十章「焦燥」
「もう行くのか」爽がゆっくりとベンチから立ち上がり夏葵に聞いてくる。
「うん。寮の手続きもあるしもう行くよ」
「わざわざ来なくても良かったのに」
夏葵は笑った。
「心配だったんだよ。お前が切符買い間違えてないかとか、乗る電車間違えてないかとか」
爽の必死な様子に夏葵は思わず笑ってしまった。
「お前俺を一体いくつだと思ってんだよ」
夏葵が軽く爽を睨むと爽が
「少なくとも大学生には見えないな」
とニヤニヤしながら答えたので夏葵は「真剣に答えるな」
と反論した。
爽は夏葵に近づき髪に触れた。
そのまま優しく頭を撫でてくる。
「悪い。いつも葉月にやる癖で。嫌だったか?」
爽が手を離そうとしたので夏葵は慌てて爽の手を自分の頭に添えた。
「夏…」
爽が少し驚いたような目をしている。
「いいんだ」
夏葵は爽の手に自分の手を絡ませる。
「この手が好きなんだ」
「爽のあったかくて優しい手が大好き」
爽は照れたような顔になって夢中で夏葵を抱きしめた。
出発の時間が近づく。
夏葵は名残惜しそうに爽からゆっくりと身体を離した。
『離れたくない』
そう思った。
『やっと伝えられたのに…』
『初めから分かっていたことだ…分かってて爽に告白した』
『でも…』
「東京に着いたら連絡するよ」
夏葵は慌てて爽に背を向けた。
今振り返ってしまえば前に進めない。
それに…振り返ればきっと爽への想いが溢れてしまうから。
電車のドアが開く。
夏葵が一歩踏み出そうとした瞬間、突然爽の声が響いた。
「夏葵っ、お前に先に好きって言われたから今度は俺がお前を迎えに行く」
「だからお前は安心して頑張って来い」
電車のドアが閉まる。
夏葵は急いで振り返ったが爽は夏葵に背を向け駅のホームを後にする。
夏葵は込み上げてくる感情を何とか堪えた。
『俺はお前を想い続ける』
『だってお前は迎えに来てくれるんだろ?』
夏葵は車窓に目を移して一言呟いた。
「せいぜい期待しないで待ってるよ」
電車は夏葵を乗せて静かに街を発った。




