豊穣祭一日目のマリー
長い上に恋にほど遠い内容となっております。
混乱が去った後に残るは、姫と仮面の騎士。
『ああ、きっと来て下さると思っていました』
『姫、なぜこんな無謀を』
『必要だったからです。それももうおしまい。そして、あなたも』
陰謀と秘密の舞台の、幕が閉じる―――
よく晴れた朝、いよいよ豊穣祭だ。
遠くから、ポンポンポン、と音が聞こえる。
領事館で祭り開始の花火をあげたのだ。
(髪よしリボンよしホコリなし、ステキな笑顔は七難隠す!)
最後に鏡の自分ににっこり、気合いを入れてマリーの一日が始まる。
「それじゃ準備に出かけてきます! お昼ごろ着替えにもどるから」
母親に声をかけてニーナの家に出発。
見上げた青空には花火の名残の煙が薄く残って風に流れていた。
豊穣祭は由緒正しい国家行事で、昼と夜がちょうど同じ長さになる日に麦の出来を確認し、価格や税、次年度予算を調整していたことからお祭りに発展したもの、と習う。
王都や領事館では、花火と共に式典が始まり、時間ごとに作物や果実酒、家畜の品評会が次々開催されているが、身近な街では言葉通り「お祭り騒ぎ」こそ豊穣祭にふさわしい。
「あら、リナったら…」
通りすがりの同級生の家の門に淡い黄色の花が揺れていて、マリーも何だかくすぐったい気持になる。
ニーナは、祭りの催事場が設けられる広場の前にどんと構える大店の看板娘だ。マリーの家は少し街中から外れた場所にあるので、歩いて中心部に近づくにつれ花飾りや露店の準備で賑わってくる。
ウィルが来ると知り、ライハルトの許可ももらって連日ニーナと準備してきたから、広場の大きな舞台にお化けカボチャが飾られていることも今年の露店に変わり種のソーセージパンが出ることも知っている。
大通りや広場にある商店は露店以上に大忙しだ。
「ニーナ、おはよう!」
『ウェスベック商会』の看板の下、店子と一緒に、ニーナが臨時で張ったテントの下で輸入雑貨とお菓子を並べ始めていて、マリーはその背中に声をかける。高い位置で結わえた濃い茶色の髪は、いつ見ても豊かで艶があり、見事なうねりを持って背中に流れる。振りかえった時の輝き方と、その後に自分に向けられる宝石みたいな真っ青な瞳をみれば、誰だってニーナに恋をすると惚れ惚れしてしまう。
「マリー!待ってたわよ!おはよう、ほら、見てみて」
ニーナは、全く遠慮のない力でテントの奥の男性をぐいぐい引っ張ってきた。
「わ、わ、お嬢さん!」
商品にぶつからないように慌てているものの、出てきた姿にマリーも思わず手を叩いてしまう。
上品な青色のチュニックから真っ白な襟の高いシャツがのぞく。
細身の黒いズボンにブーツ、濃紺のマント、銀の飾り紐。
「ぴったりだわ! かっこいい!」
居心地悪そうにしていた店子の男性は、喜ぶマリーに気分を持ち直したようで「いやーお恥ずかしい」なんて笑ってくれた。人のよい笑顔に、普段ニーナの店の絨毯を任されている人だと思い当る。
「で、これよ。はい、着けて」
ニーナが手に持っていた黒いものは、顔の上半分を覆う、マスク。
その効果に感動してマリーが見とれていた間に、ニーナが後ろを向いてゴソゴソして振りかえる。
白い花冠に、短めの紗のヴェールがほんのり目元を隠している。
「私がちゃんとしたドレスじゃないのが残念だけど、こうやって並んでみると、ね?」
人のよい、いかにも商売人だった彼が、マスクで表情が隠れると一気に騎士らしくなり、スカートのすそをつまんでポーズをとるニーナと並ぶと、まるでどこかの役者のようになる。
「ニーナ、ステキ! 想像以上よ、『花姫と夕星の騎士』! ちょっと踊ってみてよ!」
「えー」
かっこいいのに情けない声は減点。
「えーって何!この私と組めるなんて名誉なことじゃないの」
力関係は如何ともしがたいが、踊り始めてしまえばヒラリ翻るマントが優雅に映った。
非常によろしい。
「おお、何だ、今日の舞台のかい?」
騒ぎに気がついた人たちから声がかかるので、ちゃんとマリーは宣伝しておいた。
仕掛けは、夕方の催事場から始まるのだ。
「じゃあマリー、裏に来て、品物の確認してちょうだい」
「うん。皆が来るまでに仕上げようね!」
ニーナと、商店連合会の取締役であるニーナの父親の協力がなければ成しえない企画だった。
マリーもライハルトの下で培った経験と人脈がこんなに力を持つのだと実感したものだ。
地区長、商店連合会、警邏隊、婦人会、青年会と企画を持ってまわって一つずつ具体化していく。
伝統行事に口を挟むのだ。年若い娘が何を、と思ったはずだが、皆きちんと話を聞いてくれた。
関係者の集まる豊穣祭執行部の会合でも震える声を必死におさえて企画を出した。
『あの、皆さんの口ぶりですと、お話を進めてよいというご判断なのですか?』
予算や会場設営や収益の不均衡について具体的な意見が飛び交い始めたので恐る恐る聞いた。
途端に、おそろしい沈黙。破ったのは地区長だった。わっはっは、と笑ったのだ。
『今更何を。皆そのつもりで君をここに呼んだのじゃないか。なあ、ここ数年、これほど綿密な企画書を豊穣祭の打ち合わせで読んだことがあるか? 夜の部は毎年青年会の企画だな?』
『め、面目ない』
『まさか本当に変動方式の収益予測がもらえるとは思わなかった』
『上手くいけば来年以降で参加者がふえるだろうし、何より楽しそうじゃないか』
『マリー、お母様に任せてないで今度婦人会のバザーに来て力を貸してね』
色々言われたが、とにかく了解をもらえたことは分かってマリーは何度も頭を下げた。
たった一人の我儘で大勢の人が動くのだ。
(恐くて震えるのは、今できることを全力でやった後でいいって、いつもウィル兄さんが言ってた)
作業をしながらふと空を見上げる。
豊穣祭は絶対に雨が降らない。歴学では晴れの特異日というと兄のレオンに聞いた時、きっと女王陛下が皆の願いを天に届けて下さっているからね、と返すと黙って微笑んでいた。
女王の不思議の力が何なのか「人には過ぎた叡智」としか教わらないから分からないけれど。
(女王陛下、どうか見守っていて下さい)
祈りはきっと届いている。
* * *
『今年の舞台、あのアナスン劇団を呼んだそうだ』
『今年はただの演劇じゃないって言ってたけど』
『珍しく執行部の口が堅いって。誰か噂を知らないの?』
太陽が沈み、茜色は空に少しを残す頃。
領事館で立志式が始まる同時刻、広場には舞踏会会場が出来上がっていた。
幕の下りた舞台の前に、広く輪を描くように等間隔に柱が立てられ、ランプが吊るされる。色とりどりのガラスで花の形をしたそれは、明かりが灯ると闇夜に咲いて幻想的だ。柱を境界線に、会場を囲むように椅子やテーブル、屋台が並ぶ。柱と柱の一角に作られた花のアーチをくぐって、次々と男女が会場に入ってくる。恋人同士で来るものもあれば、数人の友人で来て、会場で出会いを求めるものもいる。一人で歩くのは、緑の腕章をし、腰に剣を下げた警邏隊だ。
皆が開始の合図でもある地区長の挨拶を待っている。
マリーは、会場から隠れる舞台のソデに立っていた。
『大丈夫、ドーンと一発。立案者の君がやらずに誰がやる。ね?』
ね、があんまり魅力的な笑顔だったから、つられて『はい(?)』と首をかしげた自分を呪いたい。
心臓が飛び出しそうで、全力でバチを握りしめて合図を待っている。
(ニーナ、あなたと替われば良かった。ああでも、あなたの役もつらいわ)
ポン、と肩を叩かれて飛び上がりそうになる。
「さ、はじめよう」
王の衣装を着こなした大変に麗しいオジサマと、衣装に着られている地区長が準備を終えて立っていた。
「ドーンと、ね?」
ね、は近くで浴びれば一層の破壊力だった。
マリーは思いっきり振りかぶって、劇団の持ち込んだ銅鑼を叩いた。
グワーン!
雷のような音に、会場が一斉に静まり返った。
舞台の幕が上がり、明るく照らされた中に、一人。金で飾られた黒の上下に赤いマント、後ろに流した黒髪は艶やかで、切れ長の瞳と口髭に隠れた薄い唇は、微笑めば大変に人目を惹いた。
(何であんなに色気があるのかしら!)
「お集まりの紳士淑女の皆さま。アナスン劇場へ、ようこそ!」
麗しのオジサマ、アナスン団長の、怒鳴らないのによく通る低い美声を合図に、舞台下の楽団が音を鳴らす。
ヒョコヒョコ、舞台に出てきた人物が地区長だと気付いた会場が、ようやくこれが噂の演出だとざわめきだした。地区長がさっと手をあげると、音とざわめきも止み、自然と注目が舞台へ集まる。
「えー、今年は幸運にもエラス一有名なアナスン劇団をお招きすることができました。しかも、ご厚意で今日から3日間、特別な内容で祭りを盛り上げて下さるということです」
会場が一気にどよめいた。あくまで舞踏会の前座の舞台で、連日同じ演目が続くことなど例がない。
またさっと手があがり、鎮まるのを待って地区長がぎこちなく帽子をとって一礼する。
「演目はご存じの方も多い『花姫と夕星の騎士』。私の格好でお分かりの通り、既に舞台は始まっております。後はこちらのアナスンさんにお願いしましょう。皆さん、恵みに感謝し、特別な3日間をお楽しみ下さい!」
また音楽が流れ、挨拶が終わった気安さで地区長が手を振りながら退場すると、拍手と「衣装負けしてるぞー」というヤジにどっと会場が湧いた。
『花姫と夕星の騎士』は異国を題材にした王女を巡る恋と陰謀の物語として良く知られている。
フローラ王女は、国の唯一の後継者として、結婚相手に有力貴族である従兄か二大臣の息子たち、3人のうちから結婚相手を選ぶよう王に言われるが、それぞれ問題があり悩んでいた。そんな中、王女の命が脅かされ、暗殺計画する一味がいると分かる。悩みが尽きない中、王女の心を揺るがす一つの出会いがあり―――という、まあ使い古されたような内容なのだが、舞踏会のシーンがよく出てくるので、豊穣祭の演目として人気があるのだ。
『舞踏会、まるまる夢の世界にしてみせよう。アナスン劇団にお任せを!』
打ち合わせの時から、団長筆頭に、劇団員の皆さまは大変にキラキラでノリノリだった。
マリーは挨拶の最中、ソデから下り、会場の一番外側を通って会場入り口へ急いだ。
近づくと、ニーナとその周辺が確認できた。ニーナもマリーに気付き、視線で大丈夫、と頷きあった。
マリーがアーチの脇に到着するなり、グワーン!とまた合図が鳴る。
舞台の上には冠をかぶったアナスン団長が豪華なイスに座り、隣に金の杖を持つ小太りの男性が立ち、会場を見渡した。
「さて、陛下。今宵も王国中の臣下が集まっております。年に一度の収穫祭、今年も陛下のお力がますます強く素晴らしい」
ドン、と遮るように足をならす団長は、王の役だ。
「宰相、世辞はよい。それよりフローラはまだか」
「は、それが、その…支度がまだのようでして」
「まったく、今日は大事な話があると言いおいたというに。よい、退屈もしのげよう、始めよ」
「は。皆、注目せよ!」
ドンドンドン、と杖を鳴らして、舞台ギリギリに宰相が来る。
「今宵はよう参られた。この後、準備が整い次第、直接陛下よりお言葉が下される故、それまでしばし楽しまれるがよい。…おや、これはどうしたことか!そこの、仮面はどうした。そちらも、みな、支度はどうなっておる!」
会場にいた人を次々杖で示す。もちろん、なんのことだか分からずザワザワし始める。
「今宵は収穫の女神ケレスを讃える祭り。だが、宵の明星の輝く夜は女神ヴェヌスを讃えねば嫉妬で災いが降りかかる。災いを防ぐためには顔を隠し素性を分からぬようにせよと占いで出たのだ。知らせが届かなかったというのか! さあ、早く! 支度があるだけで良い、準備を進めよ」
勢いよく杖を向けたのは、花のアーチのそば。振り返った人から歓声が上がる。
そう、昼間にマリーとニーナが準備した、あれだ。
男女それぞれ10名ずつがヴェールとマスクを着けて立っていたのだから驚くだろう。
「あるだけ、早く配るのだ!」
ニーナのお店で、花冠、ヴェール、マスク、マントを50ずつ用意した。
配りつつ、装着を手伝いつつ、散らばってもらう。あの中の一人がニーナだ。
「よし、できたようだな。さあ皆のもの、準備は良いか。舞踏会を始めよう。大いに楽しもうぞ!」
皆、仕掛けに気がついたようで、また歓声があがる。豊穣祭の最初の一曲は決められている。
音楽が始まると、一斉に踊りの輪が咲いた。
「ああ、上手くいった…!」
花のアーチの脇で、会場の笑顔を見て、マリーは思わず涙ぐんでいた。
次は、この一曲が終わった直後に仕掛けがある。舞踏会で姫と騎士が出会うのだ。
「おお、姫? まさか、そちらにおわすはフローラ様か!」
舞台上で宰相がまた杖を指すのは、会場の一角。ざわめく。
「やはり、フローラ様! フローラ様、早くこちらへ! いえ、私が参ります、しばし動かず!」
宰相がソデに消えると、指された一角で、数人が持つランプに明かりが灯され、ひと組の男女が照らされる。波打つ豪華な金髪の女性と、全身黒づくめの男性。
自然に周囲が空いて、ちゃんと見えるようになるから、と団長が予想していた通りで、マリーは感心しきりだ。
「ああ、いけない、見つかってしまったわ」
音楽のような声だ。言うなり、ヴェールを取ると、その美貌にまた周りがどよめいた。
「黙っていてごめんなさい、私はフローラです。でも、隠さなければ、あなたと、このように楽しい時間も持てなかったことでしょう。行かなければ。去る前に、どうかあなたのお顔を見せて下さい」
「フローラ様。それはできません。あなたに災いが降りかかってはいけない」
腰にくる美声とはこのことか、と多くの女性が感じたことだろう。
「では、お名前を」
「申し訳ありません、それもできないのです。ひと時の夢と忘れてください」
騎士がひざまずき、手をとって口づける。
「美しく聡明なフローラ様に我が忠誠を。このひと時は生涯忘れません。さらば」
「待って!」
マントが翻り、風のように去る。入れ違いで宰相が駆けてくる。
「フローラ様! お探ししました。早く、陛下のもとへ」
と、フローラが、足元に残る銀の飾り紐に気付き、拾い上げた。
「踊りが楽しいと思えたのは初めて。王女ではない私の声を聞き、優しく笑って下さった…」
紐を握りしめる、その切ない表情に、会場の男性の何割かが恋に落ちたに違いない。
「さあ、早く!」
「きっと、見つける。また出会えるわ」
強い目をした表情に誰もが見とれた。
足早に立ち去るフローラに、ランプを持っていた団員がつき従い、会場に暗さが戻る。
強烈な印象が消え去らないうちに、舞台の上で続きが始まった。
3人の婚約者の発表。悩むフローラ。暗殺の示唆。駆けつける例の騎士との再会、別れ。
暗殺計画の後ろに、とある貴族の名前が持ち上がる。時を同じくして届く、その貴族からの招待状。
「証拠がなければ、作ればよいのです。私は行きます。力を貸してちょうだい」
婚約者である従兄の中年の小太り宰相、賢いが危険に逃げ出す臆病者と、強いが横柄で女遊びの激しい大臣の息子たちを見まわし、フローラが決心したところで、舞台の幕がおりた。
「さて、今宵はここまでと相成ります」
ランプを片手に、庶民の格好をした団長が中央に歩み出る。
「皆様のご協力で、素晴らしい一夜になりましたこと、御礼申し上げます」
片手がふさがっていてもお辞儀する様は優雅だった。
「フローラ姫が乗り込むと決めた例の貴族の舞踏会は、そうです。明日の、この場所、本日と同じ時間に始まります。敵もさるもの、招待状には、仮面着用のこと、と記載がありました。皆様、犯人としてひっ捕らえられたくなければ、くれぐれもご用心なされませ。支度にお困りの方がいらっしゃる? なれば、明日の昼、花のアーチ前に姫がいくらかは用意をしておくと聞き及んでおります。お早めにどうぞ。ああ、お金がかかる。姫もしっかりしておりますね」
笑いがおきたため、間が空いて、最後の挨拶となった。
「では皆様、また明日、ここでお会いしましょう。残りの夜を存分にお楽しみ下さい!」
大きな拍手の中、初日の舞台が終了した。