第二回リプレイ 錯綜
かつかつと、軍靴の音が床に響く。
苦虫を噛みつぶしたような顔で、大本営の廊下を歩く青年騎士。
フェイオ・アルグレスト中尉という。
彼が向かっているのは赤の軍司令官室。
ようするにずっと上の上司の執務オフィスである。
「壮絶に嫌な予感がする」
思えば半年前、サンクン会戦に先立つ謀略に巻き込まれたときも、このようなシチュエーションではなかったか。
あのときは、赤の軍司令官たるジェニファー・リークス中将ではなく、王国軍副司令官のガドミール・カイトス大将からの呼び出しであったが。
どちらにしても、上層部からの直接呼び出しに良い思い出などない。
今回も、ろくな話ではないはずだ。
心から確信しているフェイオが、扉をノックする。
「アルグレスト中尉、まいりました」
「入ってちょうだい」
力感に富んだ声が、すぐに返ってくる。
扉を開けると、すでに人払いがなされているのか、オフィスには女将軍しかいなかった。
「楽にして」
身振りで椅子を勧める。
「失礼します」
ソファへと移動しつつ、女将軍を観察してしまうフェイオだった。
この女性がいなければ、今日のルアフィル・デ・アイリン王国はなかったのだ。
常勝将軍花木蘭の師匠ともいうべき茶色い髪の女騎士。
アイリンの女性士官のパイオニア。
この人が木蘭の軍才を発掘し、影となり日向となって支えたからこそ、世界に冠たる常勝将軍は縦横に才能を振るうことができた。
もしジェニファーが嫉妬と猜疑心のみ強い人間だったら、木蘭という人材はスポイルされ、連戦連勝の王国軍史は、べつの記載を余儀なくされたかもしれない。
ある意味でジェニファーは、王国軍の母ともいえる。
華麗な才能の保有者ではないが、用兵は堅実で奇をてらわず、上にはきちんと筋を通し、部下からの信頼も厚い。
女将軍ということで、どうしても木蘭と比較されるが、安定感という点では遙かに勝るだろう。
「わたくしの顔に何かついていて?」
くすりと笑うジェニファー。
「右の目の下に、泣きぼくろがひとつ」
応えるフェイオ。
冗談めかして。
たしか木蘭より八歳ほど年長のはずだが、充分に美しい。
大人の女性の魅力とでもいうのだろうか。
「あまりオバサンの顔をじろじろ見るものではなくてよ」
「その美しさで謙遜されては、世のオバサンから石を投げられるかと」
「あらありがとう。
それで、今日来てもらった要件だけれどね。
アルグレスト中尉」
「はい」
居住まいを正す。
「先日、冒険者たちが裏ギルドとトラブルを起こした件、聞き及んでる?」
頷くフェイオ。
王都内での事件は赤の軍の管轄である。
当然、フェイオの耳にも入っている。
木蘭に雇われた冒険者たちが裏ギルド……密輸グループとの間に諍いを起こし、市街戦を展開した。
幸いなことに、市民に被害は及ばなかったが、悪質業者二〇名ほどが病院送りになった。
当事者の冒険者たちは、花家の馬車で城外に脱出し、現在は主街道を西に逃走中だ。
「そして面子を潰された密輸グループが、追っ手を差し向けてるわ」
「当然でしょうね。
あいつらはこだわりますから」
無法者のくせに、と付け加える。
冒険者と無法者が戦おうが共倒れになろうが、軍としては知ったことではない。
放っておいても大過ないはずだ。
「でも、事情は把握しておきたいわ」
「そうですね」
現状、どうしてこんなことになったのか、まったく状況が見えない。
これは赤の軍としては不本意に過ぎる。
どうも常勝将軍が介入して冒険者たちを脱出させたらしい、ということはわかっているが。
「脱出した者のリストはこれよ」
書類を手渡される。
ぺらりとめくって目を見張るフェイオ。
サンクン会戦でともに戦った仲間の名前があったのだ。
どうやら、厄介なことになっているようである。
「アルグレスト中尉。
貴官に命じます。
脱出した冒険者を追い、事情を聞いてきなさい。
そして状況次第では彼らを助けて。
また、違う状況下では適切に判断すること。
いいわね?」
もし王国の害になる行動を取っているなら、斬り捨てろ、という命令だ。
証拠を残さぬために。
厳しいが、当然の処置である。
「微力を尽くします。
が、おそらくそういう事態にはならないかと」
かつての戦友の顔を思いだす。
無謀ではあるが、犯罪に荷担するような人間はいなかった。
今も変わっていないと信じる。
「わたしもそう思うわ。
あくまで念のためよ。
現場では貴官の考えで動いてちょうだい。
それと、これを必ず伝えて」
「はい」
「木蘭は切り札をきってしまったわ。
もう同じ事はできないのよ、と」
やや真剣な顔。
神妙に、フェイオが頷いた。
ガズリストグラードでの滞在は長期に渡らなかった。
商人マイセンの館に二泊しただけで、ダルマー・B・ディとリュアージュ・エスタシアは西に向かう。
というのも、マイセンの商隊はべつに行商をして歩いているわけではなく、商談の取り付けのために動いているから、用事そのものは半日もあれば終わってしまうのだ。
それでもすぐに動かず、丸一日を自由時間としたのは、冒険者二人に配慮してくれたのだろう。
「心遣いは嬉しいけどなー」
リュアージュがぼやく。
結局、ガズリストグラードでは、たいして観光もしなかった。
アイリーンほどの賑わいもないし、なんとなく雰囲気が厳粛で、ハメを外すのがはばかられてしまうのだ。
「お祭り男としては、哀しい街だな」
苦笑しているダルマー。
「謹厳な宗教行事より、ぱーっと騒げるパーティーの方が良いだろ? ふつーに」
「否定はしないが、たとえが極端だな」
「例ってのは極端な方がわかりやすいんだぜー」
「まあまあ。
ルーンへ入れば賑やかになりますよ」
馬車の中から、マイセンが声をかける。
ルーン王国では、近く女王エカチェリーナの結婚式が執り行われることになっている。
相手は、あの稀代の大魔法使いオリフィック・フウザー。
国中がお祭り騒ぎだろう。
商隊がさっさと出発した理由の一つが、これであった。
時間的に結婚式には間に合わないだろうが、その後しばらくは国民の機嫌も良くなるだろうから、商売の種が転がっていること疑いない。
「俺たちもあやかれるかなー」
「さて、それはどうだろうな。
主人、このまま街道を進めばルーンなのか?」
ダルマーの問い。
「いいえ。
デュワーヌ大河を越えなくてはなりません。
それはそれは大きな河で、渡し船を使うことになりましょう」
「ほほう」
「河幅は、一番狭いところでも八キロほどございます。
初めて見た方は、海だと思われますな」
「それほどの大河か」
ミスティックの顔に興味が浮かぶ。
彼とリュアージュが生まれ育ったセムリナに、そこまで大きな河はない。
「橋はねーの?」
「ございません。
いろいろと理由はありましょうが、最大のものは軍事的な理由ですな」
「なるほどなー」
国境になっているというわけだ。
仲の悪いルーンとバールが、わざわざ橋を架けるはずもない。
「河の近くにはトラサルドという城市がございますので、そちらで渡河の準備を整えることとなります」
「でけー街か?」
「さようで。
リュアージュどのも、存分に女遊びができましょうほどに」
くすくす笑う商人。
ダルマーも笑った。
「男の義務だってっ」
なんとなくムキになる弓士だった。
窓の外、三センチメートルを魔力光が過ぎる。
「きゃうっ!?」
慌てて首を引っ込めたルゥ・シェルニーが尻餅をついた。
王都を脱出した七名を乗せた馬車。
苛烈なまでの追撃にあっている。
敵は、ざっと一〇名ほど。
戦えない数ではないが、
「魔法使いまでいるとはっ」
立て続けに発砲するリフィーナ・コレインストン。
激しく揺れる馬車からの射撃だが、狙いは正確だった。
二名ほどの賊が、もんどりうって落馬する。
「おかしいっすねぃ」
思慮深げに戦況を見守っていたベガが、低く呟いた。
「なにがですか?」
訊ねるモウゼン。
すでに魔法を撃ち尽くした少年魔法使いは、もう観戦することしかできない。
「追っ手っすよ」
「強すぎる、だね?」
ゼノーファ・ローベイルが確認する。
頷く赤毛の女。
敵は、たかだか密輸グループが雇った無法者たちである。
この事態を招来したウィリアム・シャーマンなどは、ずいぶんと彼の組織を買っていたようだが、実際のところはちんけな犯罪者集団にすぎない。
まともな戦闘部隊など持っているはずがないし、仮に金を積んだとしてもマジシャンやスペルフェンサーが手を貸すはずもない。
花家の馬車を攻撃するというのが何を意味するか、ちょっとでも考えればわかるからだ。
アイリン国内最大の貴族と、真っ向から事を構えたい愚か者がいるわけがない。
冒険者たちは木蘭に雇われているに過ぎないが、その仕事を妨害するということは花家を敵に回すというのと同義である。
だからこそ、密輸グループはウィリアムを警戒し、表沙汰になる前に消そうとした。
しかし、事が表面化した今となっては、
「追撃をかける意味がない。
と、僕は思う」
ゼノーファの言うとおりだ。
しつこく追い回す理由など、どこにもないはずなのだ。
「まして、馬車に攻撃を仕掛けてるっすよぃ」
車体には幾度も魔力弾が命中し、くすぶった臭いを放っている。
敵にはかなりの腕前の魔法使いか魔法剣士がいるという証拠だ。
「いゃぁぁぁぁっ!!」
追っ手に肉薄する月光。
手綱を取るのはズー・インク。
後輪にまたがったライゾウ・ナルカミが懸命に刀を振るう。
彼らは、幾度もこの突進を繰り返し、馬車が逃げる時間を稼いでいた。
ライゾウの戦技は敵に大きく水を空けられている。
それはすぐに気が付いたが、乗っているのは、なんといっても天下に聞こえた名馬である。
速度、瞬発力、ジャンプ力。
すべてにおいて月光は敵の馬に勝っていた。
実際に操るズーにしてみれば、倍以上の差があるのではないかと思えるほどに。
追っ手の繰り出す攻撃は、彼らの影すらも捉えることができない。
そのかわり、ライゾウの攻撃もかすりもしない。
「ズーどのっ。
はやすぎるっ」
苦情だって出てしまう。
とはいえ、速度を落とせば攻撃を受けるのは必定。
なんとかこのまま凌ぐしかないのだ。
「サラマンダーさんっ!」
ルゥの魔法が飛び、
「うそっ!?」
敵に当たる前に消滅する。
無効化されたのである。
「とんでもない相手だね」
「すまん。
私の方は弾切れだ」
絶望の表情で手を振るリフィーナ。
状況は、ますます厳しくなってきている。
だが、
「あれ……?」
モウゼンが首をかしげた。
いつのまにか、攻撃が止んでいたのだ。
見れば、スタンニ公爵領にさしかかっている。
「木蘭さまの予言的中っすねぇ」
大きく息を吐いたベガ。
額の汗を拭う。
何とか助かった。
しかし同時に、疑問がわき上がる。
ゼノーファも同じだったのだろう。
目があった二人は首をかしげあった。
諦めが良すぎないだろうか。
ここまで派手なことをやっておいて、スタンニ領に入ったから退くというのは。
むろん互いの瞳の中に、明確な回答は浮かんでいなかった。
旅は、この上なく順調だ。
タイモールから乗合馬車でルーン国境を越えテムスリーンへ。
テムスリーンからは、また違う馬車に乗り換えてルーンシティへ。
どこまでも平和な旅が続く。
「平和すぎて退屈いたしますわ」
贅沢なことを、ラティナ・ケヴィラルが言った。
「平和が一番よー」
読んでいた冊子から顔を上げて応えるレスカ・エリューシュ。
「先ほどの分かれ道を右に入れば、テムスリーン街道ですわね」
地図を眺めながら言うのはマーニ・ファグルリミ。
女三人の、のどかな旅である。
持ってきた白地図には、順調に情報が記載されてゆく。
テムスリーンからウッズ村へのラインも加わった。
「それにしても、変よねぇ」
「なにがですの?」
レスカの言葉に反応するラティナ。
変といわれても、なにが変なのかわかるはずもない。
もちろんレスカはきちんと説明するつもりだった。
「街道よ」
地図を指でなぞる。
「べつにおかしいところがあるとも思えませんが……」
「ホントにそー思う?
マーニさん」
レスカの指が、ウッズ村の上で止まる。
「ここから、いきなり街道は北に向かってる。
そしてまた、すぐに東へと進む」
まるで三国国境を避けるかのように。
はっとするラティナ。
避けるなら、避けるだけの理由があるはずだ。
「たとえば、地理的な、ですわね」
マーニも形の良い顎に右手を当てた。
地盤が悪い、峻険な山がある、大河がある。
地理的に街道を造れない理由はそんなところか。
これに政治的な理由を加えると、国境地帯をあえて避けたとか、そのようなものになるだろう。
「でも、それではおかしいですね……」
かつてルーンの領域は、現在の国境よりさらに東方、トラサルド市の東側まであった。
現在の国境線になるのは、大陸暦一七〇〇年以降のことである。
三〇〇年ほどしか経過していないのだ。
むろん街道は、それよりもずっと古く、基礎が作られたのはイェール帝国の時代だ。
その頃から、ウッズの南東側は避けられるポジションだったということになる。
「ミカラを経由したかったから、ってのも考えたんだけどねぇ」
ぽりぽりと頭を掻くレスカ。
自分の解答に落第点をつけたような表情だ。
ウッズからミカラを経由してトラサルドへ。
そういうルートで作りたいなら、もっと自然なカーブを描くはずだ。
わざわざこんな急角度で曲げる必要はない。
「考えたこともなかったですわ……」
「私も……」
疲れたように首を振る傭兵と僧侶。
これは、ふたりの洞察力が低いというより、中央大陸の生まれでないレスカだからこそ気が付いたことなのかもしれない。
マーニたちにしてみれば、これが元々の姿である。
違和感など感じる余地はないのだ。
先入観のないレスカだからこそ、おかしいと感じた。
「ウッズの南東から東にかけて、何かがあるんだよ。
と、レスカさんは読むねー」
根拠としては薄弱だ。
だが、無視できぬ説得力を含んでいるように、ラティナもマーニも感じていた。
ごとごとと馬車が揺れる。
イェールの遺臣たちが築いた国。
その王都を目指して。
深夜。
寝静まった馬車から、地上に降り立つ影。
息を潜め、足音を殺し。
つながれている月光へと近づく。
優しげな目で迎える白馬。
影が手綱を握る。
「よしよし。
良い子だから大人しくしてね」
少女の声。
馬は応えなかった。
応えたのは、
「何をしている」
人間である。
後ろから。
びくっと、レフィア・アーニスが身を震わした。
そろりと振り返る。
全身に怒気をみなぎらせて立っていたのは、木蘭から月光を借りた本人のズーである。
「あはははー
こんばんはー
さんぽかなー?」
「何をしているか、と、訊いたんだが?」
妥協の余地を感じさせない言葉。
傍らでは、犬のクロロがいつでも飛びかかれる体勢を取っている。
ズーとしては、白馬に関しての責任をすべて負うつもりだった。
預かった者として当然の責務だと思っている。
だから、近づいてくる影にいち早く気づくことができた。
「あはははっ ちょっと月光で散歩とかおもってねー」
「そして、そのままミルヴィアネス卿のもとへと駆け込む、か?」
一歩踏み込む。
異様なまでに、ズーの感覚は研ぎ澄まされていた。
ありがたくもなんともない話だが、先日来、仲間の暴走によって危機的状況を幾度も迎えているのである。
嫌でも鋭くなってしまう。
「な、なんのことかな……」
「月光をならず者から奪い返したことにして卿に取り入り、地盤を固めようというところだろう。
傭兵風情が考えそうなことだよな」
「くっ……」
唇を噛むレフィア。
見当違いのことを言われたからではなく、図星だったから。
月光の方へと走り出す少女。
乗ってさえしまえば、逃げ切る自信は充分にあった。
「させるかっ」
ズーが追う。
そして、同時に鞍へと飛び乗る。
レフィアが前輪。
ズーが後輪。
前者が圧倒的に有利である。
馬を竿立たせるだけで、後ろの者を振り落とすことができるから。
「月光っ」
「月光っ!」
二人の声が重なる。
一方は絶望の、他方は歓喜の。
白馬は、レフィアの指示には従わなかった。
「なんで……?」
「俺は動物には好かれる性質なんでねっ
付き合ってもらうぞっ」
拍車をかけるズー。
弓弦から放たれた矢のように駆け出す月光。
レフィアは馬術に自信を持っていたが、ズーの技量はそれ以上だった。
北を目指して駆ける。
アスカには行かない。
ミルヴィアネスとこの少女を会わせたら、どれだけあることないことを吹き込まれるかわかったものではない。
そしてそれ以上に、ズーは嫌気が差していた。
尻ぬぐいを続けることに。
「どこにいくつもりよ!?」
諦めたのか抵抗をやめ、問いかけるレフィア。
「ルーンへ。
そしてトラサルドへ」
炯々と輝く月。
奇妙な男女を照らし出している。
トラサルドに向かっているのは、ズーとレフィアだけではない。
ガズリストグラードを旅立ったダルマーとリュアージュも、順調に旅路を進んでいる。
いくつかの街を通り、いくつかの峠を越え。
「このまま順調に進みますれば、あと三日ほどでトラサルドに到着いたします」
商人マイセンが言う。
天候にも恵まれ、初夏のバールはことのほか過ごしやすい。
「トラサルドからはどうなさいますか?」
「どうとは?」
ダルマーの反問。
街道はまっすぐにルーンへと伸びている。
ほかに選択肢などあるはずもない。
微笑する商人。
「トラサルドから南へは、トラサルド街道とよばれる道がございまして。
その先にメジという寒村がございます」
「寒村?」
リュアージュが首をかしげる。
そんな小さな村に寄ってどうするというのだ。
わざわざ脇道に逸れてまで。
「メジは、一部の冒険者にとっては有名な場所でございました」
表情を読んだのだろう。
マイセンが説明をはじめた。
「有名?
聞いたことがないが」
「アンダーグラウンドの世界でしたからな。
しかし彼の村には、他にはない特産品があり、何年か前まではけっこうにぎわっていたものでございます」
「ほう?」
「ドラゴンスケイル。
聞いたことはございませんか?」
「…………」
無言のまま、リュアージュの右眉が跳ね上がった。
竜鱗。
彼らが今探している竜の峰。
それと無関係とは思えなかった。
「ですが、護り手の聖戦以後、売りに出されることもなくなったようで、徐々に寂れていっておりますな」
手に入れば大きな商売になるのに、と、肩をすくめてみせる商人。
「たしかに、な」
同意したものの、ダルマーの表情には留保の色が濃い。
竜は恐怖の対象であると同時に、畏敬の対象でもある。
その鱗を売り買いするなど、たとえば竜騎士などがするはずがない。
竜を友として生きる彼らが、その友の身体の一部を売るとは思えない。
「誰が売っていたんだ?」
同じ疑問を抱いたのか、リュアージュが訊ねる。
「竜狩人。
そう名乗っていた由でございます」
「……竜を狩る者……か」
禍々しい響きだった。
一般に、竜殺しの勇者は「ドラゴンスレイヤー」と呼ばれる。
名誉ある称号だが、狩人というのは聞いたことがない。
「……行ってみるか。
メジとやらへ」
「ああ。
そうだな」
頷き合う男たち。
進む先は楽園か、地獄か。
初夏の風が吹き渡っていた。
朝起きると、月光がいなくなっていた。
そして、
「やあ、久しぶりだな。
ルゥ」
かわりにフェイオがいた。
「はわわわー
月光さんが茶色くなって、ズーさんがフェイオさんに化けたですよー」
混乱したルゥが、意味不明なことを言う。
ぞろぞろと集まってくる仲間。
ベガやリフィーナやライゾウには馴染みの顔の中尉さんだ。
手早く情報が交換される。
「フェイオの兄さんが来たってことは、軍が動いてるってことですかねぃ」
首をかしげるベガ。
一兵卒に過ぎないズーと、士官であるフェイオでは、行動に重みが違う。
フェイオが動くということは、赤の軍がこの件に興味を持っているという証拠ではないか。
慎重なベガとしては勘ぐらざるを得ない。
「軍のスタンスは、いまのところ曖昧だな。
不確定要素が多すぎるから、さしあたり俺を派遣しただけだ」
簡単に応える青年士官。
顔を見合わせるゼノーファとリフィーナ。
冒険者たちがこれ以上、無茶なことをやらかさないように監視役を派遣した、というところだろうか。
これまでの行動を考えれば、割と当然の選択だ。
ただ、蓋然性が高いからといって事実とは限らない。
「それよりもズーさんですよ。
クロロもいませんし、レフィアさんもいません」
不安そうに発言するモウゼン。
いったい、どこへ行ってしまったのだろうか。
「考えられる可能性は二つしかないよな」
「アスカへ向かったか、ルーンに向かったか、だね?」
フェイオの言葉を確認するゼノーファ。
他に選択肢はない。
怖くなって逃げた、という極小のものをのぞけば。
「問題は、私たちがどうするかよね。
どう思う?
ベガ」
「いままでのプランを変更するしかないと思うっすよぃ」
銃士の問いかけに、盗賊はそう応えただけだった。
それ以上の説明をしないので、ルゥが不思議そうな顔をする。
「まあ、それしかないよな」
車座から立ち上がるフェイオ。
つづくリフィーナ。
「どういうことなんですかー?」
「説明希望です」
年少のふたりが異議を唱える。
「つまりね」
口を開いたのはゼノーファだった。
仮に、月光に乗ったズーとレフィアがアスカに向かったとする。
当然、目的はミルヴィアネス男爵に会うことだろう。
助力を求めるのか、あるいは馬を返しに行っただけかはわからないが。
いずれにしても、これではミルヴィアネス男爵も巻き込んでしまう。
この上、花家の馬車に乗った彼らが遅れてアスカに到着すれば、表面上は男爵は歓迎するかもしれないが、事態はややこしくなる一方なのだ。
本来、彼らは木蘭個人に雇われているだけで、公的な権限は一切持っていない。
私人として馬と馬車をミルヴィアネス男爵に預けるというのは、どう考えても厚顔すぎる。
木蘭とミルヴィアネスは友人だが、冒険者たちは友達でもなんでもないのだ。
面倒事を押しつけた、と取られるのが関の山だろう。
ミズルア使節団を護衛していたときとは理由が違うのである。
「では、真っ直ぐルーンへ向かうんですか?」
「そうなるね」
もしズーたちがアスカに向かっていないとしたら、彼らだけがアスカに行っても意味がない。
ただ遠回りになってしまうだけだ。
そもそも、男爵が彼らに協力する義務は、一ミリもないのである。
最悪、花家の馬車を盗んだ、などと言いがかりをつけられる可能性もある。
だったら、アスカは素通りして、真っ直ぐにルーンを目指すのが良い。
「考えようによっては、これ以上の通行手形はないからな」
「大きすぎるっすけどねぃ」
フェイオの言葉に苦笑するベガ。
ルーンに限らず、花家の影響力は大きい。
その馬車に乗っているのだから、それ自体が彼らの身分を証明してくれる。
これはなにかと有利に働くはずだ。
だが同時に、なにかあったときの混乱は、より以上に大きくなる。
「細心の注意が必要ね。
これからは」
ちらりとウィリアムを見るリフィーナ。
言いたいことは山脈一つ分くらいあるが、彼女は何も言わなかった。
「ああ、それから」
ふと思いついたように口を開くフェイオ。
「道中、草むらに捨てられたチンピラどもの死体を見つけたんだが、あれは君たちがやったのか?」
「死体?
そんなばかな?」
「私たちは、殺さないように気をつけましたが……」
ゼノーファとモウゼンがこもごも答える。
「もしろ、敵の方が強かったっすけどねぃ」
馬車を指さすベガ。
あちこちに、魔法攻撃によるダメージが見られる。
「魔法の心得があるような連中には見えなかったけどな。
まあ、それはいいさ」
騎士が言い、頷く一同。
完全に不安を消し去ることはできないが、いま考えても仕方がない。
「さて、僕は先行させてもらうよ」
やや唐突なゼノーファの発言。
「どうしてですかー?」
ルゥが訊ねるが、実際はぞろぞろと一緒に動いても意味がないのだ。
フェイオが参加したことにより、チームの戦闘力は格段に上がっている。
この上、魔法使いが三人も一行にいる理由がない。
となれば、だれか一人は先行偵察で先にルーンへ飛んだ方が良いだろう。
シャーマンのルゥは除くとして、ゼノーファかモウゼンか、ということになるが。
そしてこの二人からということであれば、ゼノーファの方が適任である。
年齢も上だし、慎重さと思慮深さもあるからだ。
一人行動に慣れているという側面も否定できない。
「わかったわ。
気をつけて」
「ルーンシティでは、スパイラルの弾を買っておいてあげるよ」
「アテにしないで待ってるわ」
リフィーナと微笑を交わし、飛び立つゼノーファ。
ウィングスの魔法である。
彼の魔力であれば、一日に二五〇キロは飛べるのだ。
「私の方が速いんですけどねぇ」
ちょっと拗ねるモウゼンであった。
「気にしちゃダメですよー」
ぽむぽむとルゥが肩を叩いてくれる。
もちろん、たいして嬉しくもなかった。
「我々はどうするのだ?」
ウィリアムの問いかけ。
「どうすればいいと、君は考える?」
フェイオの反問。
「まずは国境へ。
関所で早馬を借りて、シティへ」
当然のことだ、と、言わんばかりに答える。
盛大に青年騎士が溜息を吐いた。
「何のために?」
根本的な問題である。
ルーンシティに赴いて、なにをするというのか。
情報収集ならば、先発したマーニ、レスカ、ラティナの三人で事足りる。
これにゼノーファまで加わっているのだから、彼らがのこのこと追いかけても、集められる情報はすでに集めているだろう。
「つまり、ただ時間を無駄にするというわけじゃな」
顎に手を当て、考えるライゾウ。
ルーンシティには世界一の蔵書数を誇る図書館がある。
魔法使いギルドの世界本部もある。
このあたりから何か情報が得られる可能性はあるが、逆にいえば誰でも真っ先に思いつく調査先だ。
先発した一行が必ず調べているだろう。
彼らが同じ事を調べても、同じ結果しかでない。
「そうとは限らない。
世界塔が竜の死体などを解剖していれば、生態がわかっているはずだ。
聖戦の折に死んだ竜がいくらでもいるのだからな」
強い口調で反論するウィリアム。
女性陣が、狂人でも見るような目で彼を見つめた。
「死体を切り刻むだなんて……
正気でいってるんですかぁ……?」
最年少のルゥなどは、露骨に怯えている。
「盗賊ギルドの処刑でも、そんな残酷な真似はしないっすよぃ」
汚れ仕事に携わってきたベガですら顔をしかめる。
当然の反応である。
死者の霊を怖れるのなら、死体への冒涜などできるはずがない。
竜の亡骸を汚したりしたら、どんな祟りがあるか。
「ついでにいうと、プリュードでもアイリーンでもいいが、死んだものはすべて埋められたよ。
国が予算を割いて業者を雇ってね。
どこかに運ばれたなんて話は聞いたこともないな」
「世界本部は竜の研究なんてしてないですよ……」
憤然としたフェイオと、やや青ざめたモウゼン。
戦で死んだものは、敵味方を問わず手厚く葬るものだ。
それが騎士の礼である。
そして聖戦以後、竜の研究は禁忌とされた。
ギルドの世界本部が、率先してそれを破るはずがない。
「と、いうよりね。
竜を調べてるわけじゃないのよ。
私たちは」
リフィーナの言葉。
核心を突いている。
彼らの目的は、竜の峰を探すことであり、依頼された品物を届けることだ。
それ以上のことなど、する必要もない。
「考え違いをして、周りに迷惑をかけないでね。
あんたが何様のつもりか知らないけど、そもそも早馬を借りる権限なんてもってるわけ?」
「む……」
むっつりと黙り込むウィリアム。
手厳しい言いようだが、銃士の言葉は正しい。
たかが予備役少尉、というより勅許のない者が関所の馬など借りられるはずがないのだ。
強引に奪うなどということをすれば、ウィリアム一人の首が飛ぶくらいでは済まない。
幾度でも確認しておくべき事である。
彼らには公的な権限は一切ないのだ。
責任を取ってくれるものなど、誰もいない。
「だからこそ、この馬車ってわけっすかぃ。
策士ですねぃ。
フェイオ兄さんは」
悪くなりかけた空気を収拾するように、ベガが戯けてみせた。
ただ、たしかに花家の後ろ盾がある、と見せかけておく方が、なにかと有利にも思える。
「そうなると、ルーンシティまでは行かない方が得策かもしれないですね……」
田舎の方が、ありがたみが強い。
ルーン王国の王都であるルーンシティでは、威光が通用しないことも考えられる。
モウゼンの考え方は、真っ当でもあり健全でもあった。
「となれば、大きな街より小さな村、じゃな」
「結論が、出たようだな」
にやりと笑うフェイオ。
集めるなら、公式記録に載っているような情報より噂話の方が良い。
彼がそう考えたのは、アイリーン出発以後のことだ。
三国国境付近の小さな村や町。
もし竜の郷があるなら、必ず取引があったはず。
郷に人がいなくなったとしても、それらの人々までいなくなるはずがない。
「冴えてるわね」
「考える時間は、たくさんあったからな」
「了解っすよぃ」
御者台にのぼるベガ。
馬車がゆっくりと走り出す。
女王エカチェリーナの結婚式は、六月三〇日に執り行われた。
花婿は、魔法使いギルド世界本部総長オリフィック・フウザー。
稀代の大魔法使いと呼ばれ、蓋世の天才として名声のある青年である。
もともとこの二人は知己だったらしい。
エカチェリーナの即位前、前王ルオルグが亡くなり、次の玉座をめぐって宮廷には謀略の嵐が吹き荒れた。
彼女の上には兄が二人おり、そのどちらかが即位するものと思われていたが、互いに陰謀の剣を振るい合い、結局は共倒れになった。
エカチェリーナの至近にも暗殺の魔手が迫り、彼女は一時的に王宮を逃れ、ルーンの下町に身を隠す。
このとき王女を匿い、奸臣たちを倒し、エカチェリーナを玉座まで導いたのが、フウザーをはじめとした下町の冒険者たちである。
彼らが根城にしていたのが、リュウジョという酒場兼宿屋で、これはアイリンの暁の女神亭と似たようなものだ。
その辛く苦しい日々の中で、エカチェリーナはフウザーに対して淡い恋心を抱くようになっていた。
優しく聡明で、どんな難解な問題でもさらりと解いてしまう伊達男。
だが、彼女は自分の恋を選べる立場にはいなかった。
恋心を胸に秘めたまま、玉座へと続く階を登る。
このあたりのくだりは、大ヒットした演劇『今日、胸の火を消そう』などで、人々の耳に親しまれている。
そして、即位から五年。
ついにエカチェリーナとフウザーは結ばれた。
「五年越しの想いを遂げられたのですから、お幸せでしょうねぇ」
パレードを見つめるラティナが、感歎の吐息を漏らす。
ルーンシティは、お祭り騒ぎの真っ最中である。
「たしかにお綺麗ね」
レスカも感心している。
中央の王族などに興味のない彼女だが、さすがに花嫁のドレスには目を奪われていた。
「お幸せに……エカチェリーナさま……」
マーニなどは感涙を零しっぱなしだ。
彼女だけではなく、多くのルーン国民にとってエカチェリーナの結婚ほど待ち望んでいたことはない。
美しく優しく気丈な女王が、じつはまだ二〇歳の若い娘でしかないことを皆知っている。
背負った責任。
それは女王の背骨を折り砕いてもおかしくないほどの重さなのだ。
彼女はたった一人で悪政と戦い、奴隷制度を廃止し。
多くの社会的不公正を正してきた。
人々はエカチェリーナを救国の聖女と呼ぶ。
だが、誰もその責任を代わってやることはできないのだ。
だからこそ、エカチェリーナの個人的な幸福を祈らずにいられない。
パレードが行きすぎても、沿道の市民たちはなかなか立ち去ろうとしなかった。
もちろん、ルーン生まれのマーニとラティナも。
やれやれと肩をすくめるレスカ。
視線を泳がせる。
ふと、通りの反対側に立つ女性と目が合う。
彼女もまた、こちらを見ていたのだ。
交わされる目礼。
近づいてくる女性。
二〇代の半ばだろうか。
絶世の美女というわけではないが、品のある顔立ちをしていた。
「あの……もしかして、木蘭さまの依頼を受けている方ですか?」
おずおずとした問いかけ。
やや驚いたがラティナが頷く。
「よかった……オリーから接触するようにいわれてきたんです」
「???」
話が見えず、首をかしげるマーニ。
雑踏、雑踏、雑踏。
立ちすくむ彼女らを、迷惑そうに通行人が避けていった。
■登場NPC
◎花木蘭/女/33歳
常勝将軍。花男爵家当主。国内最大の貴族で、最も人気のある将帥。
◎ジェニファー・リークス/女/38歳
赤の軍司令官。中将。女性士官の先駆者で木蘭の師匠的存在。
◎フェルミアース・ミルヴィアネス/男/30代後半
少将。アイリン王国緑の軍西方管区司令官。男爵。
◎マイセン/男/40代
中央大陸を巡る巡回商隊の隊長。
◎エカチェリーナ1世/女/20歳
ルーン王国の女王。愛称はカチューシャ。
◎オリフィック・フウザー/男/20歳(相対年齢)
稀代の大魔法使い。魔法使いギルド世界本部総長。エカチェリーナの夫。
◎サリナ・クレッツェン/女/20代半ば
謎の女性。
■次回予告
一行はばらばらになった。
それぞれの思惑を胸に秘め、目的地を目指す冒険者たち。
背後にちらつく、黒い影。
「いましばらくは泳がせる。やつらが案内してくれるのだからな」
終焉の刻へと冒険は続く。
※次回行動への指針※
■次回の行動(目安です)
1 ルーンシティへ
2 メジ村へ
3 ウッズ村へ
4 その他
■アンケート
Q1 いちばん好きな食べ物は?
Q2 これだけは誰にも負けないことって?