幕間 混乱始末記
「どういうことなのっ!
説明してっ!!」
怒鳴り声。
王都アイリーンは中央ブロックに偉容を誇る大本営。
そこからほど近い場所にある赤の軍本部のサリナス連隊駐屯地。
警邏部隊詰め所から、王都中に聞こえるほどの声が響き渡っている。
「いいっ!?
レストっ!
あんたはとんでもないことをやっちゃってんのよっ!!」
声の主は、シェルフィ・カノンという。
赤の軍に勤務する中尉さんだ。
眠りから目ざめた活火山のように怒っている。
「や、それが私にもなにがなにやら……」
しどろもどろになって汗を流しているのは、レストという名の青年だ。
出頭命令をうけ、仕方なく出向いたら、いきなりの怒声である。
「また誰かの罠だとかいうつもりじゃないでしょうね?」
「うう……」
この青年、じつは王都のみならず、中央大陸中に敵がいる。
というのも、世界的な人気女優、シルヴィア・リストアのハートを射止めたシンデレラボーイだったりするからだ。
その事実が報道されたとき、彼の居住している暁の女神亭には、カミソリの刃が千本ほども送りつけられてきた。
なかなか堂に入った嫌がらせだが、宿のオーナーは消耗品代が助かったと述べて、送られてきたカミソリを大浴場に置いている。
「……なんか、柄の悪い人たちには絡まれたんですよぅ……」
「それで、なぎ倒しちゃったわけ?」
「逃げただけですって……」
「報告とはだいぶ異なってるねぇ」
苦笑するのは、大本営から事情を聞くために訪れているイアン・ウェザビィ少佐である。
軍にもたらされた報告によると、密輸業者とその用心棒たちと一戦交えたものがいるらしい。
しかも、街中で、攻撃魔法は使うわ魔銃はぶっ放すわ。
あげくに、レストと名乗る人物が大立ち回りを演じ、悪質業者ども二〇名近くが病院送りになった。
いかに悪質な密輸業者といえども、証拠がない限りは一般の住民と同じ扱いなのだ。
軍としては動かざるを得ない。
「身に覚えがありませんって……」
レストもひとかどの戦士とはいえ、一人で二〇人を相手取って戦えるほど強くはない。
「まあまあ。レストも悪気があったわけでもあるまい」
ひょこっと詰め所に顔を出した女性が、いきなりレストの弁護をはじめた。
ぴくり、と、イアンとシェルフィの眉が跳ね上がる。
レストには二〇人を倒すことはできないかもしれないが、この女性……つまり花木蘭であれば、一杯の葡萄酒を飲み干すより容易だ。
だいたい、事情も聞かずに弁護するとは女将軍らしくもない。
「しかしですねぇ。
暴行は暴行ですから。
悪気があったにしもなかったにしても」
目を細めたまま、イアンが言った。
「暴行ではなく助太刀だ。
襲われていた者を助けただけだ」
「ほう?」
「たった三人を三〇人以上の者が追い回していたのだがら、暴行には当たるまい。
最悪、過剰防衛だな」
「ほうほう。
まるで見てきたようにお話になるんですねぇ」
イアンが笑っている。
口だけで。
目は、まったく笑っていない。
詰め所の室温が、一気に低下する。
気分的には氷点下の世界だ。
「…………」
無言で木蘭を見つめるシェルフィ。
「……と、レストが言っていたのだ。
わたしは伝えただけだぞ?」
あまりにも苦しい言い訳である。
「と、容疑者は語っていますけど、証人レストは反論ありますか?」
「いきなりわたしが容疑者かっ!?」
「容疑者の言うことは事実無根であり、私は容疑者とここ数日話したこともありません」
あっさりと証言する人レスト。
もちろん裏切ったのではなく、事実を述べているだけだ。
鏡を見つめるガマガエルみたいに、だらだら汗を流す木蘭。
「木蘭さま?
わかってらっしゃるんですか?」
ずずい、と、顔を近づけるイアン。
軍としてはいつまでも犯罪者どもをのさばらせておくつもりはない。
つもりはないが、無用なトラブルを起こしたいわけでは、それ以上にない。
もし木蘭がやったのだとすれば、最悪、軍と裏社会の全面抗争に発展する。
「さてと、わたしはまだ仕事が残っているので……」
逃げようとする女将軍。
イアンもシェルフィも逃がすつもりはなかったが、彼女を引き留めたのは別人の声だった。
「閣下っ!!」
「ふぃ、フィランダー、どうしてここに……」
戸口に立っていたのはフィランダー・フォン・グリューン准将。
すみれ色の瞳を持つ青年騎士は、額に青筋を立ててわなわなと震えている。
「どうしてじゃありませんっ!
つい先ほど、黒の軍から正式に抗議がきましたよっ!!」
びしっと書類を突き出す。
肩をすくめるイアン。
溜息を吐くシェルフィ。
目を丸くしているレスト。
「上意命令つかいましたねっ!?
小官になんの相談もなくっ!!」
黒の軍に逮捕された冒険者を、木蘭は命令書一つで解き放った。
彼女の権限内のことだが、黒の軍としては幾重にも面目を潰された事になる。
本来、手続きには時間がかかるのがあたりまえで、それを将軍の一存で覆されたら、組織の基が立たないのだ。
厳重な抗議がくるのも当然だ。
「いや、ほら……緊急事態だったし……」
「なにか?」
にっこり。
フィランダーが笑う。
さらに低下する室温。
気分的にはすでに氷河期である。
「いや……その……」
「なにか?」
にこにこ。
「ごめんなさい……」
「許しませんよ?」
むんずと木蘭の襟首を掴むフィランダー。
悪戯を見つかった仔猫みたいだ。
「にゃーっ!?
謝ったのにっ!?」
「ごめんで済んだら軍は要らないんです。
二四時間耐久説教の刑です」
「いやだーっ!
そんなへんな刑罰はいやだーっ!!」
ずるずると女将軍が引きずられてゆく。
振り返ったフィランダー。
「イアン。
悪いのだが」
「ああ、わかってる。
こっちは我々で整合させる。
君はそのじゃじゃ馬の方を何とかしてくれ」
苦笑しあう僚友。
こうなった以上、隠し続けるしかない。
この件に関して軍そのものは関与していない。
関与もしない。
それしかないだろう。
「あのー…私はどうなるんでしょうかー」
不安そうなレスト。
困ったような笑顔を、シェルフィが作る。
「義人レスト。
けっこう格好いいんじゃない?」
ぽむぽむ。
「ううう……」
肩を叩かれたレストが、がっくりと項垂れた。
初夏の日差しが、窓越しに降り注いでいる。