『Cum radices putrescant』
「ギャッ」異形のリンニレースの溶けゆく口から小さな悲鳴が出る。
ジュウゥ…と刺した所から硫黄とはまた別の嫌な臭いがレミエの鼻孔に刺さり付く様に漂った。
(ここで引き下がる訳には…!)
レミエは再度、杖を深く刺し込んだ。絶対に引き抜かれる事も、引き抜いてしまう事も無い様にする為に。
「はあああ…………!」
そしてレミエは力を込める。リンニレースの根に刺さる杖を通して、塔の炎の花である異形のリンニレースへ力を送る為に、兎に角込め続ける。
(…、私の力だけでは些か足りない、のでは)
…レミエは此れまでに行使してきた己の力と其の分の消耗を思い出す。
辺りの空気を読み、レミエはふと己の力が及ばずに劣ってしまうのでは、と危惧した。
然し其の程度で諦める程、レミエは弱くは無かった。ーー塔内、ペールアが作り出したとされる"白塔"。此れまで三つ程巡ってきたが、星都に並んで「女神のエーテル」が濃い。
「女神のエーテル」は、レミエが復讐者やエインから聞いた言葉。
彼等による一つの定義的なものだったが、名称の分からぬ力に名を付けて呼ぶ事は特段おかしいものでも無く、割とすんなりと受け入れられた。
(四女神と対峙していた時も女神の廷内、それと女神本体からも特に強いエーテルが溢れていたけれど…白塔は…この塔は……ただ一人の女神のエーテルに、犠牲になった人達の無念のエーテルが淀んでいる………)
癒都白塔は此れまでの三塔の中では「混じりもののエーテル」が明らかに濃かった。
(星都の時は星の乙女の贋者に含まれたペールアのエーテルが最も強くて…でも、あの時少しだけ違ったエーテルを感じたのは…)
レミエは星都での出来事を振り返る。が、今は熟考も考察も叶う程余裕は無い。
ーー故に彼女が取る選択肢は。
「ここにあるエーテルを私の力に変換しますっ…!!」
そう言うと彼女は己の足下に力場を生成し、白塔内部に淀む女神のエーテルを自身の力に変換し始めた。
「流転!!」
淀んだ混じりものが一点に収束してレミエの力へ転化する。
淀みは流転し、清浄な力へ変換される。
力場は常にエーテルを吸収し、彼女の力へ作り変える。
「根比べを始めましょう、リンニレース!!」
レミエの戦意ある声が異形のリンニレースに届く。其の瞬間レミエは杖を通してリンニレースへと癒しの力をありったけ送り込み始めた。
「!?グギャッ、ガっ、ア!!ア!!ア!!!」
…どうやら異形のリンニレースは怪物の鳴き声を上げながらレミエから送り込まれる癒しの力に苦痛を感じている様だ。
根深く刺さったレミエの杖を抜こうと必死に動き暴れている。
異形のリンニレースの動きに変化があった事に気付き、復讐者はレミエの方を見る。
そしてレミエの動きを見てか、復讐者は動きを変えてリンニレースからヘイトを集めながらもレミエの動きに注視していた。
「そう簡単に逃げ延ばさない…っ、です」
レミエは異形のリンニレースが暴れる毎に更に力を強く送り、杖を握る手に力が入る。
「ギャッ、ギャッ、ヒィ…ハヮ、ア゛、ゥ゛ア、ギャ、ヒィ、ヒィッ゛」
杖を引き抜けないと分かるや、異形のリンニレースも再生の力を行使しレミエの力に対抗し始める。
「!!…っ、あなたの対抗になんか、負けない…っ!」レミエは押し返される様な感覚と戦いながら、負けじと力を送り続けた。
己の足元の円陣が淀み滞るエーテルを澄んだ力へ転換し続ける。
だが実際には供給よりも消費の方がずっと早く、力比べによる負担もあってレミエ自身の身体に少しずつのし掛かってゆく。
(神経回路に、傷が付く前にーー!!)
己の力の神経が焼き切れてしまう前に決着を付けなくては、とレミエは強く強く杖を握り締めた。
「まだまだ…!!はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
カッ!!と一段と強く輝きが放たれる。
「ギャッアァァァ!!ヒィ、ヒィ゛……フ゛、フフ゛、ハヮ゛、ァ゛、ギャ、グガ…ァ」
ごぽりごぽりと落ちる液状化した熱い金属が、レミエの腕にぼたりと落ちた。
「!!っくう………ぅっ!!!!」
ジュワァァァ、と服を溶かし、レミエの片腕に大きな火傷を作り出す。
其の瞬間、ばつん!と彼女の中で切れる音がした。ーー神経だ。力と結び付いた神経回路の一つが火傷の損傷によって切れてしまったのだ。
「あっ…!!」
自身の力を通す為の腕に通っていたマナの神経回路が途切れてしまい、杖を通して異形のリンニレースへ送る癒しの力が弱まってしまった。
(不味い…事に……)
もしも今の様な事があればリンニレースを枯らす前に自分が命を落としてしまうだろう。そうなってしまったら、もう術は無い。
何故ならば此れ迄に攻略した塔の炎の花よりも明らかに大きく、更に意思を有している。ーー此れが何を意味しているか、明らかに異質な其れを見て復讐者もレミエも漠然とした感覚ながら悟っていた。
復讐者の持つ「調停の力」が通用する可能性は、今回ばかりは否定せざるを得ない状況にあった。
ーー塔の途中で出会ったペールアの事もあって、調停の力への信頼が少し揺らいだからだ。
調停。
急に居なくなったニイスと入れ違う形で彼が得た力。
ーー此の力について、とある白塔攻略の後少し経って、リプレサリアの中庭で彼から直接打ち明けられた事を思い出す。
「絶大な効果があるとは言え完全に扱い切れていない」と復讐者は或る日、そう語った。その時の複雑そうな表情をレミエは火傷に耐えながら振り返る。
何より、邂逅前にペールアが目の前の異形に何かしら施している可能性は大いに有り得る。其の証拠が意思を持ち、独自に動き、女神リンニレースとして振る舞っていた事。
ーーそう。
もしもペールアが高等な防御を目の前の異形に貼り付けていたとしたら。
表面からの攻撃には恐らく強いだろう。
杖を刺したのが根の方だったから、実際そうなのかは分からないけれど…ーー
だからこそ内側から破壊する、と選択したのだから。
(だけど回路が一つ焼き切られてしまったからーーっく…!!)
更に負荷の掛かる回路から伝わるリンニレースの怒り。
「イヤっいヤアッイやっいやッ」
其の様は必死に抵抗している振る舞いだが、実際は怒りでレミエを内部から焼き殺さんとしている。
「くうう…っ」
レミエは杖を握り締める。例え其の手に血が滲み出ようと。
「負ける………ものですかあぁっ……………………!!!!!!!!」
ーーレミエの身体から強い輝きが発される。
目映い輝きは異形の目を眩ませた。彼女の出せる限りの生命の力が異形を内側から傷付ける。
ーー視界が捉える世界が白く染まる中、レミエは脈打つ赤い核を見た。
其れが炎の花の心臓だと確信し、レミエは手を伸ばす。
(届いて……)
…でも、あと僅かで届かない。よくある物語の様に、寸分で届かないなんて、と彼女は心の中で皮肉を吐き捨てた。
だけど彼女は伸ばした手を引き込めたりしないで、伸ばし続ける。
ーー其の手に重なる様に、誰かの白い手が現れた。




