幕間 英雄たちの挽歌
護り手の聖戦とはどのような戦いだったのか。
それを余すことなく伝えるには、なお多くの頁を必要とする。
端的にいうなら、それは改革と保守の、真っ向からの対立であった。
このような表現をすると、首をかしげる人も多いだろう。
魔王ザッガリアの陣営と主神七柱を奉ずる陣営。
正義と悪との対決に見えるからだ。
だが、魔王の陣営を一概に悪と断じることは難しいと私は考える。
竜騎士ウィリアム・クライヴに率いられた魔軍は、つねに弱者であった者たちだ。
モンスターが弱者かという意見もあろうが、彼らは狩られる者である。
単体では人間の力を凌いでいるが、これはほとんどすべての野生動物にいえることであり、個体戦闘力の差など論ずるに値しない。
魔軍を構成していたモンスターたちは少数派だった。
ゆえに、人々に狩られる立場にあった。
ウィリアム・クライヴは、彼らにも人間と同等の社会的地位を与えたかったのではないか。
完全なる平等。
それこそが、最後の竜騎士の長が目指したものだったのではないか。
私がそう考えるようになったのは、そう遠い昔のことではない。
神々とともに創世に携わり、ともに邪悪を打ち払ってきた竜は、ウィリアム・クライヴの時代、そのほとんどが魔獣として怖れられるのみであった。
竜騎士たちの村は困窮を極め、不作の年などには貧家の娘は家族を養うために身体を売らなくてはならないようなありさまだったという。
竜に対する不遇。
郷の人々の困窮。
弱者たちの怨嗟。
これらのものが彼の起兵の根底にあったことは疑いない。
そしてそれが、魔王ザッガリアの思想と合致した。
魔王が築こうとした世界とは、一神教による整然と秩序立った世界だからだ。
真の平和と平等は、現在の雑然とした世界では叶えられない。
ここで留意しなくてはならないことは、独裁や専制という制度そのものは、べつに悪でもなんでもないという点だろう。
それらは、統治の手段のひとつの形態に過ぎないのだ。
事実、ウィリアム・クライヴには世界を統べるだけの力量があった。
数十万の魔軍を束ねていたのだから。
光の当たらぬものにも生きる道を。
そのためには世界を変えるしかなかった。
つまり、彼は革新を志していた。
他方、聖騎士たちをはじめとした護り手たちはどうだったか。
聖戦当時に流行した標語がある。
「この世界は楽園じゃない。
天国でもない。
多くの矛盾と不公正を抱えた世界だ。
だけど、それでも護るために」
彼らは、理想郷を築こうとしたわけではない。
現在の世界のありようを受け入れ、その中で生きる道を探ろうとしていた。
これは立派なことに見えるし、事実、立派なことである。
ただ、見落としてはならない点も存在する。
護り手たちは世界を護ろうとした。
同時に「多くの矛盾や不公正」も護ってしまった。
非常に穿った表現を用いれば、今の世界を護るという名目で、矛盾や不公正に目を瞑ったのである。
護り手が保守である所以であろう。
結果として護り手たちは勝利を収め、世界は相変わらず矛盾に満ち、社会的不公正も是正されていない。
戦争も絶えることがない。
聖戦で死んだ人よりも、なお多くの人々がこの世を去っている。
アリーズ動乱。
ジャスモード会戦。
その他無数の戦い。
ウィリアム・クライヴが新しい世界を築いたなら、これらの悲劇は起こらなかったのかもしれない。
むろん、歴史にIFは存在しないのだが。
ウィリアム・クライヴの革新。
護り手たちの保守。
どちらに正義があったのか、その答えは、あるいは数百年後を待たなくてはならないのかもしれない。
オリフィック・フウザー著『歴史の中の英雄』より抜粋
「それでも私は、彼の元で戦えたことを誇りに思う」
女が言った。
「言うと思ったけどね。
そのために随分と無理をしたじゃないか」
聴診器を降ろした男が苦笑する。
「だいぶ進んじゃってるね」
「そうか」
「出産が致命的だったね。
正直、あと一〇年は保たないと思う」
「それだけ保てば十分だな」
「母なし子にしちゃうのは、可哀想だと思うけどねぇ」
「魔術師どののお子は、父なし子のはずだが」
「こりゃ一本とられた」
身振りで降参し、女に服を着るように指示する男。
ルーン王国王都ルーンシティ。
その中心部近くにある魔法使いギルド世界本部。
通称、世界塔。
魔法的な防壁によって幾重にも守られたこの場所に、人目を忍ぶようにして女が訪れることがある。
黒いローブで全身を隠し、みるからに怪しげな人物なのだが、世界本部総長直筆の通行手形をもっていることも手伝って、入場を拒否されることはない。
目的は、定期検診である。
「何度も言うようだけど、君の身体の竜化を止める方法はないんだ」
「わかっている」
「薬も、少しずつ効きが悪くなってきてる」
「そうか」
自分の身体のことなのに、女はまったく興味がないようだった。
「ホントに、馬鹿なことをしたもんだよ」
「悔いはない。
ティダニアの言葉を借りれば、彼は人間にしておくには惜しい男だったのだからな」
この台詞に男が肩をすくめ、丸薬を手渡す。
女の命を、永らえさせるためのものだ。
「いつもすまない。
私などのために」
「おとっつぁん。
それは言わない約束だよ」
とりあわず、
「……私は何度か思ったことがある。
プリュードで死ぬべきだったのではないか、と」
女が呟いた。
あるいは贖罪なのだろうか。
半妖の身で生き続けること、そのものが。
「君が死んだら、旦那さんもお子さんも悲しむよ。
もちろん、僕もね」
女が微笑する。
だがそれは、儀礼以上のものではないようだった。
「ラゴス・ジャスどのかな?
ルーンナイトの」
酒場。
カウンターで呑んでいた男に近づいた影が話しかけた。
「……元、ルーンナイトだ」
振り向きもせずに答える男。
不機嫌さの滲む声だ。
「貴公ほどの剛の者を追放するとは、ルーンの女王も人を見る目がありませぬな」
ぬけぬけと言って隣席に腰掛けたのは、金の髪と青い瞳をもつ若者だ。
初対面のはずだが、なぜか既視感をおぼえる顔立ちである。
「どこかであったか?」
ラゴスと呼ばれた男が訊ねる。
「いや、初対面だ。
トーマスという名に聞き覚えがなければな」
苦笑が返ってくる。
どうやら、言われ慣れているらしい。
「で、なんの用だ?」
「貴公に訊ねたいことがあってな。
どうしてゴメルなどの奸物に付いたのか、と」
「……陛下はお優し過ぎる」
たった一言に、膨大な感情が込められているのは、抑えた口調から明かであった。
「そうか。
それだけ聞けば十分だ」
にやりと笑うトーマス。
「妙な御仁だな。
おぬし」
「ところで、竜は嫌いかな?」
唐突に質問。
ラゴスには答えを躊躇う理由はなかった。
「大嫌いだ。
奴らすべてをこの世から消しても飽き足らないほどに」
彼は聖戦で家族と恋人を失った。
世界を守るため、ルーンの義勇軍としてプリュードの戦いに加わり、帰ったときには竜の攻撃によって家がなくなっていた。
何のために戦ったのか。
何のために生き延びたのか。
ラゴスはただ、焼け野原となった家の前で涙するだけだった。
その後、インダーラがアイリーンへ侵攻し、魔王とともに多くの竜が滅び去った。
それだけが救いだった。
世界は救われたのだ。
あとは竜に対する復讐を遂げるだけだ。
だが、ルーン女王エカチェリーナは、竜との共存を選択した。
あんな魔獣と!
だからラゴスは、ゴメルに付いた。
甘い女王の目を醒まさせるために。
結局は彼もゴメルもバール帝国によって踊らされていただけだったが。
「俺は、竜と戦っている」
トーマスの声で、思索の海に漕ぎ出そうとしていたラゴスの意識が現実の岸辺に戻ってくる。
竜と戦うもの?
たしか、聞いたことがある。
「竜狩人……か」
「貴公の力を借りたい。
奴らは強大だ」
「……よかろう。
両親の恨み、いまこそ晴らす」
手を伸ばす。
がっしりと握り返すトーマス。
戦いが、始まる。