4. 予感
ドームの空が茜色に染まり、朱色の雲に覆われる。時計塔は夕刻を告げる鐘を鳴らしていた。
今日はアルバイトも休みなので、スーパーの安売りを狙って買い物をする日だった。イソラは帰宅する生徒たちで溢れる鉄道に揺られながら、並んで吊革に手を掛けているアロイスを見上げた。
イソラのファミリア・スピリットとして現れたアロイスは、学園で一応認められ、明日からは制服を着てくるようにと、学園の制服を支給された。
終始くっ付いて回っていたラナから解放され、帰宅の途に着いてはいたが、アロイスは不機嫌そうに押し黙ったままだった。ラナはとにかく押しが強い。
アロイスは相手にしないようにと努めていたが、ラナは全く気にすることもなく、アロイスについてまわっていたのだ。
ヨージフはといえば、呆れるどころか「あそこまで人を想えるなんてすごい」と驚いていた。
イソラは、アロイスがイソラと距離が開かないように、絶妙に声を掛けてくるラナに驚いていた。表面上は自己中心的に見えるラナだが、実際はちゃんと周りの事も考えている。
華やかな外見のラナだが、その心遣いは繊細だった。
長く感じた一日を振り返りながら、鉄道で商店街のある駅で鉄道から降り、歩いているとアルバイト先で馴染みのある人たちに声を掛けられた。
「イソラ、彼氏できたのかい?」
アロイスを見て、八百屋のおじさんはからかうように笑う。イソラは慌てて首を振って否定した。
「ち、違うよ! 私のファミリア・スピリットだよ」
「へぇ! いつも失敗ばかりのイソラが、こんなに立派なファミリア・スピリットをねぇ!」
向かいの花屋のおばさんも出てきてアロイスを眺めまわすと、アロイスの顔は不機嫌さを増した。
「う、うん。じゃあ、またお店に来てね!」
アロイスの感情を読み取ってイソラは慌ててその場を離れる。スーパーまで足早に辿りつくと、少し後ろを歩いているアロイスをちらりと見上げた。
「すみません……」
「どうして謝るの? 君は何も悪い事なんてしてないでしょ」
「うん、そう……なんだけど」
「彼氏に間違われることくらい、別に気にすることじゃないよ。買い物、あるんでしょ。早く済ませてくれないかな」
「は、はい。あの、今日は卵がおひとり様ワンパックなので、私とアロイスで二パック買いたいんですけど……」
スーパーの入り口のチラシを見ながらイソラが声を掛けると、「ええ……」と不満そうな声が返ってきた。
それでも食料調達は重要である。懇願するようにアロイスを見上げていると、大きな溜息をついて、アロイスは諦め顔をした。
「そんな目で見ないでよ。買い物付き合うから」
「ありがとうございますっ」
二人分の買い物となると、それなりの荷物になってしまったが、アロイスは無言でイソラが持つよりも先に重い方の買い物袋を持ってくれた。
長身のアロイスは歩幅も大きいが、イソラに合わせてゆっくりと歩いてくれる。口では冷たい言い方をしていても、行動はいつも優しい。そんなアロイスが可愛く見えて、イソラはこっそりと笑みを浮かべた。
イソラが暮らすアパートに着くと、アロイスは階段を上がらずに立ち止まった。視線の先を追うと、彼はオンボロのアパートを仰ぎ見ていた。
「アロイス?」
「ここに住んでて、何か感じたりしたことある?」
視線をアパートから逸らさずに、アロイスはイソラに問いかけてきた。
なぜそんなことを聞くのか、理解できずにイソラは首をかしげながら首を振った。
「この壁をよく見た事ある?」
「アパートの壁? ないですけど……」
言われて、アパートの壁に近づいてよく見てみると、何か書きこんである。
それに気付いて続く壁をよく見てみると、消えそうになっている書き込みは、幾度も重ねて書かれている所もあれば、壁の塗装と一緒に剥がれ落ちてしまって何が書かれているのかわからなくなっている部分もあった。
「何か、書いてありますね。全然気づかなかった」
「じゃあ、ここに書いてある文字が、すべて闇の精霊を喚び出すスペルだってわからなかったんだね」
「……闇の精霊?」
「喚び出されるのは夜中。イソラがぐっすり眠っている時間だよ」
アロイスがイソラの隣に立って、指先で書きこまれているスペルをなぞる。
「これはまた……随分と古いスペルを使ってる。重ねられてる分、複雑だな。これじゃ、中途半端に喚び出された精霊たちも苦しんだだろうね。昨日の夜中も随分と悲鳴を上げていたけど」
アパートに住み始めてからすでに一年は経っているが、イソラは一度も悲鳴を聞いたことはなかった。
「じゃあ、今夜も?」
「そうだね。今夜も強制的に喚び出されて、苦しみに悲鳴を上げるだろうね。どうする? 今のうちに手を打っておかないと、イソラにも危害が及ぶことになるけど」
「でも、今まではなにもなく過ごしてきました」
「今は、なぜかイソラの部屋には入れない様になってる。多分、イソラ自身の力だと思うよ」
「私、の?」
「そ。君がうまくスペルを使えない理由もそこにあるんじゃないの?」
アロイスの言葉を頭の中で反芻しても、イソラは首を捻るだけだった。
「で、どうする? イソラに危害が及ぶと俺も危ういんだよね」
「なんとか、出来ますか?」
「イソラが協力してくれればね」
イソラはしっかりと頷いたが、実際は何をどうするのかさっぱり分かっていなかった。
毎晩、喚び出されているという闇の精霊に遭遇したことがないからか、危ないと言われても危機として実感できなかったのだ。
アロイスも全く焦っている様子はなく、のんびりとイソラの作った夕食を食べ、二日に一度の銭湯へ行くと言うと興味を持ったのか、一緒に行くことになった。
二人分のタオルと石鹸を小さなバッグに用意して家を出ると、アロイスは一度アパートを仰ぎ見てから、イソラに付いてきた。
「銭湯は初めてですか?」
「まぁ……」
「お風呂の入り方や注意事項は、脱衣所の壁に貼ってあるので読んでみてください」
「大体想像はつくけどね」
ツンと面倒くさそうに言うアロイスに笑いを堪えながら、イソラは星の浮かぶドームを眺めた。
偽物とは言え、星の瞬きや雲が本物とどう違うのかわからないくらいに作られている。頬を撫でていく心地よい風も、スペルではなくビル風だと教師が言っていた。
その夜空に機械的に点滅する光を見つけた。
「飛行船が飛んでいますね」
「見張りのでしょ。スペルに支配されてるのか、科学に支配されているのか、わからない世界だ」
どこか独り言の様にアロイスは呟いていたが、その言葉の意味を理解しようとイソラはアロイスの視線の先を追った。
見張りの飛行船は無人で、スペルの暴走をいち早く発見してくれる。また、空での事故を防ぐために交通ルールとして飛行は許されていない。
時折現れる交通ルール違反者を発見追跡するのも、この飛行船の役目だった。
「イソラ、ここじゃないの?」
夜空ばかりを眺めて歩いていたイソラは、危うく銭湯の前を通り過ぎようとしていた。
「あっ! そうです。ここです」
「ちゃんと前見て歩かないと。危ない目にあっても知らないよ」
呆れた様に言うアロイスだが、口ではそんなことを言っていてもアロイスはちゃんとイソラを助けてくれる。本当は優しいくせに皮肉ばかり言うアロイスを微笑ましく眺めていると、ジロリと睨まれてしまった。
「人の顔じろじろ見て、何か言いたいことでもあるの?」
「え、いや……」
「頬が緩んでるけど? 変な事でも考えていたの?」
「へっ、変な事ってなんですか?」
「俺がイソラの思考を知るわけないでしょ」
アロイスは気に食わないと言うように、拗ねた顔をして男湯の入口へと入って行く。
「アロイス! 上がったらここで待っていてくださいねっ」
「……ちょっと、大声で呼ばないでくれる? イソラが上がるまでちゃんと待ってるから」
嫌そうにいいながらも、アロイスは暖簾をくぐって消えていく。最初はアロイスの冷たい目に恐怖を感じたが、今はそんな恐怖は消え去り、可愛いとさえ感じてしまう時がある。
ただ、アロイスと対する時に緊張に体を強張らせてしまう時はあるが、慣れていけばきっと自然とファミリア・スピリットとしてやっていけるだろう。
イソラは明るい気持ちに嬉しくなりながら、銭湯の暖簾をくぐった。
きっといいことが待っている、いいことが起こりそうなそんな予感すら感じていた。
そして、この時の予感が全くの当てずっぽうだったことに、イソラは後になって気づくことになる。




