マリーと二人の兄
エラス王国は、特別な力を持つ女王が代々国を治めて2400年。
大陸で一番豊かで歴史の長い古王国だった。
山脈と大河と海で天然の要塞が築かれ、国境も最初から同じ。
エラスの周辺の国の言語は、エラス語を基にしたものだから、共用語になっていて、エラスに生まれると旅をしても言葉に困らないらしい。
最後だけ「らしい」なのは、マリーが旅をしたことがないからだ。
大体において、国境を越える程の旅は普通の庶民はしないのだから、それは無用の知識だと思うのだ。
「普通」なら。
でも、ウチはちょっと普通じゃ、ないものね。
マリーはお茶を出しながら、目の前の二人を見た。
久しぶりに里帰りした自慢の兄と、異国から帰ったばかりのその友人。
「ああ、いいよ、マリー。後は適当にやるから」
光に当たると金色に光る茶色の髪に、穏やかで涼しげと評判の琥珀の瞳の兄が立ち上がる。
落ち着いた雰囲気にだまされるけど、鍛えた体は厚みがあり、近寄れば頭一つは大きい。
もう一人も立ち上がる。
「いつもありがとう、マリー。お茶はいいから、持ってきた土産を見てくれよ」
兄より更に短い髪はダークブラウン。きりっとした眉も同じ色の瞳も、今はその剣戟の鋭さなんか微塵も感じないくらい、優しく微笑んでくれる。
でも、兄より背が高くて逞しいのだから、二人して立ち上がられれば壁よ壁。
「分かったから、座ってちょうだい二人とも。立ってられたら、部屋が窮屈よ!」
お茶の用意は、ちゃんと3人分だ。テーブルに置こうとして、マリーはぎょっとした。
思わずお盆を持ち上げてしまう。
極彩色の、ぎょろ目のお面。なにやらトゲトゲのたくさん出た、植物の実?それから、真っ黒い何かが入ったビン。
「すごいだろー?アッバーサの秘境に伝わるものらしいんだよ。国民も滅多に御目にかかれないって、王様が言ってたぜ」
紳士らしくマリーから重いお茶セットを取り上げてテーブルに置く、兄の友人ヴィルヘルム。
その笑顔に裏はない。
「アッバーサの秘境って言えば、古代シャイマールに通じる民族だったか?聖地の岩窟に前人類の残した星図があったはずだ」
天文学では非常に博識な兄ハインレオンが、心底興味深そうにビンを取り上げた。
マリーは、顔をしかめた。
何か、それ、においませんか?
「おお、それそれ!見てきたぜー」
「何だって?!ウィル、お前、何でそれを早く言わないんだ」
ビンが音を立ててテーブルに戻される。やっぱり、生臭い。
「ふん、たまにしか帰ってこないお前より、マリーの土産が先だからな!…って、マリー?」
マリーは、考えた。
エラス王国は大陸文化の礎になる程の、小さいけれども格式ある豊かな国。不思議の力もつ女王と、それを守る「エラスの輝ける星」と呼ばれる16人の騎士が国と民を守り支え導いてくれる。
その16人のうちの一人を兄に、一人を幼馴染の「ウィル兄さん」に、加えて、引退したけれど、父も騎士だった私は、確かにちょっと普通とは言えないけれど。
庶民が体験しないような遠方への旅を終えて、報告がすみ次第来てくれたウィル兄さんに、マリーは嬉しいながらもため息をついた。
曲がりなりにも、若い女性への贈り物のはずである品々。
「いつも思うけど、このセンス、他の人に知られたら、騎士の名誉にかかわるかもしれないわね」
「え、そ、そうか?」
「マリー、いくらウィル相手でも、本当のことを言ったら傷つくだろう」
間髪いれず、面白そうにハインレオンが頷く。
「レオン!分かった、お前にはもう土産はなしだ!マリー、こっちに座れよ、説明するから」
「…そのビンは開けないでね」
マリーは内心ドキドキを押さえつつ、ウィルの隣に腰掛けた。
空気越しでも伝わるぬくもりと、まっすぐ向けてくれる寛いだ眼差しが、嬉しくて、もどかしい。
このとても強くて優しくてセンスの悪い騎士に、マリーはもう、10年も片思いしていた。
この日、ウィルが訪ねてきたもう一つの理由に、ふわふわした気分を叩き落されるまで、あと少し。