『Mors』
あと寸前。
あともう少し。
届かない、と諦めるよりも少しでも、と伸ばしたレミエの細い指先。
其れでも届きはせず、炎の花の核に触れるより先にレミエが力尽きようとしている。
(ああ…………………………………………!!)
悔しい、悔しい、とレミエは悔しさの為に涙を溢れさせた。
ーー此の儘力尽きて真っ白で寂しい、虚無の中に落ちるのか。
彼女は無念を心に吐露した。最後まで力になれなかった、皆さん、ユイルさん、ごめんなさい、と。
ぎゅっと瞑った彼女の目から溢れた涙が、重力に反する様に空中を舞う。
核から離れてゆくレミエを、誰かが掴んだ気がした。
力尽き掛ける僅かな所で現れた誰かの白い手。
「……………………!?」
レミエは思わず両目を大きく見開いた。
重なる様に現れた其の手の白さは眩く、そして温かい。
「……………………!!」
レミエはまるで幼い子供の様に縋り付く。
誰なのか分からない其の白い手は、女性と見做すにはあまりにも大きく、男性と見做すには少しばかり細く思えた。
でも、其の力強さは代え難い。
ーー明星が、明星が。瞬く間に尽きかけた力を補い、レミエを導く為に一層強く輝いた。
足下を照らす真っ白な虚無よりも強く、強く、強く。
目映い輝きが、レミエの魂の記憶を呼び覚ましてゆく。
最初のレミエ、
曙光、エフィサの建国神話、ユーディルナに伝わる使命との繋がり、
聖女レメト、
明星に導かれて辿り着いた場所、
信仰していた、明け方の輝き。
(明星さま…)
レミエは光の中に信仰していた存在の姿を幻視する。
ああ、何と嬉しいのだろう。レミエは祝福に祈りを捧げた。ただ、其の小さな欠片の様なものでしか無い自分へ、太古から連なる輝きが力を貸して下さる事を。
心が噛み締める様に其の恩恵を宿している。
そして…明星の祝福によって活力を得、魂の浮力を取り戻したレミエが今度こそ贋者のリンニレースーー炎の花の核へ、手を伸ばす。
(今度こそ、どうか、届いて!!)
伸ばした彼女の手が、核の一部に触れた時。
まるで燃え上がるフレア、電磁の風の様に辺りを吹き飛ばし、空間は爆ぜた。
ーー……………………
ーー………………
ーー…………
ーー……
ーー……。
…………コン、ココン、と陶器質の何かが落ちた音。中は空洞で、割れた音一つしない、不思議な何か。
炎の花の核。此れ迄のものとは異なって、コロコロと丸く、カラカラと寂し気な音が空間を響かせた。
光る砂に似た燐光に導かれる様に、レミエは一筋のか細い光に照らされている其れの元へ歩み出す。
一歩、一歩を踏み出す度彼女の足下は蒼白い夜光に照らされ、非現実の中に己の存在を忘れさせまいと計らってくれている様にも思えて。
燃え上がる炎も、焼け付く様な熱量も、全て静かに途絶えている。
「ペールア…」
落ちた炎の花の核を見詰めて、レミエは第五の女神ペールアの名を呟く。
其の言葉に意味は無い。ただ、咄嗟に、或いは無意識に近い状態で紡がれた名前だった。
寂しそうに揺れる、黒ずんでしまった炎の花の核。
此れが贋者のリンニレースを構成していた本体だと思うと、あんまりな程に寂しい、と彼女は感じた。
「でも…炎の花は、世界に多くの犠牲をもたらしてしまった…」
無論、此の核も例外では無い。
逃げ遅れたか、或いは残った癒都の人間達を動く屍へ変え、更には其れ等を磨り潰して、混ぜて、あの天使を創り出した。
他の所みたいに不規則な炎の雨を降らせはしなかったもののーー
「生命の冒涜は、やはり有るべきでは無かったのです、ペールア」
ペールアの名が漸く意味を持ち始める。
「核に触れて、癒都を何故あんな惨状へ変えたのか、分かりましたよ。…人の命を弄びながら、魂を縛り、死ねなくなった彼等を好きなだけ利用し消費する…生命工場の様なものとして、そして実験を行う為の施設として………兵器として天使を生み出し、より効率の良い形を得ようとして…こんな………」
レミエは暫し俯き、沈黙した。
「…女神なんて、倫理の欠けた狂人と変わらないわ」
静かに、静かに其の瞳に怒りが燃える。
「でもせめて…贋者として生み出された憐れな炎の花、命の冒涜によって生まれた天使達、犠牲になった人達の救いの為に、私が終わらせましょう」
救いとしての死を。
「絶命なさい、贋のリンニレース。絶やしなさい、炎の花。縛り付けてしまったもの全てを、解き放つのです」
レミエが炎の花の核を拾い上げて、ぎゅっと抱き締める様に握った。
ーーレミエが強く願う。あの目映い明星の光が、迷える皆を導いてくれる様に、と。
そしてまた、心象の世界は真っ白に照らされてゆく。
ーー瞼の裏越しに光の放つ明るさを認識してゆく。
「…………あ……ここ…は……………………」
ぱちり、言う程では無くゆっくりとしたものだったがレミエは目を覚ました。
「あ…っ、レミエさん」
「え、ユイ…………ひゃあっ!!?」改めて意識をはっきりとさせると、己の身体がユイルによって抱えられている事に気付き、狼狽える。
「お目覚めですか」
「え、ええ…」
漠然かつ朦朧とした意識の中で聞いていたユイルの話に加え、己の魂の記憶を殆ど思い出している状態だからか、己を抱えるユイルの腕は自分が思った以上に力強く頼りなものだったのだとレミエは痛感する。
「レミエさん!!!!」
サフィーがレミエに飛び付いて、其の身体を抱き締めた。
「ご無事で…良かった…っ…………!!!!!」サフィーの身体は傷だらけにも関わらず、ぽろぽろと涙を流してレミエの無事を喜んでいた。
「サフィーさん」
レミエはサフィーの身体を労る様に肩を撫で、そして其の瞳をしっかりと見る。
「心配させてごめんなさい。ありがとう。でも、あなたの方が傷だらけですよ。身体…大丈夫ですか?」
レミエの心配そうな声に、気にさせてはなるまいと、或いは大丈夫だと言わんばかりに
「はい。少し痛みますが、私…大丈夫です。レミエさん、そしてユイルさんが助けて下さらなかったら、私の身体は今よりも酷くて…無事じゃありませんでした」
落ち着きながら、ゆっくりとサフィーは安堵を混ぜた言葉にして吐露した。
「…そう言えば、」
ふと、エインが内部を隈無く見渡す。
「塔の主である贋者のリンニレースが消えたと同時に、天使の姿も亡骸も、跡形も無く消えましたね」
「あーっ!!」
エインの言葉に続く様にオディムが塔の外を見下ろして叫ぶ。
「あんちゃん!!あれ見てよ!!うろついてたゾンビみたいな奴とかもみんないなくなってる!!!!」
「何?」
ーーオディムの言葉を発端に、復讐者とエイン、そして復讐者の肩に掴まっているエムオルが塔の下の都跡地を見下ろすと、確かに闊歩していた屍者達は皆一斉に消えていた。
まるで最初から何も無かったかの様に。
「…………。」
復讐者はちらり、と塔の或る部分を一瞥する。視線の先には確かに天使の亡骸から流れた血がべったりとこびり付き、白い塔の内部を汚している。
ただ一つ、"天使なんて其処に居なかった"と主張でもするかの様な状態を除けば、確かに此の場所で天使や女神の贋者と戦っていたのだ。
「其れにしても、復讐者、」
エインが復讐者の隣に寄る。
「核であり塔の根幹である炎の花が消滅しているのに、塔が崩壊しないのは奇妙だと思いませんか?」
「ん?そうだな」
「何故でしょうかね」
…そんなエインや復讐者の疑問を、意外な事にレミエが答えた。
「あ…えっと、多分……この塔と復讐者さんの使う力が関係あるのかと思います」
「え?」
「えっと…復讐者さんは「調停者の力」?でしたっけ?とても強い力ではありませんか」
レミエが僅かに拙げに、然しちゃんとした答えをゆっくり伝えてゆく。
「この塔自体、ペールアの産物でしょう。復讐者さんのその力はペールアの力に一番強く対抗出来るんです」
「だけど、あまりにも強くて、制御もそう簡単にはいかないのかと。なので使うと出力が大き過ぎて塔を形作るペールアの力を、炎の花諸共崩してしまうんです、きっと」
レミエは更に続ける。
「塔そのものがペールアの力の塊みたいなものなんじゃないかな、って。だからペールアが現れたんだろうとも思うんです」
確かに。
レミエの言葉を元に振り返ると、塔の中腹部でペールアに遭遇したし、交戦もした。
また此れ迄の戦いの中で復讐者が炎の花や塔の主を消滅させると、確かに塔は崩壊した。
今回はレミエの活躍、及び其の力によって塔の主兼炎の花を消滅させられたからか、塔は彼方此方に亀裂等が入っている所はあれど崩壊までには至らなかった。
「…………………………………………」
復讐者は少し沈黙して、そして一呼吸済ませると、「目的は果たしたからそろそろ塔を出よう」と言った。
今回は負傷者が出てしまったものの、幸いにも塔が崩壊する事は無かった為、ある程度の余裕を持って出る事が出来そうだ、と一行は改めて安堵した。




