第五回リプレイ けじめのつけかた
忘れない。
燃え崩れ落ちる家々。
逃げまどう人々。
ぼろぼろになった遺体。
夢も未来も消し去られてしまった幾万の魂。
何もかもを奪い尽くした魔族と竜。
あの日、花の都アイリーンは地獄になった。
浮遊魔城インダーラによる突然の攻撃によって。
それは、ある意味で平等だった。
富める人も貧しき人も、貴族も庶民も、平等に死に直面させられた。
ズー・インクは一七歳だった。
一人でも多くの市民を避難させるため、北ブロックで必死の戦いを繰り広げていた。
一人でも多く!
本当なら、全員を無事に逃がしたい。
それこそが世界に冠たるルアフィル・デ・アイリン王国軍の誇りである。
だが、それができる状態ではなかった。
過酷な取り捨て判定。
確実に助けられるものから助けるしかなかった。
何人を救い何人を見捨てたのか、数えることすらできない地獄だった。
瓦礫の下から聞こえた、助けを求める少女の声。
彼はそれを無視した。
目前に救助を待つ人々がたくさんいたから。
一人を助けるために、その数倍の人間が犠牲になるわけにはいかなかったから。
助けられる可能性がゼロだったわけではない。
たしかにゼロではないだろう。
ではどれだけの確率があるというのか。
五パーセントか。一パーセントか。
そんなものを勝算とは言わない。
性質の悪い賭博だ。
救助とは、助けられるものを助ける作業である。
助かる可能性がわずかでも高い方から、確実に助けてゆく。
助かる可能性のないないものは、捨てるしかない。
冷酷なようだがそれが現実だ。
だから、ズーは正しい。
もし逆であるなら、もっとずっと酷い事態になってしまっただろう。
しかし、彼の脳裏から、あのときの少女の声が消えてくれたことはない。
数百数千の怨嗟。
どうして自分を助けてくれないのか。
戦後、悪夢にうなされ夜半に寝台から飛び起きたことなど、一度や二度ではない。
アイリン軍は最大の努力をした。
ある同僚は、民衆を逃がすためドラゴンブレスに対する盾となり、生きながら焼き殺された。
ある同僚は、竜に腹を咬み裂かれ、はらわたを引きずり出されながらも、魔導爆弾でもろともに果てた。
ある同僚は、スラムに住む貧民たちを守るために戦い、帰らぬ人となった。
ズーが所属している赤の軍。
六万五千の人員のうち、生き残ったものは一万人に達しなかった。
彼らの勇戦を疑うものなどいない。
だが、ズーは知っていた。
生き残ってしまったという事実。
それそのものが罪の意識を抱かせるのだ、と。
損害は、赤の軍……アイリン軍だけではない。
インダーラ侵攻に先立つプリュードの野の戦いでは、バール帝国とドイル王国の義勇兵四万が、文字通り全滅している。
わずか一名の生還者もいなかったのだ。
魔軍と竜騎士の台頭によって、中央大陸の各国は想像を絶する損害を被った。
今日に至るまで、人的資源という点で完全に回復した国がないほどに。
「なのに、なんでその女と一緒にいるんだっ!
アンタらはっ!!」
アリス……シャルヴィナ・ヴィナディースとともに竜の郷へと足を踏み入れた仲間たちに指を突きつけるズー。
無頼漢のように冒険者どもだけならまだしも、
「中尉っ!
アンタまでなにをやってるんだっ!!」
フェイオ・アルグレストにも噛みつく。
上官に対する言葉遣いではなくなっていた。
だが、それも当然のこと。
目の前にいるのは、世界全人類の敵といっても過言ではない女なのだ。
どうして、へらへら一緒に旅などできるのか。
「…………」
フェイオは、無言だった。
ほとんどの面で、ズーと同意見だったからである。
我慢しているのだ。
彼だって、好きこのんでシャルヴィナなどと行動を共にしているわけではない。
インダーラ侵攻の時の経験は、ズーにおさおさ劣らないのだ。
許せなく思う気持ちも強い。
だが、フェイオに課せられた任務は、見届けること。
そして冒険者たちを助けること。
冒険者たちが、依頼を優先してシャルヴィナとの協調路線を選ぶのならば、フェイオとしては、それ以上なにもできない。
「だからっ!
それがおかしいんだよっ!
行きずりの依頼がそんなに大事なのかよっ!」
激語は、シャルヴィナとともにある冒険者に向けられたもの。
リフィーナ・コレインストンとルゥ・シェルニーが、
ライゾウ・ナルカミとウィリアム・シャーマンが、
マーニ・ファグルリミとラティナ・ケヴィラルとレスカ・イリューシュが、
ベガとモウゼンが、それぞれ顔を見合わせる。
中には、ハンマーで頭を殴られたような表情をしているものもいた。
ズーの言葉は、ある意味で革命的だった。
「そうね。
その通りだわ」
一行の側を離れたリフィーナ。
静かな、だが確固たる足取りでトーマスの方へと向かう。
「貴方に味方しよう。
竜狩人」
「リフィーナさんっ!?」
「リフィーナっ!
馬鹿な真似はよすんだっ!」
モウゼンが蒼白になり、ゼノーファ・ローベイルが厳しくたしなめる。
「馬鹿な真似?
なにが馬鹿なんだ?」
「だってこんな……そいつはマーニたちを襲った連中の仲間なんだぞ……」
「それで?」
「…………」
「だから、シャルヴィナにつけというのか?
私にはそれこそ馬鹿な話に見えるぞ」
「そうじゃないっ」
金髪の魔法使いが激しく頭を振った。
誰の味方をするとか、誰の敵に回るとか、そういう話ではない。
依頼を遂行するために彼らはここにあるはずだ。
どうして、ついさっきまで仲間だったもの同士が争わなくてはならない。
「ここで争っても仕方がないと言っているんだっ!」
まったくその通りだ。
ここでシャルヴィナを殺したところで、聖戦で失われた命が戻ってくるわけではない。
世界は、なにも変わらない。
何の解決にも、なりはしない。
聖戦は、終わったことだ。
いまさら復讐などして、何になるというのだ。
過去を変えることなどできないのだから、そんなことに囚われるのではなく未来に目を向けるべきだ。
「立派な意見だよ。
ゼノーファ・ローベイル」
赤の軍の兵士が剣を抜く。
その横で、クロロが戦闘姿勢を取った。
「ズー……きみは……」
「立派すぎて涙がでてくるぜ。
もう終わったことだから、死んだヤツのことは忘れろってか」
怒りに燃える瞳。
そこには涙どころか、僅かな妥協すら浮かんでいない。
「ああ。
そう言っている」
酷薄に響くウィリアムの声。
「その男に味方して何の益がある?
王都アイリーンであれほどの死者が出たのは軍が無能だったからだ。
隙があったから攻められただけの……がぁっ!?」
だがその台詞は中断を余儀なくされた。
抜く手も見せず放たれたリフィーナの弾丸が、レンジャーの左肩を撃ち抜いたからである。
もんどりうって倒れ、無様に地面を転げまわるウィリアム。
躊躇いのない先制攻撃。
「隙があったので攻撃させてもらった。
当然、恨まれる筋合いなどないよな?」
銃士の微笑は、怒りよりもなお凄みのあるものだった。
それは、ひとつの反語である。
隙があるから攻められた?
冗談ではない。
自分が被害者となったとき、同じ台詞が言えるのか。
もしもウィリアムの主張が正しいとするなら、いま撃たれたのは彼に隙があったからで、リフィーナには何の罪もないことになる。
「リフィーナさま……」
マーニが絶望に顔を曇らせながら、ウィリアムに回復魔法をかける。
「本気ですわね」
「こっちも手加減しないよ」
ラティナとレスカが身構える。
だが、さすがにすぐは飛びかかることができない。
金髪の銃士は正確きわまる射撃技術の持ち主で、しかも連射を得意としているからだ。
ウィリアムに一発撃ったのだから、スパイラルに装填されている弾丸は残り二発。
仮に全員が一斉に飛びかかったとしても、二人は撃たれる計算になってしまう。
そして今度はウィリアムの時のような故意に急所を外した射撃ではあるまい。
突撃できない者たちを見て、ズーが笑った。
「あんたたちは幸せだよ。
そうやって、命を惜しむ戦いができるんだから」
悪意が結晶化したような笑いだ。
あのとき、命を惜しむ余裕などなかった。
誰かが盾になって魔族や竜の攻撃をひきつけ、その隙にがむしゃらな攻撃をする。
もちろん、盾になったものは絶対に助からない。
生きながら焼かれるか、魂までも喰らい尽くされるか。
そういう戦いしかできない、ぎりぎりのところまで追いつめられていた。
「私の……叔母さんは……私を逃がすために竜に殺されました……仇を討ちたいと思うのはいけないことなのでしょうか……」
ルゥが呟く。
涙になりきれぬ湿りが、少女の大きな瞳を彩っている。
「そうまでして、あの人とともにあることが大切なのでしょうか……」
あの人とはシャルヴィナの事である。
少女にとって、名すら口に出すことをはばかられる仇敵。
依頼を達成するためには、そんな者の協力を得なくてはならないのか。
だったら……。
「だったらっ!
依頼なんてくそくらえですっ!」
リフィーナたちの方へと駆け出す。
「ルゥ殿っ!
お待ちなされっ!」
引き留めようと伸ばしたライゾウの手は、だが少女には届かなかった。
「みんな。
ごめんなさいです。
でも私はやっぱり、あの人とは一緒に行けません!」
ここまで感情を露わにするルゥは珍しい。
サンクンをともに戦ったフェイオもライゾウも、こんな姿を見たことがない。
それだけ恨みも深いのだ。
「復讐は何も生まない。
その通りさ。
まったく正解だよ」
剣をかまえたままの、ズーの言葉。
ズーだってリフィーナだってルゥだってわかっている。
シャルヴィナは花木蘭将軍が偽名まで与えて逃がしたほどの人物だ。
悪人ではないのかもしれない。
だが、善人か悪人かなんて関係ない。
何をしたか、ということの方が大事なのだ。
魔軍を率いて何万人もの人間を殺した女。
ズーの僚友も、リフィーナの両親も、ルゥの叔母も、この女たちに奪われた。
彼らはもう帰ってこない。
夜を徹して夢を語り合った友も、家族四人の幸福な団欒も、優しく温かかった笑顔も、二度と取り戻せない。
それで十分だ。
「復讐は何も生まないかもしれないが、私のちっぽけな復讐心は満足するんだ。消えてくれ。
私のいる世界から」
火を吹く、リフィーナの魔銃。
「いけっ!
クロロっ!」
猛然とシャルヴィナに飛びかかる犬。
だが、獣も弾丸も、魔軍副司令には届かなかった。
両手を広げ、女を守るように立った魔法使い。
目の前には淡く輝く透明な壁。
プロテクションの魔法だ。
弾き飛ばされたクロロがズーの元へ駆け戻ってくる。
「どうしてもその女に肩入れするのか。
ゼノーファ」
「悪いね。
はっきりいって僕ももう依頼なんかどうでも良いんだけどさ」
「だったら退いてくれ」
「そうはいかないよ。
僕はシャルヴィナを守る。
約束したからね」
美女との約束は、命に換えても守らなきゃいけないだろ、と、つけ加えた。
ゼノーファらしい言い方に、リフィーナが苦笑する。
本当は、そんな次元の問題ではない。
全員がわかっていることだ。
金髪の魔法使いは、わざと事態を矮小化してみせたのだ。
世界の命運など背負えるはずもない。
魔軍に殺された人々の苦しみや無念も、当事者でも家族でもない自分には完全に理解することはできない。
だから、シャルヴィナと交わした約束だけを守る。
それだけでいい。
「得意じゃないんだよね。
上手に生きるってやつがさ」
微笑と苦笑の中間のような表情。
シャルヴィナには夫がいる。
したがってゼノーファの献身はけっして報われない。
にもかかわらず、自分のものでもない女を守る。
滑稽さは覚悟の上だ。
「笑ってくれてかまわないよ」
「いいえ。
笑いませんわ」
すっとゼノーファの横に並んだラティナ。
瞳が微笑んでいた。
「約束という名の誇りのために戦う貴方。
いままで一番格好良くて素敵ですわ」
「そういう君は、何のために戦う?」
「わたくしは聖戦の当時、アイリンにはおりませんでしたわ。
ですからシャルヴィナさまの為人は存じません。
知りたいとも思いません。
ですが」
「ですが?」
「木蘭さまの為人は良く存じ上げております。
わたくしはあの方を信頼しておりますので、あの方が信頼するシャルヴィナさんを信頼いたしますわ」
ややひねくれた言いよう。
あるいはそれは彼女なりの誠意だろうか。
没落貴族の娘は、生活のために武器を取ってきた。
それが間違ったことだとは思わないが、ときには、誇りのために戦う馬鹿がいても良いかもしれない。
「付き合うのも、悪くはありませんから」
とは、口には出さぬ言葉である。
ウィリアムも無言のまま横に並んだ。
瞳に怒りの炎を燃やして。
リフィーナに対して憎悪を抱いているのは明白だった。
当然のことだ。
我が身を虎に与えた異国の聖者ではあるまいし、いきなり撃たれてへらへら笑っていることなど、できるわけがない。
どれほど立派なことを主張しても、自分が被害者になればそんなものは吹き飛んでしまう。
それが人間というものだろう。
冷笑を浮かべる銃士。
どちらも何も言わなかったが、視線の刃で相手を切り刻んでいる。
「やめだやめだ。
くだらねぇ。
俺は関わらねーぜ」
唐突に吐き捨てたのは、リュアージュ・エスタシアである。
睨み合いの場から身を引く。
聖戦だかなんだか知らないが、人死などいつでもどんな戦場でも溢れている。
傭兵稼業の彼からみれば、戦場で人間の命ほど安いものはないのだ。
魔軍の侵攻では、たまたま非戦闘員も巻き込まれたというだけの話だ。
それだって別段珍しいことではない。
兵がどこかの村に雪崩れ込んで略奪と陵辱を繰り返す。
日常茶飯事だ。
そんなことにいちいち目くじらを立てていたら傭兵などやっていられない。
彼らに掲げるべき正義はない。
求めるべき理想もない。
ただ金のために戦っているだけだ
「アンタらの主義主張に興味はねーのさ。
俺は仕事をして報酬をもらう。
巨万の富だ。
邪魔して欲しくねーのが本音だな」
離れた位置へと移動する。
世界がどうなろうと、何万人が死のうと、リュアージュにとっては自分の成功の方が大切だ。
正直にいって竜だの魔族だの、話が大きすぎてついていけない。
殺し合うなら勝手にすればいい。
「とばっちりはごめんだ、というのは同意見だな」
フェイオも退く。
マーニ、ベガ、レスカ、ライゾウ、モウゼンの五人も続く。
ズーが非友好的な視線で騎士を一撫でした。
口に出しては何も言わなかったが、日和見めと思ったことは間違いない。
赤の騎士は、言い訳などしなかった。
そう思われても仕方がなかったから。
「私は、あちらにつこうか」
静かに宣言したダルマー・B・ディが、トーマスの元を離れてシャルヴィナの方へと移動する。
「貴公は、わかってくれると思っていたのだがな」
「すまんな。
私も仕事を優先しなくてはならん立場だ。
死者に対して同情していないわけではないのだが、な」
「その言葉だけで十分だ。
いままで楽しかった」
右手を差し出すトーマス。
握り返すダルマー。
恨みっこなしだ。
ミスティックは仕事を完遂するためにシャルヴィナの協力が不可欠だと判断した。
したがって彼女を守る。
魔力剣の男は復讐を遂げるためにマルドゥークを殺す。
したがってその邪魔をするシャルヴィナを倒す。
それぞれに目的があり、自分の責任において実行する。
剣と拳が交わり、どちらかが倒れるとしても、後悔はない。
「あなたはいかないの?」
所在なさげに立っていたレフィア・アーニスに、リフィーナが声をかけた。
返ってきた答えは、直接的なものではない。
「あたしはずっと後悔してたんだ。
あのとき、サンクンのとき、みんなを止められなかったこと。
無謀な逃走作戦、無謀な戦い、何百人も無駄に死なせちゃった。
あんな思いをするのは、もうたくさん」
だから、何度も抜け駆けしようとした。
彼女が迅速に成功させてしまえば、犠牲も損害も出ないから。
だが、すべては無に帰した。
もう事態を打開する方法はない。
あとは、自分の意志で行動するだけしか、残されていない。
「だったらさ。
せめて仇を取ってあげたいじゃない。
銀の獅子のみんなのさ」
レフィアも同じなのだ。
銀の獅子とは、彼女の古巣の傭兵団である。
彼らもまた聖戦を戦い、多くの犠牲を出した。
自ら望んで剣をとったのだから生き死にで誰を恨むつもりはないが、かといって仇を討つチャンスをわざわざ捨てる理由もない。
父と対立して飛び出した傭兵団。
「ま、しがらみってやつよね」
偽悪的な表現をする。
こうして、トーマスの傍らにはズー、リフィーナ、レフィア、ルゥが残り、シャルヴィナの側にはゼノーファ、ラティナ、ダルマー、ウィリアムが付いた。
奇しくも同数である。
その他のメンバー……フェイオ、マーニ、ベガ、モウゼン、リュアージュ、レスカ、ライゾウの七人は、対立には参加しなかった。
数の上だけならば、この陣営が一番多い。
だが、それを喜んだものなど、誰一人としていなかった。
「どうしてこんなことに……?」
マーニの嘆き。
いい質問だ、と、フェイオは思った。
ぜひ自分もその解答が知りたい、と。
しかし、答えはすでに出ているだろう。
あらゆる戦争がそうであるように、この対立もまた感情の産物だということだ。
「見てられないっすよぃ。
なんとか止める手だては……」
「あるいは、膿を出し切るまで終わらないのかも」
ベガの台詞に、レスカが自答のかたちで答えた。
戦争は終わった。
しばしばそのような表現が用いられる。
だが、当事者たちにとっては、終わってなどいない。
友を奪われた怒り、家族を殺された憎しみ、それが
「はいおしまい。これからは仲良くしましょうね」
などという一言で消えるはずがない。
「哀しいです……リフィーナさん……」
魔術師の少年が、ぽつりと呟いた。
モウゼンもまた、聖戦のときにアイリーンにいた。
幸い家族は無事だった。
魔法学校の同期生などは幾人も亡くなり、家族や友人を喪ったものも多い。
彼は友を失うこともなかった。
なぜなら当時、友人と呼べるような存在を持っていなかったから。
人付き合いが苦手なモウゼン。
ようやく、友といえる存在ができた。
しかし彼らは戦いへの道を、不毛な荒野への路を歩き出そうとしている。
年下の姉のようなリフィーナ。
街角で、いつもクロロと遊ばせてくれたズー。
手の届かないところにいってしまうのか。
「どうして……」
知らず、涙がこぼれ落ちる。
「理屈ではないのじゃよ」
少年の肩を、ライゾウが叩いた。
大切なものを奪われたとき、人は虚心ではいられない。
息子を殺された父親が、殺人犯となることを覚悟の上で、犯人を殺すように。
そして殺された犯人にもまた大切な存在がおり、その人たちが復讐を誓うように。
無限に続く復讐の連鎖。
誰かが断ち切らなくては、絶対に終わらない。
断ち切るとは、赦すこと。
ほとんどの人間にとって、それこそ竜の峰に登るより以上の難事だ。
「利口な者たちは身を退いたな。
残ったのは、そうでないものたちか」
冷たい笑みを浮かべるシャルヴィナ。
戦域から離れたもの、自分の元にきたもの、トーマスの側に付いたもの。
それらを等分に眺めやりながら。
「言いたいこともあろうが、もうすぐ日が沈む。
せめて今夜はゆっくり休むと良いだろう。
久闊を叙したいものもいるだろうしな。
寝床なら心配ない。
いくらでも空き家があるから、な」
郷を指さす。
火の消えたような、ゴーストタウンのような郷。
いま現在ここに居住しているのは、シャルヴィナとその夫。
彼女らの子供。そして竜王マルドゥークを祀る竜神官の老夫妻。
わずか五名。
他の者はすべて、郷を捨てるか戦没してしまった。
無言のまま踵を返すトーマス。
空き家のひとつへと歩を進める。
彼の元に残った、利口でない者たちとともに。
利口な者たちもまた、肩をすくめたり首を振ったりしながら歩み去っていった。
黙然と見送るダルマー。
この先に待つのは殺し合いだろうか。
それとも、対話による歩み寄りだろうか。
思いがよぎる。
「なるようにしか、なりませんわ」
慰撫するようにラティナが言った。
廃屋のひとつに身を寄せたフェイオたち不干渉陣営。
奇妙に白けた色の月が、窓から顔を覗かせている。
「どうしてこんなことに……」
ふたたび同じ言葉を発するマーニ。
秀麗な顔からは苦渋が滲み出していた。
聖戦の爪痕の深さ。
恨みの大きさ。
それは、復讐という形で発露しなくてはいけないものなのだろうか。
忘れない、ということならば語り継ぐべきだろう。
ありのままの事実を。
二度と、同じ過ちを繰り返さぬために。
復讐など、憎しみの連鎖を産むだけなのに。
殺し、殺され。
奪い、奪われ。
いつまでも変わらないではないか。
ルーンの教義ではないが、アイリーンの教えでは「できぬ堪忍するが堪忍」という。
普通に許せることを許すのは、許すとはいわない。
とうてい、どうあっても、絶対に許せないことを許すから、許すというのだ。
「なのに……人は……」
「マーニ姐さんたちみたいに、気長に待てないんすよぃ」
膝を抱えて座ったベガ。
呟くように言う。
マーニたちエルフは人間よりずっと長い寿命を持つ。
いわゆる長命種なのだ。
竜に次ぐほどの刻を生きる。
だから、時が解決するという表現そのままに、物事をじっくり考えることができる。
人間には、それほどの時間はない。
魔導の技を用いて寿命を延ばしても、せいぜいが一〇〇年。
現在のマーニの年齢にすら届かないのである。
成熟に差が出るのは仕方がない。
と、ベガは言っているのだ。
やや寂しげな表情を、金髪の僧侶が浮かべた。
人と交わって暮らせば、降る時の長さの違いに苦しむことになる。
エルフの集落を出る時、長老たちに言われたことだ。
短い生の中で血を流し合う人間。
それはたしかにマーニの理解を超えている。
だが、ベガやフェイオやライゾウなどはサンクンをともに生き延び、生きることの大切さを共有し合ったと思っていた。
「あたいは、本当は復讐を肯定するんすよ……」
「ベガさま……」
「あたいの仲間も、あの戦いでたくさん死んだんすよ」
その仇を取ってやりたい気持ちは、たしかに存在する。
だが同時に、トーマスにしてもシャルヴィナにしても、自分の敵う相手ではないと判断してしまうのだ。
シャープな現実感覚が身上のシーフとしては、勝ち目のない戦いを挑む気にはなれない。
中立を宣言した理由である。
それに、木蘭からの依頼をこなさなくてはならないから。
そんなに依頼が大切かとズーが言ったが、大切なのだ。
少なくとも彼女にとっては。
シーフに社会的信用などまったくない。
そんな彼女を常勝将軍は信頼して仕事を与えてくれた。
その知遇には是が非でも応えなくてはならない。
仕事を完璧にこなせない盗賊など、だれが信用するというのか。
プロフェッショナルとしての意地であり、プライドだ。
「そんな難しく考えることでもないと思うけどね」
「そーそー
巻き込まれたらバカみるだけだって」
レスカとリュアージュの言葉。
戦う意義も、理想の意味も、考えたことのない二人である。
前者は戦闘と暗殺の専門家として育成され、善悪理非についての教育が不足していたため。
後者は戦場で時を過ごすうち、死を多く見過ぎて精神を摩耗させた結果として。
「フェイオ殿は、どうしてズー殿とともに行かなかったのじゃ?」
ふと心づいて、ライゾウが訊ねた。
赤の騎士と赤の兵士の立場は、ほぼ同じはずだ。
ライゾウのように聖戦当時アイリーンにいなかったというわけではない。
「俺が受けた命令は、見届けること。
それ以上の権限は与えられていないからだ」
淡々とした返答。
それこそが苦渋の証だろうか。
ズーのように行動するには、ナイトの称号は重い足枷だった。
「儂も、木蘭さまの信頼を裏切ることはできんのじゃ。
これ以上失点したら、本当にクビになってしまうかもしれんからの」
「保身、ですか?」
モウゼンが、言葉に険をこめた。
すべてを捨ててでも復讐を遂げようとするリフィーナやルゥの方が潔く見える。
そして、彼女らの方へと駆け出せなかった自分が情けなくなる。
竜への憧れが、力への渇望が勝ってしまった。
マルドゥークに会って、本当のことを聞きたいと願ってしまった。
「いっそ、木蘭さまをここにお連れしてはいかがでしょうか?」
やや唐突に、マーニが提案した。
自分で決断できない時は、決断できる人間の判断に従った方が良い、ということだろうか?
「どうやって?
これからアイリーンまで戻るのか?」
当然の質問をするフェイオ。
そんなことをしている時間はない。
レスカとマーニが視線を合わせ、頷き合う。
彼女らは切り札を持っている。
いまこそ、使うべきときかもしれない。
懐から紙を出す僧侶。
「転移魔法陣ですかっ!?」
モウゼンが目を見張った。
それがあれば王都アイリーンと竜の郷との距離をゼロにすることができる。
「夜の間でしたらご公務には差し支えないでしょうし……」
「誰かが行って、木蘭さまを連れてくるってことっすかぃ?」
「ええ。
それしかないと思いますの」
光明が見えた、ような気がして、リュアージュが大きく頷く。
もしシャルヴィナとトーマスが暴れたとしても、かの常勝将軍ならば、十分に自分たちを守ってくれるだろう。
「気に掛かることはありますが……私も賛成します……」
モウゼンが言った。
転移魔法は魔力の消費が大きい。
それだけ魔力感知に引っかかりやすいということだ。
周囲に敵がいるなら呼び寄せることになってしまうかもしれないと思ったのだが、周りはもとより敵だらけである。
いまさら心配するようなことではないだろう。
そう考えて口に出さなかった。
そのことを少年が後悔するまで、さほど多くの時は必要ではなかった。
「存外バカだな。
私に付いても何の益もないぞ」
「生まれつきバカだからさ。
そう簡単には治んないよ」
シャルヴィナの言葉に、ゼノーファが笑みを返した。
「そうでもありませんわ。
あなたさまがわたくしたちを招き入れたのは、理由があってのことでしょう?」
「だろうな。
トーマスは冒険者を連れてくる理由があったかもしれないが、貴殿には存在しないからな」
核心を突くラティナとダルマー。
ゼノーファや、リフィーナに撃たれたウィリアムはともかくとして、彼らがシャルヴィナに味方する根拠は薄い。
味方したのは、ある程度は打算に基づいてのことである。
それが今の言葉に集約されている。
「べつにたいした理由ではない。
マルドゥークさまの最後、人間たちが看取るのが相応しかろう。
それだけの話だ」
あの方はいつでも人間を愛していらしたのだからな、とつけ加える。
さりげない物言い。
爆弾を投下されたことに冒険者が気づいたのは、一瞬遅れてのことだった。
「竜王が……」
「死ぬ!?」
「命あるものはいつしか死ぬ。
形あるものはいつか壊れる。
当然のことだ」
「こいつは傑作だっ!
あの馬鹿どもは飛んだ無駄足だなっ!」
笑い出すウィリアム。
復讐に猛り狂う低脳ども。
待っていれば願いは叶うのに、わざわざ戦おうとするとは。
愚劣さもここまでくれば、いっそ見事だ。
「そんなに面白いかい?」
氷点下の声でゼノーファが呟く。
右手に灯る魔力光。
「君の、したり顔の現実論にはうんざりだよ。
二度とその口を開けないようにしてやろうか?」
瞳に炎が燃えている。
リフィーナは死を賭してシャルヴィナと戦うことを選択した。
ゼノーファとは敵味方に分かれてしまったが、その決意を蔑むつもりはない。
蔑むことも許さない。
「まあまあゼノーファさま。
味方なのですから。
いまは」
「ああ。
いまのところはな」
魔法使いをなだめる武闘家ふたり。
だが、もう一人の仲間を見る瞳には、嫌悪の色が宿っていた。
ぱちぱちと、薪が爆ぜ割れる。
初夏とはいえ、夜は暖を取らなくてはならぬほど冷え込む竜の郷。
作物もろくに育つまい、と、レフィアは思った。
こんな山間部に逼塞させられていた竜騎士と竜の民たちに対して、同情めいた感情がわき上がる。
彼らは、ここから世界に飛び出そうとした。
魔軍に与したことは、けっして許されることではないが、彼らは彼らとして必死だったのだろう。
首を振る。
「余計なことを考えちゃダメ。
剣が鈍る」
声には出さず呟く。
戦うことを選んだ以上、考えることは勝利する方法しかないはずだ。
「どうした?
レフィア」
横に座ったリフィーナが声をかけ、コップを差し出す。
短く礼を言い、受け取る少女。
「なんでもないよ」
説得力のない言葉。
「そうか」
だが、リフィーナもそれ以上は訊ねなかった。
人それぞれ、心に秘めた思いは異なる。
「ルゥは、まだ思い悩んでいる」
やや唐突に話題を変える。
「当然だよ。
あたしだって同じだもん」
聖戦から二年と少し。
ようやく心の傷も癒えてきたところに、シャルヴィナの登場である。
復讐したい、というより本当は忘れさせて欲しかった。
それが一番幸福だったのに。
思い出してしまった。
あの地獄を。
絶対に許さないという思いを。
「俺はシャルヴィナ・ヴァナディースを捕らえて王都に連行するか、ここで斬り捨てる。
それがアイリン軍人としての責務だ」
口を挟んだズー。
言ってから、唇をゆがめる。
「というのが建前だな。
あいつを倒さないと、気が治まらないんだ」
「ああ。
その通りだ」
こくりと頷くリフィーナ。
家族四人の幸福な生活を奪われた。
両親は殺され、妹は借金のかたに連れ去られ、彼女は復讐者たるを身に課した。
サンクン会戦の前夜に妹の無事が確認され、生きる場所を見つけていることを知ったが、それは結果論に過ぎない。
何事もなければ、いまでも家族は一緒だったはずなのだから。
「私も、戦いは嫌いだけど……」
廃屋の中から、ルゥが出てくる。
トーマスの肩を借りながら。
極度の緊張と興奮のため、体調を崩していたのだ。
「無理をするなよ?」
「大丈夫……じゃないけど、大丈夫です……」
間延びした普段の様子はない。
それだけ余裕を失っているということなのだろう。
「いま、大きな魔力の発動を感じました……」
横になっていても感知できるほどの魔力。
だが、郷の中に変わった様子はない。
となれば、転移魔法だろうか。
シャルヴィナ側か、不干渉陣営か。
どちらかが味方を呼び寄せたのかもしれない。
現在のところ、三つに分かれた陣営の力は拮抗している。
人数的にも戦力的にも。このまま戦えば共倒れになるだけだ。
だからこそシャルヴィナは休息を提案し、トーマスもそれを受け入れた。
この状況を打開するために助っ人を呼ぶ。
ありそうな話である。
「でも、そんなことをしたら泥沼になるだけだよ」
暗澹たる思いで、レフィアが口を開いた。
サンクンのときと同じだ。
どんどん状況が悪くなり、退っ引きならなくなってゆく。
シャルヴィナ陣営でも不干渉陣営でもいいが援軍を呼んだとすると、もう一方も戦力を強化するために何かしなくてはならない。
そうしなくては、一方的に打ち倒されるだけだから。
無抵抗主義を貫くのでなければ、
「俺たちも味方を呼び寄せるか」
トーマスの言葉。
当然の提案だ。
「いや、もうすこし様子を見た方が良いと思う」
慎重に言うズー。
ルゥが感知した魔力が転移魔法とは限らない。
状況が確認できるまで軽挙するべきではないだろう。
こちらから口実を作ってやる必要はない。
「悠長にかまえていて手遅れになったときが怖いが、たしかにズーの言うとおりだ。
ここは様子見だな」
総括するようにリフィーナが言った。
この段階で、彼らの考えは正しい。
ただ、彼ら自身が正しくとも、周囲が誤っていれば状況は悪くなる。
歴史上、いくらでも例のあることだ。
今回もまた多数例に倣うのだということに、リフィーナもズーも、まだ気が付いていない。
自国を焦土にすることが目的で戦争を始めるものなどいない。
土地に呪いをかけることが目的で魔法研究所を建てるものなどいない。
こんなはずではなかった。
良かれと思っていた。
それが失敗者の言い訳だ。
悪しかれと思って行動する人間など、いるはずがないのに。
マーニたち不干渉陣営が取った行動も、結論かいえばこの例に属するものになる。
ベガが黒髪の女将軍を連れて戻ったことで、事態は一気に深刻化した。
二度にわたる転移魔法の発動が、シャルヴィナ陣営とトーマス陣営双方の疑惑を誘ったのである。
それだけなら良かったが、より困難な状況が口を開けて待っていた。
「話はベガから聞いた。
たしかにここで争っていては、仕事のこなしようがないな」
開口一番、女将軍の台詞である。
怒っているようには見えなかった。
モウゼンとライゾウが、ほっと胸をなで下ろす。
このような状態で助けを求めたのだから、面罵されても仕方がないと思っていたのだ。
「さしあたり竜神官に接触して、峰へと入る方法を聞き出すのが先決だな。
アリスとトーマスとやらについては、わたしが何とかしてみよう。
感情的な解決はできないだろうがな」
自信に満ちた木蘭の言葉にフェイオが頷いた。
対立を解決するのは不可能だが、女将軍が出て行けば双方矛を収めるだろう。
人格やカリスマがどうこうという次元の話ではなく、彼女はアイリン王国軍一〇〇万を統括する大将軍だからだ。
木蘭の説得に応じないということは、アイリン王国と敵対するということと同義である。
国家の権威などくそくらえと思っているリュアージュですら、そんな事態は避けたい。
勝ち目などないから。
絶対に、という形容詞をつけてもいいくらいである。
「でも、それで解決になるでしょうか?」
控えめに、レスカが疑問を呈した。
きちんとした丁寧語だ。
さすがに常勝将軍に対して、なめた口はきけない。
ただ、彼女の言うことは真理の一端を突いている。
シャルヴィナにしろトーマスにしろ、木蘭の武威に従うのであって、納得して引き下がるわけではない。
次の機会をうかがう、ということにでもなれば、根本的な解決からは程遠い。
「本来、そう複雑な仕事ではなかったはずだがな。
どうしてこんな事になってしまったことやら」
困った顔で頭を掻き、持参した包みをマーニに手渡す木蘭。
「これが……」
「竜剣ジャスティス。
マルドゥークの恋人たるバハムートが姿を変えたものだ。
これを金色の竜王に渡してくれ」
「たしかに、お預かりします」
恭しく押し頂く僧侶。
戦士であるフェイオやライゾウに渡さなかったところに、将軍の配慮を感じた。
いまジャスティスは、振るわれるために存在するのではない。
余命幾ばくもないマルドゥークとともに瞑るため、ここに運ばれたのだ。
それでいい。
理性以外のもので納得するマーニ。
だが、
「それでは、剣の役割は果たさぬ事になる。
白銀の竜王よ」
響き渡る声。
「きゃっ!?」
強い力で弾き飛ばされ、二度三度と床に接吻しながらマーニが壁に叩きつけられる。
手から零れたジャスティス。
白い手が拾い上げる。
あまりにも唐突すぎる出来事に、常勝将軍すら一歩も動けなかった。
冒険者たちの至近に現れた三人の人影。
眩しいほどの金の髪。
深淵よりもなお黒い髪。
炎のような赤い髪。
「……人間ではないな。
そなたら」
木蘭の問いかけ。
彼女に気配を感じさせず行動するなど、超一流の隠密でも不可能だ。
人の身であるなら。
さっと戦闘態勢をとる冒険者。
駈け寄ったモウゼンが、マーニを助け起こす。
「大丈夫ですか?」
「なんとか……」
答えつつも、僧侶の左腕はありえない方向に曲がってる。
一撃で骨折させられたのだ。
「初対面ではないはずじゃぞ。
花木蘭。
アイリーンの写し子よ」
金の髪の女が笑う。
「マルドゥーク……?
ばかな……」
「老人の姿でないことが不思議か?
人界最高の智将とやらの知恵はその程度か」
嘲笑。
竜族が人の姿を取る。
それは変身魔法によってである。
したがって、どんな姿になるのも術者の意思による。
迂闊といえば迂闊な話だ。
「そのマルドゥークが、なぜ剣を奪う?
黙って待っていれば届けに行ったものを」
怒りに満ちたフェイオの声。
右手には、すでに抜き払われた長剣。
ライゾウとレスカも身構え、リュアージュも弓に矢をつがえている。
「人間風情に届けて貰おうとは思わんよ」
黒髪の男がせせら笑った。
「そもそも、貴様らが神域に入ろうなどというのがおこがましいわ」
赤毛の男も言う。
マルドゥークの左右に控えているところを見ると、彼女の部下なのだろうか。
「せめて名乗ったらどうだ?
赤ちゃんと黒ちゃんとか、適当な愛称で呼んで欲しくないならな」
軽口を叩く木蘭。
外見ほどに余裕があるわけではない。
まともに考えて、三頭の竜と対峙しているのだ。
「黒竜王ティアマト」
「赤竜王ナース」
「そして、金竜王マルドゥークじゃ。
銀竜王の力を得、我らはいまこそ世界に覇を唱えよう」
マルドゥークが一歩踏み出す。
威圧感に、二歩三歩と後退する冒険者。
竜族の長たちは何を言っているのだ?
覇を唱える?
もう一度、世界を変える戦いを起こすというのか。
「ふざけるなっ!」
リュアージュが矢を放つ。
得意の連射だが、三本の矢は竜王に届かなかった。
力無く床に落ちる。
黒竜の力、重力干渉である。
「脆弱すぎる人間よ。
滅びよ」
圧倒的な力の解放。
冒険者たちの眼前に展開されたのは業火よりもなお紅い炎の壁であった。
自分が骨まで燃やし尽くされる様を、冒険者たちが幻視する。
「くっ!」
咄嗟に女神アイリーンの力を使用した木蘭。
フェイオたち七人を柔らかな光の繭が包んだ。
巨大な炎の塊となって燃え落ちる家。
「木蘭さまっ!?」
金色に変わった女将軍の髪を、ベガが見とがめた。
「はやく逃げろ。
長くは保たないぞ」
秀麗な顔。
薄紅の唇から紅い流れが滴る。
人の身に神を降ろす。
それは女将軍の身体を蝕んできた力。
彼女の肉体がすでに限界に達していることを、幾人かの友人が知っている。
「なんだっ!?」
「何事だっ!?」
異変を察知したシャルヴィナとトーマスが、それぞれの陣営とともに戦域に突入した。
暁闇。
夜明け前の、最も闇が深まる刻。
それを超えなくては、黎明は訪れない。
赤々と燃える炎
冒険者たちと竜族の長の顔を照らし出していた。
■登場NPC
◎アリス/女/20代
本名シャルヴィナ・ヴァナディース。
護り手の聖戦と呼ばれる一連の戦いで、竜騎士ウィリアム・クライヴの副将として世界を相手に闘った女。
その肉体は星竜に憑依されており、徐々に竜化が進行している。
◎トーマス/男/20代
本名トーマス・クライヴ。
最後の竜騎士ウィリアム・クライヴの実弟。
魔王ザッガリアの元に走った兄を軽蔑しており、竜に対して深い憎悪を抱いている。
◎マルドゥーク/女/1万歳以上?
金色の竜王。竜族の長。
余命幾ばくもない、はず。
◎ティアマト/男/?
漆黒の竜王。黒竜族の長。
◎ナース/男/?
深紅の竜王。赤竜族の長。
◎花木蘭 /女 /33歳
常勝将軍。花男爵家当主。国内最大の貴族で、最も人気のある将帥。
■次回予告
牙を剥く竜王マルドゥーク。
人間を愛し、人間に味方し続けた彼女が何故?
どうして魔王に与した黒竜と赤竜の長まで、マルドゥークとともにいる?
ジャスティスの言葉、愛した女の最期を看取りたい。
あれは嘘だったのか?
本気で世界の覇権を握るつもりなのか?
渦を巻く疑問。
否応なく巻き込まれてゆく冒険者たち。
「何故……?」
立ちすくむシャルヴィナの耳に届く、人間には聞こえず、また理解することも叶わぬ声。
「魔王は滅びた、じゃが竜の長たちは生きている。
責任を取らねばなるまいよ。
長として、力もつものとして。まあ、けじめじゃな」
聖なる戦いの伝説は、いま終焉を迎える。
※次回行動への指針※
■次回の行動(目安です)
1 竜と戦う
2 竜を守る
3 手も足も出ないので逃げ出す(リタイア)
4 その他
■アンケート
Q1 誰がために戦う?
Q2 誰がために生き、誰がために死ぬ?