第2章
図書室の冷戦と、五歳の亡霊
「……ねえ、湊。あんた本当に、あの水瀬さんと初対面なの?」
放課後の図書室。
静寂が支配する空間で、陽葵が小声で僕に詰め寄ってきた。隣では蓮が、ファッション雑誌を適当にめくりながら聞き耳を立てている。
「自分でもそう思ってるんだけど……。あんなに嫌われる理由が、本当に見当たらなくて」
「でもさ、あの『死んでも聞かない』ってセリフ、相当だぞ? 湊、お前夏休みにどこかの街角で美少女に泥水ぶっかけたりしなかったか?」
「するわけないだろ。僕は夏休み、ずっと塾と図書館にいたんだから」
その時だった。
図書室の入り口の扉が開き、凛とした足音が近づいてきた。
現れたのは美月だった。彼女は僕たちの姿を視界に入れると、眉間に深い皺を刻み、踵を返そうとした。
「あ、待って、水瀬さん!」
陽葵が機転を利かせて声をかける。
「私たち、これから駅前のカフェに行こうって話してたんだけど、水瀬さんもどう? クラスに馴染むチャンスだし」
美月は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。彼女の視線が陽葵、蓮、そして僕へと移動する。
「……悪いけど、馴れ合うつもりはないの。特に、そこにいる『記憶喪失の王様』とは」
「記憶喪失……?」
美月は自嘲気味に鼻で笑うと、僕に一歩近づいた。彼女から、微かに石鹸のような、清潔で、それでいてどこか切ない香りが漂う。
「……湊。あんた、テストで一位を取るのがそんなに大事?」
「え? ああ……そうだね。僕にはそれしかないから」
「ふうん。なら、せいぜい今のうちに楽しんでおきなさいよ。……あんたのその空っぽなプライドごと、私が全部奪ってあげるから」
彼女はそれだけ言い残すと、目当ての本も借りずに図書室を出て行った。
「……なあ湊。あの子、お前のこと知り合いどころか、宿敵だと思ってないか?」
「みたいだね……」
僕は、胸の奥がざわつくのを感じていた。
彼女が言った『記憶喪失』という言葉。
それが、僕の脳の奥底に鍵をかけて仕舞い込んでいた、古い引き出しをガタガタと揺らしていた。




