『Rubrum ex Apostolo』
花仕掛けの部屋を越えて、進み行った先は思ったよりも広く、そして吹き抜けている広間。
彼等が其処に出た時、最初から待ち受けていた様に数十の人影が飛び降り、そして復讐者達の前に現れる。
「お待ちしておりましたわ」
リーダーと思われる女が一人、目元を緩ませて声を掛ける。
ーー女含めて殆どの者が目元以外を隠しており、そして其の下に身動きの取り易い身軽な服装と、軽めの鎧を身に着けていた。
「何だ」
「私達は「焔の花教団」の者です」
女は暗いベールの下から口元をにっこりと吊り上がらせながら、復讐者達に近寄る。
「…………」女の意図を訝しんで、復讐者は後ろ手に武器を構えた。
「ーー…あらあら、そんなに警戒しなくても宜しくてよ」
「"焔の花"ーーそう言った時点でお前達はペールアの手先である事は分かっている。そもそもこんな場所に人がいる時点で可怪しいのだから」
復讐者は武器を構えた手でサインを作り、エイン達に警告する。
「あらあら。まあ、そうですか。ーー……………。」
女の微笑みが一転ーー
「ーー残念!!ならば此処で我々が殺して差し上げましょう!!偉大にして崇高なるペールア様の勝利と、彼等の首を!!!!!」
女の狂気の眼差しと叫び声と共に、焔の花の教徒達は一斉に襲い掛かってゆく。
「エイン!レミエさん!!エムオル!!!戦え!!オディム達は控えろ!!!!」
復讐者の一声が同行する者達を動かす。
「了解しました。殲滅開始します」
「よーし、いっくよー」
エインとエムオルが武器を構え、そしてレミエの姿が変化する。
「参りましょう、災厄に身を寄せる堕ちた者達に救いを!!」
舞い上がる桜の花弁と共に、黒く長い髪と、しなやかな白銀の刃を持って顕現する。
「〜あははははははははっ!!!!!!!!!!」女を筆頭に襲い掛かってきた者達は皆一斉に狂った笑いと叫びを上げて襲い掛かる。
「きゃはははっ!!」
「あはははっ!!」女から男まで、誰もが狂い、そしてその眼は常に大きく開いていた。
「ひゃはははっーーあぐぅっ!!?」
悲鳴を上げ、教徒の一人が床に転がる。ーー教徒の男は其の場でバタバタと身を捩ったが、暫くして再び笑い始めた。
「は……はひ、……ひゃは、ひゃはははははははは!!!!!!!!!!」
男の両目は撃ち抜かれて失明しており、大量の血が流れていた。
「……っ、両目を撃ち抜いたのに」男の両目を撃ったのはエインだ。然し一向に恐れもしない男の狂った様子を見て不愉快そうに眉を顰める。
…一方の男の方はと云うと、両目を撃ち抜かれ失明しても尚、其の場で笑いながら空気を切り裂き続けている。
「ひゃは、ひゃはひひっ、ひゃあっ、ひゃ、ひゃ、ひゃっひゃっ、ひゃひゃっ」
一行は狂った男の姿に狂気への嫌悪と僅かな怒りを孕みながら、襲い来る刺客達を相手にするのであった。
ーー…………………………
…………………
……………そして。
そして時は同じくして、ペールアの居城でもある世界の中心に聳え立つ巨大な白塔ーー
地下へと繋がる暗い階段を降りてゆく、二つの影が灯りに照らされて、映る。
カツーン…カツーン……硬質の音が辺りに響く。照らされた影は灯りを灯す灯明の動きに合わせて揺れている。
「…あの……まだ…なんですか…」ややくぐもる様な、小さな声が聞こえた。
「ん〜?え、ああそうですね〜まだですねぇ、もうちょっと我慢して下さ〜い」
対して軽快そうな足取りと共に返したペールアの言葉は妙な位に陽気なものである。
「はぁ…………」
サクモは仕方無く其の儘ペールアに着いて行く。
途中灯明の灯りに惹かれてやって来た小さな蛾の姿を見て、ペールアは嬉しそうに其の蛾を見詰めた。
「ん〜!!蛾ちゃんは可愛いですねぇ〜…こんな所にも出て来てくれるなんて…私としては嬉しいですね」
「…蛾、好きなんですか?」
「はい!虫が大好きなんですよ、特に蛾ちゃん!!可愛いし綺麗じゃないですか!!!」
その眼はまるで宝物を見遣る子供の様な眼差しで。
「昔から変わらず沢山の蛾を見てきました…健気で愛らしい、沢山の蛾を。昔まだ人間だった頃なんかは夜になったら街灯に寄せられる蛾を探しに行ったりしてました……」
そう静かに話すペールアは、狂気にこそ彩られてさえいなければただ親しみを込めて接する事の出来そうな、至って愉快で優しそうな印象を受ける。
サクモは、そんな彼女の姿を見ながら、ぼんやりと静かに考えていた。
(変な人だな。よく分からない…)
けたたましく狂った嗤い声を上げ、喩えるなら顔芸とでも言って差し支え無い歪んだ表情を浮かべたかと思いきや、突然静かに微笑み優しく語り、或いは過去を思慮する。
そうして敬愛しているであろう女神シーフォーンの死を深く悲しんだりしたかと思えば、唐突に彼女を殺した復讐者への激しい憎悪に駆られ、不気味な表情をする。
くるくると不安定なペールアの存在にサクモは言い知れぬ不安を覚えつつも、好きなものである蛾や…■■■■?確かそんな名前だった様な気がする……の事になると途端に子供の様な無邪気な顔をする。
そしてシーフォーンの事を話せば、彼女は子供の様にも、何か彼女に対して肉欲を挿げ替えた様な様子すら見せる。
サクモは益々、此のペールアの事が分からなくなってゆく。
(考えれば考える程余計に分からん………)
其処でサクモはペールアについて考えるのを止めた。
そうこうしている内に、ペールアの「着きましたよ〜!!」という明るい声がサクモの耳に届いた。サクモが顔を上げると、暗く広い場所に辿り着いたのだと理解する。
「……………♪」
パチパチ、とペールアが手を叩くと、広間一帯の壁が赤く灯り、部屋の中を照らし出した。
サクモが呆気に取られていると、ふと、部屋の中央に現れた何かに気付く。
「んふふふっ、んふふ〜、サクモさん見て、見て。私の宝物!!」
じゃーん、とサクモに見せた宝物。其れがサクモの視界に正確に映った時、彼女は驚愕する。
ーー真っ黒な、人の形をしたモノ。
「ひーー」
サクモは小さく悲鳴を上げたが、必死に口元を両手で抑え、此れ以上の悲鳴を出さぬ様に努めた。
黒い人型をした何かが横たわっている。
「驚かせてすみませんねぇ」
「あーーあわわ、わ」其の人型をした黒いモノは、何故か身体がバラバラの状態であった。
ペールアが並べ直したのだろうか、バラバラの儘だがちゃんと人に見える様に並べられている。
「此れがーー何なのか、分かりますか?………シーフォーンさんです、シーフォーンさんなんです」
そして彼女の口から零れ落ちた驚愕の言葉。
「ーー…、復讐者に殺された、愛おしくも尊い御方。お労しい事に報復の露と消えてしまった。美しいシーフォーンさん、私の敬愛するひと。此の世全てを統べるに相応しき真の神。此の方の目映い威光の前では、私ですら叶わない」
「彼女が女神に選ばれたからこそ、デインソピアさんやアンクォアさん、リンニレースさんも女神になれた。そして私達も追従者に。全ての始まりは彼女なのです。彼女が、啓示によって女神に選ばれて、世界の全てを治める事を許されたから」
「そんな彼女が……こんな姿になってしまった………」
語り続けるペールアはほろりと涙を流し、シーフォーンと呼んだ黒い人型に寄り添っている。
辛うじて人である事が分かる程度の塊に、緩やかに流れる赤い髪を持つペールアが労しそうに、愛おしそうに寄り添う姿ははっきり言えば異様だ。
友愛の美しさよりも不気味さが勝る。場面やペールアの持つ狂気が尚更引き立たせてしまっている。
ーー暫く其の光景が続いて、突然ペールアが立ち上がった。
サクモへ振り返り、彼女に告げる。
「…サクモさん、貴女には役割を与えます」
其の表情は宛ら女神の如く、とでも呼ぶべきだろうが、サクモは自らに与えられる役割を察して溜息を吐きそうになった。
「此の"シーフォーンさん"は完全ではありません。だから、蘇生させたくても出来無いのです。ーー特使サクモ、貴女には「女神シーフォーンの欠片」を集めて来る様に命じます」
そしてペールアは、サクモにある物を手渡す。
「…何ですか、これ…………」サクモは白い砂の様なものを見て、顔を青褪めながら訊ねた。
「其れですか。其れはシーフォーンさんの灰です」
女神シーフォーンの灰ーー
「其の灰が貴女の手元にある限り、私は其の灰を通して貴女を感じられる。だから貴女は私を裏切る事は出来ません。許されないのです。…其の灰は美しいシーフォーンさんを取り戻し蘇らせる為に絶対に必要になるものなのです、失くさぬ様に」
ペールアの声が強く通った。
「は………っ、はいーー」サクモはたらりと冷や汗を流しつつ、此の人からは逃げられない、と思うのだった。
ーーサクモが立ち去った後の部屋で、シーフォーンのバラバラの遺骸を見詰めては静かに、暗い表情のペールアが立っている。
「10年、長かったーーシーフォーンさんの失われた身体を再構築するのは」
「私の力では何故かシーフォーンさんを形作る事は出来なかったーーだから世界中に舞い散った彼女の灰を集めて、ゆっくり再構築していった。…其れでも出来上がったのは此の真っ黒な人型の身体だけ。幾ら繋げようにも付かず、臓腑は流れ出てしまう。シーフォーンさんを蘇らせるには完全でなくてはならない」
そしてペールアは強い眼差しでシーフォーンに誓う様に呟き続けた。
「灰だけでは彼女を蘇らせられないーーそう知った時、私は悲しかった。でも諦めない。此の人は私が蘇らせる!彼女さえ蘇ればデインソピアさん達も容易に蘇らせる事だって可能になる筈。もう一度、シーフォーンさんによる治世を!!彼女の大いなる輝きで、世界に光を、復讐者達の様に逆らう者達に無慈悲な制裁を…!!!」
彼女のうねる赤髪が、炎の様に揺らめいた。
「きゃははっ!!」
まるで鳥の様に縦横無尽に飛び回る刺客達に苦戦していた。
「くうっ……!此れではただ受け止めるだけで…っ!!」
レミエは襲い来る複数の刺客を相手に攻撃を受け止めては流し、時に反撃をして往なしていた。
(寧ろ猛禽の様だわ)
彼女は刺客達の姿を見て、猛禽の狩りの様だと思った。幾ら反撃をしても彼等は不死者の様に立ち上がってくる。
「ふはははっ」
「きゃーははは!」
傷付いても痛みすら感じていない様子で、腕が取れそうだろうとも両腕を失おうとも、武器を咥えてまで襲い来る姿はある種の恐ろしさがあるかもしれない。
「…!此処までならば……桜刃!!!!」
レミエの叫びが無数の大きな桜の花弁を生成し、其れ等は刃となって彼等の首をすっぱりと切り裂いた。
「レミエさん!!?」背後の方から首だけが飛んできた刺客の姿を見て、復讐者は振り向く。
「!!!」復讐者を相手にしていた刺客のリーダーである女も、仲間の首が飛び舞う様子を見てより目を見開く。
「斬り咲きなさい、桜の刃」レミエが更に生成した刃を飛ばすと、残りの刺客達の首も容赦無く飛んでいった。
「っ!!!!!」残りの数枚が女の方へと飛んだ時、女は身構えて大きく後退した。
「………!!!」はらり、口元を隠していた薄布がすぱりと切れて、彼女の顔が顕わになる。
そして当時にベールや服の一部も切り裂かれ、其の姿が明らかになった。
「!!!!」
女の姿を見て最もショックを受けたのは、サフィーだった。女の正体を彼女だけが知っていたからである。
「ロザ!!!!!」サフィーは女を、そう呼び叫ぶ。
「くっ………」ロザ、と呼ばれた女は、ばつの悪そうな表情で口元を歪ませた。
ロザの腰元には、サフィーと同じ硝子の短剣が携えられていた。
「ロザ!…どうして、どうして……!!!」
サフィーは瞳に薄っすらと涙を溜めながら、見知った者へ声を掛け続ける。
「おいサフィー!!やめろ!!死にたいのかよ!!!」
オディムに抑えられながら、サフィーはロザの元へ駆け寄ろうと暴れる。
「〜っ煩いわねぇ!!!ピーピー喚かないでよなり損ない!!!!!」
「!!!!」
女ーー改め、ロザの怒号がいっぱいに響いた。
「煩いのよアンタは!!昔っから!!「ロザお姉ちゃんロザお姉ちゃん」…って……何でも構わず着いて来るしアンタが失態する度にアンタの尻拭いをしなきゃならなかったわ!!」
「で…も……!!」
「でもじゃ無いのよ!!!アンタのお母さんには今でも感謝してるわ。だけど、あたしはただの他人で、アンタの面倒を見る姉じゃ無いのよ!!」
「でも……でも……!!」ロザの怒号がサフィーを否定し、サフィーの震える声がロザの変り果てた心を信じられない様子だった。
「……デインソピア様から星の乙女様の侍女になってくれって言われてあたしは嬉しかった!!そして直ぐにでもアンタから離れる為にあたしは早く侍女になって、星の乙女様に逸早く仕えた。…大変だったけれど、アンタの尻拭いさせられる時よりはマシだったわ、…アンタも「侍女になりたい」って言い出して、新たな侍女として選ばれる迄はね…!!!!!」
そしてロザの静かになっていった怒りは、軈てサフィーへのありったけの嘲笑に変わって彼女へ贈られた。
「うふふっ!!…侍女になる直前に星の乙女様を殺されてしまって、アンタが侍女になる道は水の泡になったわね。ざまあ無いわ!残念だったわね、サフィー」
「うううわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
サフィーの怒りが叫びとなって、ロザの怒号以上に辺りを強く響かせた。
そして更に少女の身体は大暴れして、オディムも更に全力で引き止める。
「ロザ!!…ロザ!!!許さない、星の乙女様の死を踏み躙る言葉を吐くなんて!!!!!最も信頼されていた貴女がっ、優秀な星の乙女教徒の侍女だった貴女がっっ!!!口を慎みなさいっ!!!!!口を慎めっ!!!!!!!!」
「"口を慎め"?…随分偉い言い方をするのね、侍女のなり損ないの分際で。流石狂信的な純星の乙女教徒なだけあるじゃない」
「狂った焔の花教徒に身を堕とした貴女になんか言われたくないっ!!!」
「ペールア様はまだ良い方よ?狂っちゃいるけど星の乙女様みたいな「創られた」存在じゃ無いもの」
「星の乙女様を愚弄する事は許さないわ!!!!!」
「おいっもうやめろって!!!!許せないのは分かるけどあんな奴お前じゃ相手にならねえよっ!!!!!!!!」
オディムが必死にサフィーを抑える。
「離しなさい!!離してよっ!!!離反した上で一度仕えた主君を愚弄する様な奴は……っ!!」
暴れるサフィーと抑えるオディムの前に、復讐者が立つ。
「……………………。」
「…復讐者っ……貴方まで、私を………っ!?」
ドスッ、と重い音が少女を中心に響く。復讐者が何らかの動きを取った途端、サフィーはがくりと身体を崩した。
「復讐者さん!!」オディムが復讐者の眼を見た時、思わずゾッとした。ーー長い前髪に隠れがちな復讐者の蒼い瞳が、少年の瞳には恐ろしく映った。
「…騒がれても煩いだけだからな、落とした」
彼はそう言って、女の元へ戻る。
「ロザ、と言ったな。…不本意だがアンタには同意しよう。確かにサフィーは騒がしくて煩い」
復讐者は顰めっ面を浮かべながら女に話し掛ける。
「然し実の姉の様に慕っていた者を踏み躙る真似は頂けないな。ーー私が引導を渡す」
報復の黒剣をロザに向けて身構えて、復讐者は蒼い焔を纏う。
「………出来るものならやってみればぁ?」
きゃはっ、とロザの嗤い声が聞こえた。
ーーそして同刻、女神ペールアの居る白塔のある場所では。
「……………………」
サクモが、ペールアから渡された小瓶を手に取って眺めていた。
一見して只の灰にしか見えなかったが、不思議な事に時折揺らめいている。
そして其れはうじゅる、ぐじゅる、と妙な音を立てて蠢いてさえいた。
(なに…これ……灰なのに…動いて…いる………)
水っぽい内臓の様に蠢く灰を不気味に思いつつも小瓶の中の灰を暫く眺めていると、突然ぎょろりと大きな目が小瓶の中からサクモを見詰めてきた。
「ひっ!!!!!」
咄嗟に小瓶を手から離してしまい、サクモは身を震わせた。
手から放り出された小瓶が、カラカラ…と軽快な音を立てて地に転がって、そして止まる。
途端に蠢かなくなった、女神の灰。
「な………に……、今…………のは……………………」サクモが恐ろしいものを見る目で落ちた小瓶を見詰めた後、ペールアからの言葉を思い出して恐る恐る小瓶を拾う。
改めてサクモが小瓶を覗き見ると、最早只の灰と変わらなかった。




