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マリーとニーナの昼下がり ・前

「転属が正式に決まったんだ」

先日、センスのない土産持参で来てくれたウィルの、最後のあんまりな置き土産。

一人の騎士の交代に伴い、ウィルは来年から、王都を挟んでさらに1日かかる遠く離れた領地に配属されるのだと言う。

騎士は王宮での仕事の他、それぞれ領地の長としての役割も担う。国と地方の橋渡しのような存在として多忙を極める毎日になる。年に何回もウィルが訪ねてくれていたのは、馬で半日の隣領を管轄していた幸運に尽きる。王都の隣の領を持った兄など1度も会えない年がある。

「落ち着くまでは遊ぶ暇もないだろうけど、手紙書くから。レオンはともかく、マリーや先生と今までみたいに会えなくなるのは、こたえるよな」

ウィルの眼差しは、兄が王立学校に行くと決めた時と同じもので。

もう二度と今のようには会えなくなると理解した。

「ともかくって何だ」

「だってお前とは嫌でも会うだろ」

「そうだな、嫌でもな」

気安い会話も、頭が真っ白のマリーには入ってこない。

「お、おい!」

「マリー!」

ふと隣を見たウィルとレオンが腰を浮かすほど仰天したのは、マリーが自分で気がつく前に固まったまま目からボロボロと涙をこぼしていたからで、「立派な騎士様が二人してオロオロ、みっともないったら」とは、お茶の布きんじゃ顔を拭けないと慌てて出て行った兄の要請を受け部屋に来た母の弁。

子供みたいな泣き方をしてしまって顔から火が出るほど恥ずかしかったのに、後で二人に謝罪しても「慰め方もわからないのか」と父に笑われたらしく情けなさそうにして帰って行った。

見送りながら、激務の騎士を支えるどころか負担になるような甘えた自分を反省していると謝ったマリーを、両親が叱ることはなかった。



* * *



ウィルの残した衝撃もそのままで、実りの季節がやってきた。

エラス王国の一年で、もっとも賑わうのがこの豊穣節だ。

自然の恵みに感謝し、若い男女が出会いに集う『豊穣祭』のある、恋の季節。

「ねえマリー。今年はもう、本気にならなきゃだめだと思うけど」

だから自然とそんな会話になっても致し方なかった。


よく晴れた休日、マリーは幼馴染のニーナと買い物に出かけ、歩き倒した疲れを癒すべく、街で評判の喫茶店で新作のケーキを堪能していた。

ふわふわスポンジのロールケーキ。甘さ控えめで酸味のあるレモの実で香りづけしたクリームはたっぷりだがバランスが良い量で、口に入れた途端ほろりと解ける食感に思わず笑顔もこぼれてしまう。二人してこれは定番になると盛りあがった。

友人のその一言は、つくづく、しっかり食べ終わった後でよかったと思う。

「…それは、分かってるけど」

どうしたって豊穣祭はマリーにとって楽しい話題ではないのだから。


マリーの家は少々一般的ではなかったものの、マリー自身はごく一般的な女性と同じように過ごして今年18歳になった。

つまりは、10歳で基礎教育、13歳で中等教育、16歳で高等教育を無事に修めて、地区ごとの『立志式』という成人のお披露目も済ませ、家の手伝いを始めて2年が過ぎたということだ。

この16歳の立志式は、恋に憧れる乙女にとっては非常に待ち遠しいものだ。

豊穣祭は3日かけて各地で開催される。その初日の夕べに立志式があり、その流れで夜会が始まる。

昼も実に賑やかだが、若い男女にとって本番はやはり夜の舞踏会だ。大小様々な会場が設けられ、色とりどりの明かりと音楽で歌い踊るそれは華やかな場となる。

この地区では、祭りの前に男性が意中の女性を誘うのに花束を贈る。了承するなら、その花一輪を昼までに家の門に示す。二人で同じ花を身につけて参加することになるのだが、この花は、最終日、男性が女性にプロポーズするためにも使われる。身に付けた花を女性に差出し、受け取ってもらえたら晴れてカップル成立、となるのだ。

若い乙女は、豊穣祭までに、自分を慕う(できれば輝ける16人の騎士のような全女性憧れの)素敵な男性に花を贈られ、最終日に女王陛下のように傅かれて花を差し出されることを日々夢見るものだ。

立志式直後の第一日目の舞踏会は新成人のお披露目でもあるので、父親や兄弟など親戚に連れ添われ、地区の長主催の会場に必ず出席し、最初の一曲を踊らなければならないが、二日目からは自由に祭りを満喫できる。

ただし、マリーのデビューは散々だった。

急用で不在の父のかわりに兄のハインレオンが付き添うと直前でバレたせいだ。

「騎士様が来る!」と地区の未婚女性全員が来たと語り草になる人数が殺到し会場が大混乱。マリーは初めの一曲を濃厚すぎる(兄への)熱視線の中、辛うじて踊りきり即退場、あとは家でじっとして過ごす羽目になったのだから。

何より辛かったのは「初めての年じゃ心細いし誘われなければショックだし」と三日目の夜に一緒に踊れないかと必死の思いで誘ったウィルとの約束が台無しになったことだった。

こちらの心持ちなど知らず、ごく気軽に「マリーの為ならどんな美女の約束も後回しにするさ」と付き添いを了承したウィルは、遠方から駆けつけた挙句の約束の反故には一切怒らなかった。むしろ、未曽有の大混乱を巻き起こした兄との顛末に「これはいい土産話ができた」と大笑いしてマリーをねぎらいつつ「覚えめでたい独身の騎士様は大変だなあ、レオン殿?」と自分を棚に上げて兄をからかい倒し、いつも通りに食事をして帰って行ったくらいだ。

気さくで優しくて、実の妹のようにマリーを可愛がってくれるウィル。

成人したという事実も、それになんの変化も与えなかったのだと思い知った。あの日の重たい気持ちはいつだって鮮明だ。

「ちょっと。聞いてるの!?」

「あ、ごめん、何だった?」

憂鬱に引きずられて余計な回想に気を取られていたマリーはつつかれて我に返る。

「もう!マリーったら。いい加減逃げられないわよって言ったの。一目でわかるわよ、何て言ったっけ、黒髪の二つ年上の彼、本当にマリーが好きなんだって。他は知らないけど、私、あれを見てしまったら、さすがに適当な返事はよくないって感じたわ。あなたのことだし、ちゃんと考えているのでしょ?」

近所で評判の美女に育ったニーナは、性格そのままに表情を気取らず頬を膨らませた。

逃げられない。

まさに言葉の通りだ、と思う。

去年は逃げた。マリーはどこをとっても平均的、標準的で目立つわけではないが、家に多くの妙齢男性が武芸を習いにくるため知り合う機会には事欠かず、その中にはマリーを気に入る輩も少なからずいた。

花を贈ってよいか、と聞かれることも多かった。

ウィルと踊りたかったが、騒動を思えばとても誘えなかったし、ウィル以外と祭りに参加する気にもなれない。

「兄のおかげでひどく迷惑をかけたので今年は控える」と言い逃れたが、女性のほとんどが20歳までには結婚を決めるエラスにおいて、18歳で「また来年誘って」と変な期待を持たせて断ることはできない。

「毎日だって考えてるけど、でも…頭が働かなくて」

普段のきびきびと父親の仕事の手伝いをするマリーからは想像もできない、ぐずり加減だ。

ニーナは遠慮しなかった。

「妹のままで、離れ離れになってもいいなんて、覚悟もないでしょうに」

ぐっさり、胸に突き刺さる、それは事実。

「…でもね、マリー。多少は私も、わかってるつもりよ」

言葉の出ないマリーに、ふう、と一呼吸おいたニーナの口調は幾分柔らかかった。

ニーナは、ウィルに片思いしているマリーをずっと見てきた。

ニーナとマリーは、ニーナがこの土地にやってきた10歳からの付き合いだ。明るくて素直で、時に男の子にも負けない正義感あふれるマリーとはすぐに仲良くなった。やんごとない家庭の事情を知ったのは随分後だが、思いつかないくらい、良い意味で普通の少女だった。

王立学校に入り、実直に騎士を目指すウィルの姿に多少尊敬しなくもなかったが、帰省を心待ちにしていたマリーの目の前で「王都はさすがきれいな女性ばっかりで」とか「騎士科ってだけでモテるんだ」とか鼻の下をのばす姿に、この朴念仁が!と何度イライラしたことか。

「ニーナのこと、どんどん綺麗になるねって、ほめてたよ」と寂しそうに言われた時は怒りのあまり持っていた編み棒が手の中で折れていた。

ニーナも知っている。ウィルはマリーをそれは大事にしている。可愛くて仕方がないと人目もはばからない態度は言い寄る女性を不機嫌にさせるほど。欠かさない(妙な)土産はいつだってマリーを気にかけている現れだと分かる。

でも、すべてゆるぎなく「大事な妹」のためなのだ。

マリーは騎士という生き方の過酷さを知っているから、会いに来てくれるだけで有難いのだと言う。安らぐ場所になっているのなら、それを全力で守るのが私の誇りだ、とニーナに告げたマリーはとても美しかった。周囲の目を考えたら茨の道だろうに、父親の手伝いをしたいと高等教育で騎士科を選択した時だって迷いも気負いもなかった。マリーはニーナの自慢の友人だ。マリーがウィルを守るのなら、ニーナはマリーを守ろうと決めた。

ずっと見てきたから、マリーと同じぐらい、ニーナにも想像がつく。

「あのボンクラ騎士様、マリーに告白されるなんてカケラも思ってないでしょ?びっくりするわよね。さぞうろたえるでしょ。それでもって、落ち込むのよ。気がつかないで悪いことしたって、きっと地面にめり込むぐらい。そしてギクシャクするんだわ。そんな姿見せられたら、周りも今まで通りじゃいられないわよね。それが嫌で、踏み出せない。…間違ってる?」


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