さよならダンボール・マシン
ネットのオカルト掲示板で見つけた眉唾ものの設計図。「重力と地磁気の歪みを利用し、第四の次元に干渉する装置」。要はタイムマシンだ。用意するものは、スーパーで手に入る大きめのダンボール箱と、アルミホイル、そしてほんの少しの現実逃避願望。
くだらない、と思いながらも、退屈な日常が俺にダンボールを被らせた。ストン、と箱が足元に落ちた瞬間、アスファルトの匂いはむせ返るような土と草いきれの匂いに変わっていた。どうやら成功らしい。
「ばかばかしい! そんな張りぼてで時を超えたと申すか。ならばもう一度やってみせよ! 何、壊れてできぬと? 語るに落ちたな。さては他国の忍びであろう。者ども、こやつを打ち首にせよ!」
どうやら江戸時代のどこかの城に不法侵入してしまったらしく、俺は厳つい家老の怒りを買い、いきなり死刑宣告を受けることになった。
「待て」
今まで黙って即決裁判を聞いていた、どこか村上龍に似た殿様が、初めて口を開いた。
「こやつ、なかなか面白い嘘を抜かす。その奇妙な身なり、まんざら出鱈目とも思えぬが……。よし、気に入った。お主、名はなんと申す?」
「角川春彦です」
「そうか、ハルヒコか。よしハルヒコ、貴様、わしの代わりをせい。近々、参勤交代で江戸へ赴かねばならぬ。正直、退屈でかなわん。その点、お主は飽きさせぬ。その間、この城を預ける。役職は『定番』じゃ」
殿様は悪戯っぽく笑った。どうやらこの人も、退屈を持て余しているクチらしい。こうして俺は、現代でいう中国地方の城で、留守居役をすることになった。
数日後、城内で一人のくノ一が捕らえられた。
「まったく、近頃は物騒なことよ」
家老の愚痴をよそに、俺はそのくノ一の姿に目を奪われた。黒装束のはずの忍びが、なぜか鮮やかなピンクの服を着ている。
「君、もしかしてこの時代の人じゃないだろ?」
俺の問いに、彼女は驚いたように顔を上げた。
「バレちゃいましたか。お察しの通り、未来のアキバから……まあ、事故みたいなもので転送されてきたコスプレイヤーです。向こうじゃ、ただの冴えないオタクでしたけど」
彼女は自嘲気味に笑う。
「でも、こっちに来て、生きるか死ぬかの毎日を過ごして……気づいたんです。私、こっちの方が性に合ってるって。初めて、自分が生きてるって実感できた。今じゃ、忍者二級の免状持ちです」
その夜、俺はサオリと名乗るレイヤーと、それぞれの時代のことを語り明かした。彼女は元の世界から、いくつかの「装備」を持ってきていた。ブラジャー、パンティ、そしてなぜか電動バイブ。
「サオリ、頼む! そのバイブを貸してくれ!」
「え、何するんですか! ダメですってば!」
俺は半ば強引にバイブを奪い取ると、手早く分解し、中のモーターと電池を壊れたダンボールに組み込んだ。時空干渉のコアユニットが、微かな振動を開始する。
「直った! これで帰れるぞ。サオリ、一緒に帰ろう」
「……嫌です。私は、帰りません」
「馬鹿なこと言うな! 俺たちはこの時代の異物なんだぞ。歴史に干渉しすぎたら何が起こるか……」
「私、忍者二級なんです。この手で、もう三人……斬りました」
サオリの瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
「向こうの世界に戻って、またあの退屈な日常に? コスプレの衣装を作って、SNSの『いいね』を気にする日々に? 無理ですよ。こっちのヒリヒリするような毎日が、今の私にとっては『リアル』なんです。もう、戻れない」
彼女の瞳には、己の道を見つけた者の強い光が宿っていた。人が人を殺めることの是非を、今の俺が問う資格はないだろう。彼女は天職として、くノ一を選んだのだ。
「……そうか。達者でな、サオリ」
俺は一人、ダンボールを被った。
現代に戻った俺は、唖然とした。サオリを一人、あの時代に残してきたことで、歴史は明らかに書き換えられていた。
歴史の教科書を開くと、俺がいたはずの平和な江戸中期は、「闇の女忍者時代」と名付けられていた。特定の藩に属さない、神出鬼没のくノ一が、歴史の裏で要人を次々と暗殺。その手口は巧妙で、未来の知識を応用したかのような形跡が各地に残されているという。教科書の挿絵には、ピンクの装束を纏ったくノ一の想像図が描かれていた。
くノ一は、歴史を動かしたスーパーヒロインとして、数々の小説や映画の題材となっていた。
週末、俺は車でコミケ会場の近くを通りかかった。
赤、黄、ピンク。色とりどりのくノ一コスプレイヤーたちが、楽しげに語らっている。
「お前たちが憧れるそのヒロインが、アキバから来たただのオタクだったなんて……誰も信じないだろうな」
俺は呟き、アクセルを踏み込んだ。(了)