『Scilicet』
「………エ…!!……ミエさん!!!レミエさん!!」
遠ざかった意識を揺り起こす男性の声が彼女の名前を呼んでいた。
「レミエさん、あんちゃんさっきから名前呼んでるよ」
同じく。復讐者の隣にはオディムが彼女の顔を覗き込んでいた。
「あ…ああ………?」意識が自分の身体に浮上し、馴染んだ頃、レミエは二人の姿をはっきりと認識した。
傍から見れば微睡んでいた彼女を起こす二人の姿に見えたかもしれない。
「どうしていたんだ」
「さっきから様子が変じゃん、もしかして具合良くないの?」
両者、特にオディムが心配そうにする。対しレミエは彼等に余計な心配はさせてはならないな、と少しばかり気丈に振る舞う。
「あ、大丈夫ですよ!!私、どうも塔攻略で少し疲れてたみたいです。でも少し休めたから充分です!!!」
ぐっ、と量の拳を胸元まで上げて握った。
「……そうか。進行の話をするから来てくれないだろうか」
僅かな沈黙の後、復讐者はレミエに来る様に告げて、オディムを先に行かせてから彼も部屋を出て行った。
(まだ尾を引いているな……………………)
レミエの憂鬱の正体を看破した復讐者は、一体レミエとユイルの間に何があったのかを考察しながら進んでゆく。
数年間の間で出来てしまった両者の溝。溝の正体を根の方から掴み切れない復讐者達では彼女の心は分からない。
問題を一番に理解し、一番に苦悩しているのはレミエ本人だ。
本人が全ての柵を越えなければ何時までも此の儘。
……其れでも外野でしか無い彼は彼女の問題に介入する訳にはいかなくて、何れ何らかの形で支障を来すだろうと予見しつつも此の先の事しか考える事が出来なかった。
「……では、次の塔攻略について色々決めようと思う。先ず此方が見た状況と進行ルートについて聞いてくれ」
復讐者は一枚の見取図を取り出し、広げる。
ーー目的に沿って見取図を指でトン、と押し叩きながら状況と進行を話してゆく。
「私が見てきた限りでは癒都は喪服の屍者が彷徨いている。彼等は生者に反応するが彷徨いている奴等に敵意は無い」
「只ーー気を付けなくてはならないのは赤い翼の天使だ。奴等はペールアによって作られた怪物みたいなものだろう。愛だの何だのと述べるが屍者を殺戮していた。奴等にまともな倫理は無い。…そして、魔力による攻撃は少しだけしか効いていなかった。物理的にはほぼ効かん。だから見付かったら応戦しようとはするな。逃げろ」
天使には細心の注意を払え、と彼は付け足す。
「てんしはどこから来るのーっ?」
エムオルがふと手を挙げて質問する。
「恐らく白塔からだと思う。奴等は塔の方向から降りてきたし、私を連れ去ろうとした時塔の方へ向かっていた」
其れを聞いた時、ははあ成程、遅かった理由は此れか。とエイン達は薄っすらと納得した。
「取り敢えず天使の目を掻い潜る様に。ーー白塔の入口へ着いたら直ぐ侵入してくれ。あと屍者は突っ切れば大体何とかなる」
兎に角気を付けるべきなのは天使だ、と念を押した。
「準備は今の内に済ませておいてくれ。全員爆炎瓶の所持を許す。特にオディム、サフィー、エムオルは緊急時にも備えて多めに持っていって構わんから」
そして懐から一本の爆炎瓶を取り出した。よく見ると烈都の時とは見た目が違っている。
「…此の爆炎瓶は科学班がペールアの術式を全て完全解析し前のと同じ安全性と縮小化を、更にペールアの術式と同じ構築術で総合的な火力をサクモが持参していたものより約25倍引き上げられた完成品だ」
切子細工を施されている赤い瓶の中には凝縮された小さな焔が常に燃えている。
「擬似的とは言えペールアの炎の力と同じモノだから、もしかしたら天使に対して効くかもしれない。従来の敵にも効果は見込める」
「科学力と兵器開発力は凄いですね…………」サフィーが感心した科学力と兵器開発力……シーフォーン主導のあの科学班と開発班の協力に因るものであった。
流石女神が総合主導者として心血を注いでいただけはあるな、と復讐者達は思う。
ーーが。
(然しまあ兵器開発に其処まで意欲的だったとは、やっぱり独裁者の資質があったんだろうな。奴は)
名君であるより暴君だった。事実女神が死ぬ迄世界中の多くの人間は彼女の洗脳を受けていたし、稀に影響を受けなかった人も彼女に対して怯えていた。
…シーフォーンは、自分自身を最高の名君、為政者、栄光的な存在だと思っていた様だったが………
思い出して妙な胸糞悪さと腹立たしさと色々な感情が綯い交ぜにされた。
ーーと、そういう事は置いておこう。
「……んん、但し!爆炎瓶は小さいとはいえ発動させた時の火力は総じて高いから、屍者達のもだが天使達の注意を引き付けてしまいかねんし出来れば塔侵入迄のルートでは"極力"使わないでくれ」
「分かりました」サフィーの返事に他の仲間も頷きで返した。
「では解散。癒都へ向かうのは明後日の夜明け頃、明日は可能な限り休息を取り早朝よりも前に起きてくれ」
バン、バン!!と机を叩き、次の道筋についての遣り取りが終わった。
ーー皆が自室や他の場所へ戻る中レミエは中庭の方へ向かい、独り花の咲く人工池をぼんやり見詰めながら小さな椅子に腰掛けていた。
「次は癒都、かぁ……………………」
溜息と合わせて呟いた彼女の言葉は疲労よりも苦悩による思い詰めに似たものだった。
レミエはぼんやり、ぼんやりと水面に咲く青紫色の花を見る。
境界が曖昧になる。
ゆらり。
ぼやり。
ぐらり。
「ーー…………天使……………………」聖女はたった一つの言葉に、何か大きな感傷に等しいものを思い出し掛けていた。
"レミエ"が知る何かを。"レミエ"が抱えている何かを。
只、一つだけ大きな引っ掛かりの所為で容易では無い、天の使いの光芒。




