第三回リプレイ 竜を狩るもの
「危険度が高すぎませんかねぃ?」
反問のかたちで反対するベガ。
フェイオ・アルグレストが提案した、主街道を用いず魔女の森を抜けてウッズ村を目指すというプランに対してだ。
彼らがいるタイモールから、真っ直ぐに北上して国境を越える。
テムスリーンを経由するより、距離的にはかなり節約できる。
どのみち、いまからルーンシティへ向かっても先行しているマーニ・ファグルリミたちに追いつくことは不可能だ。
厳密な計算ができているわけではないが、時間的距離でざっと二週間ほどは開いているのである。
竜の峰があるという三国国境に挑むなら、いずれにしてもウッズに行かなくてはならない。
となれば同じルートを使った場合、先行組は二週間もウッズで待つことになるだろう。
もちろん彼らを待たずに動くという可能性もあるが、さすがに竜の峰に挑むのに、三人や四人では心許ない。
合流してからアタックを仕掛けるべきだ。
これがフェイオの考えである。
したがって、彼らとしてはなるべく早くウッズに到着する必要があるのだ。
「それはわかりますが……」
モウゼンの言葉にも留保の色が強い。
魔女の森を抜けるということに不安がある。
スタンニ公爵領に入る直前で消えた追っ手のことも気にかかる。
不確定要素ばかりなのだ。
「どうしてそんなに安全策にこだわるんだ?
これだけのメンバーが揃っていながら」
苦笑を浮かべる青年騎士。
シーフのベガ、マジシャンのモウゼン。
サムライのライゾウ・ナルカミ、ガンナーのリフィーナ・コレインストン。
レンジャーのウィリアム・シャーマン。
戦闘から探求まで、じつに多彩な才能が顔を揃えている。
陸軍の花、偵察分隊にだっておさおさ劣らないほどに。
加えて馬車が一両と馬が四頭。
どんな作戦だって可能になるだろう。
これで安全策をとろうとする考えが、フェイオにはわからない。
過信は禁物だが積極的になって良い場面だ。
「私はたいして役に立てないけどね」
リフィーナが肩をすくめる。
魔銃を扱わせれば頼りになる彼女だが、弾丸を使い尽くしてしまった現在、戦力として考えるのは難しい。
とはいえサンクン会戦を生き残った実戦感覚は、パーティーにとって充分な力となるだろう。
「ま、ここはルーンの軍人さんに期待ね」
やや皮肉をこめた言葉。
彼女が弾丸を使い尽くしてしまった原因の一端が、ウィリアムにあることは周知の事実である。
「それは任せていただこう」
気づいているのかいないのか、淡々と応えるウィリアム。
レンジャーの彼にとって森はまさにホームグラウンドだ。
まして、祖国ルーンの森である。
庭のようなもの、とは少し誇張しすぎだが、それに近いだけの自信はあるのだ。
「……そうっすねぃ」
しばらくの躊躇の後、ベガが頷いた。
赤毛のシーフとしてはテムスリーンからウッズという経路が最も安全確実だと考えていたが、そのルートと比較してもざっと半分の距離になる。
追撃者のことは気にかかるが、マーニやラティナ・ケヴィラル、レスカ・エリューシュ。
それに彼女らを追ったゼノーファ・ローベイルと合流するのを優先した方が良いだろう。
戦力の増強こそが最大の安全策なのだから。
「ゼノーファさんとマーニさんが加われば、魔法戦力が一気に増えますね……」
モウゼンの言葉。
こくりと頷くライゾウ。
追っ手は魔法を使用してきた。
魔法に対するには魔法しかない。
その意味でも、一刻も早い合流が必要となる。
「ダンナが決めたことなら、あたいに否やはないっすよぃ」
一同を代表するようにいうベガ。
ある程度のギャンブルは、致し方ない。
そして、どこかで賭に出なくてはならないなら、余力があるうちの方が良い。
追いつめられてから一発逆転を狙って、もし失敗したら後がなくなるのだ。
タイモールで充分に準備を整え、魔女の森にアタックする。
失敗したら戻れるだけの余裕があるうちに。
頷き合う一行だった。
バール帝国は、あまり竜とは縁がない。
世界各地に竜伝説はあるが、せいぜいバールで有名なのは不敗の名将カイトスの双竜剣くらいのものである。
かといって、竜に対する憧憬や畏敬がないわけではない。
メジ村で売られていたという竜鱗。
場所がバール領内だけに、客の多くはバール人だろう。
そしておそらくは、かなりの売れ行きがあったはずだ。
「そりゃそうだろうよ。
俺だって欲しいもんよ」
リュアージュ・エスタシアが笑う。
昼下がりのトラサルド街道。
話のネタは、商人マイセンから聞いた竜鱗についてだ。
地上最強の装甲ともいわれる竜の鱗。
それを手に入れるため千金を積むものなどいくらでもいる。
リュアージュにしてもダルマー・B・デイにしても、手に入る機会があるのなら、悪びれることなく受け取るだろう。
「まあ、額にもよるが、な」
ダルマーの苦笑。
生活ができなくなるほどの金銭をそんなことに使うつもりはない武闘家だった。
それに、金銭で手に入れるのは、どことなく筋が違うような気がする。
一騎打ちのすえ、名誉あるドラゴンスレイヤーの称号と共に竜鱗を獲得してこそ、真の価値があるのではなかろうか。
むろん人間と竜が一騎打ちなどすれば、勝敗は論ずるまでもないが。
街道を進む二人。
一見するとのどかな旅。
だが、リュアージュがささやく。
「気づいてるか?」
「無論」
前方を見つめたまま小さく応えるダルマー。
ひしひしと伝わる殺意。
しかし出所がはっきりとしない。
「どこだ……?」
「焦るな」
ダルマーが言った瞬間、次々と地面がめくれだす。
路面といわず両脇の森といわず。
現れる影。
「くっ!」
骸骨戦士だ。
背中合わせになって身構える。
すっかり囲まれていた。
統制された動き。
ただのアンデッドではないことは明らかだった。
「死霊魔術師がいるのかっ!」
荷物袋に手を入れるリュアージュ。
彼の弓矢ではアンデッドに対して大きな効果は期待できない。
神殿で清められたホーリーアローでもあれば別だが、あいにくとそんな高価なものは持ち合わせていない。
「けど、戦えないわけじゃねぇぜっ!
時間稼いでくれっ!」
「承知」
懐から双節棍を取り出して、ダルマーが振り回す。
痛覚のないアンデッドモンスターに刃物は効果が薄い。
メイスや棍棒のような武器の方が向いているのだ。
「せいっ!」
一挙動で敵中に飛び込む。
回転させることによって生まれる双節棍の破壊力は、スケルトンの頭を易々と粉砕した。
「策があるなら早くしろよ。
そう長くは保たないぞ」
そんな事を言いながらもにやりと笑う。
練達の武闘家である彼にとって、アンデッドの動きはスローモーションを見ているようなものだ。
次々と繰り出される剣を避け、一体、また一体と葬ってゆく。
「待たせたな」
リュアージュの言葉とともに、ダルマーの横を通過する火焔球。
否、火矢だ。
炎は亡者の弱点の一つである。
たちまちのうちに火だるまになるスケルトンたち。
揺らぐ影の中、ダルマーの武術とリュアージュの弓術が炸裂する。
旅の準備を整えるラティナとレスカ。
「いろいろとお世話になりました」
マーニがサリナ・クレッツェンに礼を述べている。
ルーン王都ルーンシティ。
サリナが営む小さな宿屋。
女王エカチェリーナの結婚に伴う大騒ぎも一段落し、彼女らはウッズ村へ向かおうとしていた。
その後どう動くにしても、ウッズを拠点にするのが何かと有利だからだ。
それに、おそらくアイリンからこちらに向かっている一行も、遅かれ早かれウッズへと進むはずである。
「馬まで貸していただいて。
感謝の言葉もありません」
「用意してくれたのはオリーですから、私の懐が痛んだわけではないですよ」
くすくすとサリナが笑う。
「まあ」
つられるように微笑むマーニ。
いずれにしても機動力があるのはありがたい。
借りた馬は二頭。
乗馬のできないマーニは、ラティナの鞍の後輪に乗ることになる。
「フウザーさまは、気前の良いお方ですわね」
しきりに感心するラティナ。
さすがは稀代の大魔法使いにして、エカチェリーナ女王の夫。
親切で優しく気前も良く、しかも美男子だ。
「ここまで揃うと、いっそイヤミよねぇ」
レスカが肩をすくめる。
「いえいえ。
それを補えないくらいの欠点もありますから」
意味不明なことを言って、またサリナが笑う。
これだけの長所を無にする欠点とはなんなのだろう。
「すぐわかりますよ」
言った瞬間、
「きゃっ!?」
「えっ!?」
「なにっ!?」
三人の悲鳴が重なる。
なにかが彼女らの尻を撫でたのだ。
振り向いた先、穏やかな笑みを浮かべているローブ姿の男。
つい先ほどまで誰もいなかったはずなのに。
「オリフィック・フウザーっ!?」
驚くレスカ。
誰もが知っている顔が、そこにあった。
「なぜこのようなところにっ!?」
「新婚なのに痴漢行為っ!?」
驚愕の方向性は違うがマーニとラティナも驚いている。
「ボコっちゃっていいですよ」
「それはひどいよぅ。
スキンシップじゃないかぁ」
へらへらと笑っている。
「あの……大魔法使いさま……?」
イメージと実像のギャップにくらくらしながら、マーニが訊ねる。
どうしてここにいるのかという主旨のことを。
「木蘭からきいてるよ。
ちょっとだけ手伝ってあげちゃおうと思って」
「それはありがたく思いますが……」
なんでこんなに軽いのだろう。
数百年の一人の天才といわれ、数々の功績に飾られた、世界で最も高名なウィザードが、こんな軽くてナンパな兄ちゃんだとは。
実物を見ているのに信じられない。
「手伝い、ですか?」
「まーボクは動けないんだけどねー
たとえばこれをあげよー」
どこからか取り出したのは、やたらと露出度の高い服。
身体の九五パーセントほどが露出してしまう。
「すごい防御効果あるんだよー
魔法防御もあるんだよー
ぜひ着てっ!
いま着てっ!
ここで着てっ!」
「…………」
ラティナは無言だった。
「…………」
マーニも無言だった。
「いるかっ!
ぼけぇっ!!」
激昂したレスカにボコられるフウザー。
「はっはっはっ」
喜んでいる。
「冗談はともかくとしてー」
「冗談なの?
本当に冗談なの?」
胡乱げなレスカにかまうことなく、
「転移魔法陣。
絶対に必要でしょ?
アイリーンに戻るのに」
「あ……」
はっとするレスカ。
考えてみれば必要なものだ。
往路は苦労が多いとしても、復路までその苦労を背負う必要はない。
「ありがとうございます」
大きな紙を受け取ったマーニが、頭をさげた。
鬱蒼とした森。
馬車がゆっくりと進んでゆく。
細い林道。
地元の猟師などが使っている道だ。
「魔女の森と言われてる領域は広大だが、本当に危険なのはそう広い範囲ではない」
先導するウィリアムが言う。
もうルーン王国内に入っている。
「魔女さんには、会っていくんですかぃ?
ダンナ」
ベガの問いかけ。
御者台から。
ウィリアムとフェイオとライゾウが外を歩き、リフィーナとモウゼンは馬車の中にいる。
「さて、どうするかな」
周囲に視線を走らせるフェイオ。
旅は順調だ。
林道をつかまえるまでは苦労したが、その後は良いペースで進むことができている。
寄り道してまで魔女に会う必要はあるだろうか。
しばしの思考の後、フェイオは首を振った。
「やめておこう。
ここまできたら、わざわざ会いに行く必要はないさ」
もし、通り道で会えるならばそれも良いかと思っていたが、ウィリアムがうまくリードしてくれたおかげで、ウッズはもう指呼の間だ。
ここから森の中に分け入ることもないだろう。
必ずしも魔女とやらが有益な情報を持っているとは限らない。
いまはペースを守るべきである。
このあたり、青年騎士の現実感覚はなかなかシャープだ。
チャンスなら活かす。
ピンチならチャンスに変える算段をする。
だが、あえてピンチを招く必要はない。
「そうっすねぃ」
ベガが軽く頷いた。
引き時をわきまえていたから、フェイオの指揮の下、サンクン会戦を生き延びることができた。
現在も変わっていないと信じている。
「この分だと、明日明後日にはウッズにつけそうですね」
「やっとベッドで寝られるわ。
野宿にはそろそろ飽きてきたところよ」
キャビンの中、モウゼンとリフィーナが言葉を交わす。
「ウッズに入るときは、儂に考えがありますじゃ」
ふとライゾウが口を開いた。
「武装した人間がゾロゾロと村に入れば、よけいな警戒感を買ってしまいますゆえ、まずは儂が先行して偵察してこようと思うのじゃが」
「無用だ」
淡々と反論するウィリアム。
もともとウッズは冒険者の村とも呼ばれ、人の出入りは頻繁にある。
冒険者を見て警戒するような場所ではない。
それに、偵察して何の意味があるのか。
最終的には全員というか、馬車が村に入らなくては補給のしようもない。
馬車を外に待たせてライゾウが何人分もの食料や消耗品など買い込んでいたら、かえってあやしまれるというものだ。
「アイリンからぞろぞろとやってきた冒険者たち。
普通に振る舞えば問題ないさ」
「金持ちだと思われれば、向こうから尻尾を振ってくるわ」
窓から顔を出して、リフィーナがフェイオの台詞を補強する。
「順調すぎて、ちょっと怖いですね」
その横で、モウゼンが微笑した。
面白くもなさそうな顔で、馬たちか歩く。
まったく、平穏な旅だ。
出発前後と比較したら。
一方、平穏とは程遠いものもいる。
「く……」
「まいったねこりゃ……」
肩で息をするリュアージュと額から血を流しているダルマー。
当初は優位に立った二人だが、数で押されるとやはり苦しい。
あわせて骸骨戦士を一〇体ほどは葬ったはずだが、それでも半数以上が残っているのだ。
しかも、アンデッドを操っているであろう死霊魔術師はいまだに姿を見せず、元を絶つことすらできない。
「年貢の納め時、か」
折れた槍をダルマーが投げ捨てる。
最初に使っていた双節棍はすでに失われ、槍を失い、
「しかし、はいそうですかと支払うほど、私も物わかりが良くないのでな」
がちゃりと背中の隠しから剣を取り出す。
「歩く武器庫だな。
おめーは」
ショートソードかまえたリュアージュがからかった。
得意の得物である弓は、すでに矢を使い果たして役立たずになってしまっている。
このまま戦い続ければ、いずれ二人とも殺されるだろう。
数的に勝算の立てようがないのだから。
「なんとか囲みを破って脱出する手だが」
「なんかあんのか?」
「私にはない。
リュアージュくんが考えろ」
「あんたが考えつかないのに、俺に考えつくはずねーだろうがっ」
怒鳴りながら、突進してきたスケルトンの剣をさばくが、
「ああくそっ!
接近戦は苦手だぜっ!」
徐々に徐々に追い込まれてゆく。
なんとか援護したいダルマーだが、こちらも手一杯だ。
無数の小さな傷が、リュアージュの身体に刻まれてゆく。
「ぐうぅぅっ!」
「大丈夫かっ!」
助けようと無理をしてしまった。
ほんの一瞬、ダルマーの防御姿勢が崩れる。
そこを狙われた。
伸びた剣が太股を貫く。
「ぐっ……」
「ダルマーっ!?」
なんとか転倒は免れるが、足を怪我しては素早い動きはできない。
「いささか拙い状況だ……」
そのとき、
「うおおおおおっ!」
雄叫びが木霊し、完全武装の戦士が彼らとスケルトンの間に割り込む。
「助太刀する!!」
裂帛の気合い。
縦横に振るわれる大剣。
軌跡を、強い魔力の光が彩った。
強い。
目を見張るリュアージュ。
あれほどの数のスケルトンが見る間に討ち減らされてゆく。
繰り出される剣は、戦士の影すらも捉えることができない。
「なにもんだ……?」
これほどの腕を持った戦士をリュアージュもダルマーも見たことがない。
ものの数分と経たないうちに、骸骨たちはすべて土に帰った。
その間、ふたりは見物していただけである。
手を出す必要など、まったくなかった。
「大丈夫か?」
大剣を鞘に収めた戦士が振り返る。
金の髪、蒼い瞳。
年の頃なら二〇代半ばだろうか。
初対面のはずだが、なぜか既視感を感じる顔立ちだった。
「なんとかな……」
「ご助力、感謝する」
リュアージュに肩を借りたダルマーが謝意を表した。
「あまり大丈夫そうではないな。
治療した方が良いだろう」
男が傷口に手をかざす。
唇から紡がれる祈り。
彼らに神聖魔法の心得があれば、それがアイリーンに捧げられたものだと理解できただろう。
「クルセイダー?」
「そんな立派なものじゃないさ」
リュアージュの言葉に、わずかに苦笑を浮かべる戦士。
「どうやらネクロマンサーは逃げたようだな。
なんで襲われたんだ?」
「こっちがききたいくらいでね」
「メジ村に向かっていたら、いきなり襲われた」
「ほう?」
男の瞳に興味の光が灯る。
「あんなど田舎に何の用が?」
当然の質問。
ダルマーは返答をやや躊躇った。助けてもらった恩義はあるが、果たしてすべてを語るべきか。
「あるいは、ドラゴンスケイルか?」
「知ってんのか」
リュアージュが頷く。
男の言葉は、彼らの真の目的を言い当ててはいないが、まるきりハズレというわけでもない。
「有名な話だしな。
竜狩人たちがメジで鱗を売ってるってのは」
肩をすくめてみせる戦士。
「竜なんかに憧れるバカの種は尽きないもんさ」
ほろ苦い表情。
顔を見合わせるダルマーとリュアージュ。
竜に対する感情は、護り手の聖戦以来、良いものではない。
この男もその口だろうか。
単純な嫌悪とは違うようにも見えるが。
「そういえば自己紹介が遅れたな。
俺はトーマス。
姓は捨てた」
奇妙な名乗り。
なにか深い事情があるのだろう。
これほどの腕を持ち、神聖魔法を使い、しかも魔力剣まで携えた勇者である。
さぞ名のある家の出身だろうに。
だが、もちろんダルマーもリュアージュを他人の過去を根ほり葉ほり詮索するようなことはしなかった。
慌ただしく自己紹介がおこなわれる。
「俺もメジまで同行しよう。
どうせついでがあるからな」
小指を立ててみせるトーマス。
大いに理解を示したリュアージュが頷く。
苦笑したダルマーも、黙ってその申し出を受け入れた。
街道を騎行する旅人。
それ自体は妙でも珍でもないが、鞍の前輪に女がまたがり、男が後輪で女の腰にしがみついているという構図は、少し珍しいだろう。
サーガ、とくに英雄譚を好む少年少女たちから見れば、ありえない事態といっていいくらいだ。
「ごめんねぇ。
なにからなにまで」
腰にしがみついている男、すなわちゼノーファが何度目かの礼を述べる。
うららかな午後。
アイリンであれば暑熱にあえいでいるような季節だが、ルーンからバールへと向かう街道は涼やかな風が吹き、傍らに植えられた木々が梢を揺らしている。
宝石のごとき夏とはよくいったもので、これが冬になれば移動すら困難になるのだ。
「気にする必要はない。
帰り道だ」
アリスという女が同じ答えを繰り返す。
ひょんなことから出会った二人だが、どうやら向かう方向が同じだということが判明し、こうして一緒に旅をしている次第だ。
「幸運の女神に感謝っ!」
というのがゼノーファの率直な感想である。
馬に乗せてもらえるうえに、こんな美人と一緒なのだから。
これで感謝しないとしたら、智神ルーンも許したまわず、という感じだ。
世の中の多くの男性がそうであるように、彼もまた美人が大好きである。
とくに、クールビューティーにはびびっときちゃうらしい。
だから、
「さて、お前は勇者か、それとも愚者か」
というアリスの内心の声には、もちろん気づかないのであった。
彼がいますこし慎重であったなら、アリスという名を記憶の引き出しから探り出そうとしただろう。
たしかに聞き覚えのある名前なのだから。
「ウッズからはどうするつもりだ?」
「どうしよう?」
「無計画なやつだな」
「いやあ、計画の立てようのない仕事でさぁ」
「よりにもよって、こんなのを寄こすとはな。
あの人も人が悪い」
「はい?」
謎めいた、だが無視できない言葉に、ゼノーファの表情が変わる。
「きみはいったい……?」
「私は花木蘭将軍を知っている。
それだけのことだ」
その台詞になにか言い返そうとした青年魔法使いだったが、言葉を紡ぐ暇は与えられなかった。
アリスが拍車をかけ、乗騎が大きく竿立つ。
「うわわっ」
「駆ける。
振り落としたら許せ」
弓弦から放たれた矢のような速さで駆け出す騎馬。
「落ちたら死ぬじゃないかむぐぅ!?」
「喋っていると舌を噛むぞ」
「もう噛んだよ……」
やがて、前方から聞こえる剣戟の音。
立ち上る黒煙。
白昼の街道でなにが起こっているのか。
必死に、ゼノーファが目をこらす。
「くっ!」
突然、ウィリアムが駆け出す。
一歩遅れて続くフェイオとライゾウ。
ベガも馬に鞭を入れた。
「ど、どうしたんですかっ!?」
疾走に驚いたモウゼンが窓から顔を出した。
「危ないぞ。
中にいろ」
その襟首を掴んだリフィーナ。
魔法使いを車内に引っ張り込む。
「なんなんですかっ!?」
「戦いの音だ」
ウッズはもう目と鼻の先。
一〇分と経たずに到着する、という位置で彼らは戦闘音を耳にした。
進行方向から。
野盗か、モンスターか。
確認しなくてはならない。
だからこそウィリアムが走ったのだ。
この場合、関係のないことに顔を突っ込むな、という法則は当てはまらない。
なにしろ前方の出来事なのだから。
こちらまで飛び火してくる可能性は大いにあり、そうなってから身構えても手遅れだ。
一刻も早く正確な状況を知り、どう動くかを決めるのが上策である。
そして、危険が現実のものとなった場合、戦力を分散すれば不利になる。
いわゆる各個撃破というカタチになってしまうのだ。
だからこそ、フェイオとライゾウがすぐに続いたし、ベガも馬車の速度を上げた。
「マーニっ!?
ラティナっ!?」
戦況を視認したとき、おもわず青年騎士の口を驚愕の言葉がついて出た。
旧知のものが襲われている。
「レスカ姐さんもいます。
ちょいやばいっすねぃ」
御者台に立ち上がり、スローイングダガーをかまえるベガ。
奇妙な型をした鎧を着た男たちが二〇人ほど。
女性三人を囲んで攻撃を加えていた。
白昼の街道で、である。
「いま、お助けいたすっ!」
速度を上げて斬り込んだライゾウ。
気合いとともに振るわれる太刀。
スピードを殺すことなく、左から右へ。
絵に描いたような胴切りだ。
だが、
「なにぃっ!?」
キィンと澄んだ音と、ライゾウの声が同時に発せられる。
半ばから太刀が折れ飛び、彼の手元には二〇センチメートルほどしか残っていない。
カタナの強度というのは下手なブロードソードを上回る。
よほど変な使い方をしない限り、簡単に折れたりしない。
「気をつけて。
こいつら、かなり手強いですわよっ!」
援軍の到来を喜んだ風もなく、ラティナが叫ぶ。
状況は、あまり良くない。
マーニ、レスカ、ラティナの三人が襲撃を受けたのは、ウッズ村を出発した直後の事だった。
ファウスト谷に挑むということで、馬を宿屋に預けて徒歩の旅をはじめようとした矢先である。
怪しげな格好をした男たちに囲まれた。
「なにかご用です?」
胸を反らして挑発するラティナ。
相手の敵意は明らかなので、体裁を取り繕う気分にはなれなかったようだ。
「先を急いでるんだけど?」
レスカも乗る。
現実的な意味もある。
数の多い方に冷静な判断などされたら、勝算が立てられなくなるのだ。
いきり立つか、おびえるか、とにかく正常な判断ができない状態に陥ってくれるのが望ましい。
そしてこの場合、後者はまずありえないので前者を狙うのが常道である。
だが、
「懐の転移魔法陣を出してもらおう」
リーダー格らしき男が要求する。
他の者たちは口も開かず、断固とした包囲体制を守っている。
「なんて冷静なんでしょうか……」
マーニが内心で呟いた。
それ以上に、彼女らがフウザーから魔法陣を受け取ったのを知っているということに戦慄する。
もちろん、声にも表情にも出さなかったが。
情報が漏れている
漏らされたのか、それとも相手の収集力がこちらの隠蔽力を上回っていたのか。
現時点で判断することは難しい。
「お断りですわ」
「そうか。
では、お前たちを殺して奪うまで」
「どうせ最初から殺すつもりだったくせに」
ラティナとレスカが、マーニを守るように立つ。
ざっと二〇対三。
相手がその辺の破落戸だとしても厳しい状況だ。
となれば、
「囲みを切り破って逃げますわ」
仲間にだけ聞こえるように呟くラティナ。
答えはなかったが、沈黙が了承の合図だ。
「そこっ!」
突進したレスカ。
包囲陣の一部に斬りかかる。
ウッズ村とは反対方向だ。
こいつらが野盗だとは思わないが、村に入れば追って来れないのは理の当然である。
だからこそ、そちらには逃がすまいとするはずで、必ず防御が厚くなる。
反対方向ならば、仮に切り破られたとしても追撃できるという余裕があるのだから、甘くなろうというものだ。
「通させてもらうわよっ!」
陽光を受け、閃く短刀。
「なにっ!?」
驚愕は、女忍者の口から発せられた。
乾いた音を立て、白刃が折れ飛んだのだ。
べつに魔力剣というわけではないが、鍛え上げられた鋼の刃がである。
「どんな防御力よっ」
振り降ろされる剣を横転して回避し、苦情を申し立てる。
むろん、敵は悔い改めたりしてくれなかった。
敵が纏っているのは、奇妙な形をした黒いレザーアーマー。
どうやら、ただの鎧ではない、ということだ。
「けどね」
転がりながら唇をとがらせる。
銀光。
男の目に吸い込まれてゆく。
沸きあがる絶叫。
「目に、かすり傷はないんだよ」
冷たく言い放つ。
ふくみ針。
戦い方にタブーがない、とはベガがよく言う台詞だが、レスカのそれはもっと徹底している。
美しく戦って敗北するより、どんな手段を用いても勝利を掴む。
騎士道とは対極にある考えが、生きる方策だ。
甘くない世界を歩んできた彼女なのである。
一方、ラティナもまた甘くはない人間だ。
「鎧が貫けないなら、それ以外の場所を攻撃すれば良いだけのことですわ」
ごきり、と。
嫌な音を発して、男の頸がありえない方向に曲がる。
レスカの短刀が折れた瞬間、かまえていた弓を捨てて素手格闘へと切り替えたのである。
じつのところ、彼女にとっても最も得意な戦闘とは、弓でも剣でも槍でもなく、その肉体を武器として使ったものだ。
エレガントでない、という理由で普段は使用しないだけである。
強い。
戦友であるラティナだけでなく、はじめてパーティーを組むレスカも充分に強い。
麻痺の力をもった光の鞭を右手で操りながら、マーニは思った。
「ですが……」
衆寡敵せず。
古来からの言葉にある。
奇襲により敵二人を無力化した。
しかし、逆にいえば、たった二名を倒すために、ラティナもレスカも奥の手を使ってしまった。
そして戦力差はほとんど縮まっていない。
「拙いでしょうか……」
呟き。
そのとき、視界の隅に巻き上がる土煙が映った。
「うぉぉぉぉっ!!」
唸りを上げたフェイオの長剣が男の首を飛ばす。
「悪く思わないでくださいよぃ」
ジャンプ一番、御者台から男の背中に飛び移ったベガのナイフが、のど笛を掻き斬る。
鮮血が驟雨となって降り注ぎ、赤い髪をますます深紅に染め上げる。
三本続けて矢を放ったウィリアム。
短弓を短剣に持ち替えて突き進む。
半ばから折れた太刀を敵に投げつけ、生まれた隙を突いて脇差しを抜いたライゾウがすれ違いざまに男の剣を叩き落とす。
仲間が駆けつけたことにより、冒険者たちは一時的に有利になった。
しかし、その優位は長寿を保ちえなかった。
まだまだ相手の方がずっと多いのだ。
「マジックミサイ……くぅっ!?」
発動させかけた魔法を中断し、杖で剣を受けるモウゼン。
堅い樫の杖に白く光る刃が食い込む。
「せいっ」
魔法使いに襲いかかった敵を、リフィーナが回し蹴りで弾き飛ばす。
「詠唱時間さえあれば……」
「弾丸さえあれば……」
無念の臍をかむふたり。
本来、攻撃力という面ではパーティー随一といってもいい魔法使いと魔銃使いだ。
それが額面通りの活躍ができない。
させてもらえない。
それだけ敵は強く、戦い慣れてもいるということだろう。
「無事かっ!
マーニ」
「なんとか」
旧知のプリーストに駈け寄ったフェイオが、体当たりで群がっていた敵を突き放した。
同時に、強い魔力の光を放つ青年騎士の剣。
マーニの付与魔法である。
返す刀で後ろに回り込もうとした敵の胴を薙ぐ。
ばちばちと火花が散る。
魔力の共食い現象が起きているのだ。
「本気でただの鎧じゃないなっ!
マーニっ!
俺から離れるなよっ!!」
「はいっ」
互いの背を守りあう。
「おやおや」
「あらあら」
それを見たラティナとレスカが肩をすくめた。
「美女を守って戦う騎士。
絵になるわねぇ」
「でも、美女は三人もいるのに、最初にマーニさまに駈け寄るんですから。
こまったものですわ」
自分のことまで含めてぬけぬけというあたり、じつにラティナらしい。
「これはポエムにしなくてはっ」
レスカも、じつにレスカらしい。
「ポエム(韻文詩)なんですか? サーガ(散文詩)ではなくて」
「もう、えろえろのぐちょぐちょでいくわよ」
「そこの二人っ!」
漫才をはじめる女二人に、苦笑しながらフェイオが怒鳴った。
まったく、そんな場合ではないというのに。
「はぅっ!?」
一撃を受けたベガが、二度三度と地面に接吻しながら転がる。
「ベガ殿っ!?」
すぐにフォローに入ったライゾウの視界。
赤毛の盗賊が鮮やかな血の塊を吐くのが映る。
折れた肋骨が肺を傷つけたのだろう。
かなり厳しい。
すぐにでも回復魔法を使わなくては命に関わる。
だが、ベガが抜けた穴を塞がなくては、マーニは自由に動けない。
このような場合、リフィーナかモウゼンが遠距離から援護射撃をおこなって時間を稼ぐのがベストである。
しかし、
「弾丸……」
ないものは仕方がない。
どれほど射撃の正確さを誇る彼女でも、武器がなければ戦えない。
「くっ……」
こんなナイフで何ができるというのか。
モウゼンが時間のかからない付与魔法を使ってくれたが、しょせんナイフはナイフ。
まともな斬り合いなどできるはずもない。
少しずつ少しずつ。
包囲の鉄環が狭まってくる。
「このままじゃ……」
呟いたリフィーナ。
突然、その手に何かが落ちてくる。
「えっ!?」
目を疑った。
弾丸ケースである。
なぜ突然、そんなものが降ってきたのか。
「待たせたね」
声とともに、少し離れたところに降り立つ人影。
それが答えだ。
風になびく金髪をかきあげる。
優雅な一礼。
ステージ上の奇術師のように。
「あれ絶対タイミング測ってたよね」
「ええ。
間違いなく狙ってましたわ」
ぼそぼそとささやきあうラティとレスカ。
も ち ろ ん 一顧だにされなかった。
「……ふん。
役者は揃ったということか」
ウィリアムが呟いた。
役者が揃い、幕が開く。
総力戦という名の、血なまぐさい幕が。
■登場NPC
◎オリフィック・フウザー/男/20歳(相対年齢)
稀代の大魔法使い。魔法使いギルド世界本部総長。エカチェリーナの夫。
◎サリナ・クレッツェン/女/20代半ば
謎の女性。
◎アリス/女/20代
謎の女性。
◎トーマス/男/20代
謎の男性。
■次回予告
冒険者に襲いかかる黒い鎧の男たち。
剣を通さず、魔法すらも弾く謎の鎧。
起死回生の一撃を、冒険者たちは持つのか。
一方、メジへと向かうふたりは、トーマスと名乗る男と知り合う。
竜とそれに憧れる人間をさげすむかのような言動。
いったい何者か。
「ラゴス隊が仕掛けたようでございます」
「性急だな」
「稀代の大魔法使いが手を貸した由。
それで焦ったのでございましょう」
「なるほどな。
気持ちはわかる」
「放っておいて良いのですか?
クライヴさま」
「その名で呼ぶなと言ったはずだぞ」
「失礼致しました……」
「まあいい。
いましばらくはこのまま進むさ。
踊り疲れるまではな」
「は……」
終焉の刻へと、冒険は続いてゆく。
※次回行動への指針※
■次回の行動(目安です)
1 ファウストの谷へ
2 メジ村へ
3 ウッズ村へ
4 その他
■アンケート
Q1 拙速と巧遅。どちらを選ぶ?
Q2 冒険で、いちばん大切なものは?