第17話 墜落
エルザとセラスがヴァルハラに着いたのは、太陽が真上に登る頃だった。
樹皮の道が終わり、木の中をくりぬいた小さなトンネルを上がっていくと、半径一キロほどの平らな広場が現れたのである。そしてその広場を囲むように、放射状に太い枝が生えてきて、それがさらに上空へ枝葉を伸ばしていた。
「すごいわ……上に伸びてる枝が、ドームみたいになってる」
「ああ。ちょっと不思議な光景だな。人間がわざわざ作ったみたいな構造をしているが、全く自然に出来たものだ。それだけに、ここの人たちも、この樹に神の存在を感じるのだろうな」
エルザはため息を吐いた。
「それにしても、よくこんな空気の薄いところに良く住めますね」
「そこらの山よりずっと高いからな……。さて、まずはアリス薬品店の場所を聞かないと……あまりゆっくりはしていられないからな」
セラスが歩き始めたので、エルザはその後を追った。
村の中へ入っていくと、直径二〇メートルくらいの大きな穴が開いている。エルザは不思議に思ってその穴を覗きこんだ。すると、そこには三〇メートルほどの深い穴が掘られていて、太いロープでぶら下げられた二つの箱が上下していた。
「この穴は何?」
「これはな、ヴァルハラ名物の「箱」という乗り物だ。あれに乗って、穴の中を上り下りするのだ」
「穴の中に何かあるんですか?」
「ヴァルハラの人はこの穴の中に部屋を作って住んでいるんだ。我々がこれから向かう薬品店も……ここの地下三階にある」
するとエルザは驚いて顔を上げた。
「じゃあ、もしかしてあの箱に乗るんですか?」
セラスはエルザの怯えた様子を見て笑った。
「ハハハ、盗賊たちをなぎ倒していったエルザが、あの箱ごときを怖がるとは驚きだ」
「別に怖がってませんが……かなり奇妙な乗り物なので……」
エルザはそう言って肩をすくめたが、実際に乗り込む時も、なんだか気持ち悪そうな顔をしていた。
エルザは箱から身を乗り出して、上を見上げてみた。すると、その穴は青い空を丸くくり抜いたように見えて、手を伸ばせばそれが掴めるような気がした。
「ご神体の樹なのに、こんな穴を掘って大丈夫なのかしら?」
それを聞いたセラスは笑った。
「そんな心配は無用だエルザ。ここに住んでいるのは、天上の樹を信仰している人だけだ。そんなに無茶な開発はしないよ」
「じゃあ、掘っているのは一部だけなんですか?」
「そりゃ、そうさ。彼らは、ご神体の中で生活することで、感謝の気持ちを信仰として捧げているのだ。我々が思っている以上に、この樹のことを大切に思ってるさ」
そんなことを話しているうちに、二人を乗せた箱は、薬屋のある地下三階へ到着した。
「いくぞエルザ。いよいよ薬屋だ」
「ちゃんとありますかね……」
「なかったら発狂するぞ、私は」
二人が路地の奥へ入っていくと、突き当たりに店があった。店の看板には「アリス薬品店」と書いてある。
「やっと……やっと来れたな」
「苦労しましたね……」
二人は見つめ合うと、思わずガッチリと握手した。
「ああ、本当に大変だった。だが、まだこれで半分だ」
「そうですね……これの薬を王都まで、届けなくちゃいけない」
二人はお互いの目を見つめ合うと、小さく頷いた。そしてセラスは店の扉を開ける。
店の中は、掃除の行き届いた綺麗なお店だった。セラスは薬品棚を眺めながら、感心してため息をついている。
「すごい品揃えだな……薬品類はきちんと分類されて棚にあるし、取り扱う薬品の種類と効能の幅広さは、王都の薬屋もでもかなわないだろう」
エルザには、薬の話をされても解らなかったが、そんなに品揃えが良いなら、エルランディの薬もあるだろうと期待した。
そこへ、奥から店主のアリスが現れた。ゆったりとしたワンピースを着ていて、その上からエプロンをしている。この店の店主は、可愛い小動物のような、小柄な女の子なのだった。
「あなたたち、その傷はどうしたの? 顔もそんなに腫れちゃって」
アリスは二人の姿を見て、驚いた声をあげた。
「私たちのことは大丈夫だ……それより、ちょっと変わった薬を探していて、このお店にあるというのでやって来たのだ」
セラスはそう言って薬をもらおうとするのだが、アリスは首を振って話を聞こうとしない。
「あなたたち、奥の部屋で湯を浴びてきなさい。その後で傷と手当てをしますから」
セラスは困ってしまった。
「我々は休息を取っている暇などないのだ。急いで王都へ戻らなければならない」
セラスはそう言って、バクスター家の紋章の入った剣を見せながら、これまでの事情を端的に説明した。
「わかりました。薬は用意しておくので、お二人は湯を使ってください。これから王都へ戻るのですよ。少しくらい体を休めないと……。王都の手前で倒れたらどうするのですか」
アリスの言葉に、エルザは三日月湖の手前あたりで、道のど真ん中で寝ていたことを思い出していた。
「セラス様……ここはアリスさんの好意に甘えて、お湯を借りましょう」
エルザがそう言うと、セラスは唸った。
「うーん、そうだな……確かに我々はちょっと汗くさいか?」
そう言うとセラスは笑った。
アリスはエルザたちに湯を提供しただけでなく、エルザの燃えてボサボサだった髪も軽く整えてくれた。そして戦闘でボロボロになった服の代わりに、質素だが軽くて丈夫な服も用意してくれていた。
湯からあがると、簡単な食事が用意されていた。サンドウィッチである。
二人はそれを牛乳で流し込むように食べたが、それは胃に染み渡るような美味さであった。
「うまいなエルザ……」
「ええ、こんなに美味いサンドウィッチは食べたことがありません」
そこへ倉庫へ行っていたアリスが戻ってきた。それを見たセラスは立ち上がって笑顔を見せた。
「いやあ、アリス殿。生き返ったよ。素晴らしい湯と食事だった。感謝する」
それを聞いたアリスはニコリとほほ笑んだ。
「お二人ともかなり酷かったですよ? 少しだけでもお体を休めることが出来て良かったです」
アリスは手に持っていた籠の中から小さな紙袋を取り出すと、セラスの前に置いた。
「もうご存知かと思いますが、虫の毒は遅効性で、一〇日ほどすると急激に症状が悪化して死に至ります。その発作が起きる前に、この薬を飲まさないといけません」
セラスは薬を受け取りながら頷いた。
「ううむ……それを聞くとドキッとするが……毒虫にやられてから今日で三日目……まだ時間はある」
セラスはため息をついた。
アリスが薬を袋に詰めようとした時、セラスがそれをを二つに分けるようお願いした。
「一つ持っていてくれ。万が一私が倒れたら、お前が王都へ薬を届けるんだ」
セラスの強い眼差しを受けて、エルザはコクリと頷いた。
「出発する前に、ちょっとこちらへ来てください」
アリスが二人に背もたれの無い丸椅子を差し出して、座るようにと手で指し示した。
「あなたたちは、ちょっと無茶し過ぎですね。気休めですが、薬を塗ってあげます」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「すまないな、店主」
「アリスさん、ありがとう」
礼を言われて、アリスは首を振った。
「事情が事情だけに、仕方ないのでしょうけどね……無茶をしたらダメですよ」
そう言ってアリスは、二人に傷薬を塗ってガーゼを当ててくれた。
「それから、これは余計なおせっかいかもしれないけど……。1階広場の西の端に、パラシュートの降下場があります」
「パラシュート?」
「とても大きな傘のようなものなんだけど……それを背負って木から飛び降りるの。その時にその傘を開くと、風を受けてフワフワ降りれるのよ。下までものの一〇分程度で到着するわ」
それを聞いたセラスは目を輝かせた。
「行きは七時間もかかったのに、一〇分か!」
「ええ。この村の人はね、急いで下山しなければならない時は、パラシュートを使って降ります」
「もし、それが使えるなら、今日中にカリストまで行けるだろう。そしたら明日には王都へ入れる」
セラスが喜ぶ様子を見て、アリスはニコリとした。
「そうですね、早いと薬の効きも良くなります。もし急がれるならパラシュートを使ってみてください。ただし、やはり空を飛びますから、ちょっと危険は危険ですよ」
「ああ、それは承知の上だ。それに我々の仕事は危険がつきものだからな」
セラスはニコリと笑った。
アリスに見送られて、二人は、箱に乗って最上階……つまり、ヴァルハラでいう一階へと向かった。
二人はこれからすぐ、パラシュートで降りるつもりである。
パラシュート降下場まで来ると、小さな女の子が天上の樹の小枝で作られたお守りを売っていた。売り子の女の子は、これからパラシュートに乗るのなら、ぜひ、お守りを買って欲しいと言って来る。
「天上の樹のお守りは、持ち主に幸運をもたらすと言われているんですよ、買ってください」
小さな女の子がそう言って頼むので、セラスはついお守りを二個買ってしまった。
そして一つをエルザに渡しながら、バツの悪そうに照れ笑いした。
「私は、ああいうのに弱くってな」
するとエルザはフフッと笑った。
「いいじゃないですか。我々は金に困っているわけではないですし。神様に助けてもらおうなんていう気はありませんが……たとえ気持ちだけでも運がこちらに傾くなら、それはそれでいい物だと思います」
すると女の子がペコリと頭を下げた。
「貴方様方に、天樹様のご加護がございますように」
女の子はお守りを手渡しながら、祈りを捧げてくれた。
お守りを受け取ったエルザたちは、降下場へ向かった。
冷たい風がビュウビュウと強く吹いている。
下を見ると、地面は遥か下だ。
エルザは思わず生唾を呑んだ。
ヴァルハラの街は標高三五〇〇メートル。
ここから飛び降りて、約三〇秒で速度はおよそ二〇〇キロにも達するという。
エルザたちは、降下場所を飛んだら、出来るだけ早くパラシュートを開くように……という説明を受けた。
「パラシュートを開いてから着地までは四分~五分程度だとさ。行きが七時間かかったことを思えば、夢のようだな」
「でもセラス様……この高さ……大丈夫ですか?」
「まあ、正直足はすくむが、そうも言ってられんしなあ」
「本当に開くんでしょうね、この傘という奴は……」
「そりゃあ、開くだろう。でなきゃ、こんな降下場なんて作らないさ」
エルザは正直言って、この未知の乗り物に恐怖していた。だが、今のエルザたちにパラシュートで降りないという選択肢はない。
二人はパラシュート降下の手続きをして、自分のパラシュートを受け取ってから背中に背負った。自分の手荷物を、専用の袋に入れて胸側にカラビナで固定する。もちろん、剣は袋の中へ入れた。しかし、何かあった時のために小刀だけは、すくに取り出せるようポケットの中へ入れておいた。
「エルザ、用意は出来たか」
「ええ……出来ましたけど……」
「それじゃ、行こうか」
「はあ……」
するとセラスがエルザの肩をポンと叩いた。
「エルザよ。観念するんだ。ウジウジしていると、あっという間に一時間や二時間経ってしまうぞ」
セラスは簡単に言うが、そんなことを言っても降りるのは怖いのである。エルザは大きなため息をついた。
「わかりましたよ。私も第三騎士団の一員です。腹は括りましたよ!」
エルザがそう言うと、セラスはクスクスと笑った。
そうこうしているうちに、二人は降下場へ到着した。
係の人に、パラシュートの操作について説明を受け、しばらくその場で待機するように言われる。
待っている間、エルザは薬の入った袋を取り出すと、さっきもらったお守りをそこへ入れた。そしてそれを懐へ入れると、服の上からギュッと押さえた。
ようやく、これで王都へ向かうことが出来る。
エルランディの薬を懐に抱いて、エルザは少しだけ胸が熱くなっていた。
このままパラシュートで降下すれば、あっという間にアラタカの郊外である。エルザは早く降下したい気分になってきた。
エルザたちの降下準備が整った頃、後から黒づくめの格好をした五人の男たちが姿を現した。
それを見たエルザは嫌な予感がして立ち上がった。
よく見ると、彼らは既に、パラシュートを装着済みである。そして、中には腰から剣を下げているものまでいるのだ。エルザは降下場の従業員を探した。
「ちょっと、まだなの? 早くして頂戴!」
エルザが係員へ急ぐよう大声を出したが返事はない。……そんなことをしている間にも、五人組がずんずんと近寄ってくる。
エルザはささやくように言った。
「セラス様! 敵が現れました……先に行ってくださいっ! 私はここで時間を稼ぎますから!」
するとセラスは顔色を変えて立ち上がった。
「わかった!」
そして、セラスっは降下場へと向かっていった。
エルザは、近づいてくる五人組を睨みつけた。
「私たちに何か用でもあるのかしら」
だが、男たちはエルザの声かけを無視して、ズンズンと接近してくる。
そして、一人の男がいきなり走り出して、そのまま降下場へと向かってしまったのである。
「あっ! しまった!」
エルザは歯噛みした。エルザがその男を追いかけようとした時、別の男が抜刀してエルザに斬りかかってきた。
「死ねえ!」
単純な振り下ろしだった。
エルザはその剣を体さばきだけで躱したかと思うと、その伸びきった腕先にある剣の柄を掴み、親指方向へ小手で返して奪い取ると、切っ先をクルリと回して男の腹へと突き刺した。
「うぎゃあああ!」
絶叫を上げた男の後ろから、2人の男が剣を振り下ろしてきた。
エルザは奪い取った剣を軽く握り直すと、右の男が振り下ろした剣をかわすと同時にこれを切り捨て、返す刀で左の男の腹を切った。
この間五秒。
奴らは死んでないだろうが、もう戦闘は無理だろう。
エルザは斬った勢いのまま、残った一人めがけて剣を投げつけ、降下場へと走ると、そのまま空中へとダイブした。
「おおおおおっ!」
エルザは急降下していた。
はるか下には、セラスと彼女を追って飛び降りた男の姿が見えた。エルザは空気抵抗を減らす姿勢で、落下速度を上げていく。
あっという間に先ほど落下した男へと迫り、手足を広げながら落下速度を抑えていく。そして、自分のブーツに仕込んである隠し刃をつま先へと展開した。
エルザは男の落下速度を合わせながら肉薄するが、近づいたり、離れたり……空中ではうまく移動をコントロール出来ない。
エルザは、体当たりするくらいのつもりで身体を寄せるが、男はすぐに距離を取ろうとする。エルザは手に握った小刀を振り回し、ブーツの刃をふるった。
戦闘が始まって一〇秒が経過する。
エルザは焦った。そろそろパラシュートを開かなければならない。
エルザは再度接近すると、左手を伸ばして強引に服を掴んだ。そして力づくでこちらへ引き寄せ、男の首筋へ小刀を押し込んだ。
「ぐああああ!」
男の悲鳴を聞くと、エルザはすぐさま男から離れた。
そして、小刀をケースに収納すると、パラシュートを開こうと準備をはじめた。
その時である。
上方から急に男が姿を現したかと思うと、エルザのパラシュートが入った背嚢を、剣でザックリと切り裂いてしまったのである。
「あっ!」
エルザが見上げると、攻撃してきたのは、先ほどの、最後に残った一人だった。
男はすぐさまパラシュートを広げて上方へと上がった。
もう、あの男に追い付く術はない。
「あーっ! 油断した!」
エルザは青くなって背中を見た。
背中に背負っていたパラシュートは無残にも斬り裂かれていて、おそらくこのまま開いても使い物にならないだろう。エルザはそっと目を閉じて空を仰いだ。
エルザは、飛べない翼を持って、今、ひとり、空の中にいる孤独を感じていた。
エルザはしばらく目を閉じていた。その間もグングン身体が落下していく。
後一〇秒。
あと一〇秒以内になんとかしなければならない。
エルザは懐の薬が入った紙袋をギュッと握りしめる。すると、さきほど倒した男のことを思い出した。
「そうだ、あの男のパラシュートはまだ使えるはず」
エルザは男のもとへと向おうと降下速度をあげた。
だんだんと、男の姿が大きくなっていく。……男はすでに、絶命して脱力しているようだった。
時速二〇〇キロで落下しながら……エルザは、風の抵抗などを利用して、慎重に速度を落としていく。向きなどを微調整しながら、最後はぶつかるように死体へと抱きついた。
「ぐあっ!」
エルザは、かつてないくらいの力でその男を抱きしめていた。そして、すぐさま自分とその男とを、手荷物袋に使っていたカラビナで結合すると、パラシュートの紐を引いた。
ガバッ!
見上げるエルザの視界いっぱいに、白い布製の傘が開いた。そして、すごい勢いで上へと引っ張り上げられる。
「ひ、開いたっ!」
エルザは、男にしがみつく力を強めた。
重量が重いことと、パラシュートを開くタイミングが遅かったせいか、落ちるスピードが速い。
急速に地面が近づいてくる。
エルザが男と向い合せで落下していることや、男がすでに死亡していることもあって、まともな着地が期待できない。
できるだけ着地の衝撃を回避して、転がりながらうまく勢いを殺せるように、エルザは少しでも良い位置取りを探そうと体を動かしていた。
着地場はかなり広くて、春の雑草が少しだけ生え始めていた。
徐々に地面が接近してくる。
勾配のない広い空間が広がっていて、障害物がないことだけがせめてもの救いだった。
エルザは男の死体ごと、地面に着地することになった。
意外と速度が速い。
風が顔に当たって前が見にくかった。
エルザは男の死体とともに、着地場へ斜めに進入していく。そして滑るように地面へと着地すると、下敷きにしていた男の死体が何かにひっかかって、その衝撃でゴロゴロと地面を転がり続けた。
エルザは体を丸くしたが、死体である相方は、地面との衝撃に翻弄されて暴れ回った。
二人の体にパラシュートのコードが絡みつき、エルザは転がっていく。、エルザの体も予想外の衝撃を受けてしまった。
停止すると、エルザは身体の回りにまとわりついているパラシュートのコードを小刀で切断し、それからゆっくりと立ち上がった。
だがその時、左足に激痛が走り、思わず地面に手を突いてしまった。
「まずい! 折れたかっ!」
左足の側面が、足首から脹脛、太腿に至るまで腫れあがって熱を持っていた。
どうやら骨は折れていないようだったが、左足全体が腫れて体重を乗せると激痛が走るのだ。エルザは思わず空を見上げた。小さくパラシュートの傘が見える。
「やばい……あいつが降りる……」
遠くからセラスが駆け寄ってくる。そして、エルザに向かって何か叫んでいるようだった。
エルザは叫んだ。
「セラス様、逃げて! 敵はまだいます!」
だが、セラスは心配そうな顔を向けてエルザを見た。
「お願いしますセラス様! ここは私に任せて、お願い!」
エルザは声をあげた。
「もし、あなたまで怪我をしたら、誰が薬を王都に届けるの!」
そう言われるとセラスは、しばらく逡巡した後頷いて走り出した。
「わかったぞ……だがエルザ! 絶対死んじゃダメだぞ! お前はエルランディ様にとっても、大切な人なんだからな!」
エルザはそれに、手をあげて答えた。
セラスは去った。
今のエルザに味方はいない。
「ああ、セラス様……もちろん生きて帰るつもりですとも」
ただ、相手がそう簡単には逃がしてくれそうもないけれど。
降りて来た男はパラシュートを外して、エルザの方へゆっくりと歩いて来る。
エルザは足の痛みを堪えながら立ち上がった。そして、剣を抜いて中段に構えた。
男が顔が見える距離まで近づいて来た。
男は筋肉質の痩身で、身長はエルザと同じくらいありそうだった。金髪に白い肌が輝いて見え、青い瞳から発せられる刺すような視線が、エルザを睨みつけている。
エルザは、自分に向かってくる男の黒い姿を見ながら、ジョーとかいう黒い斧使いのことを思い出していた。
「驚いたよ。あの状況で生きて帰るとは思わなかったぜ。本当にたいした女だな、お前は……本当に驚いたぜ」
金髪の男が、大袈裟に腕を広げながら笑った。エルザは足の痛みを堪えながら、油汗を流した。
「あなたたち一体何者なの? 私……あなたのお仲間から、散々虐められて……もうボロボロなんだけど」
すると男は鼻をフンと鳴らした。
「それは、お前が殺されそうなことをやって来たからだろう」
エルザは上目遣いに男を見ながら笑った。
「私が悪いって言いたいわけ? 最低だわ」
すると、今度は男がハハハハと笑いだした。
「まあ、いずれにせよ、俺たちは敵同士。お互いの正義も違うのだよ」
「何が正義よ。自分を正当化したいだけでしょ」
「何とでも言うがいい。お前は俺があの世へ送ってやる。無能な盗賊どもには、手に余るようだからな」
するとエルザは鼻で笑った。
「よく言うわね。あなたたちが盗賊を利用しただけでしょう」
「何を証拠にそんなことを言うのだ」
「違うのかしら? あなたたちは王女様の使いを襲っているのよ? 最後は盗賊に罪をなすりつけるつもりだったに違いないわ」
「なぜそう言い切れる?」
「だって、あなたの口ぶりからすると、あなたは盗賊じゃないのでしょ? 大方どっかの貴族か何かの騎士なんじゃないかしら? ……例えばメラーズとか」
すると男はあからさまにギョッとした顔をした。
「何をバカな」
するとエルザは胸を反らして笑った。
「隠すことないわよ。だって昨日、あなたのところの執事・ジェームズが言っていたもの。エルザ……お前の行先は把握しているんだ。明日にでもこちらの手練れが……お前を殺しに向かうだろう……ってね」
すると男はハハハと笑った。
「ジェームズ殿も口が軽いね。確かに彼から、エルザだけは必ず殺すようにと念を押されている」
するとエルザはイラっとした様子で男を睨んだ。
「へえ! だったら本人自ら出てきたら良かったのに! それだけメラーズには人がいないのかしら?」
「人がいないんじゃない。盗賊どもが情けないから、俺様が出張ることになっただけだ」
男は腕を組んで見下すようにエルザを見る。
「大きな口を叩いているけど、あなた何者なの?」
すると男はニヤリと笑った。
「冥途の土産に教えといてやろうか。俺の名はレイ。魔導剣士のレイだ」
「魔導?」
「ハハハ、魔導を知らないか。魔導とはな、魔素を剣に纏わせて戦う新しい剣法のことだ」
「魔素って言うと……あなた妖術使いなの?」
「お前、妖術は知っているんだな?」
「知っているわよ! ……人を殺して強くなる……それが妖術でしょ」
そう言われたレイの顔は、能面のように無表情だった。
「人を斬って、死んだ相手の魂……つまり魔素を頂く。それは相手の命を無駄にしない、尊い行いなのだ」
するとエルザはレイを睨みつけた。
「なんとなくわかってきたわ……メラーズで妖術使いって言うなら、お前は八年前に死んだ……ベルネージュの弟子なんでしょ」
するとレイはハハハと笑った。
「何も知らないんだな。確かに俺はベルネージュ様の弟子だ。だがな、お師匠様は生きている」
これにはエルザは驚いて黙り込んでしまった。少しカマをかけてみたら、この男はペラペラと良くしゃべる。これですべては繋がった。
「ベルネージュ、八年前の戦争で死んだんじゃなかったの?」
「それは王国を欺く建前さ。不死身のお師匠様があの程度の攻撃で死ぬはずがない」
「死体をすり替えたのね」
「お師匠様は幻術が得意だからな」
「本当に、最悪ね……」
「おまえら凡人にとっては最悪だし、災厄だろうな」
レイは愉快そうに笑った。
「いいか良く聞けエルザ。ベルネージュ様はな、今はメラーズ男爵家の後妻として、毎日贅沢にお暮らしだよ」
それを聞いて、エルザの瞳に怒りの炎が灯った。だが、それと同時に涙が溢れ出て来た。
「あれ……なんで涙が……ちくしょう……」
エルザは悔しかった。
やっと見つかった仇への手がかり。なのに、ここで命を落とすかもしれないのだ。
自分は血や埃で汚れながら足まで痛めて唸っているというのに、仇の連中は男爵家の夫人の座におさまって、お屋敷で贅沢な暮らしを楽しんでいるとは……。エルザは悔しくて、顔を真っ赤にしながら涙を流した。
「涙で同情を誘うつもりなら、無駄だからやめておけ。それにもう時間切れだ。その復讐劇は実らない」
レイはそういうと空を見上げた。つられてエルザも空を見上げると、八つのパラシュートの傘が降下してくるのが見えた。エルザはレイを睨んだ。
「このおしゃべりは……仲間が来るまでの時間稼ぎだったのね?」
「あいつらが遅いから、つい長話をしてしまった。ジェームズ殿には必ず殺すように念を押されているのでね。悪いが大勢でいかせてもらうよ」
男は背中に担いでいた剣を取り出した。
それはL字型というか、くの字型というか……妙な形をしている。
エルザもゆっくりと剣を抜いた。
「そう簡単に殺されたりしないわ。あなたも腕の一本くらい覚悟しておいてよね」
エルザは怒りに燃えながら剣を構えた。




