恐るべし塩素
先日、久々にプールへ行ってきた。
子供が平泳ぎの習得に意欲を燃やしているため、その付き添いである。
私自身はほとんど泳げない。
一応、「顔を水につける」「けのびをする」「手をかく」「足をばたつかせる」などの行為はできる。
ただし致命的なのが、「息継ぎが全くできない」ということだ。
そのため、事前に肺へ空気をため込み、呼吸停止状態を作ってから(!)泳ぎ始める。そこからてんでんばらばらに手足をばたつかせ、息苦しさのあまり仮死状態に陥ったところで立ち上がる。
振り返れば、わずか十メートルほどしか前進していない。
これが私の渾身の無呼吸泳法である。
今回、私は生まれて初めてゴーグルというものを装着してみた。
しかし、これがまた非常に「いずい」(=当地の方言で「「しっくり来ない・フィットしない」の意味)のである。
最初にベルト部分を引っ張り、後頭部へ引っかけようとするのだが、なかなかうまくゆかない。何とかジャストポイントにはまったと思ったら、スイムキャップを押し上げて河童の皿みたいにしてしまう。
しまいには首と顎に力を入れ過ぎたあげく、苛々のリミッターが振り切れ、般若のような顔つきになってしまった。
悪戦苦闘の末にゴーグルをはめたのはいいが、眼への圧迫感がもの凄い。普段は顔の中央部付近にある両眼が、草食動物並みに顔の両端へと強制移動させられている感じだ。
その上、レンズ部分に水がかかると視界全体が水玉模様になり、ろくに物が見えない。私はもともと、視力表の0.1の巨大ランドルト環さえ黒い塊にしか見えない強度の近視だ。正に五里霧中という有様である。
そんなわけで、草食動物ふうの目の位置をキープした般若は、自己流の無呼吸泳法を繰り返した。
周囲の人の目には、「アマゾンの川でピラニアの大群に襲われている水牛」に見えたかも知れない。
近くのレーンでは、長距離をまともに泳げる方々が優雅に水と戯れている。まるで人間の形をした新種の魚類みたいだ。
私自身、実は「いつか25メートルを泳げるようになりたい」という無謀な野望を抱いている。
その野望を阻んでいるのが、「息継ぎができない」という事実なのだ。
水泳について述べたサイトを見ると、「水中で鼻から息を吐き出し、肺を空にしてから顔を上げて空気を吸い込む」と書かれている。確かに、私のように呼吸を止めたままでは新たな空気を取り込めないから、長く泳げるわけはない。
私は一大決心をし、水中で鼻から息を吐き出した。
そして自分が排出する空気の泡の大きさに笑いがこみ上げ、思わず「水中で」「鼻から」息を吸い込んでしまった。
……プールの水の塩素が鼻や喉の粘膜を直撃する。
あまりの痛さに私は悶絶し、ありとあらゆる呪いの言葉を吐いた。この日、塩素は強力な敵を一人作ったことになる。
いつか時間とお金ができたら、スイミングスクールできちんとした泳法を学びたい。そして、「アマゾンの川でピラニアの大群に襲われている水牛」から「泳いでいる中年女性」へと昇格したい。