『Quod amicum sanitatem』
ーー……場面は切り替わり、レミエとユイルの二人が塔内を彷徨っていた。
目的は復讐者達との合流。時折襲ってくる天使達を何とか蹴散らしながら目的を果たす為に動いていた。
「くっ…………」
ユイルが膝を付きそうになる所を、レミエが支えて助ける。
「無茶しないで下さいな、ユイルさん。足……少し、痛むんでしょう?」
そうしてレミエはユイルの足に手を宛てがって、癒しの力を行使する。
「レミエさん……私の事は、」
「ユイルさん、そういう所いけないんですよ!!……貴女は無茶する悪い癖があるんですから…………」
レミエに諭されて、ユイルは苦笑する。
「レミエさんだって私より無茶し過ぎる時があるじゃないですかー…」
ユイルに返されて、レミエも苦笑を浮かべた。
「……其れにしても……………先程からこうも静かだと却って不気味ですね…」
レミエが辺りを見回しながら立ち上がるが、彼女の言った通り、不気味な位静かになっていたーー
先程まで血の様に赤い翼を持っていた、あの天使が二人を捕らえようと何度か襲い掛かってきていたのに。
「しかも彼方此方に夥しい血の痕が沢山付いていますよね………」
ユイルが言った言葉の通りで、二人の居る周辺は血の痕がべっとりと白塔の白色を汚していた。
こうも静かでは妙と云うもの。
血の痕も相俟って、却って訝しく思えてならなかった。
「仰る通りですよ、先程までの天使達は……!!」
「きゃ…………!!!」
ユイルも立ち上がってレミエの方へ顔を向けた時、レミエが何かに躓いて何処かへ繋がる扉を勢いで破壊してしまった。
「えええ!?レミエさん!!?大丈夫です!!?!?」
「いっ…たた………大丈夫、です。…………ーーが…」
レミエとユイル双方の視界に入り込んできたもの。
「なん…でしょうか………」ごくりと固唾を飲み込むレミエとユイルが目の前の異様な光景に興味半分で進んでゆく。
あの夥しい血の痕と関係があるのだろうか、と様々な思いを過ぎらせつつ奥の方を目指す。
ゴウンゴウンと機械の音の様なものが聞こえる。
奥の方はどうやら赤く光っているらしいのか、鮮明なネオンの赤色が白い壁を赤く照らし出していた。
何かが行われている、とは容易く分かってしまう。だがどんなものなのかは直接見なければ流石に分かりはしなかった。
白壁を汚していたあの血の赤色も、奥の方へ近付くにつれ黒に近く見えて、より不気味さを際立たせている。
ーーそして、レミエとユイルの二人が、奥へ辿り着いた。
レミエを守る様に勇み行くユイルと、頼る様に其の背に身を少し潜めながらも目にした光景に疑いと好奇心とを綯い交ぜにするレミエ、此の二人が見た光景とは。
「………機械と、大きな入れ物と、ーープール?」
ユイルが訝しげに目の前の光景に対して一言発する。レミエはそっと顔を出してユイル同様目の前の光景を見詰めた。そして彼女はこう言った。
「…醸造樽、みたいなものでしょうか?」
はた、とレミエが場にそぐわぬ物の名前を出した。
「まさかこんな所で……っぷ、何です…此の血生臭い鉄の匂い……は」
ユイルが鼻を摘んだ。あまりの臭気の強さに、レミエも袖で鼻元を覆う。
レミエが傍のプールの様な場所に近付き、覗き込むと彼女は「あっ」と小さく驚愕を漏らした。
「どうかしましたか」ユイルが直ぐ気付いて、身動き一つ取らないレミエの元へ近付く。
「!?」ユイルも目を大きく見開いて驚く。プールと思われる場所には大人から子供まで、あらゆる屍者がほぼ綺麗な状態で"漬けられて"いた。
そしてプールを満たす謎の液体の正体も同時に掴む。
「血生臭さが混じっているとはいえ、この匂い………私が女神シーフォーンの所へ連れ攫われた時に嗅いだ匂いと同じだ…」
ユイルの口から液体の驚くべき正体を聞かされる。
「ユイルさんが知っている、其の液体って?」
「どんな損傷した状態のものでも漬けておけば修復されるやつです…でも、癒都を彷徨いていた屍者みたいに辛うじてでも人の形が残っていないと効果は無いとあの時女神は言ってました。損傷が激し過ぎて原型を留めるのが難しいものには効果が無いと……」
更に奥の方をちらりと覗き込むと、医療器具の様な妙な機械や手術室の様な場所が見えた。ーーもしかして、プールの中の屍者達は彼処で実験処理される為に残しているのだろうか?
「だけどーー此の大きな入れ物は、何なのでしょう?一番臭気が強い気がしますが………」
レミエの見上げる姿に、ユイルは辺りを見回す。
「ーー………。梯子、掛けられますよ…見てみましょうか……………」
「え、ええ……」
カタリ、と梯子を掛けて、二人は足元に気を付けながら梯子を上がる。
そして二人が臭気に耐えながら醸造樽の様に大きな入れ物の、足場部分に立った時の事。己の行動を深く後悔したーー
ーー酷い事に、「入れ物」の中にはドロドロと赤色や少し腐食し掛けている肌色、赤みの強いピンク色等のグチャグチャとしたものが詰められていた。
ありとあらゆる血肉が、屍者だったモノが、一つの入れ物の中に味噌樽の様にされている。
並々と、少し足を出せば触れてしまえそうな程に。
ユイルとレミエが嗅いだあの血生臭さは此処から特に強く匂い立っている。
ーー想像してもしなくても、惨状の全てを大いに理解出来てしまった。
十把一絡げ。
「っ………うえぇ…っ……………!!!!」レミエは思わず慌てて下に降りて入れ物から背を向けた。
はしたないと分かっていても、光景の惨たらしさに耐えられない。
「レミエさんっ」ユイルが颯爽飛び降りて蹲るレミエの背中を擦る。
「っえ………、あれ……は…なんで、す…か」
込み上げる嗚咽に耐えながらレミエは中身を問うた。
「……………………っ」ユイルも面持ちを沈重に、然し答える必要は無い事を確信していた。
ーー両者共、あの中身の正体はもう気付いている。只ーー感情を司る部分が、己に蹲る倫理が、答えを拒絶したがっているだけなのだから。
ーーすると。
ゴポゴポと入れ物の方から音が立ち、血の泡がぱちんと弾けて飛沫を飛ばした。
「!?」顔を上げたレミエと見上げたユイルが目を大きく見開きながら光景を見詰める。…信じられない光景が彼女達を迎え入れようと展開されていた。
『ーーガバ、ゴボゴポゴポ戊、ゴプッ、グブブプププ、ッカ、は、おjsOa2uPa5h4na5n5JJェあ、ああ、あああ』
ピタン。
『あ………あーーあぁー、あ…ぉ………ぎゃ、あぇあ、ほぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎやぁ、おぎゃあ、おぎゃ、あぁーー』
ベタリ。
「!!?」
腕を伸ばして、まるで母の愛と救いを求める赤子の様な青年が現れた。
「あれは……天使ーー!?」
白い髪と、薄っすら開いた金の瞳に二人は確信する。
血肉を吸い、
燃える炎と血の様な赤い翼を背に宿す。
『ゴプッ、っは、ば…あ゛、あ゛、あ゛、ーーナ、リッ……ナ…ト、と、と、リナ、リナ』
ズル、ズル、ズルと身体を引き摺りながらビチャビチャと辺りに血を散乱させる。
母を求める赤子の様な天使の青年はピタン、ピタン、と音を立てる。
『リナーーーーーーーーーリナぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
弱々しい叫び声は部屋中に響き、本当に泣き叫ぶ赤子の様に天使は泣いた。
そして同時に上の方から天使の気配を感じて、ユイルとレミエは即座に隠れる。
「レミエさん…!!」
「ちょっ…ユイルさん…!!」
あの生まれたばかりの這いずる天使が二人の事を見ている。
「良いんですか…!?」放っておけば自分達の事が知られてしまうのでは、とレミエは危惧するが、ユイルが其れを覆した。
「何の道私達が天使から逃げている事は既に向こうに気付かれていますし、あの天使が私達を見たからと言っても最終的に親玉を叩き潰すんです、大丈夫」
言われてみれば確かにそうだ。
「そっ…そうでしたね……………………っ!!!!」
レミエとユイルが声を顰める。
吹き抜けている所から、燃え上がる赤い翼の天使が舞い降り、生まれたばかりの天使に優しく微笑み、手を伸ばして迎え入れる。
『お目覚めかい同胞……さあ迎えに来たよ。俺と一緒に、リナの所へ行こう』
伸ばされた白い手は生まれたての仲間の為に。
同じ顔をした者同士が、主との縁を結び合う。
『あーーーーーーーーリナ、リナ、リナ、リナ、リナ、リナ、リナ、リナ、リナ、リナ』
『愛が欲しいんだねーー行こう。リナは君に愛を与えてくれる。俺達も君の事を迎え入れて、愛してあげよう』
そして天使は血に塗れた其の手を取り、吹き抜けた所から一糸纏わぬ天使を連れて行く。
…ほんの一瞬だけ、此方へ視線を向けた気がした。
……………………絵画の昇天の様な行為が行われた一連の流れを、辺りをまた見回しながら皮肉に視線を落とした。
「昇天…と言えば聞こえは良いのかもしれませんけど、周りがこんなんじゃーー…ね」
血肉の散乱する床一面を、足跡を残さない様に避けながらユイルはレミエと共に此の部屋を出ようとした。
「足跡を残さない様にしましょう、天使が生まれた時に迎えに来た奴が気付けば厄介ですからね」
レミエは嗚咽を堪えて、口の周りを袖で拭い取った。
「大丈夫ですか…………」ユイルがレミエを最も心配して、再び軽く背中を擦る。
「っ…有り難う、ユイルさん」レミエは少し無理をして微笑みを向けた。ユイルも、彼女が少しばかり無理をしている事を知りながら彼女の心遣いを汲んで口元を緩やかに吊り上げた。
すると突然背後の方でゴウンゴウンと大きな音が鳴り響き、紛れる様に機械音が何かを計測していた。
「ひゃっ」レミエは驚きのあまり身を小さく跳ね上げ、ユイルと共に振り返る。
ゴポ、ゴポ、ゴウンゴウン…ゴポポッ、ゴポゴボゴボ……とダクトに似たものが先程の薬液のプールから薬液を汲み上げ、新しい薬液でプールを満たしてゆく。
「……………………」
二人が見守る中、プールの中の屍者ーー二人程が別のダクトに似たものの中へ吸い込まれ、傍の大きな機械からグジュグジュブチュリ!!グジュゴリュゴヂュゴリ、ゴリ、ゴリ………とまるで肉や骨を砕く様な音を響かせ、また別のダクトに似たものを経由して血肉の満たされた入れ物の中へと注がれてゆく。
「ギャアアアアアアアアーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
「イダい痛いイタtttttぃ胃タい゛ヰダiii1鯛ヰイいiIIII1111111111111111a」
「ひゃあああっ」耳を劈く程の悲鳴が悍ましい音と共に機械の中から聞こえてきた。
プールの中の屍者の声だ。彼等は既に死んでいる筈なのにーー
二人が嗚咽を漏らす猶予さえ与えまいと事は進み、軈てグチョ、ビチャ、グジュグジュ、……ドロリと人の形をしていた筈だったものが入れ物の中を満たす。
「くっ………」流石のユイルも耐えるのに限界だったらしい。レミエがユイルの背を擦り足早に部屋を出て、やっと一段落する。
「大丈夫ですか?」
「うっ…すみません、レミエさん……私としては吐いてたまるかって堪えてたんですけども…………」
「良いですよ、私の方こそ先程は吐いてしまいましたし…すみません」
「うっぷ…此方こそ………」
互いを労いながらも、此の場に留まる訳にはいかないので早く復讐者達と合流すると再度誓い遅れを取り戻す様に部屋から遠ざかって行った。
そして二人は進み行きながら塔の存在理由に、単に焔の花を擁するだけでは無かった事に気付いてしまった。
特に此のーー癒都白塔に至っては。
この白塔は天使を生み出す為の処理場であり、殺した者をごちゃ混ぜにする場所が存在している。
彷徨う屍者は塔の実験の為の被験体であり、素材であり、非業の実験の産物であった。
そして二人が居る此の場所で、「救い」や「愛」と云う名目で連れて来られた屍者達は痛覚すら蘇らせられて、苦痛の果てにグチャグチャと混ぜられる。
混ぜられた血肉、薬液、沢山の妙な機械が、塔の主に仕える「天使」を生み出すーー
其れが真実であるのなら…末恐ろしい話だーー
「…なんて……酷いこと…を」
レミエは塔の主の行いに震えた。何を望んで人を殺め、そして容易く死なせず屍者として蘇らせ更には途切れた痛覚すら薬液で取り戻させる。
挙句彼等を機械で血肉ごと砕き味噌樽にして完全に殺してしまう。
ーー「天使」と云う存在として作り変える事が「救い」?
そんなのはどう考えたって異常だ。塔の主は悍ましい。強いてはそんな行為を厭わず行う塔の主を生み出した女神ペールアが、最も異常だと彼女達は再認識したのだった。




