『Her tribulationis』
「所でレミエさん」
ゆっくりと膝を下ろした復讐者が相変わらず芳しくない様子のレミエに訊ねた。
「最近様子が可怪しいが」簡潔にだが直接的に、レミエに聞いた。レミエの様子は相変わらず沈み込んだ儘だったが、彼女は復讐者の方へ顔を上げて無理を振る舞う。
「……ううん、何でも無いです」
基本的な信頼故に相手に対して痛ましく思ったり妙な憐れみを掛けたりはしないが、旅の最中で彼女の(彼からすれば想定よりも)繊細な気性を知る復讐者は「我慢しているな」とだけ思った。
「そうか」
たった一言だけ告げて其の場から立ち去ろうと彼が敢えて振る舞った時、レミエが「あの」と一言返し、復讐者は一瞥の後再び隣に座り込んだ。
両者の間に沈黙が漂う。
「……あの、引き留めてすみません」
口を開いたのはレミエの方だった。
何だか妙な様子である事は変わらなかったが、どうも何かを言いたい様ではあるらしい。ただ、言い難いのかもしれない。
「言ってくれて構わんのだが…」
本人にとっては殊更デリケートな話題なのだろう。必死に躊躇いながら、でも打ち明けようとしている。少しばかりの閉口と沈黙を経て、ぽつりと語り始めた。
「…ユイルさんの事です」
「ユイル?」
ユイル、と言えば戦歴故に招聘も兼ねて避難させたあのユイルの事だろう。
彼女はレミエと知己であり相方の様な関係の人物だが、何が……
「…良い人なんです。其れは分かってる。だけど私…本音を言うと、実はユイルさんに対してあまりいい気になれないんです」
「何故だ?」
レミエははぁーっと大きな溜息を吐いて、
「何か…あの人と居ると、疲れるのです。私の事を理解して下さるし、本当に悪い人じゃない。一緒に行動し始めた時から助けられもしたし、其れに私の為に素敵な世界を描いてくれた」
「素敵な世界を描いてくれた…?ユイルさんって絵を描くのか」
「ええ。絵を描く事が趣味らしくて、軍隊に所属する選択が無ければ趣味で画家をやるつもりだった、なんて話してる程でしたし」
驚いた。あの人にはそういう趣味があったとは…………
「其れに私達が行動していた時。エインさんとユイルさんが語らっていた時があったではありませんか」
不意にレミエの方から話題を振られる。
「エインとユイルさんが?……ああ、確かにあったな」
「…何を話していたんだろう、って気になりました。でも二人の様子からして馬が合っているのだろうって分かってしまって、あと失礼は承知で…あの後エインさんの話の内容も少し聞いてしまったんですよね。……何か、私、仲間外れにされてるのかな、受け入れられていないのかな、って」
レミエが暗く俯いてしまう。
「……………………」
「……………………ふぅ」復讐者は軽く、然し大きめの溜息を吐いた。
レミエ相手にも落ち込んでいる事に対しても彼は激しく責めたりはしないが、ただ一つーー彼女の言葉に靄を感じた。
そして一息、深く呼吸をして彼は思いの儘話し始める。
「…レミエさんが落ち込むのだからかなり深刻な問題なんだろうと思う。でも、考えて欲しい、取り敢えず仲間外れなんて言わないでくれ。そう言われてしまったら我々はどうしろと言うのだ。ーー我々と行動していてレミエさんの方が長いじゃないか。其れに"馬が合う"というのだってエインの事だろうきっと。彼奴にだって隠したい秘密位あるし、もしユイルさんに話していたとしても慰めのつもりとかそういう理由があったりするんじゃないのか?彼奴の事だからエムオルにだって話していないぞ絶対。」
「ーーでも、復讐者さんとニイスさんはご存知なのですよね?」
「そりゃ当然だ、身内だからな。墓場まで持って行きたい話を他人に易々と話す筈が無いだろう。ユイルさんの場合は例外的な事情があったとかで話してたのだろう、やっぱり」
「でも…」
「……繊細故に気を揉みやすいのは、私もそうだった。被虐待児だから神経質で情緒が不安定だった。そうして大人になったが"あの人"に助けられて一緒に育ったからマシにはなった方さ。…でも、"あの人"が命を絶って支えを喪った事で私の情緒は不安定になってしまったよ。ーー今は其れ処じゃ無くなっているから…皮肉な話だが私の心は安定している……」
復讐者自身の過去が思わぬ形で打ち明けられてしまった。
「あ…………………」
レミエは復讐者の過去を状況的要因があったとは言え引き出させてしまった事で申し訳無く感じ、ごめんなさい、と謝った。
「前に一度話していたかもしれんが、…もう遠い昔の話だ、私が実母から虐待を受け続けて殺されそうになっていた事も、"あの人"の存在が大きな心の支えだった事も、最早二つ共喪われてしまった」
哀しい事だ、と言って、彼は遠くに思いを馳せる。
彼の表情を、レミエは静かに見詰めながら。
「…本当にすみません。そういうつもりは無かったのに、嫌な事を思い出させてしまって。デリケートな事ですし、その」
「レミエさんは謝らなくて良い。話したのは私自身の為でもあるという事にしてくれ。自分自身の事で苦しんでいる者が他者の事で気を揉むな」
とは言え、程度を超えれば女神の様にも成りかねんーー
「まあ、自分の事を考えるのは程度だ。度を超えればあの四女神やペールアみたいになるぞ。自分の事で他者の行動に彼是口出しすべきじゃ無いだろうし危害を加えれば其れでお終い、そういう奴は報復の対象だ。やり過ぎや過干渉、騒ぎ過ぎは必ず誰かに恨まれる。我々も気を付けねばな」
特に、女神シーフォーンやデインソピアみたいなのは、と彼は最後に付け足した。
「…弁明になるが一応言っておこう。私自身、やってる事は女神みたいに勝手だ。誰かから見れば私の復讐という行動は酷く身勝手に見えるだろう」
傷付いた己の手を擦りながら。
「…まあ、其れでも私は突き進むのさ。復讐を果たす為に」
彼は何かを言い掛け、一度飲み込んだ後、話を其処で終わらせてしまった。
そうして復讐者は遠くに居る者に呼ばれ、其の場から離れ始める。
…一瞥して一息。
「何時か、考えの違いで対立してしまうーーそんな事も有り得るのかもしれないな」
彼はレミエにぽつりと其の言葉を向けた後、飲み物を一つ取り出し彼女に手渡して去って行った。
「考えの違いで、対立してしまう………かぁ…」
一人取り残されたレミエは、追想する。
考えの違いで対立するなら。
捉え方で誰かと争うなら。
其れは自分がよく知る人かもしれない。
信じられない訳では無いからこそ、許せないものがある。
彼女は彼女の嘆願を、
相手は相手の矜持を。




