怒りのあまりに我を忘れて、エインは横たわる天使が既に事切れている事すら気付かぬ儘何度も何度も其の身体を撃ち続けた。
エインの鬼気迫った行動にオディムもサフィーも、エムオルも身動き一つ取る事が叶わずに、只管見詰めるしか出来なかった。
三人が固唾を飲み込んで彼の行動を見る中、不意に見せた憤怒の碧い瞳に三人はハッと我に帰る。
「ーー〜エインさん!!もう止めて下さいっ!!!その天使っ、もう、死んでるじゃないですかっ!!!!!」
「仏頂面のあんちゃんってば!!!もう止めろよ!!!!!これ以上やんなって!!!!!!!!」
オディムとサフィーが二人掛かりでエインを止めようと、其の身体にしがみ付く。
「倒れている復讐者さんの事を放ってまでする事なんですか!!?」
サフィーの口から、復讐者、と出た時、一瞬だけエインの動きが止まる。
そしてエインの目の前に飛び掛る小さな影。
「こんのーっ、目を、覚ませー!!」
次の瞬間、エムオルがエインの顔面を強く蹴り飛ばした。
「!!!」顔面を蹴られたエインはぐらりと身を後ろに、オディムやサフィーの重みに引かれたのもあって其の場で尻餅を付いた。
「でかしたぞっエムオルっっ!よっしゃ」
「ぶき使わなかっただけマシだと思ってねーっ」
エムオルがえっへん、とふんぞり返る。
「う………」エインもやっと我に帰ったのか、誰よりも先に横たわった儘の復讐者を探し出し、そして其の惨状に彼は能面の様に無表情になる。まるで先程の激情的な一面とは裏腹な姿だった。
「復讐者…………」エインがぽつりと呟いた彼の名は誰にも聞こえてはいない。ーー彼の視線の先、横たわる復讐者は顔其の物が残っていなかった。
「…!!」後を追って復讐者を見たオディム達も、其の姿を知って思わず目を伏せた。天使の時もそうでは無かった訳では無いが、先程まで生きていた人物が、顔を失い、挙句死んでいるのだから。
「お…おにー…さん………」エムオルにはショックが強過ぎたらしく顔を青褪めて力無く崩折れた。
「……………………。」エインは沈黙した儘、復讐者の身体を背負って、先へ進もうとする。
「!!待って!!どこへ行くんですか!?」
サフィーがエインの行動に逸早く反応して、其の後を追い始める。
「あっ待てってば!!あんちゃんも!!サフィーも!!!」呆然とするエムオルを抱えて、オディムも二人の後を追った。
…ーー或る空間に嘗て見目麗しい青年が横たわっていた。
青年は天使で、唯一の神と信じる女を愛する、血の様に赤くそして燃え上がる翼を持った天使だった。
彼女の意を汲み取り、其の言葉に従って愛と救いをもたらし、癒しを与えていた。
復讐を強く願い昇華した者達が現れる迄は、其れは正しいと信じていた。
天使である彼が愛し、信じて已まない「神」と云う存在は、残忍で臆病な「リナ」でしか無かった。そう否定された。
彼女が与えよと命じた「愛」は殺戮であり、
彼女が従えよと命じた「救い」とは命の蹂躙だった。
愛に純然たるがばかりに、誤った手段こそ正しいと選択してしまった、狂った存在。
其れが血と炎の赤色、赤翼の天使、或いは聖夜の使者。
狂い切ってしまった其の魂には、自分達の行いが間違っている事すら理解し得ない。
(君と…俺の……愛なら…皆の凍えた…心も………溶かしてあげられると…思って……いたのに…………………………)
誰も居なくなった空間の中で、彼の魂は懺悔の様に呟いていた。
既に事切れていた為に力は無く、手を伸ばす事は叶えられない。故に敬愛するべきひとには永遠に届かない。
魂は身より遠のく。白昼の夢の様だと思わんばかりに存在は希薄になってゆく。
既に見えなくなった筈の視界は不明瞭に、魂の髄まで視野を失い。
原形を留めず、流れ伝う血には伝えられなかった、愛するヒトへの変わらなかった想い。
ーー……あ…ぁ……………こんな…ト…コロ…で…
倒れル訳ニは……………
リナ…………と…共…ニ、愛…ヲ、アイ、ヲ、
リナ…ト………………




