マリーとウィルの舞踏会 ・前
改行がおかしいところを修正しました。
どうして、と仮面を外された深い海の色の瞳がフローラを熱く見つめた。
『聞いたのです。ヘンリーに。これを落とした犯人を、知っているかと』
フローラの持つ飾り紐は、初めて出会った日の、唯一つの手掛かり。
『ヘンリーは、これは、腰ぬけ一族特有の銀だ、と』
観念したかのようなため息の後、フローラは強く抱きしめられた。
『あなたを守るには、知られるわけにはいかなかったのです』
マリーは昨日よりもびくびくして、部屋を出た。
もう空の端から藍色の夜空が広がり始めていた。
『すみません!マリー、ごめんな!ちょっと出がけにごたついてさ』
休まず駆けてきたウィルは汗だくになっていて、マリーも支度をするから、寛いでいてほしいと伝えた。
今日はライハルトも家にいる。ちょうど話ができて良かっただろう。
ミルカの花冠はバランスよく仕上がった。髪は濡らした状態で細かく編んでおき、くせを作ってから纏めて、左肩から前にたらし、ミルカの小さな花を星のように指した。
ドレスは肩の出る白いシフォンブラウスに緑のワンピース。胴は胸の下からコルセットのようにリボンで締めるようになっている。スカートの下にはレースのパニエをはいてふわっと広がらせている。編みあげブーツは花の型抜きがしてあってお気に入りだ。「避暑地のお嬢様、清楚かつ色気ありってとこ?」とニーナが言ってくれたから、可愛いだけじゃないことを信じたい。
お化粧は夜の暗さでもはっきり分かりつつ濃くならないように細心の注意をはらった。
急いだつもりだが、ウィルが体を拭いてお茶を飲みつつライハルトと十分に話せる位は時間がかかっているはずだ。小道具一式を持って居間をノックする。
ああ、いいですよ、とウィルが近づく気配がして、ドアが開いた。
「お待たせしました、どう?」
準備してあった笑顔と言葉を言いきってから、相変わらず背の高いウィルの格好が目の前に迫り、マリーはびっくりした。普段、ウィルは黒をあまり着ない。理由は簡単、汚れるから。
マリーも失念していた。馬を飛ばしてきた格好のままのはずがなかった。
黒いズボン、質の良い生地の濃紺のチュニック、そこからのぞく白い襟と袖は光沢も良い。
焦げ茶色の、短めの髪とまっすぐひいた眉、はっきりした二重の目は、どちらかといえばやんちゃな少年時代を残したままの印象なのだが、黒い上下ですらりと上品な佇まいは、やっぱり騎士様だ、と思わせる気品があった。
ウィルもぽかんと口を開けてマリーを見ていた。
「ウィル?どうした」
二人して正気にかえる。ウィルの後ろからライハルトがのぞく。うん、と笑顔で頷いた。
「ああ、マリー。綺麗にできたな」
「あ、ああ、見違えた!びっくりしたよ。いつものマリーと全然違うから。綺麗だな。ミルカが似合う」
父親より後ってどうよ、と思いつつ、動揺してくれたし一応褒めてくれたからよしとする。
「合格したみたいでよかった。ウィル兄さんも。騎士様みたい」
「みたいって、本物に向かって言うなよ」
照れて笑えば、いつものウィルだ。
「二人で並ぶといいじゃないか。もう出るか?」
「そうですね。マリーは?」
大丈夫、と答えると、ウィルは「しばらく寄れそうにないので、話せてよかったです」とライハルトに手短に予定の説明と別れの挨拶をしていた。
「あれ、お父さんも出かけるの?」
「ああ、たまには夫婦水入らずもいいかと思ってな」
苦笑いと照れ笑いの間みたいな顔をする。何だか嬉しくなってしまった。
「なーんだ。言ってくれればいいのに。ごゆっくりどうぞ」
「ああ。二人とも、楽しんでおいで」
「行ってきます。あまり遅くならないようにしますから」
ウィルがマントを着け、マリーを促して家を出た。
「ちょっとは休めた?来てくれてありがとね、忙しいのに」
見上げると、何か考えていたのか、ハッとして頷く。
「ああ、先生とゆっくり話せて良かったよ。俺こそ、せっかくの日に遅れてごめんな」
「ううん。ちゃんと間に合ってるもん。ありがとう、急いでくれて。あ、そうだ。これこれ」
仮面と、胸にさしてもらうミルカを一輪用意する。
「今宵ミルカの花をもってお誘い下さり、望外の喜びです。二人にとって実りある時間になりますように」
ちゃんとお決まりの言葉があるのだ。言いながらミルカをつけさせてもらう。男性は「あなたと私の願いが実りますよう、私の全てで守ります」と返して手をとるのだ。
急に幸せがこみ上げる。ああ、夢がかなっている!
ニコニコせずにはいられない。その手をとられた。ウィルはまっすぐにマリーを見つめる。
じっと、見つめる。
(な、何だろう?)
間に緊張するマリーに気付いているだろうに、ウィルは焦らなかった。
「…今宵のあなたはミルカの精のように美しい。あなたの願いは私の願い。二人で過ごせる幸運に感謝し、二人の時間が実り多きものであるよう、私の全てで守りましょう」
意外に長いまつげの向こう、心の中に踏み込むような視線が外せないまま、指先に口づけられる。そっと、触れるかどうかのぬくもりなのに、マリーの全身が強張った。
沈黙。
視線が交わったまま、ふとウィルが笑う。
「姫?」
マリーの全身に一気に血が巡る。ずっと息を止めていたと気がついた。
「う、ウィル兄さんてば! や、やりすぎっ」
何だ、何という威力!色気過多!
慌てて手を取り戻す。押さえた胸はバクバクしている。
いたずら成功、という顔でウィルが笑った。
「先に仕掛けたのはそっちだろ。そんな可愛いカッコして、そんな風に言われたらお前、これは期待に添わなきゃと思うだろう」
ぎゃー、と口に出さないのがマリーの精一杯。誰だこれは。マリーの知るウィルはどこ。
思った瞬間、すっと熱が冷めた。
(そうだ、騎士だもん。きっとこんなの慣れっこなんだ。ただ、私が知らなかっただけ)
「初心者ですみませんね! やっと約束が叶うんだって、嬉しくって、調子に乗りました」
何だか落ち込みそうだ、とマリーが気持ちの浮き沈みに気をとられていると、またウィルは違うことを言う。
「花、さ。あれ…トーニだって? 言えばいいのに」
何の話、と思う間もなく、居間のルセルのことだと気がついた。居間に通すなり「真っ赤なルセルだなんて、珍しいな」とウィルが気付くので、とっさに「まあ、そうね」と言葉を濁したのだ。不審な顔をされたからごまかして部屋を出た。多分、ライハルトが話をしたのだろう。
でも、なぜ急にこの話?
「随分変わったんだな、あいつ。マリーがすごく楽しそうで良かったって、先生が。昨日の二人のやりとり見て、奥さんが羨ましいわって先生に話したらしい。それで、今日、出かけることにしたって」
マリーは頬が赤くなる。あの時だ。トーニが迎えに来た時、母親は一部始終を見ていた。
「そ、それで、水入らず…」
なるほど、と思いつつ、むず痒くて仕方ない。見上げると、ウィルは難しい顔をして遠くを見ていた。
「マリーがそんなに楽しかったんならよかったと思った」
「うん」
「でも、俺は、マリーに一番似合うのはミルカだって、それしか思い浮かばなかった」
「うん。大好きだもの。嬉しかったよ。まさか贈ってくれると思わなかった」
さっきから話がつながらないのは何故だろうとマリーが首をかしげていると、ウィルはようやくマリーの方を向いた。ごめん、訳分からないだろ、と笑う。
「何でもない。俺はとにかく、今日はマリーの期待に添うべく、そんじょそこいらの奴には真似できないような、立派な騎士様として素晴らしいエスコートするつもりだからな? 覚悟はいいか?」
手を差し伸べる仕草が気取っていて、何だかわからないけど調子が戻ったらしいウィルに安心する。
マリーもにっこり笑った。
「はい、覚悟いたしました。よろしくお願いしますわ、ヴィルヘルム様」
マリーが乗せた手はウィルの肘に導かれて、二人は腕を組んで歩きだす。
マリーがこれまでの仕掛けを説明しながら会場に着くころには日がしっかり暮れていた。
ランプの明かりで、仮面で顔が隠れれば、まず誰も騎士だと気がつかないだろう。
「こんな風になるんだな。すぐ王都に行ったから、ここの舞踏会は始めてだ」
仮面をつけたウィルはまた惚れ惚れする男ぶりだった。
やはり貫禄が違う。顔が見えない分、洗練された動作が目立つ。マントのさばき方も慣れたものだ。腰に、目立たないように短剣を下げていた。
高い鼻筋と、秀でた額、以外と繊細さもある顎のラインと、逞しい首筋がマリーの位置からよく見える。
唇のバランスもいいんだな、とマリーは自分の視線に慌ててしまう。
「もう、時間からして劇も終盤だと思うんだけど…よく分からないわね」
さすがに最終日は人が多い。アーチをくぐると、前方だいぶ奥、舞台の上に人がいた。
金髪と黒髪。フローラ姫と騎士だろう。寄り添って言葉を交わしているところからして、最後だ。
『花姫と夕星の騎士』の最後は、裏のある婚約者たちそれぞれに後がないと思わせたフローラ姫が、予定通り収穫祭で襲われるのだ。結局、宰相が全ての黒幕だった。自分は結婚相手に選ばれないだろうし、王族の血が流れているのだから権利はある、と簒奪を目論んだのだ。ヘンリーにとらえられた宰相一派だが、宰相が捨て身でフローラ姫に刃を向ける。そこへ現れたのが、例の騎士。正体は、臆病者と言われた最後の婚約者、エドガーだった。
「宰相は、私とヘンリーの命も狙っていました。どちらが倒れても、姫のおそばで御身を守れる人間がいなくなるということ。ならば、敵と思わせないように偽り、証拠を固めようとしたのです」
「では、ずっと?」
「ヘンリーと協力して、動いていました。ヘンリーは王になどなりたくないと。私は」
「エドガー、おっしゃって、あなたは?」
まさにクライマックスだった。会場が静まりかえる。
一番後ろからだと人の頭でよく見えないが、打ち合わせでも見ていたマリーは想像できた。
「見えないか?」
ウィルが耳元で囁く。自分の腕を掴んで背伸びしたマリーに気付いたからだ。
「え、大丈夫よ」「よし、掴まれ」
声は同時。ウィルが屈んだ、と思ったらふわっと体が浮き上がった。
「私は、あなたを愛していたから」
「ああ、エドガー!」
舞台の二人がかたく抱き合う。
「ひゃああ!」というマリーの声は、辛うじて大歓声の中にまぎれた。
マリーはウィルの左腕に抱えられていた。バランスが崩れてぎゅうっと抱え込んだのはウィルの頭だった。
「こら、俺が見えないと危ないんだ!」
「わ、ごめん、だって」
「ほら、支えてるから。舞台見えるだろ」
舞台どころじゃありません!と言おうとしたマリーはすぐ下にある無邪気な笑顔に負けた。
「うん。ありがとう。…恥ずかしいけど」
見ると、舞台の上の二人は既に一番熱いところを終えて、結婚式のシーン(早替え)に差し掛かっていた。マリーはウィルの肩に回した手や近すぎる体にオロオロする自分を、舞台を見るふりで誤魔化そうと必死だ。
「軽いもんだな」
「え?!」
「ああ、何でもない。せっかくだから、ちゃんと見ろよ」
少し間が空けば、動じていないウィルにマリーも気が収まった。
(これって、お父さんと子供、よね。どう見ても。私だけ空回りして、バカみたい)
「…ウィル兄さんは見える?疲れない?」
舞台の上では誓いの言葉。これでもか、と言わんばかりの愛の言葉に、キス。役者が上手くて大変に美しいので、会場は拍手とため息が半分ずつだ。
宰相は捕えられ、フローラ姫とエドガーは末永く幸せに暮らしました、というところで幕が閉じる。
いいなあ、とついマリーも見とれてしまった。憧れない乙女はいない。自分だけの誠実な騎士とあんなに情熱的に結ばれる。
ウィルが何かを言ったが、見とれていたのと大きな拍手で聞き取れなかった。ほぼ真横にある顔を見る。この近さに、ヴェールと仮面で上手く隔ててくれて良かったと思う。ウィルはマリーを見ていた。ほの暗い中、仮面の奥の焦げ茶は優しい色をしていた。聞き返したマリーに、ウィルは大したことじゃない、と首をふる。
「終わったけど、降りる?」
「あ!そうね。ごめんなさい、気がつかなくって。どうもありがとう」
すとん、と下ろされると、とたんに人ごみの圧迫感が襲う。身長が違うと、こうも違うのか。
「ウィル兄さんは、いつもあんな景色を見てるのね」
「見晴らし良かったろ?」
「うん。視界良好! 遠くまで良く見えた。今は、人の背中と頭ばっかりよ。うらやましい」
「ご希望とあればいつでも担がせていただきますが?」
「担ぐって、荷物じゃありませんので、結構です!」
冗談を言い合っていると、わあ、と歓声が上がると、幕が開いてアンコールの挨拶になった。団長が中央に、後ろに役者が勢ぞろいしている。
「紳士淑女の皆様。今宵、このように素晴らしい終幕を迎えられましたこと、ひとえに皆様のお力添えとご声援のたまもの、謹んで団員一同、御礼申し上げます」
歓声の中には、「フローラ様ー」とか「エドガー様ー」とか「だんちょー」というのまであった。
「さて、今宵は豊穣祭も最終日。我々も、三日間を共に過ごし、今ひと時をこの街の住民として、最後の舞踏会に参加してもよいと地区長殿よりお許しを頂きました」
マリーの知らない展開だった。
「皆様のご迷惑にならないよう、ひっそりと、ですが、フローラやエドガー、我々アナスン劇団が会場にお邪魔いたしますこと、ご容赦下さいませ」
途端に、うおーと野太い歓声が上がった。フローラ役がにこやかに手を振る。
これは大変だ。殺到するだろう。そして。
「協力してくれたのね」
アナスン劇団とニーナの父親には、マリーがなぜ覆面を希望したのか、真実を伝えてあるのだ。
「どうした?」
ウィルが屈む。「ますます騎士が目立たなくなって良かったね」とウィルの耳に手をあてて喋る。
「大騒ぎだけど、助かるな」とウィルも笑った。
舞台が引いて、音楽が始まる。ようやく、皆がばらけ始めた。
初めの一曲は毎日同じ。『豊穣祭の夜』と呼ばれる、実は正式名称を誰も知らない曲。
三拍子で、決まった男女が踊り続ける振付で、立志式もこれだ。
なぜなら、前奏が長くて明るい曲調、ゆるやかなテンポと導入にはもってこいなのだ。
マリーはウィルと向き合って、これは夢じゃないんだ、と一瞬くらりとめまいを感じた。
「さて、マリー姫。二年、待ちわびました。私の手をお取りいただけますか?」
ウィルはちゃんと分かってくれていた。
「はい、喜んで」とマリーは感動して震える手をウィルの手にあわせた。
ギュッと握られる。見上げれば、笑顔が待っていた。マリーのこわばりが取れる。
自然に腰を引かれ、手を組んでステップのタイミングを待つ。あと三小節。
「ずっと、内緒にしてたんだ」
「何を?」
ウィルは笑って、すぐには答えない。
「踊ってからの、お楽しみ」
ぐ、と腰の手に力が入り、タイミングよく、足を踏み出した。
大勢で踊る時は、周りに気を配りながら、歩幅や向きを調整する。優雅に見えて結構体も神経も使うものだ。マリーは踊り始めて間もなく、気がついた。
(すごく楽だわ)
いつの間にか、何も気にせず、伸び伸びとステップを踏んでいる。
自然な位置でくるりとターン。吸いつくように、離れた手が収まる。
(すごい)
マリーの表情が輝くのを、ウィルは楽しそうに見つめていた。
「俺の隠れた才能。どうよ」
「ウィル兄さん、すごいわ!こんなに踊りやすいの初めて!」
喋っていても気配りは忘れないようで、踊りに全く支障はない。
「驚いた?」
くるり、回る。まるで自分に羽が生えたように軽い。
「驚いた!ステキ!内緒って、このこと?」
「そう。ずっと、驚かせたくて黙ってた。二年、長かったなあ」
それは、ウィルもマリーと踊るのを楽しみにしてくれていたということだろうか。
マリーは幸せだ、と胸が温かくなった。
「ウィル兄さんにこんなすごい特技があったなんて!すごいわ、私が上手だって錯覚してしまいそうだもの。さすが、騎士様ね。エラス女性の期待を裏切らないのね」
言ってから、ああ、私だけじゃないんだった、と自分の言葉に傷つく。
嬉しいのに、苦しい。きっと、今日はそういう日だ。
(それでもいい。来てくれた。夢が、叶ったんだもの)
ヴェールがあってよかった。笑顔の奥を見られずに済む。
また、くるりと回る。初めから決まっていたように、ウィルの腕の中に収まる。
その心地よさだけでも、こんなに楽しい。
マリーが楽しいと見上げれば、ウィルも笑顔で返してくれる。
「立志式、ウィル兄さんだったら良かった」
「そうだろ?レオンに自信もって勝てるのがコレなんだ。すんごいしごかれるんだぜ。騎士たるもの、淑女を完璧に導いてこそ!とか言ってさ、オカマ教師がつきっきり。参るのなんの」
見たくないから顔背けてたおかげで、気配を読んで動けばいいってコツがつかめたんだけど、と笑う。
「武芸に通じるから、こんなに上手なのね。それなら、お父さんも上手かしら」
「先生か。勝負してみるかな」
「勝負って? 何だか色気のない話になったわね」
いったん離れて、また近寄る。う、とウィルが言葉に詰まった。
「どうしたの?」
「いや…。つい、いつも通りに喋ってたな、と。今日は最高のエスコートするって言ったくせにさ」
ウィルが、そんなことを気にするということが珍しくて、マリーもすぐに言葉が出なかった。
「どうしたもんか」
視線をさまよわせているのに、動作に迷いがないのが武人らしいというか。
ウィルの気持ちが嬉しくて、くすぐったい思いでマリーは組んだ腕をポンと叩いた。
「十分、楽しいわ。最高のエスコートだって、ついさっきまでは思ってたから、大丈夫」
「さっきまで、なのか?」
背中あわせになって、戻る。
「そうよ。だってウィル兄さんてば、よそ見するんだもの」
視線が合ったところで、よし、と笑顔で首を傾げる。
「私、嬉しかった。ウィル兄さんが約束覚えていてくれたこと。一緒に踊れてるだけでも夢みたい。しかもとっても上手!何より、ずっと私のこと見てくれてた」
横に広がって、戻る。ウィルは視線で続きを促す。
「私って大事にされてるなあって、感激できるのが最高のエスコートじゃないの? 私、ずっと感激してたのに。それに、私ばっかり楽しいのも嫌。ウィル兄さんが楽しくなくちゃ私も楽しくない。だから、変に気をまわす前に、私だけ見て、いつもみたいにウィル兄さんのやり方で思う存分、私を喜ばせてくれて、ええと、ウィル兄さんも笑えば、それでいいのです!以上!」
言ってるうちに、ウィルがじっと見るので恥ずかしくなってしまい、マリーは何を言おうとしたのか分からなくなってしまった。
(この距離がいけないわ。体も近くて、気持ちの距離がつかめなくなるの)
余計なことまで、伝わってしまいそう。
マリーが視線をずっと正面のウィルの胸元に合わせていたら、がし、と腰を掴まれて、急に体が持ち上がり、ぐるっと視線が回る。違う、体が回っている。
「はは、そうか!」
「な、にょわあああ」
乙女らしからぬ悲鳴をあげてしまう。音にすれば、ぶーん、だ。両足が追いつかない勢いで、一周。
勢いが止まっても恐くて、がっちりウィルの両肩にしがみつく。
「なななに、なにが」
起こったの、と言いたかったのに、
「マリー、お前、すごいなあ!」
ウィルは絶賛笑顔で、マリーを持ち上げたままだ。足がプラプラ、浮いている。
「やっぱりすごい奴だ。可愛いなあ、マリー。俺はいつも敵わないんだ」
恐い目にあった挙句に至近距離で手放しに褒められて、しかも腰を持ち上げられていて身動きがとれない。とても喜んでの、勢い余った一周だったのは何とか理解する。
でも、こんなに見つめられて、掴まれたところが熱くて、息もできない。心臓がバックンバックンいって壊れそうだ。
一体何の拷問だろう、と半ば本気でマリーは考えた。
「ウィル兄さん」
よれよれの声が出ていた。
「ああ、ごめん。嬉しくってさ。いきなりごめんな」
そっと降ろしてくれる。もちろん足に力が入らないので、よろけたところを支えてもらう。
「大丈夫か?」
「うん」
顔を覗き込むのはちょっと勘弁してほしかった。ヴェールって素晴らしい。
マリーは自分が今、どんな顔をしているのか想像できない。したくない。
「あのオカマ教師に教えてやりたいよ。大事にされてる実感を持ってもらうことって、一言で済むんじゃないか。マリーのは至言だね」
「こ、光栄です」
「何だよ、本当にそうだって。それに、このまま、いつも通りで十分楽しいって言ってくれたんだろ?」
「多分そう、かな」
支離滅裂だった時のことを聞かれても困ってしまうが、ウィルが嬉しいならいいか、と思ってしまうのがマリーだ。
「何だよ。だから、まあ、俺がそう感じたからいいの。マリーはいつもそうだな。嬉しがらせを一杯言って、俺を楽にしてくれる。こういう席って苦手だけどさ、マリーとなら楽しいな」
それは、マリーにとっても一番嬉しい言葉だった。
「本当?」
「嘘でもお世辞でもないぞ」
「それなら、嬉しい。ウィル兄さんが楽しかったら、私も楽しい」
やっと、気持ちがほぐれて心から笑えた。ウィルもホッとしたようだ。
「うん。そうだな。だから、深く考えないで楽しもうな。踊りの天才がずっと付き添いますから、何曲だってどうぞ?」
立ち止まってしまっていた二人は、また踊る体勢を整える。
「本気で踊るよ?」
「どんと来い。昨日、泥酔して踊れなかった分もな?」
今日は酒やめとけよ、と肩で笑われる。
「…お父さんね。あとで覚えてなさい!」
激甘オムレツにしてやる。
「ほどほどにな。さ、合図で出るぞ」
「うん」
つないだ手に力がこもって、前に一歩。踊り出す。
それは本当にわずかの差だろう。どう動けばいいのか、絶妙なタイミングで導かれる。
(騎士様と、夢のような舞踏会)
また軽やかに踊れることが楽しくてウィルを見上げる。優しい微笑みがマリーを迎える。
「ずっと、お前だけ見てるから」
「…うん」
マリーはまた顔が火照るのが分かった。
(ウィル兄さん、それは、殺し文句って言うのよ!)
そこに、トーニのような熱がないことは痛いほど伝わるというのに。
(それでもこんなに、嬉しい。悲しいぐらいに、片思い)
早く、遅く。滑らかに、弾むように。
マリーの心も入り乱れて、舞踏会の夜は深まる。




