エピローグ
燃えるような夕暮れの中、力強く根を張る一本の木に手を触れる。木はひんやりとしていて、とても心地が良い。冷たさに惹かれるように額をつけると、何処からか声が聞こえてきた。懐かしい、まだ子供だった頃の僕達の声が。
遠くから聞こえる足音。それは一つではない。真っ直ぐにこっちへと向かってくる。じっと音のする方をみつめる。
木々の隙間から姿を現したのは、僕の友人だった。毎年欠かさず来てくれている。
あれから八年。今日は僕の八回目の命日。時間が過ぎるのはとても早い。皆はもう二十四、五歳。僕は永遠に十七歳だ。
八年前と比べて、太陽くんは少し背が伸びた。顔も随分大人になった。声も少し低くなった。彼は言っていた通り、お店を継いだ。若いながらに店長を務めており、島での評判はとても良いらしい。
夕くんはかなり背が伸びた。ガタイも良くなっている。彼は島の消防団に入った。元から人助けをするのがモットーだったから、彼らしい選択だと思った。そんな彼だから、猫も恩返しに来たのだと思っている。
冬花ちゃんはずっと可愛らしくなった。最近は髪も伸ばしているらしい。彼女ならどんな髪型だって似合うだろう。そんな彼女は今、島の介護施設で働いている。面倒見が良く、笑顔が素敵だから、誰からも人気があるそうだ。
唯一、あれから一度もここを訪れていない人がいる。月子ちゃんだ。
月子ちゃんは島から出た。大学・大学院に進むために。彼女は医者になりたいらしい。僕のように、若くして癌で亡くなる人をなくしたいからだと聞いた。優しい彼女にぴったりだと思った。
医者になろうと思えば、並大抵の努力じゃ足りない。試験は難しいから浪人や留年なんて普通のこと。でも、彼女は持ち前の努力で現役合格し、そして今年の春、大学院を現役卒業した。それすらも彼女らしくて、自然と笑みが零れてしまう。今は本島のとある病院で医者として活躍している。
だから、今年はきっと。
再び遠くから聞こえる足音。期待を胸にただ一点をみつめた。そこに現れたのは月子ちゃんだった。
久しぶりに会う彼女は、とても綺麗になっていた。八年前と変わらない、長くて黒い髪が、彼女の美しさをより一層引き立てている。
ようやく全員揃った。
「久しぶり」
「また髪伸びたな」
「伸ばそうが切ろうが私の勝手でしょ」
「はいはい。そうですね」
そこには八年の空白なんてまるでなかった。昔と変わらない。容姿が変わっても、一緒にいられる時間が短くなっても、皆は何一つ変わらなかった。それに安心した。
人は成長し変わっていく。だから、皆も変わってしまうのではないかと心配だった。結局、杞憂だったのだけど。
「月子、仕事の方はどうだ?」
「毎日大変よ。おかげで睡眠不足。でも嫌ではないわ。この仕事を選んで良かったと思ってる」
彼女がそう言うのだからそうなのだろう。自分の仕事に誇りを持てるのはとても良いことだ。
もしも僕が生きていたら、何をしていたのだろう。あのときは夢なんてなかった。自分が働く姿なんて思い描かなかった。普通に店で働いていたのかな。それとも漁師かな。思いつかないな。そういえば、小学生の頃、まだ死ぬなんて考えたこともなかった頃、学校の先生に憧れていた。だから、もしかしたら先生になっていたかもしれないね。そうだとしたら、月子ちゃんと一緒に島を出ていたのかな。でも月子ちゃんは、僕が死んだから医者を目指した。じゃあ、僕一人で島を出ていたのかな。
こうやって、ありえたかもしれない過去や未来を想像するのは案外楽しい。それはきっと、想像の中に皆がいるから。彼らがいればそれだけで楽しいのだ。それに想像するならタダだからね。
「ねえ、明るいうちにやっておこうよ」
「そうね」
皆が鞄から取り出したのは封筒。それは僕が彼らに遺したもの。
僕は日記に皆宛てとそれぞれに宛てた手紙を挟んでおいた。僕が死んだ後にみつけてもらうために。予定通り、その手紙は後から発見された。そしてここからは賭けだったのだけど、手紙には少し悪戯をした。皆宛ての手紙にはこう書いた。
『それぞれに宛てた手紙は中身をシャッフルしました。なので、いつの日か再び皆が三日月島に集まったときに交換してください』
もしも皆が先に自分宛ての手紙を見てしまったら成立しないものだった。今、こうやって交換しているということは、僕は賭けに勝てたらしい。良かった。
封筒の中から一回り小さい封筒を取り出した。それが渡してもらいたい手紙だ。
シャッフルの内訳はこうだ。
「俺のは、太陽のだな」
夕くんの中身は太陽くん。
「私のは、冬花のね」
月子ちゃんの中身は冬花ちゃん。
「私のは、夕ね」
冬花ちゃんの中身が太陽くん。
「俺のは、月子だな」
太陽くんの中身が月子ちゃん。
ちゃんと意味があるんだよ。皆ならきっと気が付いてくれる。
「何だこれ」
太陽くんが出した紙に書かれていたのは『お』『星』『で』
「私のも同じような感じよ」
月子ちゃんの手にも『空』『ま』『う』と書かれた紙。同じように夕くんには『会』『下』冬花ちゃんには『ね』『の』『た』と書かれた紙を入れた。
僕からの正真正銘、最初で最後のクイズだよ。
「並び替えろってことだよな」
「そうみたいね」
「でもどんな?」
「適当に並べてみるか?」
「いや、どうせならちゃんとした答え方でやろう」
こういうとき、太陽くんは成功法で行くよね。病院脱走はそうだと言えないけど。僕としては、あの計画を立ててくれて嬉しかったよ。ありがとう。
「ちゃんとした解き方があるはずよ」
「わかっていることと言えば、中身が入れ替わっていたことと誰に誰のが入っていたのかということだけだね」
皆が意見を出し合う中、夕くんだけは一人紙と睨めっこしている。もしかして、本当にただ順番に並べていって解くつもりじゃないよね。少し不安になるな。
「なあ、何でわざわざ入れ替えたのかな」
紙を凝視しながら夕くんが呟いた。その一言で全員が頭にはてなを浮かべた。夕くん、良いところに気が付いたね。
「もしかして、順番に関係があるんじゃねえのか」
そう言って携帯を取り出し、メモ機能に中身の内訳を書いた。
「これでわかると思うけど、誰一人交換をしていないんだ。だから、誰が誰にというのを、一つながりになるように並べてみた。そしたらこうなる」
メモには『冬花→夕→太陽→月子→冬花』と書かれている。
「一周するということは、必ず始まりがあるはずなんだ。それで、この並び順を見たときにわかったんだ。名前の一番最初の文字であいうえお順になってるって」
推理をしながらメモに順番を書いていく夕くん。やっぱり夕くんだ。こういうのを任せたらピカイチ。柔軟な発想を持っているからこその推理だね。
新たに書かれた順番はこうだ。
『たいよう→つきこ→ふゆか→ゆう』
「後はこの順番で持っている紙を並べればいいのだが、その紙の順番がわからない」
もう少し。もう少しだから頑張って。ほら、他に気になるものはない?目の前のことにだけ囚われないで。もう少し周りを見ればわかるはずだよ。
僕の気持ちが通じたのか、月子ちゃんが辺りをきょろきょろし始めた。そして、みつけた。
「ねえ、交換前に入っていた封筒に何かないかしら」
「確かに、気になってはいたんだ。何で二重封筒にしたのかって」
「見てみよう」
冬花ちゃんの声で一斉に自分の名前が書かれた空の封筒を覗き始める。
「何か書いてあるよ」
今度は封筒を破り始めた。もう答えはすぐそこだよ。
「星1、で2、お3。これだ。この数字同士で集めて、先の順番に並べればいいんだ」
太陽くんの言う通りに、文字を集め順番に並べていく。すると一つの文章が出来上がった。皆は声をそろえて読み上げた。
「星空の下でまた会おうね」
言い終わると同時に一斉に空を見上げた。そこには決して変わらない美しい空が広がっていた。
実は来る時間帯も計算であって賭けだったんだよ。手紙を交換するとなれば、きっと明るいうちに来る。でも僕が指定した場所は三日月島。だから皆、星を見てから帰ると思ったんだ。そうとなれば来るのは大体夕方頃。夕方だったら、暗くなるまでの時間を、これで潰せると思ったんだ。思った通り、皆が集まったのは夕方だった。全部、僕の思った通りになった。
答えはもちろん正解。もしも全然わからなかったらどうしようかと思ったよ。
一歩。また一歩と皆から離れていく。これで本当に思い残すことはないよ。この問題は、ただ僕が成長した皆と会いたくて作ったもの。皆がその後どうしたのか知りたくて作ったもの。皆と星を見たくて作ったもの。全部僕の勝手な願い。死ぬ前から一時的に幽霊希望だっただなんておかしいよね。おかしくても良いんだ。僕が死んだ後も皆がちゃんと生きていることを知れるのなら、それだけで良かった。
僕は幽霊を卒業する。
その先で僕はどうなるのかな。生まれ変わるのかな。もしも選択制なら、ずっと皆を待っていたいな。そして、皆と再会出来たらまた一緒に遊びたいな。一緒にいたいな。一緒に星を見たいな。
「約束だよ」
僕は夜風と共に、満天の星空へと消えていった。
優しい風が俺達の髪を揺らした。その瞬間、雫の声が聞こえたような気がして後ろを振り返った。けれど、当然のことながらそこには誰もいなかった。代わりに以前よりも太さを増した木が立っているだけだった。
木に呼ばれるかのように近付き、そこに額を当てた。すると、何処からか声が聞こえてきた。木には木霊というものが宿っているらしい。きっとその声だ。声は懐かしくて、昔の俺達のようにも聞こえた。
『約束だよ』
雫の声でそう聞こえた。
「約束だ」
俺がそう答えると、声は聞こえなくなった。自然と笑みが零れ、振り返ってこう言った。
「いつかまた、ここでこの空を見よう」
それは、俺達が紡ぐ、煌めくような未来の物語。




