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マリーとニーナの昼下がり ・後

マリーは、よどみなく言われた内容が胸に落ちる一瞬だけ沈黙して、大きく頷いた。

さすがニーナ。怒るとちょっと口が悪くなるけれど。

「ニーナ、満点回答よ」

ずっと変わらないで出迎えたかった。気軽に寄ってくれる場所でいたいと思えば、兄にも両親にも気持ちを伝えてくれる塾生にも、マリーは必死に気持ちを隠してきた。

たった一人、ニーナが分かってくれたから、煮詰まりすぎずにここまで来られた。

「ご褒美にケーキおごりねって言うのは後にして、ねえ、その後のことは考えたこと、ないでしょう?」

問われてみて、その通りだと頷いた。

「告白する、気まずくてギクシャクもするでしょう。足が遠のく。でも、その後は?」

誘われるようにして想像する。

「…そうね、新年が始まるころに、手紙が届く。兄さんに、私の様子を見てきてくれってきっと頼むわ」

お前に言われるまでもない、とウィルに返すレオンの口調までもが思い浮かぶ。

「それで、様子を見にきたお兄様に、あなたは?」

レオンはウィルには容赦がないから、俺が心配してるのは黙っててくれって言われた部分からマリーに報告するだろう。ああ、何て分かりやすい。思わず笑ってしまう。

「やっぱりねって言うわ。ウィル兄さんならクヨクヨするって分かってたって。でも、私」

言いながら、自分でも表情が明るくなるのを自覚する。

「私はかえってせいせいしてるの、悪いけど待たせてる殿方もいるし、ウィル兄さんに構ってられないわって伝言を頼むわ。大事な妹に今までどおり構ってほしければ、結婚して家を出る前に早く会いにいらっしゃいって」

ちょっとぐらい、ウィルを困らせたっていいじゃないか、と初めて思えた。

ニーナも片眉をあげて人の悪い笑みを浮かべる。

「調子出てきたじゃない。それで、結末は?」

「すぐじゃないけど、きっと来てくれるわ。お土産持って。それがまたヘンテコなのよ、絶対。だから笑って、いつも通り。ねえ、ニーナ、すごいわ!きっと仲直りできるって、今は何だか信じられる」

ウフフ、と今度は嬉しそうに笑って、ニーナも頷いた。

「私も同じ意見よ。鍛え上げたご立派な背中を丸めて恐る恐る訪ねて来たくせに、マリーが笑えば、喜んでもらえたーって、あっという間に気を取り直して、呆れるくらいに今まで通りの朴念仁ぶりを発揮するって、賭けてもいいわよ」

本当に楽しそうに言う内容が結構辛辣なことに、ここ数年の悩みがやっと解決できると舞い上がっているマリーは気がつかなかった。

「ニーナ、あなた天才ね!ああ、それに比べて私ったら。前にも言ったかな、胸にしまったままでは、諦めることも新しい恋を見つけることもできないだろうって、そういう自分は分かっていたの。でも、だからって言った後のことを思えばとても無理だと思ったわ。でもでも、違うのね。嵐の後には、晴れ間がのぞくのよ。だって気圧の波はあるけど空気は一定の熱量を保つからってああこれは兄さんの受け売りだし引用も間違ってるけど!」

興奮すると思いつくまま喋り出すのは、マリーの昔からのクセである。

ときどき専門用語が入り混じるのは育った環境上仕方ない。

レオンがいれば「熱量じゃなくて質量だよマリー」とあいの手も入れられるが、ニーナの場合は、ああ、全身で喜んじゃって可愛いこと、と聞き流すのが作法だと心得ていた。

実際、マリーは可愛い。飾り気がないから目立たないだけで、レオンと同じ太陽に輝く金茶の髪はレオンより柔らかくて綺麗だし、兄が涼しげなら、マリーは陽だまりのぬくもりを感じるような青味のある琥珀の眼差しをしている。

大きな目をキラキラさせて嬉しそうに笑う姿も、決意を込めて相手を見据える時の凛とした佇まいも、整った顔立ちは兄妹でそっくりだと、近づいた人間だけが知っている。

一番表情が輝くのがあの朴念仁の前なのに、どこまで節穴なのかしら!

ひと泡吹かせるくらいの餞別が何よ、とは胸の内にしまって、ニーナはニッコリ、背筋をただした。

「すっかり元気になってくれて嬉しいわ。もう本番まで時間もないし、私、ちょっとした提案があるのよ。ケーキのおごりとは別に、ルッカブラウのリーフパイで手を打つから、耳貸さない?」

のどかな昼下がりの喫茶店で、作戦会議は日が傾くまで続いた。




* * *




昨日、マリーのもとに一通の手紙が届いた。



「ご指導ありがとうございました!!」

20名程がそろって出す声は十分に家いるマリーに届く。

彼らは礼が済むと、各々身支度を整えてから学校や職場に引き上げていく。ウィルもそうだったが、遠方からくる塾生とは朝食をともにすることもある。

朝の稽古の背筋が伸びる空気も、豊穣祭が近づけば、終わった途端にどことなくフワフワしたものを漂わせるのは毎年恒例。

家の裏手にある稽古場の号令を聞いてマリーが足を向けると、父親のライハルトが誰より先に戻ってきた。年を重ねても強靭さや隙のない身のこなしは変わらない。『獅子のごとき』強さと称された騎士だったそうだが、言葉から連想する苛烈で勇猛な印象と父がマリーの中では結び付かない。

稽古を見て強いのは知っているが、どちらかと言えばどんな嵐にもびくともしない大木が思い浮かぶ。

「お父さん最近早いね。今日はオムレツだよ。ベーコンちょっと焦がしちゃった」

ごめんね、と言えば屈託なく笑う父。滅多に怒らない温和な性格はそっくり兄のレオンが引き継いだ。

「よそ見してたんだろう。マリーは、済ませたのか?」

「うん、食べ終わった。ちょっとトーニと話してくるね。あ、今日の書類は机の上に出してあるから」

広い畑と果樹園を人を雇い入れて管理しながら、領事館に請われてよろず相談に応じる父の偉大さは手伝いはじめて身にしみた。ニーナが「あなた呪いでも受けたの?!」と血相を変えるくらい必死になって卒業した騎士科の内容が、現場では役にたたない教養程度だったと打ちのめされてから2年。ようやく自分の中のやりがいと面白みが目の前の仕事とかみあう余裕が出てきたくらいだ。

「マリー」

通り過ぎようとするマリーは、ライハルトにいつにない口調で呼び止められる。

「…余計なことかと思うが、困ったことなら、必ず言いなさい」

ためらいがちな様子も、はっきりしない物言いもライハルトには珍しくて、何を言われているのか思い当らなかったが、

「母さんでもいいから」

続く言葉にピンときて吹き出してしまった。

「やだ、お父さん知ってたの。トーニったら何で隠れたのかしら」

ニーナも知る、マリーに好意を寄せる黒髪の彼がトーニだ。

恋愛事情を親に知られるというのは、結構恥ずかしいものだとマリーは初めて知った。

「気付かれてるとトーニは知らないよ。言ったらだめだぞ。それよりも、いいね?」

「もちろんよ」

頷くマリーにライハルトは言うつもりもないが、未熟な彼らもマリーも、ライハルトは全て把握しているからこそ、この時期足早に家に戻るのだ。

ライハルトは、夫婦で「兄の華々しさにどうしても隠れてしまうあの子に気付く人がいるだろうか」と見当違いに話し合った過去が恨めしい。マリーを見つめる視線の何と多いことか!

立志式の騒動や去年の踊りに行かないと断った姿を思うと、年頃の娘に何と辛い思いをさせたかと胸の痛まない日は無い。今年こそ楽しく過ごしてほしいと切に願うが、こんな時に父親ができることなどたかが知れている。

娘が自ら相談にくるまで黙って見守るのが親の正しいあり方よ、と大きく構える妻を思い出し、ライハルトはマリーにもう一言加えた。

「私から声をかけたって、母さんに言わないでくれるか?」

どことなく弱気な父親にマリーは笑うしかない。また甘やかして!と叱る母は父も恐いらしい。

「大丈夫、内緒ね。お父さんもお母さんも、心配してくれてありがとう。これまでの分も今年は思いっきり楽しむつもりなの!あ、でも大丈夫よ、無茶はしないから。後で報告するね」

祭りに参加しないと言った時の悲しそうな両親の顔に、ちゃんとマリーは気付いていた。

自慢の家族、大好きなウィル兄さん、ニーナ。何て愛情に恵まれているだろうと思う。

ライハルトは表情を緩めて頷くと、大きな手でマリーの頭をポンと撫でて戻って行った。


さて、と、近づく間もなく、稽古場からこちらに駆けてくる姿。トーニだ。

「マリー!おはよう、こっちから寄ったのに」

体に残る稽古の熱気がマリーにも伝わる。

昔から通うトーニは、騎士こそ断念したが、その強さを買われて警邏の職に就いていた。一途に想いをよせてくれながら、マリーに負担にならないよう気配りのできるあたりが大人で非常によろしいとニーナはトーニを買っている。ちょっとタレ目が笑うとかわゆいじゃない、と言われて思わずじっと見つめてしまいトーニを困らせたこともある。

『もう恒例行事みたいなもんだって、諦めて聞いて? マリー、約束はいらないから、花を贈りたい。返事はいつでもいいけど、当日までなかったら勝手に届けさせてね』

3日前、人がいなくなるのを待って声をかけてくれたトーニに、ずっと真心に真心で返せず、逃げるような態度を取った臆病さを詫びた。

『今年はちゃんと参加しようと思ってるの。ただ、ちょっと頼んでることがあって。その返事が来るまで待ってくれる?』

当然トーニは快諾してくれたわけで、今に至る。


「返事を待たせてごめんなさい。昨日手紙が届いたから、すぐ伝えようと思って」

稽古場から二人で遠ざかりながら、仕事の前だし時間がないので手短に、と言いつつ頭の中をまとめる。

「結論から言うと、トーニとは2日目なら一緒に行けると思うわ。それで」

「え、えぇっ!」 

急に隣から腕を掴まれて驚くと、トーニのタレ目が今までで一番大きく広がってマリーを見ていた。

「ほ、本当に?! あ!ごめん、腕、驚いちゃって、痛くない?!」

顔を真っ赤にしてジタバタするトーニに、マリーは自分の失敗に気付いた。

立ち止まって、ちゃんとトーニと向き合う。大きく頷いて、もう一度。

「大丈夫、痛くないわ。ごめんなさい、私ったら、これは仕事なんかじゃないのに。トーニ、聞いてくれる?」

笑顔で見上げれば、トーニもすぐに姿勢を正した。

「…うん、よし、落ち着くよ。どうぞ?」

「誘ってくれてありがとう。知ってると思うけど、ウィル兄さんが、転属で遠くに行ってしまうの。もう今まで通りに会えなくなるから、最後に今年こそは一緒に踊りたいって誘ったら、昨日、最終日なら大丈夫って返事が来たの。で、立志式の二の舞を踏みたくないから、今年はニーナに協力してもらって準備してることがあるのよ。初日はそれで潰れて、最終日はウィル兄さん。だから、2日目だけで良かったら、なんだけど…それでも、花を、くれる?」

微動だにせずじいっとマリーの話を聞いていたトーニを伺うと、一瞬で満面の笑顔になった。

話の間ギュッと握りしめていた両手を解かれて、あっという間に指先に口づけられていた。

「もちろん!こんなに嬉しい返事は想像してなかった!ありがとうマリー、俺みたいのにまでちゃんと考えて返事をくれる君だから好きなんだ。って、ああ、また言っちゃったよ」

すぐに離されても、残された感触にも告白にもドキドキしてしまう。

「あの、でも、トーニ」「待って」

マリーの逡巡の理由を、トーニは分かっているような顔で、笑った。

「その先は、まだ聞く時じゃないだろ? …それに、マリーがしなきゃいけない仕事は他にあるし?」

「え」

言われても思い当らないマリーに、面白そうにウィンク一つ。

「この後の誘いは全部、『私、トーニと祭りに行くから、ゴメンネ』って、他の奴らが悔しがるくらい可愛く断ること!」

呆気にとられている間に、明るい声で笑って、それじゃ、祭りを楽しもう!とトーニは駆け去ってしまった。

残されたマリーは深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

「………ニーナ、確かに、そうかも」

大変よろしい。ニーナの評価はいつも正しい。

つぶやきは、だれにも聞かれることなく風にとけた。








よくやく次から本番(お祭り)が始まります。


ゴメンネ、の後に、できるならハートマークを入れたかった。

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