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その夜は、明日から一か月間の研修に参加する仲野一花のために、壮行会が開かれていた。
「この研修に参加するのは将来有望な若手社員ばかりだ。仲野さんには我が営業第一部の……」
と激励する部長の隣で、聞いているのかいないのか、無表情で微動だにしない一花。
一花は一般的な「美人」ではないが、意志の強そうな切れ長の眼とまっすぐ通った鼻筋のおかげで、人の印象に残る容貌をしていた。
そして、目力が強い一花が無表情でいると、不機嫌そうにも見えるのが常だった。
そんな一花を遠目に眺めながら、同僚の男性二人が声をひそめて話していた。
「将来有望とか言われてもさ、おれなら、ごめんだな。毎年研修でつぶれる奴がいるって」
「ついていけない奴は、だろ。彼女はデキが違うから」
「まあね。でも、一か月も山奥に軟禁状態だろ。おれ、そこまで出世欲ないし」
「恋人にも会えないしなぁ」
「仲野さん、いま彼氏いないのかな?」
「開発の課長とは、別れたって聞いたけど」
「だよな。で、その前は、取引先の社長と付き合ってただろ。オジサンキラーってやつ?」
「そうじゃないよ。彼女みたいな凍てつく女は、おれらみたいなゆるーい若者の手には負えないんだよ。経験豊かなデキるオジサンじゃないと」
「お、その言い方、なんかヤラシイな……」
「先輩、部長がこっち、にらんでますよ」
すっかり会話に夢中の二人に耳打ちしてきたのは、入社三年目の西山湊人だった。
湊人は、背が高く肩幅の広い均整のとれた体つき、そして端正な中にもどこか愛嬌のある顔立ちをした青年だった。
いわゆる正統派の美男子である湊人は、当然、女性社員から絶大な人気を誇っていたが、入社以来、特に浮いた噂もなく、みんなのアイドル的存在として尊ばれていた。
そして今日も、誰が彼の近くに座るのか、密かな争いが繰り広げられていた。
湊人の言葉に、先輩二人はあわてて前を向いて姿勢を正した。
しかし、機嫌よく話を続けている部長を見て、騙されたとばかりに湊人をにらみつけた。
すると、湊人は悪びれる様子もなく、いたずらっぽく笑ってみせた。
◆
部長の長い激励の言葉に続き、一花のあっさりとした決意表明が終わると、早速、席の移動が始まり、場は一気に騒がしくなった。
しかし、この会の主役であるはずの一花は、ひとり黙々とお酒を飲み、運ばれてくるそばから料理を平らげていた。
一花は、普段から口数が少なく、職場でもひとりでいることが多かった。喜怒哀楽なく淡々と仕事をこなす姿に、仕事はできるが冷淡な女性だと、同僚たちから敬遠されていた。
ひと回りして戻ってきた部長は、そんな一花の様子を見て呆れたように首を振った。
「仲野さんは少し楽しそうにした方がいいな」
「……はい」
「君さ、一流大学でてるし、頭はいいかもしれないけど、それだけじゃだめだよ。なんていうかな、人間、愛想が大事なんだよ。愛想がないと、本当にいい仕事はできないぞ」
「……」
やっぱり壮行会なんて断ればよかった、と一花は猛烈に後悔した。
エライ人は何かと人を諭したがる。
大多数の同僚がそうであるように、気に入らないなら放っておいてくれればいいのに。
いっそう冷たく固い表情で不機嫌さを隠さない一花とは裏腹に、少し離れたテーブルでは同僚たちが大いに盛り上がっている。
その中心には、心から楽しそうに笑う湊人がいた。
一花の願いは届くはずもなく、部長はさらに続けた。
「どういう人間が出世するか、仲野さんは知ってるか?」
「いえ…」
部長は無遠慮に湊人を指さして言った。
「西山を見てみろ。いつも周りに人がいるだろ。ああいうやつが一番出世するんだ」
確かに、湊人は、容姿の端麗さに加えて明るく素直な性格で、年齢性別問わず誰からも好かれており、いつも場の中心にいる。
一花とは真逆のタイプの人間だ。
しかし、ほんと、どうでもいい話で、退屈だ。
あからさまにつまらなそうな顔の一花に、部長は眉をひそめて言った。
「ほら、そういうところだよ、君の悪いところ。いつも冷めてるだろ。ほら、笑顔、笑顔。まあ、いずれ、わかるだろうが……」
一花は、うかつに部長の説教スイッチを押してしまった自分を責めた。
こうなったら、トイレにでも立つふりをして逃れよう。
「君は女性だし、いまは黙っていても周りが助けてくれるだろ? でも、それは若いうちだけなんだぞ」
一花は、ビールの入ったコップをテーブルにドンと置いた。
「なんだ、仲野さん?」
「部長、おれの話ですか? まさか悪口じゃないですよね!?」
一花の頭上から、突然、降り注がれた声。
声の主を見上げると、いつの間にか、ビール瓶片手にほんのり顔を火照らせた湊人がすぐそばに立っていた。
あろうことか平社員である湊人に絡まれてしまった部長は、いかにも困ったという風に笑った。
しかし、湊人のそんな不遜な態度でさえ、かえって部長が好ましく思っているのは、誰もが知るところだった。
「なんだ西山は、もう酔っ払ってるのか。情けないな。ここに座れ!」
湊人は上機嫌な様子で部長と一花の間に割り込み、部長がコップになみなみと注いだビールを一気に飲み干した。
「うま! もう一杯お願いしまぁす!」
空っぽのコップを部長に差し出す湊人。
部長はわざと眉をひそめて言った。
「お前は上司の扱いが荒いなぁ。誰だ、西山の指導員は。ちゃんと礼儀を教えたのか?」
入社一年目の社員には、先輩社員が指導役としてつくのが慣例だった。
当時の湊人の指導員は実は一花だったが、会話に参加したくない一花は無言でそっぽを向いた。
「部長、西山くんの指導員は仲野さんですよ」
さっきまで誰も近づいてこなかったのに、湊人が来た途端、一人、また一人と、一花たちのまわりに人が集まってきていた。
「なんだ、仲野さんなのか。指導員なら、ちゃんと……。こら、聞いてるのか?」
しれっとこの場からフェードアウトしようと腰を浮かせた一花を、部長は見逃さなかった。
湊人は酔っ払った調子で、部長の話を遮り、楽しそうに話し出した。
「そういえば、あの頃、仲野さんにしつこくせまったら、まずは礼儀を覚えろって叱られたなぁ」
「え~! 湊人がせまった?」
「さすが仲野さん、湊人相手でもブレない!」
湊人の爆弾発言に、場がどっと沸き、部長は苦笑いをして口を閉じた。
自分がネタにされたことで、一花はいよいよ我慢ならなくなった。
無邪気に笑いかけてくる湊人をにらみつけ立ち上がると、無言で席を離れた。
そんな一花を見て、部長は「やれやれ」というように首を振った。