第13話 吊り橋
どのくらい休んだのだろうか。
エルザとセラスは、道の真ん中で倒れるように眠っていた。
エルザが目を覚ますと、太陽はずいぶんと西へ傾いていて、夕暮れが近いことを知らせていた。
寝ている間は涼しかったので、日陰で寝ていたと思っていたのだが、今では太陽の向きが変わって、強い日差しが燦々と降り注いでいた。エルザはその光が眩しくて、眠い目をこすった。
「いけない、良くこんなところで眠っていたものだわ」
エルザは飛び起きて、セラスの肩を揺すった。
「どうしたエルザ……何かあったのか……」
「何かあったのかじゃありませんよ……私たち、道の真ん中で寝ていますよ」
「ええっ……危ないじゃないか」
「よく、追っ手が来なかったものですよ……さあ、とりあえず起きてください……こんなところで寝ていては、命がいくつあっても足りませんよ」
エルザにそう言われて、セラスはノロノロと起き上がった。
「はあ……よっぽど疲れていたんだな」
「でも、おかげで気力が戻って来ました」
「だが、体は悲鳴をあげてるぞ。身体中が痛くて、歩くだけでもズキズキする」
「どこかで馬が手に入るといいのですが……」
それを聞いてセラスは唸った。
「歩いて行くわけにはいかんからな。だが、こんなところに馬がいるかな?」
「民家でも探して、譲ってもらうしかありませんね」
二人はそう言いながら立ち上がった。
「どれだけ寝たか知らんが、これだけの時間、敵襲がなかったということはだな……ある意味、敵の手から逃れたのかもしれんぞ」
セラスはニヤリとしたが、エルザは肩をすくめた。
「だといいですけどね」
「襲撃があるとしても、しばらく時間が経ってからだろう。新たにチームを編成するにしても時間がかかるからな」
セラスは自信満々にそう言うので、エルザもなんとなく、そんな気がしてきた。
「それじゃあ、しばらく休ませてくれるってことですね? その間にアラタカまで行ってしまいましょうよ」
エルザはそう言って笑った。
だがそんな呑気な気持ちは、吊り橋の前へ来た瞬間にすっかり消え去ってしまった。
吊り橋の前にある大きな木の陰で、犬を三匹連れた、怪し気な男が三人休んでいたからである。その男たちがエルザたちに気付くと、立ち上がって道を塞ぐように並んだ。
「待ってたぞ! 金髪巻き毛のクソ女! さっきはよくもやってくれたな!」
「誰だお前は!」
「もう忘れたのか! さっきの象使いだよ!」
「あーっ!」
セラスは頭に手をやって、そのままエルザの胸に顔を埋めた。
「誰ですか?」
「実はさっきあいつらに襲撃されたのだ。その時は奴らを追っ払ったんだが、まさか待ち伏せしているとはな……」
エルザは三人の男を睨みつけた。
「それじゃ、あいつらは敵ってことでいいんですね」
そういうと、エルザは背中にセラスを隠しながら、ジリジリと吊り橋に近付いていく。そして、エルザは叫んだ。
「セラス様! 走って!」
セラスは泣きそうになりながら、吊り橋へと駆けこんで行く。
「コレタ様! 逃げますぞ!」
「しまった、逃がすな!」
コレタは犬の拘束を離すと、たちまち三匹の犬は吊り橋の入口へ向かって走り出した。
エルザは橋の入り口に立って剣を鞘に入れたまま脇固めに構える。
そしてなだれ込む三匹の猛犬を、エルザは剣を振るってぶちのめしていった。
ギャイン! ギャウン!
鞘のままとはいえ、エルザの怪力である。猛犬は涙を流しながら、尻尾を巻いて逃げ帰っていった。
キャンキャンと鳴きながら帰ってきた犬を見たコレタは、そばにあった大木を蹴りながら激怒した。
「ええい、情けない奴らめ!」
コレタに怒鳴られた犬は、小さくなって腹を地面につけた。
それを見たエルザは、すぐさま背中を向けて、吊り橋を全力で走り出すのだった。
エルザが吊り橋の中へ駆け込んで行ったのを見て、象使いのコレタは、脇に立っていた部下にアゴを振って指示を出した。
「おい、ウル、アト! こうなったらお前らが殺してこい!」
すると二人はすぐさま立ち上がって敬礼した。
「わかりました!」
「お任せを」
そして二人は手に武器も持たぬまま、犬を連れてエルザの後を追った。
象使いの弟子というイメージからすると、あまり戦えなさそうに感じるかもしれないが、実はこの二人、隣国・ウインザー帝国の元軍人なのである。軍の資金を不正に使い込んで逃亡し、盗賊団に逃げ込んだという経歴の持ち主だ。
小麦色の肌をした筋肉マッチョで、身長は一七五センチくらい。たまたま獣使いの才能を見出されたため、象使いコレタの部下として配属されているが、本来はガチガチの武闘派。帝国式格闘術をマスターしており、仲間からは獣などを使役するより、そのまま闘った方が強いのではないかといわれていた。
エルザはセラスが吊り橋を渡り終えるのを確認しながら、揺れる吊り橋を急ぐのだが、さすがに疲れてきた。これまで連戦に次ぐ連戦で休まる暇がない。
エルザは休息を求めて叫び出したかったが、自分の尻めがけて犬たちが追ってきていることを思えば、泣く泣く走るしかない。
「待て待てーっ!」
「おーい、待てっ!」
二人の男が、エルザを追う。
「待てと言われて待つバカがいるか、このバカ!」
エルザは、一つ目の橋を渡った時、後ろを振り替えると追っ手がすぐ手の届くところまで迫っている。
それを見たエルザは、急に立ち止まって振り返ると、そのまま男の胸に側刀蹴りを、突き入れた。
「うおっ!」
蹴られた男は吊り橋の中で倒れ込み、後ろの男に抱きかかえられていた。
エルザはその様子をチラリと見ると、森の中の道を駆けこんでいった。
この吊り橋は、三日月湖の南の端……三日月の先っぽの、幅が狭いところに架かっている。その幅は一、四キロほどもあるが、真ん中に幅八〇〇メートルほどの島があるので、吊り橋は、この島の東西に二つ架けられている。
エルザが島の中を走っていると、森の中を駆け抜ける獣の姿があった。さっきの闘犬である。
「あっ、あの犬ども、先にセラス様を襲うつもりか!」
エルザは走る速度を上げた。
しばらく行くと、セラスが叫び声を上げている。右肩を負傷しているので、慣れない左手で剣を振り回しているのだ。
犬だと侮っていてはいけない。この犬は凶暴な闘犬である。
セラスはエルザの姿を見つけると大声を上げた。
「エ、エルザーっ! 助けてくれっ!」
エルザが駆け付けると、セラスは鎧越しとはいえ、三匹の闘犬に噛まれててもがいていた。
エルザは剣を鞘に入れたまま、犬を殴り飛ばした。
ギャウン! ギャウン!
犬は腰が引けたように尻を上げて、恨めしそうにキャンキャンと睨むので、エルザも剣を抜いてギラリと光らせ、睨み返した。
「今度かかって来たらぶっ殺すぞ!」
エルザが怒鳴ると犬たちはまた、尻尾を巻いて逃げ出していた。
エルザはセラスの肩を抱いた。
「セラス様……もうちょっと頑張ってください」
「ううっ……もう身体が動かん……」
「セラス様! 気を強く持ってください……薬を取りに行くのでしょう!」
「ううう……そうだ……そうなのだが……」
エルザは肩の傷口を押さえるセラスを優しく抱きかかえると、吊り橋の入り口まで歩いて行った。吊り橋に入ると、二人は揺れる吊り橋をゆっくりと渡っていく。
「セラス様……もし、敵に追い付かれることがあったら、私が足止めしますので、セラス様は先に渡って待っていてください」
「あ、ああ、わかった……わかったぞ……」
セラスは青い顔をしながらフラフラと渡っていく。エルザはサポートしながらゆっくりと吊り橋を進んだ。
自分たちが渡りきったら、この橋を切って落とせば追撃から逃れられる……そうは思うのだが、セラスの歩みはノロく、エルザにはそれが止まっているように見えて仕方がなかった。
早くわたってくれないと、さっきの獣使いが来るじゃないかと、エルザは気が気ではなかった。
焦りながら見ていると、遠くから小麦色した筋肉が二人、走ってくるのが見えた。エルザは思わす空を仰いだ。
「セラス様……敵が来ました! 私はここで足止めしますから……先に吊り橋を渡ってくださいっ」
「ああ、すまないっ……出来るだけ早く渡るから」
セラスは少しだけ速度を上げながら進んで行ったが、黒マッチョが橋を揺らすので、まだまだ時間がかかりそうだった。
「でも、しょうがない」
エルザは橋の真ん中で迎え討つことに決めた。
前を見ると、ウルとアト、二人の黒マッチョが猛スピードでこちらへ向かって来る。エルザも橋の真ん中まで戻って剣を構えたのだが、この二人が橋を揺らすので、エルザは思わず片手で吊り橋のロープを握ってしまった。
その時、飛ぶように接近してきたウルの拳が、エルザの顔面を思いっきり殴り飛ばした。
「へぶっ!」
吊り橋が大きくたわんで、エルザは、吊り橋から落ちそうになるのを、かろうじて踏みとどまる。
すると、今度は後ろから来たアトの蹴りが腹に入った。
「ぐはあーっっ!」
エルザは涙を垂らしながら剣振ると、意外にも二人は鞠のように弾みながら軽やかに躱す。逆にウルからワン・ツーパンチをお見舞いされてしまう。
「うぐう!」
エルザは唸った。
「象使いだと思って甘く見ていたら、なんなの、あんたら……ガチガチの武闘派じゃないの!」
エルザは涙と鼻血を流しながら怒鳴った。
「はっはっは、わかったらおとなしく、その命はおいてゆけ」
「そうだそうだ、観念しろ! この赤毛!」
ウルとアトはニヤリと笑った。
「……見逃してくれるって選択肢はないのね?」
「ないない!」
エルザはガックリと首を垂れて、大きく肩で息をする。横目でチラリとセラスの方を見ると、なんとか橋は渡ったようである。
エルザは二人の筋肉を睨みつけた。
「どいつもこいつも勝手なことばっかり言いやがってよう!」
エルザは突然、走った。
「あーっ、逃げたぞ!」
「早く追え!」
エルザは走りながら、徐々に呼吸を整えてゆく。
「ああ、セラス様……こいつらはすぐに私に追い付きます、だから」
エルザは剣を右手で持ちながら、後ろから追って来る足音に耳を集中させる。
「そこで待っていてくださいっ!」
エルザはひとつ長いため息をついた後、急に振り返ったかと思うと、おもむろに剣で吊り橋を切り落とした。
「あーっ!」
エルザが吊り橋を斬り落とす動作に入った時、ウルはそれを阻止しようと駆け寄ったが、もう遅い。
視点がグルリと反転したと思ったら、みんなもう落ちていた。
「ああああーっ!」
橋のあちこちで叫び声が聞こえる。
エルザは、橋を切った瞬間、落ちると同時にウルの方へと飛んでいた。
ウルはあおむけに落ちながら、上から落下してくるエルザを見ていた。ウルの目には、腰だめに剣を構えてウルの上へと落ちてくる、顔を腫らした女が映っていた。
その直後。
ドボーン!……と。
エルザも、ウルも、アトも、三匹の犬も……みんな湖に落ちて、大きな水柱を上げた。
次の瞬間、エルザは水中にいた。
エルザの剣は、着水と同時にウルの胸を突き刺していた。
エルザは、ウルを足蹴にして剣を抜き、腰の鞘へ納刀した。
そして、靴裏に収納されている刃を展開し、さらにヒールを回転させてカバーを外した。
すると踵の中から太いアイスピックのような仕込み針が出現したのである。
そして、水面めがけてて泳いでいく。
(もうひとりの筋肉は、近くに落ちたはずだ。警戒しないと)
エルザはそう思いながら、慎重に水面へ上がって行った。
恐る恐る水面へ顔を出すと、エルザは大きく呼吸した。
それからまた水の中に顔を入れて、人影がないか探してみたが、どうやら近くに人はいなさそうだった。
再度、水面から顔を出して周囲を確認すると、三匹の犬は島へ向かって泳いでいた。
わからないのは筋肉アトの方だ。
エルザはジッとしていることの方が良くないと思って、岸に向かって泳ぎ始めた。
その時である。
エルザの右足をいきなり掴む者がいて、そのまま水中へ引きずり込んだのである。エルザが水中で目を見開くと、それは筋肉アトだった。
アトは、エルザの右足を掴んですごい勢いで水中へと引きずりこんでいく。
捕まれている足首はガッチリとホールドされていて、そう簡単にほどけそうもない。
エルザは腹に力を込めて、アトの眉間を踵で踏み抜いた。
ゴボゴボ……!
踵のアイスピックは、アトの眉間に深々と突き刺さり、靴底は額へと密着した。
……アトは動かなくなってしまった。もちろん、エルザの足首を掴んだまま……。
アトの重みでゆっくりと湖底へと沈んでいくエルザ。
エルザはしゃがんで、足をつかんでいる筋肉アトの指一本、一本をゆっくりと、力づくで剥がしていく。
三〇秒ほどかかって、ようやくすべての指が離れた。エルザはアトから解放されると、急いで水の上へと上がっていった。
息がもう限界だった。だが、なんとか水上に顔を出すことが出来て、カエルのように大きく息を吸った。そして、しばらくは陸にあがった魚のように、苦し気に、荒い呼吸を続けたのだった。
エルザは全身の力を抜いて、しばらくの間、水面に浮かんでいた。そして、目を閉じて、呼吸を整えていった。
数分後、エルザは岸へ向かって泳ぎはじめた。
岸までたどり着くと、そこは浸食された岩場だった。季節によっては水位が上がって、この草の生えていない岩場あたりまで水に沈むのだろう。
エルザは橋の上を見上げた。橋の入り口にセラスの姿が見えたので、エルザは少し安心した。岩場へ上がる前に、エルザは湖の水で血や汗などの汚れを落とした。ズボンは破れているがどうしようもない。
エルザはひとつため息をつくと、岩場をよじ登り始めた。
岩場の上には草木のある斜面があって、そこからは、木にしがみついたり、草の根っこをつかんだりしながら、街道まで上がってくることが出来た。
だが、ようやく街道まで上がって来たと思ったら、そこでエルザが見たものは、何者かに抱え上げられ、連れ去られていくセラスの姿だった。
「セラス様ーっ!」
エルザは絶叫した。
セラスを連れ去った男たちは、すでに四〇〇メートル先まで走り去っている。
エルザは地面の小石を蹴り飛ばした。
「ちくしょう!」
エルザはセラスたちを見失わないよう、すぐさま走りはじめた。
するとその時、吊り橋の対岸からエルザを呼ぶ声がする。
「わ、私?」
エルザは立ち止まってジッと目を凝らすと、吊り橋の向こうに二人の男が立っている。
「エルザが睨みつけると、対岸の男が大きな声で笑っている。
「騎士ともあろう者が何を慌てている」
エルザは眉を吊り上げて怒った。
「何がおかしいのよ!」
エルザは吊り橋の脇まで歩いた。吊り橋の対岸にいたのは、さっきの象使いの他に、もう一人、貴族の男が立っていた。仕立ての良さそうな服を着ていて、筋肉質のスリムな男である。
「吊り橋を落とすとはなかなか無茶なことをする……おかげでお前を斬り殺すことが出来ないじゃないか」
男は口に生やしたペンシル髭をクイッと曲げて笑った。
「言ってろバカ。遠くからだと、弱い犬だって吠えるさ」
「言うじゃないか。まあ、今日の所は勘弁しておいてやる。だが、お前の行先はわかっているんだ。覚悟しておけよ」
それを聞いてエルザは首を傾げていた。
「まてよ、お前……どこかで見たことがあるぞ」
エルザは記憶を遡っていった。口に生やしたペンシル髭に、キザったらしい話し方……。
「そうだ、お前はジェームズ!」
するとジェームズは、ほほう、と声を上げた。
「……お前、なぜ私の名前を知っている?」
「私の父さんと母さんを殺したのはお前だろ!」
それを聞いてジェームズの目は細くなった。
「お前、まさかバルトの娘か?」
するとエルザは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「認めたわね! この悪党! もしかして、あの忌々しい妖術使いも一緒なの?」
するとジェームズは上目遣いでエルザを睨みながらニヤリとした。
「もちろん、彼女は元気だぞ。どうだ、仇に会えてうれしいか?」
「お前がいるってわかっていたら、吊り橋なんか落とさなかったのに!」
するとジェームズは大笑いした。
「身の程というものを知りたまえ。吊り橋が落ちて救われたのは、お前の方なのだぞ」
「次会ったらこっちがお前をぶっ殺してやる!」
エルザは涙を流しながら叫んだ。
「どうして? どうしてあんな酷いことが出来るの?」
するとジェームズは面倒くさそうにため息をついた。
「それが人に物を尋ねる態度かね? それに、お前にいろいろ話したところで、私に何のメリットがあるのだ?」
ジェームズはカラカラと笑った。それを聞いたエルザは歯ぎしりをした。
「ジェームズ! 覚えてろ! お前だけは絶対に私が殺してやるから!」
エルザの視界は涙で揺れて、もうまともに前を見ることができなかった。
ジェームズはそれを見て鼻で笑う。
「自惚れるな、エルザ。お前の行先は把握しているんだ。明日にでもこちらの手練れが……お前を殺しに向かうだろう」
ジェームズはそう言うと、クルリと背中を向けた。
「待て! ジェームズ! 話は終わってないぞ!」
エルザはそう叫んだが、ジェームズは振り返りもせず、森の中へと消えていった。




