第一話 朝日に新たを
1
満月島。人口およそ八千人。島の名前の由来は単純。丸い月のような形をしているから。大きくもなければ、小さくもない。普通に暮らしやすくて、それなりに充実している。島は南北に分けられている。理由は山があるから。それぞれの人口は総人口の半分程。各地域、幼稚園・小・中学校が一つ、高校が二つずつある。何故高校が二つあるのか。それは、片方が工業や商業と言った専門系の学科で、もう片方が普通科だからだ。俺達が暮らしているのは北側で、高校は普通科を選択した。
季節は四月。俺は高校二年生になり、そろそろこの先のことを考えないといけなくなった。島に大学はない。従って、進学するのであれば島を出なければならない。進学せずに就職するにしても、島で働くのか、島を出て働きに行くのかを選択しなければならない。この島では高校二年生の時に、それらの中からどうするのかを決断するのがルールである。俺は今のところ、島を出るつもりはない。父親のやっている店で働こうかと思っている。それが一番無難だからだ。
「何、難しい顔してるのよ」
「は?人の勝手だろーが」
「太陽くん、月子ちゃん、喧嘩は駄目だよ。ね?」
「別に喧嘩なんてしてないわよ」
俺には幼馴染みが四人いる。俺に突っかかってきたのが、夜空月子。その仲裁に入って来たのが、雨空雫。
「ちょっと夕!何やってんのよ、危ないでしょ!?」
「だって、猫が木から降りられないみたいだからさ」
絶賛ご立腹中の子が、雪空冬花。絶賛木登り中で猫を脇に抱えているのが、茜空夕。
俺の名前は蒼空太陽で、何の因果か俺達の名字には全員『空』と言う字が入っている。なんとも珍しい。そんな俺達が、こうしてずっと一緒で仲が良いのは、このおかげだと思っている。運命とさえ思っている。大袈裟だなんて、誰一人思っていない。
「で、さっきの変顔の理由は?」
「変顔じゃねえし。進路のことだよ。し、ん、ろ。今年決めなきゃいけないだろ。俺は無難に店を継ぐつもりだから就職組にしようかってだけ。お前らはどうなんだよ」
「私はまだ」
それもそうだ。まだ学年が上がったばかり。決まっている方が少ない。でも、こいつらも島を出るつもりはないだろう。島を何よりも大切にしているこいつらだ。そう簡単に出るとは言わないだろう。全部憶測なんだけどな。
「大体、夕はいつも危ないことばっかりして!」
「だってさー」
まだやってたのかよ。三人同時にそう思った。
毎日のように見ている光景。夕が危ないことをして、冬花に怒られて。
「二人共、喧嘩は駄目!」
その二人を雫が止めて。
「全く。さっさと行くぞ」
収集が付かなくなる前に俺が声を掛けて。
「何やってるのよ。遅刻するじゃない」
月子が呆れて。
「本当に気を付けてよ」
「わかってるって」
やっと仲直り。
このやり取りを毎日大体五回はやっている。子供かっての。でも、何故だか飽きないし、何だかんだで俺も俺で同じように声を掛けている。つまり俺は、こんなバカみたいな生活が楽しくって仕方がないんだ。こいつらといるのが好きで仕方がないんだ。でなきゃ、十年以上も幼馴染みなんてやっていない。
そして今日もギリギリに到着。後十分位、集合時間を早めた方が良いかもしれない。どうせ、変わらないとは思うけど。
「そういえば、今日って一時間目小テストだったよな?」
「何か問題でもあるの?」
「何それ、嫌味?」
俺と同じクラスなのは月子と雫。夕と冬花が同じクラス。ものの見事に別れた。流石に席は隣や前後にならなかったけど。
「また不合格だろうな」
「ちゃんと勉強してないからでしょ」
「お前は勉強してなくても出来るだろ」
「そうもいかないわよ」
月子は頭が良い。それはもう比べものにならないくらいに。中学時代、常に学年順位は一桁をキープ。テストも九十点台ばかり。高校に入ってもそれは変わらなかった。何でここまで差が出るんだよと嘆きたいのだが、ちゃんと理由はある。月子は、どれだけ好成績を出しても決して鼻にかけたりしない。それどころか、人一倍勉強している。決して努力を怠らないのだ。幼馴染みだからよくわかる。それが月子の凄いところで、俺の尊敬してるところだ。
だから、何も知らないで月子のことをとやかく言われるのはとても気分が悪い。前に一度、そんな奴らに言い返してやったら、月子に滅茶苦茶怒られた。反感さえも受け入れる。本当に月子には頭が上がらない。
「僕もちょっとやばいかも」
「二人して何よ。何処がわからないのよ」
少し口が悪いが(自分も間違いなくそうだが)こうやって結局は教えてくれる。本当は野菜いやつ。それを知っているから、俺達は月子のどんな言葉でも聞くことが出来る。記載セリフで言えば、全てに愛があるのが見えているから。
「ここと、ここの公式を憶えておけば大丈夫よ」
「なるほど。流石月子」
「褒めても何も出ないわよ」
要点だけ言って席に着く当たりが、また彼女らしい。その優しさにいつも助かってるんだよな。ありがとう、なんて恥ずかしくて言えないが感謝してるんだからな。
ちゃんと、お前のことを見てるから。
小テストは月子のおかげで三人とも満点だった。
*
授業も終わり、俺達はいつものように校門前で夕と冬花を待っている。
しかし、今日はいつもより遅い。どちらかが日直で手伝っているのだろうか。それとも、先生に雑用を押し付けられたのだろうか。人が良いあいつらだ。きっとそうに違いない。
数分後、校舎から出た来た男女。間違いない、夕と冬花だ。だけど、少し様子がおかしい。何かあったのだろうか。
「悪い。遅くなった」
「それは別にいいけど」
月子の視線の先には、包帯の巻かれた夕の足。察しがついた。
「体育でちょっと捻っちゃってな。けど、大丈夫だ!」
何を根拠に大丈夫だと言っているのだろうか、このバカ。
「何が大丈夫よ」
怒気を孕んだ声で言ったのは冬花。大方、冬花の制止も聞かずに無茶なことをやったのだろう。その結果、足を挫いた。そりゃあ怒る。俺でも怒る。
「本当に大丈夫だって。直ぐに良くなるって言ってただろ?」
「そうじゃなきゃ困る」
「だから安心しろ。な?」
この二人は本当の姉弟みたいだ。冬花が姉で、夕が弟。だけど、時々逆転する。例えば今この状況。夕が宥めるように冬花の頭を撫でている。どっからどう見ても兄妹にしか見えない。夕が怒らせたのだから、夕がなんとかするのは当然なんだけども。
「ジュース一本で許してあげる。でも、絶対に治るまで大人しくして」
「約束する!」
何方にしろ、今日は夕の方が一枚上手だったってわけか。二人のやり取りを微笑ましく思い、見てる三人で笑いあった。
喧嘩と言う喧嘩はしたことがない。せいぜい、今みたいな小競り合い程度。それが当たり前だと思っていた。いつだってそうだから、何一つ変わらないこの日常が愛おしかったから。
だから大切なことに気が付けなかった。後悔先に立たず。本当にその通りだ。なんてバカだったんだろう。悔やんでも、悔やんでも、時間は戻らない。
あのとき、気付いてやれていたら、もっと違う未来があったのだろうか。
その日の晩、俺は不思議な夢を見た。普段なら直ぐに忘れてしまうのだけど、何故だか頭に残っている。
俺達はあの丘で星を眺めている。何かを話すわけでもなく、ただ星を眺めていた。けれど、何かが足りない。一体何が足りないのだろう。いくら考えてもわからない。内容は憶えているのに、その光景は薄っすらとしか出て来ない。靄がかかっていて、皆の顔も星もよく見えない。―――あれ。俺達って何人で星を眺めていたっけ。××と○○と、それから。あ、れ、××って誰だろう。ああ、駄目だ。思い出せなくなってきた。
どんな夢を見たんだっけな。
2
それは突然だった。
「なあ、今年の夏休みどうする?」
夕の一言で困惑する俺達。それもそのはず、今日はまだ四月二十日。進級して間もない。増してや夏なんてまだまだ先。第一、このくらいの時期なら「GWどうする?」が普通ではないのだろうか。
「気が早すぎ。そんな先のこと、わかるわけないでしょ」
「月子ちゃんの言う通りだよ」
不貞腐れた顔でみつめてくる夕。俺なら助けてくれるとでも思っているらしい。二人のダブルパンチ(雫の方は天然)を諸にくらい、相当心にきたようだ。仕方がないな、と心の中で呟いて、ご期待の助け船を出す。
「何でいきなり夏休みなんだよ」
「待ってました!」
キラッ、と言う効果音が付きそうなくらいの笑顔になった。相当言いたいことなんだろう。わかりやすい。
「今年は、皆で島の外に泊まりに行きたいんだ!だから、早めに決めておきたくて」
「いや、幾ら何でも早すぎだろ!」
「ナイスツッコミ」
いやいや、夕のツッコミとかそこら辺のことはお前の担当だろうが、冬花。仕事しろよ保護者。まあそれは置いておくとしよう。島の外に、か。
「良いんじゃない。来年はきっと遊べないだろうし」
意外や意外。一番反対しそうな月子が、一番に賛成した、確かに彼女の言う通りだ。来年は高校三年生。就職組と受験組に別れてしまうから、きっと遊べない。皆同じ選択だったにしても、それぞれがやらなければいけないことを必ず抱える。遊んでいる暇なんて何処にもない。だから、今年が皆で遊べる最後の夏休みになる。だから思い出を作りたい。夕と月子もそう思ったのだろうか。
「そうだな。行くか」
「楽しみだね」
「全く。私が行かなきゃ、夕の面倒を見る人がいないもんね」
「ありがとな、皆!」
今年の夏は忙しくなりそうだ。誰もがそう思い、まだ見ぬ夏に胸を弾ませていた。
しかし、それは月子の一言で簡単に砕けた。
「中間と期末で欠点取って、補修を受けることになるバカがいなければだけどね」
約二名凍り付いた。俺と夕だ。
だと思った、とでも言いたげな冷たい目を向けないでくれ。お願いだから。
「で、何か言いたいことは?」
諦めろ。楽しい夏休みのためだ。こればっかりは仕方がない。
「べ、勉強を教えて下さい。お願いします。月子様」
「お願いします」
「じゃあ、今から家で勉強会ね」
*
机に向かってから約十分。早くも一名が机に突っ伏した。五秒程で引っぺがされたが。
「欠点取りたいの?」
「いえ」
「じゃあやりなさいよ」
「はい」
あの後、本当に月子の家で勉強会をすることになった。まさか、こんなにも早くからテスト勉強をすることになるなんて思いもしなかった。一年の時に欠点を取った俺が悪いです。
この会の目標は明確。『テストで欠点を回避する』だ。これをクリアしなければ、確実に補修行き。そして、夏休みに島の外に行けない。負のスパイラル決定。それだけは、絶対に回避しなければ。
中間か期末の何方か片方がセーフなら、補修は免れることが出来る。さっき月子から聞いた。当たり前のことだが、期末の方が圧倒的に難しくなる。中間で欠点を取ってしまったら、もう絶望的だ。
俺は英語が死ぬ程ヤバい。他の教科は全然大丈夫なのに、英語だけはどうしても出来ない。単語テストでは口に出せないほどの点数だし、長文は読めない。つまり壊滅状態。大体、日本人なのだから日本語だけ出来ればいいじゃんか。国外に行くつもりは全くないし、もし話しかけられても月子がいれば何とかなるし。とか言ったら、月子に殴られるので大人しく勉強しよう。
因みに夕は全教科である。生活面では天才的なのに、勉強面では相当なアレだ。バから始まってカで終わるアレ。去年は欠点パーティーだったらしい。未だに無傷で進級できたことが信じられない。
ここまで言ったら、もうおわかりだろう。開始十分でぶっ倒れたのは夕である。
「やっぱ無理。数字が襲ってくる」
「勉強してないからでしょ。本当にバカなんだから」
夕の言いたいことは痛いほどわかる。俺だって英単語が襲ってくるような感覚だ。だけど、やらなければならない。でなければ、俺達に夏はない。
「太陽、手止まってる」
「無理。英単語が襲ってくる」
「夕の真似したって無駄だから」
今一瞬受け流しそうになったが、それって夕のこと半分以上諦めてるような発言だった気がする。夕もやれば出来る(はず)と思うから、諦めないでやってくれ。
「つーきーこー。何か簡単に良い点とる方法ないのか?」
「あったら、私が勉強を教えることもなかったはずよ。やるって言ったからには、ちゃんと最後までやりなさいよ」
「はい」
夕が月子に負けてしまった。まあ今のは月子の言う通りだな。それがあれば苦労しないっての。誰か発明なりしてくれないかな。無理だわ絶対に。何考えてるんだか。どうやら気分がハイになってきているらしい。いつも勉強してないからだ。それ以外に何があるって言うのだ、いやない。こういうのを反語って言うんだったよな。英語をしているのに古典が出て来たよ。もう駄目だわ、これ。
「太陽、手」
「鬼」
「黙れ、バカ」
何も言い返せないのはその通りだからだ。
鬼教官の勉強会はテスト前日まで及んだ。時々ネジが飛んで行ってしまったこともあったが、何とか耐えきった。はず。
五月十六日。中間テスト初日。
去年と比べて科目数は増え、担当の先生も変わったことからか、教室の気温が少しだけ下がっているように感じる。理由は何であれ、皆緊張しているようだ。いつも騒いでいる女子達も、バカなことばかりしている男子達も、比較的騒がずに勉強している。テストの空気感と言うのは、ここまで影響力があるのか。改めてテストなんだと実感した。
今日の科目は、日本史、古典、数Ⅱ。日本史が少し心配だが、後の二つは大丈夫だろう。いや、三週間前からあんなに勉強したんだ。しかも月子に付きっ切りで教えてもらいながら。絶対に大丈夫。自信を持て。こうなったら自己暗示だ。
「太陽くん、大丈夫?」
後ろの席の雫が心配そうな顔をしている。
「た、多分な」
そう言って笑いかけると、安心したような柔らかい笑みを浮かべる。出来る気が増した。
「そろそろ始まるね。太陽くん頑張ったんだから、大丈夫だよ」
「ありがとな」
テスト開始のチャイムが鳴り響く。それと同時にシャーペンの音も一斉に鳴り始める。
以前よりも動く右手に高揚感を憶えた。月子はいつもこんな感覚だったのか。それを感じられたのが、堪らなく嬉しかった。この調子で他の教科も頑張ろう。俺なら出来る。そう思った。
しかし、三日目に悲劇は起きた。
「わかるかよ、こんな問題!」そう叫びたくなったのは、英語表現のテストだった。以前より格段にわかるようにはなった。長文もある程度なら読めるようになった。けれども、苦手なものは苦手だった。問題後半に差し掛かったところで手が止まった。そのまま時間だけが過ぎていく。やばい。せめて後二~三問は解かないと。そうは思っても、わからないものはわからない。ギリアウトかギリセーフの瀬戸際。本格的にヤバい。月子に殺される。夏休みが消える。早く解かねば。焦れば焦るほど、冷静さを欠いていき頭が回らなくなる。心拍数が上がって手が震える。その間も時間は過ぎていく。そして、無情にもチャイムが鳴り呆気なく回収されていった。
「どうだったか聞くまでもないようね」
「半分程は書いた」
「ということは、夕の方はもっと駄目そうね」
確かに俺は駄目そうだけど、だからといって、俺を基準にして夕も駄目だと言うのはやめてやってくれ。去年取った最低点が十五点だと言っていたが、まだ諦めないでやってくれ。
「だ、大丈夫だよ。祈ろう!」
雫の天然発言には時々心を抉られる。つまり俺は祈らないといけないレベルだってことか。その通りだ。
「終わったものは終わったのよ。諦めなさい。切り替えて明日の勉強よ」
「わかってるし」
「じゃあ、早く帰りましょう。あの子達、きっと校門で待ってるわよ」
「そうだな」
立ち上がろうとしたとき、同じように立ち上がろうとした影が揺らいだ。鈍い音を立てる椅子。振り返れば雫が座り込んでいた。
「雫、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと躓いちゃっただけだから」
そう言って、手を付き腰を上げた。しかし、一向に立ち上がる気配がしない。
「あ、れ?何か力入らないや」
打ち所が悪かったのだろうか、手を貸そうと俺は屈みこんだ。そして気が付いた。雫の顔が少し紅潮している。額に手を当ててみると少し熱い。
「雫、熱あるんじゃないのか?」
「言われてみればそうかも。さっきから調子悪くって」
熱だと判明したからか、さっきよりも辛そうな表情になってきた。
「冬花と夕を呼びましょう。太陽、雫をおぶってもらえる?二人の荷物は、皆で交代で持つから」
無言を肯定として、冬花に電話を掛けると直ぐに教室まで来てくれた。
「雫大丈夫?」
「明日のテスト、どうしよう」
「テストなんて良いから休んで!」
冬花の言う通りだ。熱があるのに休まずに勉強なんてしたら、悪化するに決まっている。
「わかった」
「雫、手貸して」
雫をおぶり、月子の誘導で家まで送り届けた。彼を下した後もしばらくの間、背中が熱かった。それほど熱が高いということだろう。早く良くなることを誰もが祈って、今日は終わった。
*
「何で後一~三点が取れないのよ」
テストが終わり答案が返ってきて、愕然。英語表現の点数は三十八点。後一問正解していればセーフだったというのに。夕も世界史が三十七点、日本史が三十九点、数Ⅱが三十八点という結果で僅かに届かなかった。その反省会を教室で行っている。
「熱を出していた雫でさえ、四十五点だったのよ?何で元気だった二人が欠点だったわけ?」
そう、雫は俺達の制止も聞かずに保健室でテストを受けたのだ。
「もう大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だよ」
「なら良かった」
大丈夫とは言っているが、まだ若干顔が赤いように見える。テストが終わって土日を挟んで四日間も休んで、今日やっと来れたのだ。もしかしたら、まだ完璧に治ってないのに来たのかもしれない。しばらくは様子を見ておいた方が良さそうだ。
「期末で取り返すって!」
「バカ夕が出来るとは思えないんだけど」
「何だと!」
何か知らない間に言い合いになってるし。ただ単に夕が絡んでいるだけの気もするけど。
「まあ、あの夕にしては頑張ったんじゃない?」
嘘だろ。月子が褒めた。全員ポカンとしている。口を開けてバカみたいに。無論俺もその一人だ。なんて威力なんだ。
「月子に褒められた」
「ちょっと!私だって褒めたりするわよ!」
三ヶ月に一回ぐらいだろうが、このツンデレ野郎が。だけど、そんなツンデレが褒めるほど夕は頑張ったのだ。欠点だけど、とかいうツッコミは受け付けない。普段が悪すぎたんだ。ほぼ全教科欠点だったのが三つまで減ったのだ。そういうことにしてやってほしい。でなきゃ夕が可哀想だ。
「とにかく、期末で絶対に点を取るのよ!」
「わかってるって」
「太陽もよ!」
「はいはい」
期末はもっと死ぬ気でやらねば。
月子、夕、冬花と別れ雫と二人になった。家が一番近いのは雫。様子見をしている最中だったので比較的長く傍にいられるのは都合が良かった。今のところ大丈夫そうだが、またいつ熱を出すかわからない。季節の変わり目だ。体調も崩しやすくなっているし、既に一度熱を出しているのであれば、なおさら気を配らなければならない。
俺が世話を焼き世話を焼かせている相手は、月子より雫の方が多い気がする。根拠とか、何かしらのエピソードがあるわけじゃないんだけどな。
「太陽くん、この前はごめんね。後、ありがとう」
「まあ、別にいいけど」
相変わらずぶっきら棒な返事。いつもそうだ。呆れる。お礼を言われたぐらいで照れてしまう。それでつい、生返事になったり、不愛想な返事をしてしまう。
「うん。ありがとう」
でも、こんな俺に笑顔を向けてくれる人達と出会った。俺と同じような奴もいれば、全然違う性格の奴もいる。その中の一人が雫だ。彼は、俺のどんな返事にも笑ってくれる。真っ直ぐで優しい笑みを。その笑顔に何度救われたことか。感謝してもしきれない。
「じゃあね、また明日」
「またな」
曲がり角と分かれ道。背中合わせに進んで行く。振り返れば、ちょうど雫もこちらを振り返った。二人して吹き出した。小さく手を振って、再び前を向いて歩き出した。その後は一度も振り返らなかった。
若葉が一枚ひらひらと舞っている。西日に照らされた葉脈は儚くとも美しい。
ただそれだけ。季節相応のワンシーンだった。
それすらも、手放したくないと思える日が来るのだろうか。
柄にもないことを考えた、普通の放課後だった。
3
『ごめん。熱ぶり返しちゃったみたいだから、今日は休むね』
雫から来ていたメールの内容だ。一斉送信だから皆も知っているだろう。
「大丈夫かよ」
昨日は下がっていたみたいなのに。もしかして五月病だろうか。でも、雫が五月病なったことなんて一度もない。彼は根っからの真面目。五月病なんてありえない。それに、ただの風邪にしては変な感じがする。何ていうのか、漠然とした不安が込み上げてくる。ただの杞憂だといいのだけど。
学校が終わったら皆でお見舞いに行こう。雫には内緒にしておいて、急に行って驚かせてやろう。そうとなれば、早速皆に連絡だ。
『学校が終わったら、雫のお見舞いに行かねえか?雫の好きなシュークリームでも買って。因みに、このことは雫に内緒だからな』
数分後、皆から返事が来た。全員一致の賛成だ。きっと喜んでくれる。あそこのシュークリーム大好きだからな。早く放課後になればいいのに。あれ、放課後?
ふと時計を見ると、八時十分と表示されている。一応、携帯でも確認。時刻は同じ。
嘘だろ。のんびりしすぎた。いつもなら集合場所についていて、皆で学校に向かって歩き出す時間だ。つまり遅刻。ヤバい。もしかしたら、まだ待っているかもしれない。
急いで制服に着替え、支度をしていると新着メールが一件届いた。月子からだ。これは本格的にヤバい。恐る恐るメールを開く。
『その素敵な案に免じて、遅刻の件は許してあげる。私達は先に行くけどね』
薄情者め。
*
本鈴と同時に教室に飛び込んだ。
「せ、セーフ?」と聞くと、何人かが「セーフだよ」「偶々先生が来るの遅くて良かったな」と言ってくれた。本当に良かった。
「間に合ったのね」
「うるせえ。薄情者」
「良いじゃない。結果的に間に合ったのだから」
そう言われてしまえば、言い返すことが出来ない。ボキャブラリーが少なすぎて困る。こういうときに国語力が必要なのか。ちょっとだけ国語の必要性がわかった気がする。気がするだけ。きっと勉強なんてしない。
「早く会いたいね」
月子が何か言ったような気がしたが、遅れてきたことを謝罪する先生の声に掻き消されて聞き取ることが出来なかった。
授業は全く耳に入らない。板書も写す気にならない。いつもなら長く感じない教科ですら、何時間もやっているような感じがする。時の流れが異様に長い。変わらないはずなのに、変わらないと知っているのに、それでもそう感じる。それは、月子も同じようだった。珍しく上の空で、窓の外を眺めている。もしかしたら、夕と冬花も同じではないのだろうか。そんな気がした。
早く放課後になれ。早く雫に会いたい。頭の中は彼に関することでいっぱいだ。
長かった一日にピリオドを打ち、教室から飛び出した。皆、ほぼ同時にだ。やっぱり、俺達は何処か繋がっているのかもしれない。
互いに一言も話すことなく、ひたすら走った。話しながらだと速度が落ちるからだ。お目当ての店に辿り着いたのは、学校を出て数分後のことだった。全速力で走り続けたため、皆肩で息をしている。落ち着いたところで、ようやく月子が口を開いた。
「早く選びましょう」
「そうだね」
店内は甘い香りで充満していた。ガラスケースの中には美味しそうなシュークリームが沢山置いてある。どれが良いだろうか。
「どれも滅茶苦茶美味そうだな!」
夕のようにはしゃぎたくなる気持ちもわかるが、店員の子が引き笑いをしているからやめて頂きたい。
「どうする?」
「無難にカスタードとチョコで良いだろ」
「いや、ここは変わり種でしょ!」
「いやいや、無難だろ!」
何でここに来てまでこうなるんだよ。無難派と変わり種派での争いが勃発。言うまでもなく、夕と冬花だ。因みに俺はどちらでもいい。だって、雫ならどちらでも喜ぶはずだからだ。中々決まらない。何のために走ったのかわからなくなってきた。
「絶対、無難!」
「絶対、変わり種!」
二人の横を月子がさっと通って注文口に立つ。
「はあ。カスタードとチョコとレモンミルクと激辛カレーを一つずつ下さい」
うん。やると思った。月子ならそうするって確信していたよ。こういうときの彼女の判断力と言ったら、本当に頼りになる。羨ましいなんて、一ミリも思っていない。
「早く行くわよ」
「お、おお」
ポカンとする二人にも声を掛けて、店を後にした。口には出せなかったが、店員さん、お騒がせしました。
雫の家は店からあまり離れていない。大体五~八分位だろうか。でも、その数分さえも長く感じる。こんなにも離れていただろうか。
「二度と店の中で騒がないでよ。恥ずかしいから」
「はーい」
「ごめん」
「わかれば良いのよ」
月子のお説教も一段落したとき、遠くの方、とはいっても比較的近い所で何か音が聞こえる。月子達も気が付いたらしく、顔を見合わせる。誰もが怪訝そうな顔をしていた。それと同時に不安の色が見え始めた。だって、この音が一体何なのか俺達は知っているから。
気が付いたときには、走り出していた。近付けば近付く程大きくなっていく音。違うって信じたい。それは俺達の勘違いだって思いたい。思いたいじゃない。違う。ただの勘違い。早く行って、確認しないと。必死に走った。今日三回目の全力ダッシュ。疲労なんて感じている暇もないくらいに、ただ走った。その最中で、なんとなくわかってしまったけれど、それでも信じて走った。最後の角を曲がれば、一台の救急車が止まっていた。俺達の目は、救急車ではなく違うところに釘付けになっていた。雫が運び出されるその瞬間に。
「雫!」
俺達の声に反応したのは、雫のお母さんの朝子さんだった。
「皆、ごめんなさい。とにかく、今はついてきてくれないかしら」
そうはいっても、乗り込めるのは精々後二人だ。じゃんけんとかしている暇はない。どうやって決めればいいのだろうか。わからない。頭が回らない。テストの時と同じ感覚だ。焦るな。落ち着け。
「月子と冬花が先に行けよ。俺と太陽は走っていくから」
「でも」
「大きな病院なんて一つしかないだろ。場所だってわかってるから」
「ありがとう」
月子と冬花が乗り込んだと同時に扉が閉まり、救急車は走り出した。
「ごめん」
「行くぞ」
どうして俺は肝心な時に頭が働かないのだろう。夕は直ぐに判断してっていうのに。そうだよ。考える必要なんてなかったじゃないか。全部、夕の言った通りなのだから。なんてバカなのだろう。呆れる。
「クソッ」
小さく呟いたそれは誰の耳にも届かなかった。
「こっち」
病院の入り口で俺達を待っていたのは月子だった。彼女に連れられて辿り着いた先にあったのは、集中治療室の文字。そして項垂れている冬花と朝子さん。どれだけ否定しようとも、芳しくないということは明確だ。
「なあ、月子。お前、もう知ってるんだろ?教えてくれよ」
夕も月子をみつめる。
意を決したかのように、重い口を開いた。
「雫は、一年前から、癌だったそうよ」
「は?冗談だろ」
「こんなところで冗談を言うわけないでしょ!」
普段は聞かないような声。最初から冗談じゃないってわかってはいた。だからこそ確認したくなったのだ。結果、月子を怒らせてしまった。
「ごめん」
「謝らないでよ」
頬を伝う熱いモノは、俺の目からだけでなく、夕と冬花の目からも流れていた。
ただ、月子の目からは何も流れていなかった。
4
俺達が出会ったのは、三歳の頃だった。
この頃から口が悪かった俺は少し浮いていた。幼稚園児をなめてはいけない。案外、幼い子供の方がそういうのは激しい。何か気に入らない。この子嫌だな。小さな不満が集団となって動き出す。飲み込まる手前まで歩いていたのが俺だった。
純粋に話すのが苦手だった。人を前にすると、どうしても緊張して上がってしまい口が悪くなってしまう。ただそれだけで、決して悪意を持ってそうしていた訳ではない。でも、それすらも言えない俺にはどうすることも出来なかった。ほとんど諦めていた。
そんな俺を助けてくれたのが、あいつらだった。
「毎日飽きないの?」
「何やってるの?」
独りで砂山を作っていた俺に、真っ先に声を掛けてくれたのが、月子と雫だった。
「別に」俺はまた、ぶっきら棒にそう言った。
「ふーん」月子がそう言った。
また、嫌われたかな。そう思った。だから次の雫の一言は思いもよらないものだった。
「僕達も一緒にやってもいい?」
何て返事をすればいいのかわからなかった。普通なら『いい』か『駄目』だ。勿論、俺の心は大きく頷いた。後はそれを言葉にするだけ。それが難しかった。口に出せばまた変なことを言ってしまうかもしれない。だから、こうした。
地面に指で『うん』と書いた。いや、普通に頷けばいいじゃないか。そう思うかもしれないが、それすらも苦手だったということも理解してほしい。
「ありがとう!僕、雫っていうんだ」
「月子。よろしく」
屈託のない笑みを浮かべる二人に、心が揺れたのを憶えている。
その日から俺は二人と遊ぶようになった。特に何かを話すわけでもなく、ひたすらに砂山を作った。そうしているうちに、段々と緊張もしなくなり話せるようになった。口調はこのとき既に癖になってしまっていて治らなかったが、それでも二人は一緒にいてくれた。
園内での蟠りも解けてきた頃、砂山作成チームに夕と冬花が加わった。俺達の奇行に何かフィーリングでもしたのだろうか。
こうして、俺達は友達になった。もう十三年も前の話だ。事細かに記憶に残っている。話し出すと切りがないくらいに、皆と過ごす毎日が楽しくって仕方がなかったんだって、改めて思った。改めて、この中の誰一人欠けたらいけないって思った。
鳴り響く目覚ましを素早く止めた。
携帯を見るとメールが届いていた。冬花からだった。内容を確認して、返信した。
制服に着替えて家を出た。
いつもの集合場所に着いた。俺が最後だった。
四人で肩を並べて歩いた。
一人足りない、いつもの朝。
俺達だけがいつも通り。いや、街の皆も、クラスの皆も、いつも通り。いつも通りを送れていないのは、彼と彼を取り巻く環境だけだ。その環境にいた筈なのに、俺達は何も変わらない。何故だろう。きっと、今あそこにいても何も出来ないからだ。何て無力なのだろう。
昨日の夜のことは、あまり憶えてない。雫のことを聞いて、そこからが抜け落ちている。気が付いたら朝になっていた。多分、皆そう。
教室で再び聞かされた真実は耳を塞ぎたくなるもので、そんなことをしても無駄だってわかっているから、何人もの人が泣いていた。俺も泣いた。依然として月子は涙を流さない。
その日はまるで授業にならなかった。先生が間違えて雫を当ててしまい、治まってきていた悲しみが再び溢れだした。それくらい、彼が皆に与えた影響は大きかったのだと知った。今更ながらに、彼が人気者であることを知った。
いつも通り皆で帰った。相変わらず会話はなかった。
そんな日々が一週間続いた。
一週間ぶりに聞いた友人の言葉は月子の「雫が目を覚ましたそうよ」だった。
自転車に跨り病院を目指した。
途中で冬花に会った。
病院の前で夕と会った。
病室の前で月子と会った。
久しぶりに会った、もう一人の友人は涙を流しながら言った。
「ごめんね」と。




