007、パン焼場の聖母
辿り着いた焼場は巨大で、現在、十口以上は焚き火が炊かれており、大きな釜が設置され、内側に丸いパンを貼り付ける作業をしている人たちがいる。
あれだ。ナンみたいなやつだ。
パンには詳しくないので、それ以上は分からない。ただ、我が家で食べるパンは、あれの古くなったやつとしか。
原料は全粒粉か豆粉だと思うけど、風味なんか飛んでいるし、イースト菌は仕事してないし、むしろ無発酵だと思われ、水でふやかさないと食べれないくらい硬質な代物だ。
忍者食じゃないんだからさ……。
今作っているあのパンたちは焼き立てだから、美味しいだろうな。
きっと、どこかの店の商品だ。
共同釜を借りて大量にパンを作り、商店で売り出すという話を、これまたジャーナル紙を拾った時に読んだ記憶がある。
売り出されたやつを直ぐ買えば、焼き立てで美味しいかもしれないのに、うちの親父みたいにその日その場で適当に買ってくると、古いパンを掴まされる。
まったくあの親父はろくなことをしないと文句が出てくるが、今はそんな事に構っている暇もない。
忙しなく動く人たちの合間を縫って、目的の人物を探す。
「えーと、貴女がマリアさんで、よろしいでしょうか?」
釜場の隅の、ちょっと良い椅子に腰掛け、腕の中の赤ちゃんをあやしている赤毛の女性に声をかけた。
「ええ、そうよ。あら?」
返事をしてくれた彼女の名前はマリア。
商家の三女で、焼場管理人の亭主を持つ22歳。今日は釜場主任に挨拶するため、亭主の職場に同伴出勤中。
優秀な【飲食探知】は地図との連動はもちろん、フラグの上に台詞枠型のポップアップが出て、彼女のプロフィールや現状、代乳を了承してくれるかの確率まで表示されている。
それによると、彼女の確率は『条件により100%』と出ている。さすが、おすすめ。
しかし条件とは何だろう。
vol.4『人に会ってみよう!』のリストにもある人物だし、友好的にしておいた方が良いよね。
『人に会ってみよう!』
(父母は次回よりカウント)
□母カスリーヌ・タイショー
□父カシオラス・タイショー
□マリア
□アウロ
□ケミス
□レオノス
□ゼンダ
□ラグバルド
□ミア
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次回とは。
カス母になんか二度と会いたくないのに、ポイント貰えるなら会いたいと思ってしまうじゃないか。
一先ず、マリアさんに会って1ポイントゲット。自己紹介するぞ。
「私はエアリーと申します。弟はユリシス。母親が逃げたので、ユリシスに母乳をあげてくれる人を探しています」
「え、そうなの?……ふむふむ、なるほど、そういうことで私を探していらしたのね。知っていると思うけど私はマリア。この子はアウロよ」
マリアさんは何も無い空中に話しかけ、何故か納得し、私と弟の方へ、視線を合わせ自己紹介を返してくれた。
彼女の瞳は火色に輝き、何か不思議な力を湛えているように見える。
「火の精霊に聞いたの。貴女も精霊と繋がりを持つ者だと。私で良ければ協力するわ。ただ、少し条件をつけるけど。いいかしら?」
きた、条件。
精霊とか謎の単語が出たが、それ以上に条件という言葉の方が、私の心臓を賑わすのに忙しい。
「はい、条件……お金は無いので、それ以外で、労働とか、あ、でも私まだ五歳だからお手伝い程度ですが、でも、頑張りますので、ユリシスにお乳をあげて……っ」
「ふふ、焦らなくても大丈夫。緊張しちゃったのね。弟思いのお姉ちゃん、私、そんなに怖い人に見える?」
そう言って微笑むマリアさんは聖母の如しだ。
「いいえ、すごく良い人に見えます。だからといって、何も対価なしに、その子のご飯を奪うことは出来ません」
と、マリアさんの腕の中で眠そうにしている赤ちゃんを見る。満足ゆくまで母乳を飲んで、火の傍にいることもあって眠いのだろう。今直ぐにでも瞼が閉じそう。
「凄くしっかりした子ねえ、本当に五歳?」
目を丸くしたマリアさんは、火の精霊からまた何か言葉を貰ったみたいで、「ふーん、そういうこともあるのねえ」なんて頷いている。
私の素性がバレたのかもしれない。
ドキドキと心臓を鳴らしながら、待つ。
「条件はねえ、その、赤ちゃんを抱っこしているもので。それ、便利そうよね。抱っこしたまま両手が空くもの。そんな物があるなんて知らなかったわ。
それがどこに売っているかの情報と交換条件で、いかがかしら?」
「え……抱っこ紐ですか。あ、このタイプで良ければ、また作ります。後日、作って来ますので、」
「んんん? ちょっと待って、まさかそれ、手作りなの?」
「はい、私(の魔法でパンダ神)が作りました」
「うっそ、すごーい……」
口をあんぐりと空けて私を見つめるマリアさん。表情豊かな人だなあ。
「あーでも、見た目通りの五歳児じゃあ、ないのよね」
やっぱりバレてますやん。ちょっと火の精霊とやら、口が軽くないかな?
「ううん、それでも、すごい技術だわ。縫い目の揃い方が綺麗すぎる。私の知ってる針子でも、ここまで綺麗にできないわよ。もしかして貴女、前世では神針子だったの? だったら……その服も、帽子も、靴下も、手作りなのかしら?」
そうですと答えながらも、これらベビー用品はパンダ神が作ったから、まさに神業なんだなと、ちょっと遠い目をする。
「すごいわ! 全部欲しいけど、交換条件にしたら足が出るわね。私の方が沢山いただいちゃうもの」
「そんなことないと思いますが……毎日、ユリシスにもお乳をとなると大変です。私としましては、母乳をいただく度に何か手作りのものでお支払いするというのが、お互いの為、好条件だと思います」
「……五歳児が大人なこと言ってると違和感だらけよね」
「……肝に銘じておきます」
BBAが五歳児を演じるなんて出来やしないので、改善はしませんが。と心中で付け足す。
条件を詰めている内に、ユリシスがぐずり出した。
お腹すいたのかな。そういえば、朝にあげたきりだ。
「ユリシスくんだっけ。おいで、おいしいご飯ですよ~」
見かねたマリアさんが胸をはだけ、ユリシスに授乳してくれた。ありがてえ。
私はマリアさんの赤ちゃん、アウロくんを抱っこし、ゆらゆらと揺らす。さっきまで眠そうにしていた子だ。
秒で寝た。
そっと、近くにあったベビーベッドに寝かす。木材で作られた、しっかりとしたベッドだ。わざわざここに運んだっぽいな。
それにしても……。
おっきな胸を晒して母乳を与えるマリアさんは本当に聖母の如しだ。神々しくて目を開けていられないはずの尊き姿のはずだが、周りの男どものいやらしい視線が気になる。
パンを貼り付ける手が止まってんぞ。
あいつら、神聖なる母の姿を何だと心得てやがる。
どいつもこいつも、でれっと鼻の下を伸ばしてみっともない。
イラッとした私は【育児収納】から授乳ケープを取り出し、マリアさんをユリシスごと包んだ。
「あら、まあ~これはまた丁寧な品物を……これも手作りかしら? もう驚かないわよ。エアリーちゃんは育児用品のビックリ箱なんだから」
なんすかそのビックリ箱て。
マリアさんが慈母の笑みを湛えながらボケるので、私は私で心の中でツッコミをしまくっていた。
こうしてマリアさんの豊満なお胸が隠れたからか、周りの視線は気にならなくなり、ユリシスも満足ゆくまで母乳を貰えたのだった。
めでたしめでたし。
じゃないな。授乳ケープって、売ってないとみた。
もしや授乳クッションもだろうか?
マリアさんに聞いてみたところ、肘の下に適当なクッションをおくことはあるが、私が今説明したような物は見たことが無いと言う。
私が説明した授乳クッションは、三日月の形をした抱き枕で、端っこを結べば円座になり、赤ちゃんを座らせておくこともできるという便利な物だ。
ならば、お試しということで、実際にユリシスを抱っこする腕と膝の間にクッションを挟む。そして、クッションの端っこと端っこを背後に回し、腰辺りで結んで、駄目押しに木製釦で留める。これで外れないだろう。
そうすると、赤ちゃんはクッションに寝そべった格好になり、ほんの少し背中を手で支えてやれば、あとは勝手に乳を吸うという。
「んまあぁぁ! すごい楽よ! 腕が痛くない引き攣らない……!」
快適に授乳できるようになったようで、何よりだ。