第2話 暗殺
駅馬車が王都エスタリオンに着いたのは、朝方のことだった。
エルザはエイミーを連れて、自身が所属する第三騎士団へ向かった。
エイミーの話によれば、彼女はウインザー帝国の少数民族・タミル族の少女だった。タミル族の女は、薬や外科道具を使わず病の治療をするなど、不思議な力を持っているのだという。
そのため、帝国の軍人が彼女たちを拉致する事件が起こっていて、みんなあちこちへ逃亡しているのだった。
「今日からしばらくの間、エイミーはこの部屋を使ってくれる? ここは第三騎士団の宿舎だから、どこへ行くより安全だと思うわ」
するとエイミーはペコリと頭を下げた。
「本当にありがとうございます。もしかして、ここはエルザさんの部屋ですか?」
「ええ、そうよ。だから気楽に過ごしてね。私はちょっと上司の所へ報告へ行ってくるから、エイミーは先に寝ていて頂戴」
エルザはそう言うと、軽く手を振って部屋から出て行った。向かった先は、セラスの部屋である。
「朝早くすみません。エルザです」
エルザが声をかけると、しばらくして扉が開いた。
「おおエルザか、ご苦労。まあ入ってくれ」
早朝だからか、セラスは寝間着のようなラフな格好をしていた。
セラスは女性の割には背が高くて、エルザの鼻くらいの背丈があった。そして何よりも特徴的なのは脚が長いということだ。それはまるでヘソに股があるのではないかと思うくらい、長いのである。
セラスはカールした金髪を揺らしながらソファへ腰を下ろすと、長い脚をフラミンゴのように組んだ。
「まあ、かけてくれ、遠慮はいらん」
「はい……」
エルザはセラスの向かい側に座った。
「オーウェン氏からの伝達事項ですが……国の南側にウインザー帝国の工作員がたくさん入り込んでいて、色々と民間人を扇動しているそうです」
「……帝国の動きはなんだか不穏だな」
「オーウェン氏も、用心した方が良いと言ってました」
「うむ、わかった、これは私から上へ報告しておこう。ところで、随分と遅かったじゃないか。心配したぞ」
「ええ……実は王都へ帰る駅馬車が、盗賊に襲撃されまして」
するとセラスは大きな丸い目を、さらに大きくして驚いていた。
「それでこんな時間になったわけか」
「はい。実は私が乗っていた駅馬車に、タミル族の少女が乗っていまして……今回の襲撃は、彼女を狙っての犯行だったようです」
「タミル族か……今、ウインザー帝国の軍部が、彼女たちを拉致まがいのことをしながら掻き集めていると聞いたが……」
「軍がそんなことまで……?」
セラスは頷いた。
「もしかすると、戦争が近いということかもしれんぞ、エルザ」
その時、応接の扉がドンドンドン!と激しく叩かれた。
「セラス様! 緊急事態が発生しました!」
小声ながら緊張感漂う物言いに、セラスはエルザの顔を見た。
「嫌な予感しかしないな」
するとエルザは立ち上がって、セラスへガウンを手渡すと、扉を開けた。
入ってきたのはバクスター侯爵家の執事・カールだった。カールの額は脂汗でびっしょりである。
「……そんなに慌ててどうした」
するとカールは早足に近づいてきて、小声でそっと報告した。
「大変でございます……エルランディ様が……毒に倒れました!」
セラスとエルザは仰天して立ち上がった。
「な、なんだって!」
二人の声に、カールは慌てて両手を振った。
「お二人とも落ち着いてください!」
「この国の第二王女に毒を盛られたのだぞ、落ち着いていられるか!」
「しかし、まずはお話を……」
カールの言う通り、まずは話を聞いてみなければ始まらない。セラスとエルザは唾をゴクリと飲み込んだ。
「で、どうなのだ、命に別状はないのか?」
「今すぐ、命を落とすとかそういうわけではなさそうですが……このままでは危ないそうなのです」
カールは脂汗を流した。それを見たセラスは口をつぐんだ。
「まあ、医者でもない、お前を問い詰めてもしょうがない……今、エルランディ様はどちらへおられる?」
「お部屋で、お医者様が診ておられます」
セラスは振り返ってエルザを見た。
「私たちも行ってみよう。いくぞエルザ」
「はい」
二人は早足でエルランディの部屋へ向かった。すると部屋の前には第二王女派の貴族である、ブラントン伯爵家の当主エドワードと、アスター子爵家の当主・ローマンがいた。
「おお、セラス殿」
「早いですな、エドワード殿、ローマン殿も……で、エルランディ様のご様子は?」
「今は落ち着いておられるが、危険なことは変わりないらしい」
「これから快方に向かう、とかいう話ではないのですか?」
「ああ、命に別状がないとはいえ、それには期限があるらしいのだよ」
「期限だって?」
「ああ。見たことのない毒虫に刺されたと医師が言っていた」
「毒虫? 一体誰がそんなものを?」
「疑わしい侍女が一人いるにはいるのだが……さきほど発見された時には、すでに殺されていたよ」
「どう見ても暗殺じゃないですか」
するとエドワードが口を開いた。
「きっと、第三王女派の仕業でしょうな。やはり、貴族制は、政情が不安定になりがちな所が問題だ」
それを聞いたローマンも大きく頷く。
エスタリオン王国には三人の王女がいる。
数年前、第一王女・クリスティーネが難病により王位継承権を放棄したため、第二王女エルランディが継承権第一位となった。この時以来、第二王女派の貴族たちと、第三王女シャーロットを支持する貴族により、激しい政争が繰り広げられていたのである。
「貴族はそれぞれが領地を持つ独立した国のようなもので、王族はそれを束ねている盟主のようなものですからな。だが、これからは王の権限をもっと強くしないといけない。それでこそ、政治が安定するというものです」
話が長くなりそうなので、セラスは話をぶった切ることにした。
「エドワード殿。その話はまた今度聞かせてもらおう。取り急ぎ、医師に詳しい話を聞いてみることにします」
すると二人は一瞬、キョトンとしたが、すぐに笑顔でセラスを送りだした。
「ああ、それがいい。……ワシらでは説明できんことも多いからな」
セラスとエルザは二人へ一礼すると、部屋の中へ入っていった。
部屋の中にある天蓋付きのベッドには、エルランディが静かに眠っていた。見た感じでは、ただ眠っているだけのように見える。
エルザがエルランディのベッドをじっと見つめて動かないので、セラスは、エルザを置いて医師を探しに奥へ向かった。
すると部屋の奥に、宮廷の御用医者であるブライス医師の姿が目にとまった。
「バクスター家のセラスです。先生、エルランディ様のご容態はいかがなもので?」
ブライス医師は振り返ってセラスを見ると、静かに礼をした。
「これは、大変なことになりましたな……。セラス様、まずはこれを……」
そう言って、ブライス医師が取り出したのは、一匹の、赤い虫の死骸だった。
「この虫が……?」
「ええ、エルランディ様に噛みついたものと思われる毒虫です」
「それで、この虫にはどんな毒が?」
ブライス医師は虫の死骸をケースに収めてポケットへ入れた。
「結論から申しますと、エルランディ様は、このままですと10日を待たずに命を落とされます」
それを聞いたセラスは、腰を抜かさんばかりに仰天した。
「そんな馬鹿な話があるものか! 10日も待たずと言ったって、薬とかなんとかあるだろう、普通」
するとブライス医師は小さく頷く。
「あるにはあるのですが、この毒に対する治療薬は、ヴァルハラに行かなければ手に入らないのですよ」
「王都では手に入らないというのか?」
ブライス医師は頷いた。
ヴァルハラとは、エスタリオン王国北部にある秘境である。ヴァルハラまで行くとなると、かなりの時間が必要だ。
「……非常に危ういじゃないか」
セラスは唸った。ブライス医師は難しい顔をしながら、セラスをじっと見つめる。
「10日を待たずと言っても、それは命のタイムリミット。10日以内に薬を持ち帰れば良いというのではありません。そこに、セラス様をお呼び立てした理由があるのですよ」
「それはどういうことだ」
セラスは鋭い目つきでブライス医師を見た。
「つまりですな、王国一の機動力と言われる第三騎士団の精鋭に、薬を取りに行って頂きたいのです」
セラスは唸った。これは簡単な問題ではない。セラスは軽はずみに返事が出来なかった。
「だが、どれだけ急いでも、ここからヴァルハラまでは、片道3日は見ておかねばなるまい。……それで行くと往復6日から7日はかかることになるが、大丈夫なのか?」
するとブライス医師は頷いた。
「7日以内に薬が届けば、エルランディ様のお命は必ず救われます」
それを聞いたセラスは、武者震いをした。
「ようし、それならこのセラスも命を賭けてこの使命に取り組んでみせるぞ。そして、必ずや7日以内に薬を持ち帰ると誓おう」
「頼みましたぞ、セラス様!」
そう言うと2人は、がっしりと握手を交わした。
「とりあえず、精鋭数名選んで大急ぎでヴァルハラに向かわなければならん。私はこれから準備をしてくるから、詳しい情報をまとめといて頂けるか?」
「わかりました」
セラスはすぐさま部屋を飛び出そうとしたが、そこへ一人の男が立ちはだかった。
「ちょっと待った、セラス殿!」
セラスが振り返ると、そこには第二騎士団長のウイリアム・ガルシアという男が立っていた。セラスは苦い魚の臓物でも食べたような顔でウイリアムを見た。
「ウイリアム殿、今はお国の一大事だ……どいてくれ」
するとウイリアムは両手を大袈裟に振った。
「失敬だな、セラス嬢。私はエルランディ様のことを思えばこそ、私が薬を取りに行くのに適任だと申しあげたいのだ」
セラスは思わず天を仰いだ。
「今は一刻を争うのだ。貴様の相手をしている余裕はない」
このウイリアム・ガルシアという男は、腕は立つのだが出世欲が強く目立ちたがりなのである。
「今回の行動は極秘任務なのだ。わかるか? あなたほど極秘任務に向かない男はいないだろうが」
するとウイリアムは首をブルブルと横に振った。
「セラス嬢。剣術大会で私に敗れて二位だったあなたが、優勝者たる私にもの申すなど片腹痛いぞ」
剣術大会の話をされて、セラスは顔を真っ赤にした。
「今、この話の中で、剣術大会の結果がなんの関係あるのだ?」
見かねたブライス医師は、二人の間に割って入った。
「いい加減にしてください! お二人とも第二王女派の貴族ではありませんか。この一大事に口論など、第三王女派が喜ぶだけですぞ」
そう言われてセラスは一歩引いて頭を下げた。
「これは失礼」
するとブライス医師はウイリアムの顔を見た。
「ガルシア卿……薬を取りにいくのはどちらか片方と決まったわけではありません。第二騎士団と第三騎士団……それぞれの代表がヴァルハラへ薬を取りに行って、それぞれが持ち帰ればそれで良いではありませんか」
それを聞いたウイリアムは、ポンと手を打った。
「さすがはブライス医師。冴えておられる」
セラスは小さなため息を吐いた。
「しょうがないな。では、私とウイリアム殿がそれぞれ違うルートで向かえば良い」
「お互い別行動というわけですな」
するとセラスは眉尻を吊り上げてウイリアムを睨みつけた。
「元々少人数で、素早く隠密に行動する計画なのだ。なんでウイリアム殿と仲良く連れ立って、ゾロゾロと、ノロノロと行かねばならんのだ。本末転倒だろうが」
セラスは少しイライラしながら腕を組んだ。ブライス医師はセラスに気を遣いながら、ウイリアムへ言った。
「情報が漏れないよう慎重な行動が求められることは、セラス様が申された通りでございます」
するとウイリアムは胸をドンと叩いた。
「もちろん承知しておりますとも。急ぎの用事であることは重々承知のこと。こんな言い争いをしていることこそ時間の無駄というものです」
セラスは魚のような目でウイリアムを見た。
「お前がその時間を無駄にしている張本人じゃないか」
セラスは大きなため息を吐いた。
「ではウイリアム殿。こうしよう。王都エスタリオンからヴァルハラへ向かう途中に、三日月湖という大きな湖があるだろう。あなたはこれを北から迂回しなさい。私ら第三騎士団は南周りでヴァルハラへ向かおう」
それを受けてブライス医師が、ガルシアを見た。
「それでよろしいですか、ガルシア卿」
「もちろんですとも。それでは早速準備しよう」
それでも心配なセラスは、ウイリアムの胸板に人刺し指を突き立てて念を押した。
「良いかウイリアム殿。私は今すぐメンバーを選定し、一時間後には出発するつもりだ。あなたもそのような段取りで、早急に準備したまえ。ゆめゆめ遅れたり、情報が洩れるようなことがあったら私は承知せんからな!」
「わかっておるとも、セラス嬢」
「それから、王都へ残るメンバーには、ちゃんと他の騎士団との連携に支障が出ないよう、含んでおくのだ。それから……」
「ああ、もういい!」
ウイリアムは両手を振ってセラスの言葉を遮った。
「セラス嬢……さっきからガミガミ、ガミガミと一体私をなんだと思っているんだ。あなたは私の母親かね? 私だって良い大人なんだ。それくらい、言われなくてもちゃんと出来るぞ」
「ああ、そうかい。それはそれは失礼した。心配だが、もうこれ以上は言うまい。私は先に失礼させてもらうよ」
そう言うとセラスはプイと背を向けて、部屋の出口へと向かった。それを見たブライス医師は、ウイリアムに頭を下げた。
「セラス様は真面目過ぎますから……ガルシア卿もお気を悪くなさらず」
「いえいえとんでもない。セラス嬢も国を思えばこその行動でしょう。私も見習って、早速準備して参りますぞ」
ウイリアムはそういうと、綺麗な一礼をして扉へと向かった。