第3章
回想・ひまわり畑の約束
それは、僕がまだ五歳だった頃の、ある夏の日の記憶だ。
当時の僕は、今のようなガリ勉ではなく、ただの泣き虫な子供だった。
近所の公園にある大きなひまわり畑。それが、僕と「みっちゃん」の秘密基地だった。
『湊くん、また泣いてるの? 転んだくらいで情けないぞ!』
麦わら帽子を被った少女――みっちゃんが、僕の手を引いて笑う。
彼女は近所に住む幼馴染で、僕よりもずっと強くて、賢くて、いつも僕の先を歩いていた。
『だって、痛かったんだもん……』
『もう。私が絆創膏貼ってあげるから。……ほら、これでお揃い!』
彼女は自分の膝にある絆創膏を指差して笑った。
そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
だけど、夏休みの終わり。彼女の家が遠くに引っ越すことが決まった。
引っ越しの前日の夕暮れ。
オレンジ色に染まったひまわり畑で、彼女は今にも泣き出しそうな顔で、僕のシャツの袖を掴んでいた。
『……湊くん。私、行きたくない。ずっとここにいたい』
『僕も、みっちゃんがいなくなるの、嫌だ』
『……ねえ、約束して。大人になったら、私を見つけて。それで……』
彼女は顔を真っ赤にして、僕の小指に自分の小指を絡めた。
『大人になったら、私と結婚して。……私、湊くんのお嫁さんになるの』
『……うん! 約束する。僕、絶対にみっちゃんを見つけるから。……結婚しよう、僕たち!』
五歳の子供の、他愛もない約束。
だけどその五歳の、オレンジ色の記憶。その指切りの感触が、脳の奥底でかすかに熱を持ったような気がした。だが、図書室の冷たい空気と、陽葵が僕の顔の前で振る手を認識した瞬間、その熱は急速に冷めていく。「ちょっと、湊! 大丈夫? 急に黙り込んじゃって」「……あ、ああ。ごめん。少し考え事をしてた」「考え事っていうか、魂が抜けてたわよ。やっぱり、あの子の言った『記憶喪失』って言葉が気になってるんでしょ?」陽葵の指摘は鋭かった。僕は曖昧に頷きながら、机の上に広げたままの英単語帳を閉じた。「……もし、本当に僕が彼女のことを知っていたとしたら、僕はとんでもない薄情者ってことになるよね」「まあ、そうだな」蓮がファッション雑誌をようやく閉じて、ニヤリと笑った。「でもよ、湊。お前、五歳の頃の友達全員覚えてるか? 普通は忘れるもんだ。それを『最低』なんて言うからには、よっぽど深い約束でもしてたか、お前がよっぽど酷い振り方でもしたかの二択だろ」酷い振り方。もしあの記憶が本物だとしたら、僕は彼女に「結婚しよう」と言っておきながら、再会した瞬間に「初めまして」という顔をしてしまったことになる。それは、思春期の女の子にとっては、死刑宣告に近い侮辱かもしれない




