2話:遺跡へ
翌朝、起きたらレオと子供たちは既にいなかった。中庭への扉を少し開けて光が差すようになっていたので、レオたちは隠し通路から出ていったらしい。窓もないこの小部屋は捨てられた隙間なのだ。増築に増築を重ねた集合住宅のデッドスペース、外観と実際の中に違和感を覚え、調べたからこそ見つけた場所。同じ建物に家も借りてはいるが、そちらはフェイクだ。内庭から壁を崩してわざわざ扉をつけたこの隠れ家は、家々の隙間を縫って小道があったりする。内庭への扉を開けておくのは、こちらは利用していない、のサインだ。机の上にあったメモを見る。レオの字で隠れ家、四、と書かれており、ついでに置いていってくれたぼそぼそのパンを齧る。こうした食事の管理もレオはよくやってくれる。俺は作れないし直せないから、と言うが、こういった気配りの方がすごいとエメットは思う。
「さて、ロゾネ一家はまだ周辺にいるのか?」
できるだけ隠れ家から離すように移動して、遺跡に連れ込んでその罠で殺そうと思った。パーツを奪い、奪われはよくある話だ。エメットだって昔は苦労した。昨夜机に広げていた工具箱を片付け、赤い玉をポケットに突っ込み、前髪を掻き上げてハンチング帽に押し込み、置いておいた相棒を持つ。
「今日も頼むぞ、相棒」
名称もわからないので仮で『ボウガン』と呼んでいるそれを腰に下げて、エメットは『隠れ家その二』を後にした。
内庭を扉から出るのはエメットしかできない。『ボウガン』でちらりと見える屋上の鉄の棒を狙い、パシュッと撃ちだす。それがキンと音を立てて掴んだのを確認し、手元のスイッチを押すことで巻き取られる。壁に足をついて上り、元の位置に仕舞う。屋根で空を見上げれば今日も灰色だった。もくもくとそれに混じりいく煙たち。常に雨が降りそうな色合いは重く、けれど、生まれた時から見ているのですっかり飽きた。時折降り注ぐ雨の日は誰も外に出ない。体がベトベトになり、汚れるからだ。遠い場所では空は青い色をしているらしい。どんな色なのだろう。空からくすんだレンガの連なる屋根に視線を戻し、エメットはその上を走りだした。一先ず、ロゾネ一家を遺跡に呼び込み、片付けなくては。
「よう、エメット。またやらかしたな」
小さい場所に大量のものを詰め込んだジャンクパーツ屋は多い。ここもその一つだ。少し裏通りに入った場所、看板は無いが知る人ぞ知る店だ。服が触れるだけでキン、と小さな金属音を立てて落ちるなにか。歩けば何かをジャラリと踏む。大事なものはケースに入れてあるので店主も気にしたりはしない。
「警備が甘いのが悪いんだよな」
「ははは、それはそうだ。それで、今日はどうした?」
電気は高く、少しの明かりでいい者は小さな火を使う。ここの店主もケチなのでそのタイプだ。天井から吊り下げられているランタンと同じ鎖に様々な金属が連なっている。大半はそれ一つでは稼働しない、クズパーツ。それをどう組み立てるかが技師の腕の見せ所だ。ここにあるパーツはドブに捨てず、その日のパンを買いたい者たちが売り込みにきたものだ。二束三文で買いたたかれるが、それでもパンを買うための一枚になるのなら、と遺跡の傍で、道端で、拾ったものを売りに来る。対してエメットのような技師には求めるだけ定価で売ってくれる。それは店の名を売れるからでもあり、エメットの腕を信頼している証拠だ。片や名の売れていない技師には多少高く売る。自分で自作品でも持ち込めば別だが、最初から腕を知れる方法はそれ以外にないのだ。
見渡し、今日は良い油はなさそうだな、とエメットは店主を振り返った。
「いい儲け話がないかってのと、ロゾネ一家を遺跡に呼び出したいんだよ。何かいい方法ないかな」
ジャンクパーツ屋は情報屋でもある。技師は店と懇意になって、こういった利用の仕方もするのだ。店主は髭の生えた顎をじょりじょりと撫で、そうだな、とわざとらしく考え込んだ。
「ここだけの話、西の遺跡に研究者が来るらしい」
「また? 大都市の方から来るやつだろ、前回も生存者は一人もいなかったやつ」
「そうだ。だが今回は少し状況が違うらしい。何か秘策があるんだってよ」
へぇ、とエメットはにまりと笑った。研究者が来るということは、その護衛も来るということだ。以前にも何度か大都市からの大遠征として研究者が来ては遺跡の罠で全滅を繰り返している。その時死んだ護衛たちが身に着けていたものは、大都市で既に遺跡の技術が生活に役立てられていることをまざまざとわからせ、エメットを燃えさせたものだ。火薬を利用して鉄の玉が飛び出すものは銃と呼ばれ、その身を守る板はとても細かい繊維で編まれていて硬かった。ざっと剥ぎ取って一つはエメットの服の下だ。銃の方は火薬の作り方がわからず、それを成そうとして死者が多かったこともあり、一回考えるのをやめた。
研究者の一団と当ててしまうのもありだな、と思い、エメットはカウンターに手を置いた。
「親父、研究者が来る日程は? それと、ちょっと噂を流してくれないか? 俺が遺跡に行くって」
「金次第だな」
持ち合わせがなかったので、後払いでどうにか話がまとまって、エメットは店を後にした。
「悪いな、エメット」
店主はぽつりと呟き、店の奥から出てきた男に、これでいいかい、と尋ねた。
「上出来だ。……クソ技師が、このロゾネ一家から逃げられると思うなよ。おい、あいつをつけて仲間の場所を特定しろ、目の前で全員嬲って殺して、あの野郎の手足を斬り落として遺跡に捨ててやる」
数人がエメットの後を追うように出ていき、男は店主の肩を叩いた。
「なぁに、約束通りあんたには良い技師を紹介してやる。俺は都と伝手があるからな」
「頼むぞ、あれであいつはうちの看板技師なんだ」
ハッ、と男は鼻で笑い、肩をとんとんと叩き、カウンターに金を置いて立ち去っていった。店主はもう一度、すまねぇ、と誰にでもなく謝った。
視線を感じたような気がして、エメットは知り合いを介してレオに連絡を取り、ロゾネ一家の件が落ち着くまで一人で行動すると伝えた。暗号のようなやり取りは技術を守るために発展してきたものだ。たとえ誰かが開いてもわからないようにするのは初歩中の初歩、そうでなくては伝言屋など商売にならない。
あちらこちらでさらに情報を仕入れたところ、研究者が来るのは三日後らしい。ロゾネ一家を片付けるついで、遺跡の新しいエリアに入れるのなら一石二鳥だ。レオからはわかったと返事が来た。
三日後、フォートの街が大きくざわついた。情報通り研究者が来たらしい。遠くから確認をすれば、丸い眼鏡にポケットの多いジャケット、動きやすいブーツと手に手帳と、まさしくといった姿だった。そうだ、前にも来て、死んだ研究者は似たような恰好で、護衛もあまり変化がない。硬そうな胸から腹まで守る防具、足元のズボンもまた、ベルトが巻いてあってずれが少なそうだ。ブーツも脛が守られており、しゃがみ込んでも痛くないだろう。新しいエリア、新しいパーツを見つけられるか、と技師の街は大いに賑わっていた。随行を願い出る技師は護衛に突き飛ばされ、文句を叫ぶ。もはやそこまでが恒例行事だ。
護衛は目深く帽子を被り、口元も黒く覆われているので人相は見えない。しかし以前この街に来た護衛たちよりも一糸乱れぬ動きで研究者について行く。出発は明日、午前中、エメット以外にもその後をつけていく技師は多いだろう。上手に紛れていかなくては。
レオには再び伝言を残した。届くのは回り回って明日になるだろうから、返事はないだろう。今日は隠れ家・五、で休んだ。
翌朝、研究者が護衛に囲まれて遺跡へ出発した。その後ろをついていく技師には目もくれず、ここまで乗ってきた車に乗り込んで道を行く。黒い煙を立てながら走り去るそれに、技師たちはゆっくりついていく者と、慌てて自転車に乗って漕いでいく者が半々。エメットは『ボウガン』を利用して屋根の上を走った。
深い森は遺跡を近くにすればするほどそれがなくなっていく。ぐるりと取り囲むように森があるのに、ここだけはそれが生えないのだ。雑草すらないその光景も見慣れてしまい、違和感すら覚えない。遺跡の外側はやや朽ちて瓦礫と化している。けれどこれは外壁だけなのだ。エメットは辿り着いた遺跡を見上げた。大きな洋館、いや、城が三つ四つくっついたような巨大な建物は、今見えている部分はすべて居住区なのだ。技師の多くが立ち入るのはそこで、研究者やエメットが入り込むのはその中央部か、地下の方だ。そちらは未だ遺構が生きている。だからこそ、罠で人が死ぬ。
「千年も二千年も動き続ける、なんて、おかしい話だけどな」
『ボウガン』も人の手入れを必要とする。車も、自転車同様だ。特に車など燃える水を精製し、駆動部でそれを燃やし、熱を伝え、かみ合わせ、排熱するための器官が必要となる。それら連なるものが一つ間違えば動かず、最悪壊れ、爆発する。エメット自身は細かい作業と小物に特化しているせいか大枠しか知らないが、フォートの街でもかなりの権力者しか持たず、燃える水が高いという理由でほぼ観賞用だ。
そっと周囲を窺った。車のところには護衛が数名残っており、研究者の姿はない。既に中に入った後なのだろう。今回どこを目指しているのかがわからないが、あまり離れて何も見られないのは惜しい。それに、ロゾネ一家のことがある。
暫く木の上で悩み、エメットは立ち上がった。ロゾネ一家より好奇心が勝った。
「行くか」
正面は護衛がいるので無駄な衝突は避ける。エメットはいつもの入り口を目指し、『ボウガン』で遺跡の外壁を上がり、一つ開いたベランダの扉からその中へ入り込んだ。
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