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星降る夜に、僕らの願い  作者: 碧咲明葉
3/7

第二話 真昼の月は遥か彼方

 1



 扉を開けると、清楚で無機質な白が広がっている。その中心で窓の外を眺めているのは俺の友人。友人は俺に気が付くと、いつものように笑った。

 「太陽くん、今日も来てくれたんだね」

 「雫。これ、今日はフルーツゼリーにした」

 持っていた紙袋を差し出せば、少しだけ困ったような顔をしたが直ぐに元の笑顔に戻った。

 「わざわざ良いのに。でも、ありがとう」

 「今日は、夕が先生の手伝い。冬花が体育の補修で、月子も用があるって」

 雫が入院してから、もう二週間が経った。未だに、彼のいない生活には慣れない。きっと、この先もずっと。十三年間傍にいたのだから、当然と言えば当然だ。

 お見舞いには、用事でもない限り毎日来ている。少しでも雫が暇にならないように。入院はしたことがないが、何もできないからきっと退屈で仕方がない筈だ。誰かが傍にいてくれるだけで、解消されるはずだと思ってのことだ。そしてもう一つ理由がある。

 「ねえ、どうして毎日お見舞いに来てくれるの?」

 「雫といたいから」

 雫は目線を落としてから、俺の目を見た。その顔はとても悲しげだ。

 「嘘。太陽くん、嘘吐くときに手の甲を触るでしょ?今、触ってる」

 そう言われて、すぐに手を離した。

 本当のことなんて言えるわけがない。言いたくもない。考えたくもない。頭にこびりついて離れない事実を。

 「そっか。聞いちゃったんだね。大丈夫。僕も知っているから」

 何処までも澄んでいる空を一瞥して、再び口を開いた。

 「僕が、後三ヶ月も生きられないからでしょ?」

 

 *

 

 雫が目を覚ました日、つまり一週間前。面会終了後に俺達は会議室の方へ呼ばれた。

 この一週間。ずっと考えていた。最初は理解したくなかった。だって、いつも一緒に笑っていた。一緒にふざけあった。そんな彼が病気で、しかも癌だなんて。酷い話だ。

 一年。一年も前から雫は癌だったのだ。途方もない時間を、彼は独りで闘っていた。なのに、俺達は何も知らなかった。気付いてやれなかった。どうして。あんなに近くにいたのに。

 彼は一体どれくらい独りで涙を流したのだろう。陰で俺達にバレないように気を付けながら。一体どれくらい痛みを隠して笑ってきたのだろう。

 考えるだけで胸が苦しくなる。同時に、自分に腹が立つ。今更、遅いんだよ。

 数分後《牧野》というネームプレートを下げた男性が入って来た。どうやら彼が雫の担当医のようだ。神妙な面持ちからして、そうとう重大なことを言われるのだろう。雫の身体に関する何かを。

 「お待たせしました。直球で言いますね」

 誰もが息を呑んだ。

 「癌が全身に転移しているのがわかりました。発熱はこのためでしょう。三ヶ月。それが、彼に残されている時間です。本来ならば余命宣告と言うものは、あまりしないのですが、彼は特別若いです。何も知らないよりはずっと良いかと思いまして、お伝えすることにしました」

 覚悟なんて、もうとっくにしていた。そのうち、言われるのではないかと思っていた。でも、実際に聞いてみれば、心も頭も黒く塗りつぶされたような、そんな気持ちになった。覚悟なんて無意味だった。

 「彼には、支えてくれる存在が必要です。どうか、力になってあげてください」

 それだけ言うと、牧野さんは会議室から出ていった。冷たいと思った。でも、彼だって医者だ。彼のことを待っている人は他にもいる。所詮、そんなものだ。

 大き過ぎたショックは、じわじわと空気を侵食していった。

 「何で、雫なの」

 口に出したのは月子だった。それだけ言い残して、彼女はフラフラと何処かへ行ってしまった。後に続くように、冬花、夕と出ていき俺だけが取り残された。

 三ヶ月なんて一瞬だ。なんて短いのだろう。たったのそれだけで、一体何が出来るっていうのだ。足りない。全然足りない。もっと、もっと長く一緒にいるはずだったのに。この先もずっと、五人で笑って泣いて、そうやって生きていくものだと思っていた。でも、現実はそうは行かない。

 時限爆弾が起動した。絶対に外せない、処理することの出来ない爆弾。

 受け入れるしかないだなんて、残酷極まりない。



 「ごめんね。知ってるって言えば良かったね。黙っててごめんね」

 「そんなの、どうでもいい」

 溢れだした涙の粒はポロポロと落ちていく。泣かないって、雫の前では泣かないって決めていたのに。どうして泣いているんだよ。心配かけるだけだろ。泣くな。泣くな。そう思えば思うほど涙は止まらない。

 「月子ちゃんも、そんなところにいないで入ってきなよ」

 「え?」

 その声に応えるかのように開かれる扉。開けたのは、大粒の涙を流している月子だった。その様子からして、入るに入れなかったのだろう。その結果会話を聞く形になったのだ。

 「バカ」

 月子はそう言うと、雫を挟んで向かいのところまで来た。そして、彼に抱き付いた。

 「何で。何でよ!」

 最後に彼女の泣いている姿を見たのは一体いつだっただろう。もう思い出せないくらい前だ。癌の知らせを聞いたときも、余命を聞いたときも、月子だけは泣かなかった。今の今まで理解できなかった。お前は悲しくないのかって。そう思っていた。そんなわけなかった。月子は皆の前で泣かなかっただけだ。一人になったときに、ひっそりと声を殺して泣いていたのだと、ようやくわかった。元からプライドの高い月子だ。人に見られたくなかったのかもしれない。元から優しい子なんだ。自分だけでも、しっかりしようって思ったのかもしれない。どれが正しいのかなんて、俺は判断できない。きっと、どれも正解で不正解。それでいい。

 「もう、二人共今日は泣き虫だね」

 月子だけでなく、俺のことも抱きしめ、優しく頭を撫でてくれた。同じように、涙を流しながら。

 「二人だけじゃないみたいだね」

 その言葉をきっかけに、また扉が開かれた。勢いよく入って来たのは、夕と冬花だった。そのまま、俺達に抱き付いた。

 来れないって言っていたのに結局全員揃った。皆、雫のことが大好きなんだ。

 幼い子供のように泣く俺達。こんなに泣いたのは初めてだ。でも雫は、そんな俺達よりも泣いている。

 「バカ!本当にバカ!何で、何で、言ってくれなかったのよ」

 「ごめんね。本当にごめん。どうしても心配をかけたくなかったんだ」

 そうだと思ったよ。雫は優しいから。

 「心配くらいかけさせてよ!私達、友達でしょ!」

 そうだよ。心配をかけてくれていいんだ。独りで泣く必要なんてないんだ。辛いときは「傍にいて」って言えばいいんだ。折角五人いるんだ。五人で分け合えば、どんなに重いモノだって軽くなる。それでもダメな時は皆で泣いたらいい。だって俺達は友達だから。親友なのだから。もっと頼ってくれていいんだ。

 「ダメだな。皆の前では泣かないって決めていたのに、泣き虫がうつっちゃったみたい」

 泣かないと決めていたのは、やっぱり皆同じだった。ほら、俺達は繋がっているだろ。だから大丈夫だ。

 「ありがとう」

 その後も皆で涙が枯れるほど泣いた。



 ぼんやりと視界に映る景色。それは直ぐにはっきりとしてきた。

 辺りは真っ暗だった。眠っている四人。どうやら泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしいい。俺が一番に起きたようだ。

 携帯を付けると、そこだけ淡い光が浮かぶ。時刻は二十時三十七分と表示されている。大体、二~三時間は寝ている計算だ。その間に、母さんから不在着信が二件着ていたため、電話をかけた。

 「もしもし、母さん?……そう、雫の所。皆で寝てしまってさ。………わかった。じゃあ、頼んだ」

 通話終了の表示を確認して携帯を閉じると、一つの影が動いた。

 「太陽?」

 「悪い。起こしてしまったか?」

 眠そうな目を擦っているのは、冬花だった。外で電話すれば良かった。

 「ううん、大丈夫。皆を起こさないとね」

 「いや、母さんが、今日はもう遅いから泊まれって。連絡もしてくれるらしい」

 「そっか」

 そこで会話が終わった。ベットを挟んで、ほぼ対極に座っているが目は合わない。お互いが合わせないようにしているからだ。その所為か、空気が重く感じる。いつものように話すことも出来ない。居辛い。

 「俺、飲み物買ってくるわ。皆、喉乾いてるだろうし」

 普通に言えていただろうか。少しでもこの場から離れたい。そう思ってしまった。口に出した言葉は、震えていたかもしれない。無理してるって気付かれたかもしれない。でも、飲み物が必要なのは事実だ。

 俺はいつの間にこんな奴になったのだろう。

 鞄を持って、足早に扉に向かう。どうしても、今の俺の顔を見られたくなくて。

 「待って。私も行く」

 断ることも出来ず、無言で並んで近くの自販機まで歩いた。

 ガコンという音が三回なった。

 「冬花はミルクティーだよな」

 「うん」

 出て来たミルクティーを冬花に渡した。最後に自分のを選んで、鞄の中にしまった。

 「じゃあ買えたし戻るか」

 目を合わせず、極力いつも通りを心がけてそう言った。

 しかし、張り付けた笑みなんて直ぐにバレる。

 「何で、無理して笑っているの?」

 「無理してるわけないだろ」

 また一つ嘘を吐いた。言ったらいけないような気がしたから。皆の笑顔が、また一歩遠ざかるような気がしたから。

 「嘘!だって、手の甲触ってるじゃん!」

 癖って厄介だ。意識をしていても触ってしまう。まあ、触っていなくてもバレバレだったのだけど。

 それでも俺は嘘を重ねる。

 「嘘なんて吐いてねえよ」

 「何でそんな下手な嘘を吐くの?意味わからないよ。それにさっき、雫に言ったじゃん。心配かけさせてって。なのに、何で?」

 「別にわかられたくて言ってるわけじゃねえよ!」

 全部わからなくたっていいだろ。言いたくないことだってあるんだよ。それくらいわかれよ。ほっとけよ。ほっといてくれよ。イラつく。無性にイラつく。こんなの八つ当たりだってわかってる。でも、もう無理だ。

 俺は冬花を一人その場に置いて、先に病室に戻った。戻ったときには、皆起きていたため、泊まることを伝えて飲み物を渡した。

 冬花が戻ってきたのは、それから十分後のことだった。そのときも、目を合わせることはおろか、声をかけることもなかった。

 この日、俺は出会って十三年間で初めて冬花と喧嘩した。



 2



 翌日は、着替えやその他の準備の為に早朝に起きて一度家に帰った。その後、いつもと同じ時間に集合して学校へ行った。一週間前から徐々に増えてきた会話。片言でも、続かなくても、それでも元に戻りつつあった。なのに、俺は。

 「昨日、用事を放り出してしまったの。だから、今日は三人で行ってもらえる?」

 「しょーがねーな!今日は何買って行こうか。なあ、冬花、太陽」

 「そうだね」

 「あ、昨日はゼリーだったからな。どうしようか」

 隣にいる冬花を見ると、ちょうど目が合った。でも直ぐに逸らした。会話も以前よりも固くなってしまった。月子も夕も、何かおかしいと思ったようで顔を見合わせていた。喧嘩をしているなんて一目瞭然だった。全部、俺が悪いのだけど。

 会話はそこで止まってしまい、教室を別れるまで一言も話さなかった。俺と冬花だけでなく、月子と夕も口を開かなかった。

 「おはよー」

 声を掛けてくれるクラスメイト達に生返事をすれば、やはり皆不思議そうな顔をした。何人かは何かあったのか聞いてくれたけど、誤魔化した。

 遠くで月子が俺をみつめていた。それを気付かないふりして、別の友達と過ごした。いつもなら、楽しいのに、皆がいなくたって笑えるようにもなったのに何故だろう。少しも、心が弾まない。自分がわからない。

 「ねえ、ちょっといいかしら」

 「おう。ごめん、行ってくる」

 友達に断って席を外した。もうすぐで授業が始まる。それなのに、今屋上を目指して廊下を歩いている。サボる気なんだ。授業を丸々。こんなこと初めてだ。真面目な月子が授業を抜けるだなんて。それをさせているのは、俺だ。俺の所為だ。

 曇天の空に独特の臭い。梅雨入りも秒読みかと思われる今日の空。まるで俺の心みたいだ、だなんてセンチメンタルな気分になる。

 月子は真っ直ぐに俺をみつめるけれど、俺はずっとそっぽを向いていた。沈黙が続く。始業のチャイムが鳴り響く。それでも、彼女は微動だにしなかった。本気なんだ。力強いその目が、とても苦しい。

 「チャイム鳴ったけど」

 月子は答えない。そっちが連れ出したんだろ。それなのに答えないってなんだよ。わけがわからない。

 風が月子の髪を揺らしたとき、ようやく彼女は口を開いた。いつもの何倍も穏やかで、冷たい声で。

 「冬花と何があったの?」

 「お前に関係ないだろ」

 「じゃあ、質問を変える。太陽は一体、何にイラついているの?」

 何?何って。何だろう。きっと、自分にイラついている。何も出来ない、皆の役に立つことが出来ない自分が腹立たしい。皆はちゃんと考えて行動出来ているのに、俺は違う。感情ばかりが先走って、結局何も出来ていない。そんな自分が許せない。

 「あの子に何を言われたのか知らないけど、それは八つ当たりよ」

 「言われなくたってわかってるよ!」

 「なら、口に出せばいいじゃない。どうして出来ないの?」

 出来るならとっくにやってるさ。それが出来たら、どんなに楽か。わからねえよ。何で皆、ここまで気にかけるのか。俺が雰囲気壊したのに。俺が笑えないだけなのに。それを見透かされたからって当たって怒鳴って。バカだろ。

 「俺が悪いんだよ。俺がもっとちゃんとしていれば、だから俺の所為だ。これでいいだろ。実際そうなんだから」

 「それは傲慢よ。何もかも太陽の所為だなんて、自分に酔わないで」

 「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」

 俺に何をしてほしいんだよ。俺は何も持っていない。何も出来ない。

 「やっぱり、まだ、私達に壁を作っているのね。いつになったら、その心を開いてくれるの?いつになったら、私達のことを信じてくれるの?」

 うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさい。

 「お前に、俺の何がわかるんだよ!」

 「わからないから聞いているのよ!ねえ、どうして。どうして一度も目を合わせてくれないの?少しはこっちを見なさいよ。見てってば」

 徐々に震えていく声にハッとして、ようやく彼女の顔を見た。その目からは綺麗な水が粒となって溢れていた。

 また一人、傷付けてしまった。

 「ごめん」

 そう言い残して、その場を走り去った。

 荷物も取らずに学校を飛び出した。ひたすら走った。衝動的に。自責の念に駆られて。焼き付いた彼女の顔を忘れたくて。罪悪感で。途中で雨が降ってきたが、それでも走り続けた。濡れた地面に足を滑らせて、何度も何度も転んだ。それでも立ち上がって走った。宛なんて存在しなくて、でも心のどこかで行先は決めていたらしい。気が付けば、雫の前にいた。

 雫は最初は驚いた顔をしたが、すぐにタオルを用意してくれ、傷の手当てもしてくれた。そして何も言わずに傍にいてくれた。そうしているうちに気分が落ち着いて自分から口を開いた。

 「俺、冬花と月子に酷いこと言った。二人共、心配してくれただけなのに。月子に至っては泣かしてしまった。自分への苛立ちをぶつけてしまった。俺、昔から何一つ変わってなかった。その結果がこれだよ。人には偉そうに相談しろだとか言っておいて。俺は二人を突き放した。最低だよな」

 こんなこと話されたって、どうすればいいのかわからないよな。当然だよ。いきなりずぶ濡れで怪我をして現れたと思ったら、重い話、しかも喧嘩しただなんて。そんな大事なことにすら直ぐに気付けない。だから、俺はダメなんだよ。俺が周りを見れていたら、こんなことにはならなかったのに。

 「月子に言われたんだよ。壁を作っているって。俺が信じていないって。それはどうしてって。俺は、皆のこと信じれていなかったのかな。わかんねえよ」

 何処で間違えたのだろう。

 昨日、ちゃんと言えば良かった。ごめんって言えば良かった。本心を伝えられていたら、きっと今も笑っていたのに。

 「でも、今はちゃんと言えたね。良かった。太陽くんの気持ちを聞くことが出来て。だから、そんなことはないと思うよ。きっと月子ちゃんが言いたかったのは、相談してってことじゃないかな。僕は太陽くんが何に対して困っているのかわからないけれど、話くらいなら聞けるし、何かアドバイスも出来るかもしれない。無理になんて言わないよ。せめて傍にいさせて。僕の所に来てくれたってだけで、僕は嬉しいから」

 「ごめん」

 雫に頭を預け、昨日と同じように泣いた。最近、泣いてばかりだな。最後にちゃんと笑ったのはいつだろう。笑うってどうするんだっけ。そんなことすら思い出せない。

 冬花や月子、夕に話せばわかるだろうか。どうすればいいのか一緒に悩んでくれるだろうか。そんなの、訊かなくったってわかっているじゃないか。俺は、ただ怖いだけ。

 そうか。俺は怖かったのか。相談して、皆の重りになることが。それだけだった。

 「僕も、皆も、太陽くんのことが大好きだよ。勿論、いろんな太陽くんがね。どんな相談でも聞いてくれるよ。皆に話せないなら、誰か一人でもいいから。また、太陽くんが笑った顔が見たいな」

 言葉の一つ一つが心に染み込んでいく。俺は肯定して欲しかったのかもしれない。弱い俺を。そんな俺がいるということを。今、目の前にいる人は弱さも好きだと言ってくれている。それは皆同じだと、そう言っている。なら、賭けてみようか。俺はこの賭けには勝てない。だって、今、心が満たされたのだから。

 「ありがとう。俺、ちゃんと話してくる。次ここに来るときには笑えるように」

 「うん。行っておいで」

 先程まで降っていた雨は止み、雲間には光が差していた。


 *


 水溜りに、青空と僅かに残った灰色の雲が映りこんでいる。そこに足を踏み込めば、景色は揺れる。中心から広がっていった波紋は、際にあたり跳ね返って再び中心に戻る。また一つ、また一つと波紋を叩いて進んで行く。もう一つと、足を踏み出したとき水面に人影が写った。

 「月子」

 「太陽」

 どうやら俺を探してくれていたらしい。その証拠に髪も服もびしょびしょに濡れている。

 「ごめん」

 謝ったのは月子の方だった。何で。謝るのは俺の方なのに。月子が謝る必要なんて全くないのに。どうして謝るんだ。

 「私、太陽の気持ちを考えていなかった。それで、口走って酷いことを言った。本当にごめん」

 酷いだなんて、そんなの俺の方が沢山言った。相手の気持ちを考えていなかったのも、俺の方だ。

 「太陽、今、冬花と喧嘩しているのでしょ?私で良ければ力になるから」

 雫の言う通りだった。

 「俺の方こそごめん。感情的になりすぎた。俺は又怖くなったんだよ。話すことが。色々なことが。それで、冬花と喧嘩してしまった。だから、俺、冬花と仲直りがしたい。手伝ってくれるか?」

 「当たり前でしょ。でも、今日はお互いに家に帰りましょ。雨に当たったからお風呂に入らないと。先生は誤魔化して来たから。荷物は夕に頼んだから、放課後に届けてくれるはずよ」

 「ありがとう」

 月子の言う通りにし、家に帰り風呂に入った。くしゃみが一回ほど出たので早々に眠った。夜に目が覚め、部屋を見渡すと鞄が置いてあった。起き上がるのも面倒だったので、そのまま眠りについた。朝になって携帯を開くと月子からメールが来ていた。

 『良い作戦があるの。明日、決行するわ。夕にも伝えてある』

 何処までも優しい彼女に心から感謝し、その日は当たり障りなく過ごした。

 少しだけ心が軽くなったような気がした。だから、もう一つだけ。明日、冬花と面と向かって話せるだけの勇気を下さい。

 臆病な俺にさよならを告げよう。



 「誕生日会?」

 疑問を口にしたのは冬花だった。

 「そう。明日は雫の誕生日でしょ?だから、お祝いをしようって夕と話したのよ」

 「ここって、小児科の方に小ホールがあるんだ。そこを借りることが出来たから、盛大にやってやろうと思ってな!」

 そうだ。明日、六月十二日は雫の誕生日だ。自分のことに必死になりすぎてすっかり忘れてしまっていた。なんてことだ。

 「それで、私と夕が内装をするから二人には雫へのプレゼントを買いに行ってもらいたいの」

 チラッと月子が俺の方を見て目配せをした。なるほど。作戦と言うのはこれか。二人きりにして話す機会を作る。中々合理的だ。

 冬花は少しだけ嫌そうな、何とも言えない表情を浮かべたが了承してくれた。勿論俺も了承した。

 早速買いに行くことになり、何処かウロウロしようかと言おうとしたが冬花は一人でスタスタと行ってしまった。追いかけようとしたとき、月子に腕を掴まれ、耳元でこう言われた。

 「傘は持っていかないで」

 月子の視線の先、冬花の手には傘が握られていた。本当に頭が良い。

 「ありがとう」そう言ってから冬花の後を追った。

 小走りで進めば直ぐに追いつくことが出来た。横に並び、とりあえず冬花が行こうとしているところについていくことにした。

 着いたのは本屋。目星のモノでもあるのだろうか。店内に入っても余所見することなく進んで行く。止まった先にあったのは星座関連のコーナーだった。そこで本を数冊手に取った。星座に関する神話の本、季節の星座に星の仕組み。

 「雫、星が好きでしょ。どれがいいと思う?」

 「神話のやつ」

 俺がそう言えば、神話の本だけをレジへと持って行った。

 久々にちゃんと話せたような気がする。それだけで、少し嬉しかった。

 店を出ると丁度雨が降ってきた。冬花は何も言わずに傘に入れてくれた。いつもよりも近い距離。緊張はする。でも、以前のように恐怖や不安、苛立ちはない。今なら、素直に話せる。

 「この前はごめん。俺、怖かったんだ。いろんなことが。雫がいなくなってしまうんじゃないかって。皆がバラバラになってしまうんじゃないかって。だから、笑った。笑っていれば、少なくともこれ以上変な心配をかけることもないって、そう思い込んでいた。結果、喧嘩になっちゃたんだけどな。それと同時に、何も出来ない自分に苛立っていた。月子みたいに賢くもない。夕みたいに行動力もない。冬花みたいに周りを見ることも出来ない。じゃあ、俺は何が出来るんだろって。いても良いのかって。そう思っていた。それで、八つ当たりした。本当にごめん」

 ちゃんと話せていただろうか。日本語になっていただろうか。不安で一杯だけど、伝えたいと思ったことは伝えたつもりだ。

 「太陽は、そこにいるだけで皆を明るくしてくれる。それに優しい。だから、自分に引け目とか感じなくていいから。いてくれるだけでも充分すぎるくらいなんだよ。だから、私達の傍にいてよ。この先もね」

 俺の方に顔を向けて優しく笑った。久々に目が合った。久々に笑った。

 「それと、私もごめんね」

 だから俺も、返事をする代わりに笑顔を送った。



 3



 「何処に行くの?」

 「いいからついて来いって」

 「行けばわかる」

 雫を会場まで連れて行くのが俺達の仕事。数週間も運動をしていない彼の身体は必然的に筋力が落ちていった。そのため、車椅子に乗せて俺が押して夕が先導している。ほぼ強制送還のようなものだ。雫は抜け出せないのだから。寧ろ、逃げられなくていいかもしれない。そんなことはないだろうけど。

 「こっちって小児科だよね?」

 「そうだけど?」

 はてなを浮かべまくっている様子が面白くって顔がにやける。それは夕も同じだった。

 「何がおかしいの?」

 これだから天然は困る。そろそろ天然記念物にでも登録されればいいのに。その姿を思い浮かべて吹き出しそうになった。流石にそこまでは夕も考えていないようだ。

 それにしても、こうして車椅子を押すと痛いくらいに現実が突き刺さる。明らかに、熱を出しておぶったときよりも軽い。自然と体重も落ちてしまう。仕方がなことなのだけど、日に日に痩せていく姿を見るのはとても辛い。後二ヶ月ちょっと。雫と過ごせる時間だ。その頃にはどうなってしまうのだろう。言い表しようのない恐怖が頭を支配する。

 やめだ。考えるのはもうよそう。こんな暗い話はいらない。だって今日は雫の誕生日なのだから。今日は精一杯祝って楽しむって決めたのだから。

 「よーし、到着!」

 「小ホール?」

 「開けるぞ」

 そこに広がっていたのは星空だった。といってもクリスマスか何かで使う電飾を黒い布に張り付けて広げただけなのだけど。つまり手作りプラネタリウムもどきだ。

 「せーの」

 「誕生日おめでとう、雫!」

 綺麗に揃った。打ち合わせなしの一発成功だ。ここでズレたら台無しになるところだった。本当に揃って良かった。

 「これ、皆で?」

 「そうよ。大変だったんだから」

 「ありがとう!凄く嬉しいよ!」

 「実はまだあるんだよ」

 キョトンとする雫を冬花が目隠して、俺と月子が奥においてあるモノを運んできた。そして夕がカウントダウンを始める。

 「3、2、1、オープン!」

 冬花が目隠しを外す、雫が目を輝かせた。彼の前に置いてあるのは、蝋燭の立ったケーキ。子供っぽいかなとは思ったが、案外こういう古典的な奴の方が嬉しいモノだ。

 皆で歌を歌って、雫が蝋燭を吹き消した。

 ケーキを均等に分けて、しばらくの間談笑した。

 「十七歳かあ。もうそんな歳だよ」

 「婆臭いこと言うなよ。ババアになんぞ」

 「私がババアなら夕はジジイだからね」

 いつも通りの光景だ。そのいつもは余りにも間が空いてしまっていたため、少しジーンとくる。部屋が少し暗くて良かったと心から思った。

 「雫、何か飲む?」

 「じゃあ、お茶にしようかな」

 「わかったわ」

 こうやって会話を聞いているだけだと、何も変わらないのに。変わってしまった。俺達が望んできた結末は、未来は、大きく軌道をそれてしまった。何処に不時着するのかわからない。少なくとも、一人が欠けるという時点で幸せな終わりではない。

 やっぱり、考えてしまうものは考えてしまうか。それはそれで仕方がない。ならばこうしよう。結末がどうであれ、進みだした針は戻らないのだから、何もかもを悲観的に考えるよりは、今を楽しむ方法を考えよう。その方がずっといいに決まっている。

 「大体ね、私の方が誕生日後だから。夕の方がジジイだから」

 「ジジイは敬うものじゃないんですかー」

 「そんなジジイを敬うわけないでしょ!」

 まだやっていたのか。いつもいつも飽きないなあ。見てるこっちも飽きないのだけど。だから、またいつものように声をかけようか。

 「お前らいい加減にしろ」

 「喧嘩はダメだよ!」

 「全く。雫の誕生日なのよ」

 「わ、悪かったよ」

 「ごめんね」

 一連の流れに、皆同時に吹き出した。ああ、これだ。やっぱり皆との時間はこうでなきゃ。久々に溢れる皆の笑顔はとても最高だった。

 「ちゃんと笑えたね」

 「何か言ったか?」

 「ううん。何も」

 その後、冬花と一緒に買ったプレゼントを渡した。雫は大喜びだった。何でも、以前からこういう本が欲しかったらしい。何処まで行っても俺達は俺達らしい。

 時間になる前に皆で片付けをしたのだが、そのときもいつもの小競り合いが勃発した。その度に笑った。笑える時間が戻ってきて良かった。

 窓の外で本物の星達が輝いていた。


 *


 病室への帰り道は皆で歩いた。雫の車椅子は変わらず俺が押して。この悲しみを知るのは俺だけで良い。それが今俺に出来ることだと思ったからだ。

 長い時間薄暗い場所にいたので、院内の蛍光灯ですら眩しく感じる。それも楽しみの一つだ。

 「着いた」

 言わなくてもわかること程、何故か言ってしまう。これ、本当に何でだろう。調べてもどうせ出て来ないのでスルーしよう。

 病室を開けてもらうと、中から仄かな香りが漂ってきた。中に入ると、花束とメッセージカードが置かれていた。どうやら誕生日プレゼントらしい。届けに来たが留守だったので置いて帰ることにしたのだろう。

 「悪いことしちゃったかな」

 「でも、これ誰からだろう」

 メッセージカードには『お誕生日おめでとう。早く良くなるといいね』とだけ書かれていた。つまり名前が書かれていないのだ。とても丁寧で綺麗な字なので女子だとは思うのだが、雫と仲の良い女子は結構いる。その中から特定するのは難しそうだ。

 「心当たりとかないの?」

 「あ、えーと」

 「雫の場合ありすぎてわからないんじゃねえの?」

 「確かに」

 月子が徐に花をみつめている。何かあるのだろうか。

 「マリーゴールド、スノードロップ、リナリア、イキシアね」

 口にしているのは花の名前だろう。本当にどうして彼女は何でも知っているのだろうか。第一、そんな大量の知識は一体何処に入っているのだ。

 「何かわかったのか?」

 もしかしたら人物を特定できたのかもしれない。もしそうなら、その子に一言お詫びがしたい。折角のプレゼントを手渡しできなかった責任は俺達にあるのだから。

 「この花を送った子は、雫のことをとても大切に思っている。ということぐらいかしら」

 「どういう意味だ?」

 「間違っても花言葉を調べたらダメよ」

 月子の頭にはその子の姿が映っているのだろうか。それはわからないけれど、彼女の瞳はとても優しい色をしている。知っている子だったのかもしれない。

 「それにしても、綺麗だね」

 「そうだね!」

 花は雫にとてもよく似合っていた。月子の言う通り、大切に思っているから似合う花を選べたのかもしれない。いつかその子に会ってみたいな。

 「ありがとう」

 雫がそう呟いたような気がした。

 花言葉を調べるな、か。もしかしたら、雫も気付いているのだろうか。だとしたら、放っておいた方が良いのだろう。

 人の込めた想いを詮索するなんて野暮だからな。

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