『Mors sodalitatis』
「ーーあっおかえり!!みんな、ぶじだった」
リプレサリアに帰還するや否や、白いツブ族ーーアムルアが迎えてくれた。
「アムルアー!!」
「エムオル、みんな、おかえりなさーい!!」
エムオルとアムルアがぎゅぎゅぅっと抱き締め合う。まるで不思議生物の様に両者の頬がむにょりと形を変えている。
「一先ず一件落着、ですかね」
先程の出来事から一転して、和やかな雰囲気に心を絆す。
「だが問題は残されている。山積みとまではいかないかもしれないが…」
復讐者の言葉が、此の先の重さを思い出させる。
「でも今は…此の少しの間だけは………こうしていたい」
彼の細やかな言葉に、エインは小さく頷いた。
「あのね、きいてね、りぷれさりあのみんな、すごーくがんばった」
「うん、うん」
アムルアがエムオルに不在の間の出来事を話している中、共に帰還を果たしたレミエとユイルも和やかな雰囲気に思わず笑みを零す。
「此れで……此れで女神との因縁にも、終止符が打たれるのですね…」
ユイルは少しだけ寂しそうに話した。
「ええ。でも、これからがありますよ、ユイルさん。私達の旅や戦いは終わっても、未来の為に歩まねばなりません」
「あっはは。そうでしたね。もっと大変になりそうです」
レミエとユイルが未来の世界の事について話していると、オディムが二人の所へ駆け寄って、
「お疲れ様ですっ!!」
ずい、と二人へ飲み物を手渡した。
「おや、気が利きますね?」
「へへっ…さっきおっちゃんから貰ったんだ!あ、みんなの分もあるんだぜ!!」
オディムの元気な笑顔が眩しい。
「ふふ、ありがとうございますオディム」
「えっへへへっ」
「ーーでも訓練が優しくなるとは限りませんよ?」
「うっ…」
ユイルの薄っすらとした微笑みと其の口から告げられた言葉は、オディムの明るい表情を一気に青くさせた。
僅かな穏やかさも、此の後一瞬にして塗り潰されるなんて知らずにーー
ーーゾワリ。
辺りを、そして復讐者達を、まるで纏わり付く嫌な何かが漂い始める。
皆の肌が、身体が、其の全てに対して本能的に嫌なものの正体を悟った。ーー来る。奴だ。奴が此方に来ている。
あのアムルアでさえ、唯ならず良からぬ何かに怯え、物陰に隠れて震えていた。
ザワ…と辺りの空気が一変する。まるで炎のうねりの様な奔流が不可視の形で一行の周りを渦巻いている様で、其れこそ女神の降臨に近しい悍まし気なものだった。
「来るぞ、構えろ」の一言も発さず、然し其の場に居る者達は無意識の内に身構えていた。
「はぁ〜あ、剣呑な空気ですねぇ〜」
空気を震わせた、呑気な声が女神ペールア・ラショー其の人のものである事は分かった。
ーー何処からとも襲撃を掛ける様子では無く、ペールアは彼等の前に現出する。
「んんー?あれあれ、ご警戒ですかぁ?私、随分な嫌われようですね〜っ。傷付きました、私こんな目に遭わなきゃいけないんですか〜???」
態とらしい茶目のある言い方で振る舞って、ペールアは復讐者達の前で戯けた。
「何の用だペールア・ラショー」復讐者は襲撃する気の感じられないペールアに最大限の警戒をする。女神の気性を知っている身として急変して殺しに掛かってくる可能性を彼は常に考慮している。
「困るんですよ…貴方達に軽率に攻略されちゃ」
ペールアは警戒する復讐者達を他所に一方的に語る。
「最初の聖都白塔の攻略、其処にいらっしゃる星の乙女教徒の方が引っ掻き回して下さってあれは大変善いと思いました。其の上で私の可愛いロザさんが上手く復讐者達を殺してくれれば助かったんですけどもね」
「星都の件も、干渉者さえ居なければ案外もっと泥沼に出来たかもしれなかったのに」
「矢張り貴方達は脅威でしか無い。私の理想を阻む者共。此れ以上私とシーフォーンさん達の美しい世界を壊そうとしないで下さい。貴方達の様なゴミネズミ共が居る所為でシーフォーンさんの世界も、彼女も、穢されてしまいます」
ペールアは復讐者達を恨ましげに睨む。
「…復讐者。調停と云う名の独善的制裁を行う愚かな存在。最も邪魔、疎ましい、憎い。追従するエイン。銃器の扱い、狙撃に長けている貴方も厄介です。奇跡の聖女レミエ。癒やしの力を持つ"神の使徒"………ツブ族のエムオル、叛逆の徒オディム、背信者サフィー……………」
彼女は叫んだ。
「貴方達全員邪魔だッ!!!!!!!!!!お前達は要らない、貴方達に生きる資格も権利も無い。死ね、死ね、シーフォーンさん達の為に命を捨てろッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
鬼気迫る彼女の振る舞いが、物陰で見ていたアムルアを酷く怯えさせる。
突如恐ろしい振る舞いと表情をしたかと思えば、ペールアは一転して目の前に現れたばかりの頃の態度と表情に戻る。
ペールアはうーんと悩ましげに眉を顰め、困った様子を振る舞う。
「特に奇跡の聖女………其の力は邪魔ですねぇ…貴女の力は癒やしの奇跡。力の或る限り仲間を癒やしそして戦える。私の所に居て下さったらどれ程助かる事やら、ではありますがそんなつもりは無さそうですし、ね。………だから…………っハハッ…ざい………ウザイんですよっっ!!…だから…だからさっさと………じまえ……死んじまえっ……………っ………………………………………………………………………………………………………………死ねェェェぇぇエえエエえーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
彼女はレミエを一瞥し、態度を急変させて炎剣の切っ先をレミエに向けて突進してきた。
「!!!!」
「っ!!レミエさん!!!!!!!!」
レミエの驚き、サフィーの叫びよりも剣は聖女を穿こうとする。
すると飛び出した一つの影が、レミエを刺し殺そうとするペールアの剣よりも早く、疾く飛び出した。
「レミエさ………っ!!!!!」
バシュ!!!
ピシャ、と鮮血が周囲を赤くする。
パタパタと無数の血がユイルの身体から落ちてゆく。
「う…レミエ…さ……………」
「…ユイルさん………!!?ユイルさん!!!?」
レミエはユイルの身体に手を翳し、力の限りを尽くして彼女を癒そうとする。
ーー然し傷は一向に癒えなかった。
「………ギャハ。」
ギャハ、ギャハ、ギャハ、きゃハギャはアハッはアハッアハッーーペールアの嗤い声が響く。
「あっはははははは!!!!!!!!!!!!!お友達を庇うなんて!!!!!なぁんて命知らず!!!!!!!!!!!自分の命より大切なのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ????????????????」
ペールアの瞳がギョロリと化物の様に見開かれ彼方此方に泳がせる。
「あはっ!あはっ……ひっ、ひっ、ひゅっ…ひゅふっ……くふ、くふふふ!!!」
彼女はキラリと炎の様にうねる剣を取り出した。
「ーー私の剣は致死の剣。でも一筋縄では絶命出来ない様に態と作り変えている。私の炎に灼かれて灼かれて、死にたくなる程苦しんだ挙句にとろ火で燃やされる様にさらにくるしみながら死んでゆくの。傷はぜつ命までの切っかけに過ぎない」
其の言葉は少しずつ揺れて、振れて、あどけなくなる。
「かわいそうなひと。あつくて、いたいでしょ?ごめんね…ごめんね……おねえちゃん」
瞳をうるりと潤ませた後、一瞬にして雰囲気と表情は豹変し切っ先から灼熱と炎を噴かせペールアは恍惚に浸りながら吐き捨てる。
「ルフェルサスのユイル。亡国エフィサの生き残り。苦しみながら死になさい。苦痛に歪む表情ーーなんて綺麗な事でしょう。さあ、其の叫び声を是非ともぉ聞かせて下さぁいぃぃ……♡」
ペールアがぺろり、と淫らな音を立てて舌舐めずりをする。
途端、ユイルの身体から炎熱が噴き出し、彼女の身体を内側から焦がす。
「ぐっ…うあああああああああああ!!!!!!!!」
ユイルの双眸は大きな苦痛に見開かれた。
「あぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っ♡いい………素敵!!素敵ですルフェルサスのユイル!!!はぁぁぁ〜っ…♡もっとっ!!もっとッッ燃えてくださぁぁぁぁぁい♡♡♡ぁっハハぁ……………♡っふ♡なぁんて素敵な芳しさ…人の肉が内側から焼けてゆく!!!気持ち悪くて甘美な醜さ!!!!!退廃と異形を愛する私にとって生きながら焼かれてゆくのは至高の美!!!!!あぁ…♡イってしまいそぉぉぉぉ〜う…………………………んふ♡」
ちゅぱちゅぱと指を舐め、れろぉと舌を這わせる。もう片方の手は下腹部より下の方にするすると進みくちょくちょと妙な音を立てている。
そして歓喜と恍惚に表情は歪み、目の前で展開される彼女なりの美にペールアは快楽を覚え、身悶える。
「ユイルさんっ!!!!!」
「だめ!!レミエさんっ!!!」高熱度のユイルに近付こうとするレミエを、サフィーが必死に抑え込む。
「あヒャあぁァァァァァっ♡私の美!!そして其れを前に我を忘れて暴れる愚者!!!!!あぁ…あはぁァ…………イィ…………………イってしまうぅ〜…あぁ♡あぁぁ♡♡♡イクイクイクイクっ〜♡♡♡♡♡♡あっ………………はぁぁ♡♡ーーあぁ…いけませんねぇ………愚者達の前ではしたない………………………でもぉ、ゲロクズ共に見られながら歓喜するのは初めてでしたが悪くなかったです♡」
彼女は己の美的感覚に沿った「芸術」を前にはしたなく絶頂を果たした。下の方へ這わせた手をニュポッと引き抜き、粘りとした液体でてらてらと厭らしく光る其の指先を蕩けた瞳で見詰めては恍惚に再び浸っていた。
周りが更に剣呑になる中、
「んふふ♡、駄目ですよぉレミエさん♡ユイルさんはどう足掻いても間に合いません♡死ぬの♡死ぬのです♡♡馬鹿な貴女を庇って、彼女は死んでしまうのです!!」
「っ、女神ペールア……!!!!」
レミエが睨み付けてくるのをものともせず、ペールアは表情一つも変えずに語る。
「あーあー、本当は貴女をこんな風に殺してやるつもりだったのになぁー。残念です〜…此の状況、死に逝く人の立場が逆なら其れも良いですのに」
彼女は笑顔で残酷な事を吐き捨ててゆく。何かを閃いた様に。
「…あ!!もしも、もしもぉ!!!レミエさんが焼き尽くされていたら!!!サフィーさんじゃ止められませんよねぇ!!!そしたらユイルさん諸共死んじゃうからそっちの戦力は大幅削減!!!更にはあわ良くばサフィーさんまで巻き添え!!!♡あ〜っ改めて残念です〜っ」
黒目がちの瞳を爛々と輝かせて、ペールアは其の場に居る者全員に言った。
「く…っ………例え苦しんで絶命するとしても、私は…わたし、は………っ!!耐えて、みせる……………………!!!!!!!!」
ユイルは苦痛に表情を歪ませながらも、其の尋常ならざる精神力で必死に耐え抜いた。
「はぁぁ〜っ???何故?何故ですかぁ??苦しいのに耐える?馬鹿なんじゃないですかぁ??………苦しめ、苦しみなさい!!!悲鳴を上げて、醜く叫べばいい!!!!!叫べ!!叫べ!!貴女の甘美な叫び声を私に聞かせてよぉぉッ!!!!!!!!!!」
ペールアは心底不愉快そうに歪ませた後、更に大きく両目を見開かせてユイルに迫る。
「女神ペールア……ラショー…っ、私は、貴女になんか屈服しない!!私は、貴女の様な狂った存在の思い通りにはならない!!!!!」
ユイルは持てるだけの力を振り絞って、忍ばせていた短剣をペールアの顔へ向けて一気に投げ付けた。
「うっ」
惜しくも顔には当たらなかったものの、ユイルが投げた短剣はペールアの喉元に刺さり、彼女の口から血が零れ落ちた。
「……かはっ、あ、よくも、死にかけの分、際…で」
ペールアは思わぬ致命傷を負ったが、喉元に刺さった短剣を炎で溶かし、そして血を吐き出すと煙の様に消えてしまった。
そしてペールアが消えるのと同時に、ユイルはゆっくりと倒れた。
「ユイルさんっ!!!!」
「ユイルねーちゃ………っ、教官っ!!」
ぐったりとするユイルの身体をレミエとオディムの二人が抱き起こして、支える。
「う……ああ…すみません……ちょっと、無理しちゃった…みたい…………」
「ユイルさん…っ」
「あ…あはは、レミエさん…駄目ですよ?そんなに力を使ったら……助ける事も、戦う事も、出来なく…なっちゃいます……………」
ユイルは泣きじゃくるレミエを、まるで不安で泣く幼子を宥める様に微笑んだ。
「っなんでだよぉ…っ……!!さっきまで教官らしい事言ってたくせに………!!」
こんな呆気無い最期。
オディムの言葉が心の底からの悔しさを滲ませる。
「ふふ…オディム…私がいなくったって、しっかりやるんですよ……………………」
ユイルの心は、オディムにもちゃんと向けられた。勿論、傍で手を握り締めているサフィーにも。
(ああ……眩しい…此の先が………きっと…………)
幾許も無い命で、意識が近く、遠く。過去と未来が交錯する様に揺れる中、ユイルは目映さの中に救いを見詰める。
ーー最期に。せめて最期に言葉を遺さなくては。
ーーゆっくりと、か細く、震える其の唇を懸命に動かす。
「レミ…エ、さん………、復讐者さん達も…どうか、ご武運を祈ります……!!!」
彼女の最期の言葉は、たった其の一言だけだった。
ユイルは友を庇い、守り、そして女神の炎の犠牲になった。
そして彼女は絶命し、友の前で其の息を絶やした。
限り無い大きな精神力を以て、
最期まで友であるレミエの事を想って。
「ユイルさんっ!!!ユイル……………さん………」
レミエの悲しみは息絶えたユイルにはもう届かない。
「御免なさい………ユイルさん…御免なさい………!!!あぁぁぁぁ……………………!!!!!!!!」
彼女が抱き抱える間にも、ユイルの身体から体温は失われてゆく。
「ああ…!!ユイルさん…!!!!」
「…………っ…!!」
傍でユイルの手を握り締めていたサフィーは力無く其の場で絶望し、オディムも無言で其の場に立ち尽くした。
「……………………。」
復讐者、エインの二人もまた突然起こった惨い出来事に対して、何も言う事が出来なかった。
乾いた空の下で虚しく響いた聖女の慟哭は、彼女の悔恨と喪失と共に空気を震わせた。
「あ……ああ、あああ」
物陰に隠れた儘ずっと見届けていたアムルアが、ショックで崩折れる。
強い動揺、恐怖、苦しみ。多くの複雑に絡み合った負の感情が白いアムルアの全身を黒く染めてゆく様だった。
「ゆいるのおねーさんが、しんじゃった」
口からやっと出せた言葉は、語彙の無くも光景を表す言葉。
「赤い髪のめがみ………ぐれんの、魔女の、ペールア…さん」
動揺しながらもアムルアの心は不思議な事に静かな水の様に落ち着いてゆく。
「ペールアさん、ペールアさん。……どうして、変わり果ててしまったの、ですか」
此れ迄のアムルアらしからぬ、丁寧な話し方。
ーー軈て、心が波の絶えた水面の様になった頃。
「…ああ、そうだった。わたしはーー私は…」
何かを思い出した様にアムルアは立ち上がる。
「私は彼との約束を果たさなくてはならない」
復讐者達を他所に、アムルアは何処かへ走り去って行った。




