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仲なおりのかくし味

作者: 藤城柚子

 今、私はありとあらゆる呪いを込めて料理を作っている。それもこれも、すべてはあのクソ生意気な弟、佐助(さすけ)のせいだ。


 ことの発端は、実にくだらない。

 あれは月曜日だ。一緒に夕食をとっていた佐助が横を向いてテレビを眺めながら

「この子可愛いね」

 と言った。CMに出ていたのは、私たちと同世代の、可愛いと綺麗がうまく調和した顔立ちの若手女優だった。彼の正面に座っていた私は「そうだね」と答えた。なんの悪意もなく、本心で。

 どちらかと言えば、佐助がテレビに集中するあまり、箸でつかんでいたかぼちゃの煮付けをローテーブルの上に落としたことのほうが、よっぽど気になっていたぐらいだった。

 しかし、それだけで終わらなかったのだ。次の日の夕食の時間も、弟はテレビに映っている女の子を可愛いと言った。二回目に褒めた女は、歌番組に出ていたアイドルグループの黄色の女だ。メンバーカラーで衣装の色がそれぞれ決まっているらしく、赤や青、緑や紫、いろんな色がいて、そのなかで弟は黄色を好きだと言う。

 私は混乱して、これは「なんとかレンジャーの何色が好き問題」と同じで、何色が好きかを各々が発表しないといけないのかと疑った。そしてそれは大抵、早い者勝ちが暗黙のルールであり、私がどんなに黄色の女を可愛いと思ってもすでに遅く、黄色以外を選ばなければいけない決まりなのだ。

 目の前のサラダにのった、鮮やかなミニトマトをすべらないように箸でつかんでから、「私は赤かな」と答えてみた。芸能人なんだから可愛いのは当たり前だろうと眉をひそめて噛みしめると、苛立ちとミニトマトが口のなかではじけた。

 普段、佐助と一緒に食事をするのは、お互いに一限の授業がある日の朝食と、お互いにバイトがない日の夕食だけだった。今は大学が春休みなので、昼食も二人で食べることがある。

 三番目の女は、水曜日のお昼に情報バラエティ番組で、インタビューを受けていた女子大生だった。もはや芸能人ですらない。私は三度目にしてショックを受けた。

 ハムと卵とネギを炒めて簡単に作ったチャーハンをかきこみながら、私は自分を落ち着かせた。

 ああ、そうか。弟は芸能事務所に入社してスカウトマンにでもなるつもりなのだな。だからこうして自分の眼が曇っていないか、私に確かめているのだ。

 そう思い込み、なんとか自我を保った。

 それから私は無の境地に突入し、四番目の女をうまく右から左へ流した。仏の顔も三度までというから、私は仏を超える寛容な心の持ち主になった、つもりだった。

 そのときは土曜日の十五時にやってきた。

 午前中に買った、お気に入りのケーキ屋のモンブランを二人でおやつに食べていて、先に食べ終わっていた佐助は、ティーバッグの紅茶を飲みながら野球の中継を見ていた。今日は土曜日なのでデイゲームだ。

 すると、試合の途中で映された、応援席の女の子二人組を見た佐助は

「おっ、この子たち可愛いね、やっぱカメラマンもわかってて撮ってるよな」

 などと愉しげに言う。

 それは紅茶を飲むのを中断してまで声にすることか? そもそも、なんのために? 自覚があるのかないのか知らないけれど、一週間のうち五回目だぞ!

 思えば、今まで佐助が褒め称えた女たちは、五人とも目が大きくぱっちりとした二重だった。次第に、目が細くて奥二重の姉に対する当て付けなのではないかと忌々しくなって、そして、隣にいる佐助のはっきりとした二重が視界に入ると、私は静かな怒りに震えた。

「最近ずっと女の子を見るたび可愛いとか言ってるけど、なんなの?」

「なにキレてるの?」

 佐助は面食らったような表情で紅茶の続きを飲んだ。

「キレてない。可愛いって思うのは自由だけど、わざわざ口に出すことないでしょう。春なのに彼女がいなくて飢えてるわけ?」

「万年独り身の彩子(あやこ)に言われたくないけど」

「うっさいな。あんたみたいな外見至上主義の男と付き合う彼女が不憫でしょうがないわ!」

「あのね、俺が誰を可愛いとか言っても、お互いに好かれてる自信があればなんの弊害にもならないわけ。彩子は自分に自信がないから、そういうふうに神経を尖らせるんでしょ。俺は彩子と付き合う人のほうがよっぽど大変だと思うけどなぁ」

 ついカッとなってやってしまいました。

 たぶん、こういうときに使う言葉だろうなぁ、と妄想しながら黙った。妄想のなかで、冷静に分析する弟の胸ぐらをつかみ、拳を握りしめながら。

 半分ほど残っていたモンブランを無理やり口に押し込み、ゴクゴクと紅茶を一気飲みしてコップをテーブルに戻すと、思いのほか強い衝撃音が静まったリビングに響く。

 無言でキッチンに向かい、自分の洗い物だけ済ませて自室に戻るとき、後ろで佐助の大きなため息が聞こえた。


 春休みが終わったら私は大学三年生に、佐助は大学二年生になる。いわゆる年子だ。

 子供たち二人がそれぞれ上京して一人暮らしするような金銭的余裕は実家になくて、けれど地元の大学に行きたくない私たちは、二人暮らしという妥協案で手を打った。

 仲が良いとか悪いとか、それ以前の問題で、繊細で内弁慶な私とおおらかで社交的な佐助では、性格があまりにも違いすぎるのだ。

 だからときどき、衝突が起きる。あまりにもくだらない衝突だとわかっていても。

 しばらくすると、リビングにいた佐助の気配もしなくなった。彼も自分の部屋に戻ったようだ。私はまた憤る。

 なに平然と部屋に戻ってるんだ。空気読んでどこか出かけなさいよ。

 昔から佐助は、怒られても飄々としている。そういう態度がこちら側の怒りを増すことも知らない。

 そして私は怒りを消化するため、弟に復讐をする。

 様子をうかがって扉を開け、誰もいないのを確認して、シンとしたキッチンに立つ。

 毎週、土日のどちらかで多めに料理を作り、冷凍するのが習慣になっている。毎日献立を考えるのが面倒だからだ。それに、食材を余らせたり腐らせたりしないし、何より外食しなくなるので食費の節約にもなる。

 冷蔵庫のなかは、午前中に作り置きのために買ってきた食材がぎゅうぎゅうに詰まっている。これを消費して、冷蔵庫に空白が増えるのが快感なのだ。

 まず、包丁で玉ねぎをみじん切りにしていく。弟に対する負の感情をぶつけて切り刻んでいると、大量の涙が出てきて止まらなくなった。

 続いて挽き肉を準備する。こねるというよりは、叩いて殴るように。このやろう、ふざけやがって、という感じで。他の食材と憎しみを混ぜたタネを、呼吸ができない程度に空気を抜き、成形したら高温で焼きつける。そこへトマト缶と調味料を入れて、釜ゆでの刑にしてやれば、煮込みハンバーグの出来上がりである。

 レンチンして完膚なきまでに潰したじゃがいもにチーズを混ぜて焼いたじゃがいももちや、クタクタになるまで煮込んだ切り干し大根、鶏肉にフォークをブスブスと突き刺してから味付けと加熱をした鶏チャーシューなど、見事に完成した大量の作り置き料理は、私をいろんな達成感で満たしてくれた。


 調理を終えて洗い物をしていると、佐助が眠そうな顔で部屋から出てきた。どうやらふてぶてしく寝ていたようだ。佐助はキッチンのほうをチラ、とだけ見ると、そのまま何も言わずに通りすぎて、トイレにでも行くのかと思ったら、部屋着のまま扉を開けて外出して行った。

 なんなんだ。せめて一言、どこへ行くか伝えるのがスジだろう。夕飯いるとか、いらないとか、ホウレンソウもできないのか!

 再沸騰した私がいつも以上に乱暴に洗い物を終えると、窓の外が暗くなっているのに気がついた。没頭するあまり、すっかり夜になっていたようだ。

 閉めようとしたカーテンを握りしめて窓の外を見ていると、予約していた炊飯器から米が炊けたメロディが流れた。

 ごはんはあるけど、今晩のおかずはどうしよう……。

 何か簡単に食べられるものはあっただろうか。冷蔵庫を開けると、たまたま視界に入ったのは佐助が何日か前に買ってきたプリンだった。私は何日も放置するほうが悪い、と言わんばかりに、プリンとスプーンを持ってローテーブルの前に座った。

 作った料理は佐助も食べるのだから、このプリンは労働に対しての正当な対価と言えるはずだ。私はさっきケーキを食べたことも忘れて、テレビを見ながらプリンを頬張った。

 そこにあの「二番目の黄色い女」がまた映っている。せっかくのプリンがまずくなりそうだったので急いで食べ終えて、じっくりと眺めた黄色の女は、よく見ると、可愛いと騒ぐほどの容姿でもなかった。なんだかものすごく馬鹿らしくなってテレビを消した。

 玄関で佐助が帰ってきた気配がすると、私は急いでプリンの証拠を隠滅し、なんでもないふうを装ってしゃもじで炊飯器の白米をほぐした。

リビングに入ってきた佐助はコンビニに行っていたのか、白いビニール袋を持っていた。無視を決め込んでいた私に

「お姉ちゃん、お花見に行きませんか」

 弟はそう言って、袋を自分の顔近くまで引き上げる。半透明の袋からいくつもの缶チューハイのラベルが透けていた。

「お花見?」

「ほら、俺が去年こっち来たとき、一緒に近くの公園で花見したじゃん」

「ああ」

 私は決め込んでいた無視も忘れて答えていた。コンビニに行く途中の、桜が数本だけ植えられている小さな公園を思い出しながら。

「あれは花見っていうか、ベンチに座って飲んでただけだよ」

「まぁいいじゃん。行こうよ」

 しばらく考えるポーズをしてから、私は佐助に「ちょっと待ってて」と返事をした。


 夜の公園には誰もいなかった。ライトアップもされずに街灯の光だけで照らされる桜の花は、白っぽく、夜空によく映えている。

 ベンチに腰かけて、保冷バッグから取り出した缶チューハイで乾杯をすると、とても気持ちのいい風が吹いた。

「あんた、未成年なんだからノンアル飲みなさいよ」

「同じ学年の四月生まれはもう二十歳なんだし、問題ないでしょ」

 注意したのに意味のわからない理屈で返されて、もういいや、と諦める。

 缶に口をつけている彼の横顔はすっかり大人びているけれど、佐助は三月生まれなので、ちょうど先月、十九歳になったばかりだ。成人式でお酒を飲めないなんて可哀相に。ざまあみろ。

「腹が減った」と騒いでいる弟に呆れながら割り箸を渡す。図体ばかり大人になって、中身は小学生のころからちっとも変わっていない。

 次いで家から持ってきたタッパーのフタを開けてやった。中にはさっきまで作り置きのために調理していた料理が詰められている。炊いたごはんでおにぎりもいくつか作ってきて、お花見らしさを演出した。

 作り置きのストックはなくなってしまったが、また作ればいい。

 隣にいる佐助は鮭のおにぎりを食べてから、おかずをつまんでお酒を飲んでいた。食べているおかずが、呪いを込めて作られた料理とも知らずに。

 人畜無害な呪いはさておき、私が唯一、弟に復讐をしたとすれば、それは煮込みハンバーグのソースに入っているすりおろしのセロリである。

 佐助はセロリが嫌いだ。そのセロリの姿かたちをなくし、味を濃くしたソースに溶かして食べさせる。気づかないで口にする佐助が味を褒めるたびに、私は吹き出しそうになって、復讐を終える。それこそが姉弟円満の秘訣なのだ。

 今日もいつものとおり、煮込みハンバーグを食べた佐助は「おいしい」と呟いた。そのあと、ベンチを包むように真上で咲いている桜を見上げながら言った。

「彩子と付き合う人は大変だと思うって言ったけどさ」

 話を蒸し返すのかと思い、ムッとしながらおにぎりを咀嚼していると、

「結婚ってなったら、外見より料理の腕のほうがよっぽど大事だから、彩子の旦那さんはすごく幸せだと思うんだよね」

 佐助にそう言われて、私は呪詛返しをくらったように心が痛み、激しく後悔して、自己嫌悪に陥った。それから誓った。次からは、復讐ではなく、弟の健康のためにすりおろしたセロリを入れよう、と。

 そして、帰り道、私は佐助にこう言うのだ。 

 プリンを二つ、買って帰ろう。

 こんな私たちを笑うように、桜の花は夜に揺れている。

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