第10章
十一月の文化祭
僕たちのクラスの出し物は「男女逆転メイド喫茶」に決まってしまった。フリフリの白いエプロン、ミニスカート、そして頭には猫耳のカチューシャ。鏡に映る自分の姿に、僕は頭を抱えた。「おい湊、お前その足の細さ、女子の立場がないぞ!」執事服を完璧に着こなし、もはや「王子様」状態の蓮が爆笑している。一方、美月はというと――。「湊、メニュー表のチェック終わった? ……あら、可愛いじゃない」そこには、黒のタキシードに身を包んだ美月がいた。長い髪をすっきりとまとめ、凛とした立ち姿は、もはや女子生徒たちが黄色い悲鳴を上げるのを防ぎようがないほど「男装の麗人」だった。「……美月こそ、似合いすぎだろ。僕のほうがメイドだなんて、立場が逆だよ」「ふふ、今日は私があなたを守る『旦那様』よ。ほら、湊。接客、頑張りなさい」開店と同時に、教室はパニックに近い混雑となった。「萌え萌えキュン……なんて、言えるわけないだろ!」「湊、言いなさい! それが売り上げに繋がるんだから!」美月に叱られながら、僕は必死にメイド(?)として給仕した。「湊くん、オムライスにハート描いて!」「……物理的に、ケチャップの粘性と流体力学を考慮すると……」「理屈はいいから! 早く!」そんなドタバタの中、ふと美月と視線が合う。彼女は忙しく立ち働きながらも、時折、僕を見ては楽しそうにクスクスと笑っていた。昼休み。喧騒から逃れるように、僕たちは二人で屋上へと続く非常階段に座り込んだ。手には、美月がどさくさに紛れて確保してきた出店の焼きそば。「疲れたー……。でも、楽しいね、湊」美月が僕の肩に頭を預ける。男装の衣装のせいか、いつもより彼女が少し大きく見えた。「……ああ。勉強してるより、ずっと有意義な時間な気がする」「でしょ? 湊はもっと、こういう『無駄』を楽しまなきゃダメよ」美月は空を見上げた。冬の訪れを予感させる、高く澄んだ青空。「ねえ、湊。さっきの体育祭の時の願い事……。まだ聞いてなかったよね。何がいい?」僕は焼きそばを飲み込み、少しだけ真面目なトーンで言った。「……来年も、再来年も。僕と一緒に、文化祭をやってほしい」美月は一瞬、目を見開いた。それから、少しだけ切なそうな、けれどとびきり優しい笑顔を作って、僕の小指に自分の小指を絡めた。「……そんなのでいいの? もっと高いものとか、お願いすればいいのに」「それが、僕にとって一番価値があるものだから」「……わかった。約束ね。……ずっと、ずっと、湊の隣にいてあげる」その時の美月の指が、わずかに震えていたこと。彼女の男装のジャケットの下で、心臓が悲鳴を上げるような速さで動いていたこと。僕はメイド服という滑稽な姿のまま、彼女のその震えに気づかないふりをして、ただ強く指切りを返した。文化祭の夜、後夜祭のキャンプファイヤーの炎が校庭を照らす中、僕たちはこっそりと列を抜け出した。「湊、踊りましょう」「えっ、ダンスなんて踊れないよ」「大丈夫。私がリードしてあげるから」タキシードの美月と、メイド服の僕。奇妙な姿の二人が、暗がりの渡り廊下で、音楽もないままゆっくりとステップを踏む。「ねえ、湊。私、今が世界で一番幸せだよ」彼女の囁きが、冷たい夜風に溶けていく。それが、終わりの始まりであることを、僕はまだ知りたくなかった。




