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星降る夜に、僕らの願い  作者: 碧咲明葉
5/7

第四話 星空に願いを込めて

 1



 七月二十六日。俺は皆を部屋に呼んだ。午後には雫のお見舞いに行く予定なので、午前中の間に話を済ませなければならない。夏休みに入っているからこそ出来ることだ。

 全員が集まったのは十時頃だった。見た目こそ涼しそう恰好をしているが、もうすぐ八月ということもありとても暑い。一部屋に四人もいればなおさらだ。窓を開けても全く風が入り込まないので、やむをえずクーラーの電源を入れた。冷気が部屋に広がり、先程よりも居心地が良くなった。一段落したところで、俺は話を切り出した。

 「話っていうのは、雫のことだ」

 予想通りだという表情の中には、僅かな恐怖心が見受けられる。俺の口調などから、良いことではないと確信しているからだろう。その予想は当たっている。今から話そうとしているのは、彼に関する悪いことの仮説なのだから。六つの瞳が俺に集中する。深呼吸を一度して、口を開いた。

 「雫の容態は、俺達が思っている以上に深刻な状態にまで来ているかもしれない」

 「どうしてそう思うの?」

 月子は動揺することなく質問をぶつけてきた。もしかしたら、彼女も気が付いているのかもしれない。俺の考えを聞いて、自分と同じ答えなのか確かめようとしているのだろう。単純に動揺を隠しているだけかもしれないが。

 「これはほぼ確信に近い仮説なのだけど、昨日の祭りで雫は何も口にしていなかった。昨日だけじゃない。ここ最近ずっとだ。あいつが何かを食べている姿を見ることが極端に減った。それで思ったんだ。もしかしたら、あいつは食事を摂れなくなったんじゃないかって。それが正しければ、何もかも納得がいく。それしか考えられない」

 昨日、車椅子を押したときに、俺の中でこの考えが固まった。急に、格段に軽くなった。ほぼ毎日見ているから気が付かなかったが、彼が倒れた頃と比べるとその変化は一目瞭然だ。やせ細ったその姿は見るのも辛い。あの日から二ヶ月が経った。俺達に残された時間は一ヶ月。病気側からしたら順調に喰っているところなのだろう。もしかしたら、一ヶ月もしないうちにと言う可能性だって充分にあるのだ。いよいよ、俺達には時間が無くなった。

 「私も、太陽と同じ意見よ」

 「そうか」

 重い一言。夕と冬花の口は堅く閉ざされたままだ。その瞳を見る限り、二人も同じように疑っていたみたいだ。雫のことだから、また心配をかける、とでも思っているのだろう。でも、だからこそ心配になるのだ。何も言わない彼が窶れていく姿を見続けているのだから。

 今にも崩れそうな崖の淵に立ち、笑顔を浮かべている彼。危ない、と俺達が手を伸ばしても彼は拒み続ける。日に日に罅割れていく崖。いつ崩れ落ちるのかも、その下に何が待っているのかも俺達にはわからない。けれど、決して良いものではないのは確かだ。落ちたら最後、再び上に戻ってくる手段がないのだから。

 「わかってると思うが、もう時間がないんだ」

 幾度となく心で反響させた言葉。口に出すと一層重みが増す。誰の顔にも負の感情が見える。連想される結末は誰だって同じなのだ。

 「それで、太陽はどうしたいの?わざわざ口に出すということは、それを踏まえたうえで何かやりたいことがあるということでしょ?」

 真っ直ぐに俺を捉えている月子。彼女はここまで見越していたようだった。だから俺も、回りくどいことは言わずに直球で言うことにした。

 「俺は、前に夕が言っていたように島の外へ行きたい」

 「気持ちはわかるよ。でもどうして?何処に行きたいの?」

 ここに来て初めて声を発した冬花。その声から感じるのは純粋な疑問。

 「三日月島だ」

 俺がそう言えば、皆は豆鉄砲を食らったかのような顔をした。それもそのはず、三日月島は俺達にとって、とても大切な場所。あの星空を見た島なのだから。

 傍らに置いてあった新聞紙を手に取り机に広げる。新聞紙には大きく赤ペンで丸がされてある。そこを指さし、俺は話を続けた。

 「ペルセウス座流星群。毎年これくらいの時期から来月の二十日ぐらいまで見ることが出来る。極大は来月十三日頃。でも、今年は例年とは違う。日付こそは定まっていないが、来月中旬に例年の何倍もの流星群が北の空で見ることが出来る。つまり、三日月島のあの丘で星を見ることが出来るんだ」

 約束を果たしにいこう。


 *


 あれは小学三年生のときだった。俺達五家族で三日月島に旅行に行った。

 三日月島は満月島から北に三十キロメートル行ったところにある。名前の由来は、同じくその形から来ている。島はいわゆる自然体験キャンプ場となっており、様々な体験ができる。夏休みの自由研究のために行く人が多く、俺達もその一人だった。

 俺達は特別何かに申し込んだわけではなく、バーベキューをしたり島の中を散策したりしていた。自由に探検をして見たものを起用して欲しいからだそうだ。但し、森の奥には行かないこと。それが条件だった。

 木々にはクワガタやカブトムシが止まっている。満月島よりも大きな虫が、その他にも沢山いる。流れる川も汚れなんて何処にも見られない。まさしく自然。

 「ねえ、夕は?」

 冬花の一言で辺りを見渡すが、夕の姿は何処にもない。先に戻ったのかと思い、俺と雫で見に行ったがいなかった。じゃあトイレだろうか。そこにも夕の姿はなかった。

 「もしかして、森の奥に行ったんじゃないかな」

 ありえる。夕のことだから、ほんの少し興味をそそるものを見てしまったら条件なんて飛んで行ってしまう。この頃から夕の好奇心旺盛っぷりは何一つ変わっていない。

 捜しに行きたいのは山々だが、一体どのあたりから入り込んだのかがわからない。それに、まだ違うところにいるという可能性だって残っている。不用意に入って行けない。どうしようかと立ち尽くしていたときだった。

 「おい、ちょっとこっち来てみろよ!」

 突然前方から現れたのは、紛れもなく夕だった。俺達が捜していただなんて全く思っていないのだろう。凄い笑顔だ。

 「夕!森の奥には入ったらダメって言ったじゃない!」

 「そうだっけ。とにかくこっち来てみろって!すげえ場所みつけたんだ」

 そう言って冬花の手を引いて走っていく夕。遅れまいと俺達も後に続いた。

 数分後、辿り着いたのは大きな木が一本生えた小高い丘だった。登ってみれば、キラキラと輝く海と手を伸ばせば届きそうな青い空が広がっていた。

 「凄く綺麗」

 「うん。綺麗」

 「だろ!」

 約束を破ったのは悪いことだが、これを見れたのだから内緒にしておこう。そう思った矢先だった。彼が再び問題発言をしたのは。

 「ここで星を見たら、絶対綺麗だと思うんだ!だから、夜中に抜け出してここで星を見ようぜ!」

 爆弾投下。流石にそれはまずいだろ。夜なんて暗くて危ないし、万が一にでもバレたら折角の旅行がお説教で終わってしまう。だから、皆反対するかと思ったのだが。

 「良いじゃん!」

 「確かに、それは楽しそうね」

 「良いと思う」

 俺以外、全員賛成だった。こういうときに、俺は意見が違うんだよな。まあ、確かに楽しそうだし綺麗だろうけどよ。やっぱり夜道だからな。

 「懐中電灯持って、走れば直ぐ着くしな」

 それなら危なくはないか。いや、危ないのだけど安全性は増すだろ。

 「太陽は?」

 「俺が行かなかったら困るだろ?」

 「よし、じゃあ決定!」

 俺はつくづく彼らに甘いらしい。結局は自分も行きたいという気持ちが勝ってしまい、夜の二時に『キャンプ場』と書かれた看板に集合となった。



 一時五十分。目覚ましを過去最速のスピードで止めた。幸い、他に起きた人はいない。掛け布団の中に隠していた懐中電灯を手に取り、物音を立てないように慎重に動き、外へと飛び出した。看板には全員ほぼ同時に到着した。

 それぞれが懐中電灯に灯りをともし、一斉に走り出した。

 「速く、速く!」

 「ちょっと待ってよ!」

 足元に絡まる木の根。何度も転びそうになるのを持ちこたえて、俺達は必死に走った。夜の森は暗く、時折聞こえてくるフクロウの鳴き声が不気味さを演出している。しかし、生憎俺達はそんなことに構っている暇はない。

 「もうすぐだから頑張って!」

 「見えてきた!」

 森を抜けると、昼間と同じ木と丘。

 「着いた。この丘だ」

 迷うことなく来れて良かった。もし迷ったりしたら、それこそ大迷惑だ。

 「まだ上を見るなよ」

 「わかってるわよ」

 懐中電灯の電源を切る。それに伴い、転ぶといけないので手を繋ぎ、俯きながら、ゆっくりと丘を登っていく。ようやく頂上に着き、下を見たまま屈みこみ目を瞑って寝転がった。勿論、手は繋いだままだ。

 「せーので開けるぞ」

 一拍置いて、夕が声をかける。

 「せーの!」

 次の瞬間、俺達の瞳が映したのは昼間の何十倍も美しい空だった。キラキラと輝く数多の星々。星座も沢山あったのだろうが、当時の俺は夏の大三角なるものがあることぐらいか知らなかった。寧ろ、そうだったからこそ純粋に楽しめたのかもしれない。

 「綺麗」

 「こんな沢山の星、見たことない」

 「スゲー」

 「なあ」

 俺の呼びかけに皆が反応する。それは考えて言ったものではなく、自然と出て来た言葉だった。それでも口は動く。

 「いつかまた、ここでこの空を見よう」

 一瞬の静寂。

 「いいね、それ!」

 冬花が飛び起き、それに続いて夕も飛び起きた。

 「絶対だからな!」

 その後、もうしばらくの間、星を鑑賞してから来た時と同じようにしてテントに戻った。奇跡的に誰も親にみつかることはなかった。だから、俺達があの丘で星を見たことを知っているのは、俺達だけだ。俺達の秘密。俺達の秘密の約束。

 忘れたことはない。忘れられない一生の思い出。

 交わした約束は永遠の輝きではない。


 *


 あの日見た空をもう一度見ることが出来る。もしかしたら、それ以上の空を見れるかもしれない。だったら、行かないわけにはいかない。直感的にそう思った。これが最後のチャンス。最後にして最大のチャンス。逃したくない。

 「雫のことだって考えた。島には医師同伴で行く。星を見るときだけは離れてもらうようにお願いする。それなら行くことも可能だと思うんだ。病院は病人を運べるだけの船を持っている。だから、大丈夫と思うんだ。ダメか?」

 沈黙が訪れる。皆が皆、難しい顔をしている。こんなの無謀だと、自分でもちゃんとわかっている。でも、この星を見なかったらきっと一生後悔する。見ておけば良かったって。だから、どうしても行きたい。

 「正直」

 ずっと頑なに口を閉ざしていた夕が、ついに口を開いた。

 「俺も、その記事を見たとき太陽と同じことを思った。最後の思い出として、星を見て、あの日の約束を果たしたいって」

 面食らっている俺に優しく笑みを溢した。反対されるかと思った。

 「私も、賛成。だって、約束したもんね。また見ようねって」

 冬花も賛成してくれた。残すは月子の意見だけだ。

 「月子は?」

 「難しいと思う」

 真剣な眼差し。彼女は続ける。

 「でも、私だって、あの空は忘れられない大切な思い出。大切な約束。だから、私もあの場所でもう一度星が見たい」

 満場一致だった。最初の月子の一言を聞いたときは、本気で反対されると思った。色々な面からダメだと、危険だと、そのようなことを言われるものだと思った。きっと、頭の中にそれがあったから難しいと言ったのだろう。それでも、約束の方を選んでくれたことが嬉しかった。勿論、それは全員に言えることなのだが。

 「ありがとう」

 「じゃあ、早速このことを伝えに行こうぜ!」

 「そうね」

 全員が立ち上がったとき、俺の携帯電話が鳴った。表示されている名前を見ると、朝子さんからだった。

 嫌な予感がする。それでも、俺は電話に出た。恐る恐る耳に当てる。皆が注目している。

 「はい、もしもし」

 伝えられた言葉は余りにも衝撃的で、その反面、心の何処かで予想されていたことでもあった。掠れた声で言われたことを繰り返した。

 「雫が、意識不明?」

 現実はそう甘くない。



 2



 病室に駆けつけたとき、既に医師達の姿はなく朝子さんと雫しかいなかった。

 意識不明とされた彼は見ている分には普通に寝ているようにしか見えない。とても昨日まであんなに笑っていたとは思えない。一日も経っていない。それだけの時間で大きな変化。

 「皆、ごめんなさいね」

 「朝子さん、少し休んだ方が良いわ」

 「でも」

 「雫のことは私達に任せてください」

 「わかったわ。お願いするわね」

 いつも俺達が来ているときは席をはずしてくれている朝子さん。彼女の目には大きなクマが出来ていた。きっと、俺達が来る前や夜なんかにずっと起きて付き添っているのだろう。月子の判断は正しい。

 「これで、さっきの話は白紙よ」

 「まだわかんねえだろうが」

 「そうね」

 俺は信じている。雫は目を覚ます。このまま死ぬなんて、絶対に嫌だ。昨日から時が止まったままだなんて、絶対に信じない。また話が出来る。またあの笑顔が見れる。大丈夫だ。信じて待てば、雫は答えてくれる。ただの暗示かもしれない。それでも、悲観的に考えるよりはずっと良い筈だ。

 宣告された期限は後一ヶ月。でも実際の所、俺達は後どれくらい一緒にいられるのだろうか。彼を見ていると一ヶ月もないのではないかと思ってしまう。だって、余命なんてものは大体のモノでしかない。確実に生きていられる日数ではないのだ。それよりも長いこともあれば、短いことだってある。結局はわからないのだ。

 やっぱり、俺は矛盾している。悲観的な部分が、徐々に侵食して行って、やがて全部を飲み込んでしまうのではないだろうか、という不安が付き纏って仕方がない。怖い。自分の心も何もかも。

 ふと手に感じる温もり。見ると、冬花が手を握ってくれていた。

 「大丈夫。誰も負けない」

 俺の心がわかったのだろう。強く堅い言葉だった。

 そうだ。俺がこんなんでどうするんだ。

 「ありがとな」

 早く目を覚ましてくれ。

 だが懇願するものほど、中々叶わないものだ。


 その日から俺達は交代で泊まり込むことにした。少しでも雫の家族が楽になれば、そう思ったからだ。

 雫が意識不明になってから二週間と二日。八月十一日の今日は俺が泊まる日だ。

 今日のニュースで、例のペルセウス座流星群が見られるのが十四日だということがわかった。ここからでも見られるだろうか。行くのはもう不可能に近い。雫だっていつ目を覚ますのかわからない。ただ時間だけが過ぎていく。タイムリミットとされている日も遠くない。着実に、その足音は迫ってきている。

 せめて、星だけでも一緒に見ることは出来ないだろうか。三日月島程ではないが、満月島でだって綺麗な星空は見える。一番はあの丘で見ることだが、最悪、見られるだけで幸せなのかもしれない。

 星が不可解な瞬きを見せた。そう思ったら、スッと夜空を駆けていった。シーズンということもあり、最近は流れ星をよく見かける。

 『流れ星が消えるまでに願い事を三回唱えれば願いが叶う』

 誰でも知っている話だ。それで願いが叶えば苦労しない。御尤もな意見だ。実際にそれで願いが叶った人はいるのだろうか。少なくとも俺はそんな人を知らない。だからただのおとぎ話にしか思えない。

 しかし、今はおとぎ話でさえ信じようと思う。

 再び見えた、一つの閃光。その刹那、願いを唱えた。

 「皆で星が見たい、皆で星が見たい、皆で星が見たい」

 願わくは、あの丘で。

 言い終えたと同時に光も消えた。ちゃんと呂律が回っていたかどうか怪しいところだけど、この声が届いたのならば、是非叶えて欲しい。俺達がやり残したことはそれだけなんだ。だから、お願いだから、この声を聞き入れてください。

 その夜は、星を見ている間に眠りについてしまった。

 「ありがとう」

 だから、彼の言葉など聞いているはずもなかった。


 *


 翌日、十二日。

 昼間はいつものように皆で雫の病室にいる。しかし、俺達の会話は日が経てば経つほど減っていく。まるで、彼が搬送された直後の頃のように。

 それでも俺達が考えていることは同じらしく、何度も何度もまだ青い空を眺めている。

 「やっぱり、星を見に行こう」

 自分が言ったにも拘らず、最初は何を言っているのかわからなかった。でも、意味のない言葉ではない。言葉には絶対に感情が隠れている。その人が考えていることが乗っている。だから、これも意味のある言葉だ。

 「日付なんて、流星群なんて、拘らない。ただ、皆で三日月島で星が見たい。諦めたくない」

 三日月島で星を見る。それだけで充分だと、ようやく気が付いた。充分すぎる我儘だ。

 「俺だって、諦めたくねえよ」

 「私も諦めたくない」

 前回と同じ流れ。残すは月子だけだ。

 「私は反対よ」

 そうだと思った。前回はまだ雫の意識があった。完全でなくても元気だった。だから月子は許可したのだ。自分の気持ちを優先に出来たのだ。でも今は違う。何故なら俺達のやろうとしていることは正気の沙汰ではないのだから。

 「考えてみなさいよ。どれだけ雫に負担がかかると思っているの?そんなの雫をより苦しめるだけ。その姿を見るくらいなら、私は諦めるべきだと思うの」

 「本当にそれでいいのかよ」

 「じゃあ太陽はいいの?雫と長くいられる方が良いでしょ?自分達から短くするような真似をして、それでいいの?」

 「後悔するよりはずっと良い!」

 「そんなのただの自己満足よ!」

 「月子ちゃん!」

 高校生にしてはやや高い、澄んだ声が病室に響いた。皆が一斉に声のした方を見る。

 「雫、お前」

 「いつから」

 雫が、いつもの笑顔を浮かべて起き上がっていた。何の前触れもなく、あたかも初めからそうだったように。

 「ごめんね。本当は昨日の夜から、目が覚めていたんだ。ねえ、月子ちゃん。僕は皆と一緒に星が見たい。もしも、そこで死んでしまったとしても、僕は構わない。短くても最期にちゃんと笑えたのならそれでいいと思う。だから、三日月島に行って星を見て死ねるのなら幸せだよ」

 「そんなこと言わないで」

 そう言った後、月子はしばらくの間泣いた。きっと、自分の気持ちと雫のことで揺れていたのだろう。そして、彼女は自分の気持ちを殺すことにした。でもそれは間違いだった。彼の気持ち以上に彼女が優先したいと思うことはなかった。彼の為に。それだけの思いだった。彼女は誰よりも優しくて他人を優先する人なのだ。普段は目に見えないが、それが彼女の優しさだ。

 「わかったわ。皆で行きましょう」

 「おう」

 全員の気持ちが一つになった。俺達は再びあの丘へ行く。星を見るために。それが俺達が果たしたかった約束なのだから。

 しかし問題はここからだ。どうやって島に行くのかだ。当初予定していた、病院の船を使うには医師たちに話し同意してもらわなければならない。しかし、今のこの状況で同意を得られるとは到底思えない。じゃあ、どうする。島へは北へ三十キロメートルもある。船以外の移動手段があるのだろうか。

 「私の兄を憶えてる?」

 そう問うたのは月子だった。皆、徐に頷いた。

 月子には四つ年上の兄がいる。名前は昴。俺達は昴兄ちゃんと呼んでいた。

 「お兄ちゃんは今、漁師をしている。もしかしたら、協力してくれるかもしれない」

 確かにその可能性は高い。昔から、彼にはよく遊んでもらった。だから、それなりに仲も良い。雫のことや、俺達の約束、全て話せば協力してくれるかもしれない。なら、それにかけるしかない。

 「明日、本島から帰ってくる。三日ほどは島にいるらしいわ」

 「なら、明日だな」

 「そうね」

 再び空を見るが、まだ青いままだった。


 *


 七月十三日。流星群前日。

 俺と月子は漁港にやってきた。雫の方には夕と冬花がいる。そこで、正確な時間帯などを調べてもらっている。その間に俺達は、昨日話し合った通り昴兄ちゃんに会うためにここに来た。

 「こっちよ」

 月子に案内され、潮風の中を進んで行く。やがて見えてきた船に見覚えのある人物がいた。

紛れもなく昴兄ちゃんだ。

 最後に彼に会ったのは、おそらく彼が高校生の頃。学年は憶えていない。どちらにしろ、久々に会うということは変わらない。

 「お兄ちゃん」

 「月子と太陽か?久しぶりだな。太陽は背が伸びてイケメンになったな」

 「相変わらずだな」

 「そうでしょ」

 「月子は二ヶ月ぶりか?何だ?二人して出迎えか?」

 「お兄ちゃん、お願いがあるの」

 俺達は全部話した。昴兄ちゃんは、涙ぐむこともあったが最後まで口を挟まずに聞いてくれた。色々言いたいことはあるはずなのに、今すぐにでも雫のところに行きたいはずなのに。

 「お願いです。明日の夜、俺達を三日月島まで連れて行ってください」

 難しい顔をする昴兄ちゃん。それもそうだ。この状態で島へ行くなんて、やはり無謀なのだから。彼だって雫のことが大切なのだ。誰だって大切な人を失いたくなんてない。断られたのなら、無理強いは出来ない。それどころか、この計画自体が破綻する。祈るしかない。

 「わかった。お前達を島まで連れて行ってやる」

 「本当?」

 「雫の願いを叶えてやりたいからな」

 「ありがとう。詳しい時間はまた後でメールするわ。太陽、病院へ戻りましょう」

 もう一度お礼を言って、俺達は走って雫達の所へ戻った。

 島へ行けることを伝えると、三人とも大喜びだった。そして、流星群についての情報を聞いた。

 ペルセウス座流星群がピークを迎えるのは明日の夜、二十三時頃。報道通り、良く見えるのは北の空。三日月島で見るには最適のようだ。

 流星群についてわかっても、まだ問題はある。その時間に島へ行くためには一体何時にここを出ればいいのだろうか。島から島への移動時間はどれくらいなのか。それ以前に、病院を抜け出すことは可能なのか。

 「お兄ちゃんの漁船は時速三十キロメートル。だから一時間あれば三日月島へ着くわ」

 「つまり逆算して、九時五十分くらいに船に乗れば余裕ってことだな」

 「後はここを出る時間だね」

 「さっき走って戻って来たんだが、大体十分ちょいだった。だから、三十分頃に出れば間に合うはずだ」

 俺達は互いに顔を見合わせ頷いた。

 「雫は俺がおぶって行く」

 「ありがとう、太陽くん」

 三十分頃にということは、動き出す時間はもう少し早くないといけない。よし、決めた。

 「決行は明日、二十一時二十分。冬花と月子は湊で待機。夕は俺と一緒に来てくれ。絶対に島まで行くぞ」

 失敗すれば、もう会えなくなるかもしれない。そんなの覚悟の上だ。一世一代の大勝負。何が何でも俺達は星を見に行くんだ。



 3



 夜の病院は闇に包まれていて不気味だ。廊下も非常灯ぐらいしかついていない。何か出てきそうだなという恐怖心は今はいらない。そんな呑気なことを言っていられない。

 背中には雫。前には夕がいて、俺を先導してくれている。何度か看護師さんの足音が聞こえてきたが、上手く躱すことが出来た。

 現在の位置は二階。エレベーターを使うわけにはいかないので、階段での移動になるのだがここからが難所だ。二階までは階段が一つ続きになっているが、二階から一階に行くには別の階段まで移動しなければいけない。その通り道にナースステーションがあるのだ。そこには必ず一人は看護師さんがいる。もしかしたら、通っている瞬間に交代の人が来るかもしれない。

 「どうする?」

 「行こう。時間がない」

 ここで恐れてはいけない。どちらにしろ、絶対に通らないといけない場所なんだ。

 でも、どうやって通る。屈んで通るにしても。雫をおぶりながら通るのは難しい。何か、違和感なくかつ確実に通れる方法はないだろうか。

 「太陽、あれだ」

 夕の指さす方には車椅子が置いてあった。なるほど、その手があった。

 ナースステーションの先には階段の他にトイレもある。幸いこの階に入院している人もいる。つまり、トイレに行くふりをすればいいのだ。それなら、仮に見られても問題ないし、戻る姿がなくても気が付かないうちに戻ったのだと思ってくれるかもしれない。バレたにしてもその頃には病院から出てしまっている。これなら大丈夫だ。 

 雫を車椅子に座らせてフードを被せた。周りは暗いから顔の判別はつきにくい。後は普通に通れば良い。

 段々と灯りが近くなる。心臓が跳ねる。

 真横に差し掛かったとき横目で見てみると、後ろを向いて作業をしていた。その隙に少しだけスピードを上げて、一気に通り過ぎた。

 「死ぬかと思った」

 「急ぐぞ」

 車椅子をその場に置き、再び雫をおぶって階段を駆け下りた。

 「太陽くん大丈夫?」 

 「大丈夫だ」

 軽すぎて寧ろ心配が膨らむぐらいにな。

 窓の鍵を開け、そこから無事に抜け出すことに成功した。後は、港まで走れば良い。時刻は三十三分。大丈夫。間に合う。

 あらかじめ考えていたルートを走っていく。順調に進んでいたときだった。

 「嘘だろ」

 俺達の前方には凹んだ車とパトカー。事故があったようだ。何でこんな時に限って。ここを通り抜ければ、湊は目前だというのに。

 「遠回りするしかないよな」

 でも、そのルートが俺にはわからない。変に曲がると何処にいるのかわからなくなってしまう。これじゃあ、間に合わなくなる。

 ニャー

 足元からそんな声が聞こえた。そこには猫。よく見てみると、何処か見覚えのある猫だった。

 「お前、もしかして木から降りられなくなっていた?」

 夕の一言で、もう一度猫を見てみると、その猫は四月に木から降りられなくなって夕に助けられていた猫だった。

 ニャー

 猫はもう一声あげると歩き出した。そして少し進んでこちらを振り返った。『ついて来い』そう言っているように感じた。俺達は猫の後を追った。

 彼(もしくは彼女)は、猫道のような危険な場所も路地裏のような狭い場所も一切通らなかった。まるで、それが出来ないことをわかっているようだった。時間はもう五十分になる寸前。あのまま止まっていても、俺達だけの判断で進んでもこの時間にはなっていた。なら、ここは一つ彼にかけるしかない。

 次に角を曲がったとき、スッと、潮の香りがした。

 「太陽!夕!雫!」

 前方で叫んでいる冬花がいる。月子、昴兄ちゃん、船もある。どうやら目の前に抜けたらしい。こんな道があっただなんて知らなかった。

 「事故があったそうじゃない」

 「ああ、でも猫が案内してくれて」

 「猫?猫なんていないわよ」

 その一言で、俺達は足元を見た。先程まで足元をウロウロしていた猫がいなくなっている。今度は顔を見合わせた。

 「猫の恩返しだね」

 「そうだな」

 夕の人助け(猫助け)も、ちゃんと返ってくるんだな。良いことをすれば自分に返ってくる。その言葉を改めて実感した。

 「よし、船に乗って!」

 昴兄ちゃんの掛け声で俺達は一斉に船に乗った。船は音を立てて進み始めた。海を切ってぐんぐんと進んで行く。

 空を見上げると、星達が輝いていた。その輝きは島に近付けば近付く程強くなっていく。やっぱり三日月島は星を見るのに最適な場所らしい。

 そこからの一時間はとても長く感じた。最初こそは、久々にあった昴兄ちゃんと談笑していたものの、時間が経つにつれて話すこともなくなり誰も話さなくなった。

 「見えたぞ!」

 昴兄ちゃんの声に皆が一斉に反応した。暗い空間に佇む岩肌。三日月島だ。ようやく着いたのだ。

 船を港に漂着させ、俺達は島に足を踏み入れた。あの日以来の三日月島だ。

 「俺はここで待っているから早く行っておいで」

 「本当にありがとうございました!」

 俺達は走りだした。

 もう何年も前なのに何一つ変わっていない風景。看板の横を通り過ぎ、あの日のように森の中へと突っ込んでいく。違うのは手に懐中電灯がないこと。でも、不思議と足は止まらなかった。身体が憶えているようだった。自然と場所がわかる。不思議なこともあるものだ。

 やがて前方の木々から光が漏れ始めた。

 「もうすぐだ!」

 俺達は光に飛び込んだ。

 広がるのは、あの日と同じ光景。ここも何一つ変わっていない。

 本当に来たんだ。

 丘の上に登り、雫を背中から降ろして地面に寝かせた。そして俺達も寝転がった。手を繋いで目を瞑って。

 「懐かしいね」

 「そうね」

 「そういや、前も抜け出して見に来たんだったよな」

 「そうだな」

 「じゃあ、何もかも一緒だね」

 笑いが零れる。確かに何もかも同じだ。

 「ねえ、そろそろかな」

 「どうだろ」

 「開けてみるか?」

 「じゃあ、せーのでな」

 手の繋ぐ力が強くなる。それは俺だけでなく、皆同じだった。

 ようやく、約束を果たすことが出来るんだ。諦めかけた、この約束を。

 「せーの!」

 一瞬、息が詰まった。

 そこには満天の空を数多の流星群が駆けている。こんな景色、今までに見たことがなかった。あの日よりも遥かに煌めく星々。言葉が出たのは数秒後のことだった。

 「綺麗!」

 「本当に綺麗だ!」

 「見れたね。ペルセウス座流星群」

 「ああ」

 「来てよかったね」

 まだ、幼かった俺達。そのときはこんな風になるなんて全く思ってもいなかった。約束を果たすこともずっと先の話だと思っていた。でも、実際は違った。俺達の運命はそこまで甘くなかった。今日まで何度も何度も涙を流した。でも、今笑えている。目を輝かせて星を見ている。その姿はあの日と変わらない。

 ふと、手に違和感を感じた。

 「雫?」

 雫の力が急に弱くなった。反対の手を握っていた月子もそれに気が付いたらしい。

 「どうしたの?大丈夫?」

 先程までと様子が違う。明らかに容態が急変した。

 「戻らなきゃ!」

 雫を抱えようとしたときその手を掴まれた。掴んだのは雫自身だった。

 「このまま。いさせて」

 俺達は何も言えなかった。雫の気持ちに沿うことにした。

 「僕、またこうやって皆と星が見れて、幸せだよ。皆と、今まで一緒にいれて、楽しかったよ。ありがとう。本当は、もっと皆といたかった。でも、無理だから、僕は、皆の幸せを祈っているから」

 滝のように流れる涙。その言葉が意味するものなんて、わかりきっている。

 「皆に見守られながら死ねるなんて、本当に幸せだよ。最期に約束を果たせて、良かった。太陽くん、月子ちゃん、夕くん、冬花ちゃん、大好きだよ」

 「私も大好きよ」

 「私も大好き」

 「俺も大好きだぞ」

 「俺も大好きだ」

 そう言うと、雫は今までで一番綺麗な笑顔を見せた。

 「ありがとう。またね」

 閉じられた目から零れた雫は星のようで、とても美しかった。

 「おやすみ。またな」



 星降る夏の夜のことだった。

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