【第2話:忌み子の決断と、月下の別れ】
翌朝、世界の色が変わっていた。
空は青いのに、街の空気が重く、澱んでいる。
「……あいつだろ? 昨日の」
「目が光ったって……関わるなよ、呪われるぞ」
視線。視線。視線。
かつては見えなかった「他人の敵意」という色が、今の俺には痛いほど鮮明に見えてしまう。
教会に戻っても、壁には泥で『悪魔の子を出せ』と落書きがされていた。シスターが慌てて消していたが、俺はそれを見てしまった。
(俺がいるだけで、みんなに迷惑がかかる)
その夜、俺は教会の図書室にいた。
開いた古びた本には、大陸の遥か西にあるという『七色の虹瀑』の挿絵が描かれていた。
巨大な滝に常に虹がかかり、夜には発光する苔で七色に輝くという奇跡の絶景。
「……綺麗だ」
俺は、この眼で見たい。
人の悪意に怯えて暮らすのは、前世だけで十分だ。俺はもっと、この素晴らしい世界の色を網膜に焼き付けたい。
俺は決めた。
深夜。
俺は書き置きを残し、最低限の荷物を持って教会を抜け出した。
誰にも言わず、影のように去るつもりだった。
「――行くのね」
門の横、古びた柱の陰から声がした。
ミナだった。
「……気づいてたのか」
「わかるよ。セツナ、昔から嘘つく時だけ早口になるし……今日はずっと、遠くを見てたから」
ミナが柱の影から姿を現す。月明かりに照らされた彼女の表情は、泣き出しそうになるのを必死に堪えていた。
彼女は一歩近づき、俺の手に温かい布の包みを押し付けた。
「これ、持っていって。干し肉とパン。あと、私のリボン」
「リボン?」
「お守り。……ちゃんと帰ってくるための目印だよ」
包みの中に、彼女がいつも髪に結んでいた青いリボンが入っていた。
俺はそれを強く握りしめた。化け物と恐れられたこの眼を、彼女だけは真っ直ぐに見つめてくれている。
「……ありがとう。必ず、返しに来る」
「うん。絶対だよ。……どんな景色を見てきたか、一番に私に教えてよね」
俺は背を向け、歩き出した。
背中で、ミナが小さく鼻をすする音が聞こえた気がした。だが、俺は振り返らなかった。
振り返れば、きっと泣いてしまう。
俺は月に向かって駆け出した。
その慢心が、すぐに打ち砕かれることになるとも知らずに。




