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作者: 中林 万穂子

「僕、テレビでも、スポーツでも、人が苦しんで頑張っているのを見て、いいねって言う人って本当に嫌い」


 いつも私に同じ顔をしていたあなたがそれを言うか、と思いながら、あの時、頭の中は真っ白に染まっていった。そうか、と思ったから。この人は、彼のレールを守るのに精一杯なんだ、そしてこの人が守りたいレールの先にいる人物は、あたりまえだけど私ではなくて、でもこの人はきっと誰かのために、必死で私に暴言を吐くのだ、そう考えたら、これもきっと愛なんだとわかったから。愛を知らないと思っていた人の心の奥底には、マグマのような熱を込めた何かが、脈々と流れているとわかったから、私へのではないけれど、きっと遠い誰かに向けた、愛。心の中で、寂しいねって呟いた、苦しいねって。自分で創った声にならない呟きが心の中で今でも、彼と見つけた唯一の宝石みたいに、くるくると心の表皮をこする時がある。あの時、煉に返した言葉を、私は時々、自分に対してか誰に対してかわからないけれど呟いている。いつかどこかで読んだ漫画の台詞、こんなことしか言えない大人にはなりたくないって、はじめてあの漫画を読んだ10代のあの時は思っていた。


「頑張れ、負けるな」


 人生は勝ち負けじゃない。けれど、だからこそ、負けたなんて思ってほしくない、思いたくはない。選べない道もある、そんな道ばかりだ、自分で選んだ人生だなんて言える人は何かを勘違いしているのではないかとすら思う、人生なんて言葉は時としてきれいごとすぎて、ふざけないでほしいと思う、誰に対してかわからないけれど。あなたが語った人生を生きる誰かの毎日は声にすらならない一生分の深さで刻み込まれたような痛みに似た感情を杖にして紡いだものかもしれない、人生なんて言葉で語られるのはまっぴらごめんだけれど、それくらいの軽さでしか生きることと向き合えないのが、現代社会の常かもしれないけれど、考えたくもない。けれどその人生のなかで、あなたが灯し続けてきたあなたの希望のあかりを、そのあかりの色を、私はきっと人生の最期まで愛し続けるだろう。


 上手くいかないことは人生だというような仕方で何歳になってもこなれない出かける準備をして、無理やりにでも身体を動かすことが人生なのだと言い聞かせるように玄関のドアを開けようとして、身体が動かなくなった。あぁ、だめだと思う。理解はされない、わがままかもしれない、でも自分が壊れそうなとき、自分を守れるのは自分だけだ。アルバイト先に欠勤の連絡をして、埋め合わせを探し当てるようにノートを広げ、ペンを握る。



 暖房が壊れた真冬の部屋で本を読むと何か特別な修行をしているのではないかと思うことがあって、刻まれた言葉の暖かさがじっくりと掌から伝わるその感覚が、私はとてもすきだ。そんな私の格別の時間を、煉はいつも歪んだ現象の治療者のような眼差しをもって見つめていた。


「ねぇ、渚、暖房使いなよ、風邪ひくよ」


「うん、でもさ、つかないからさ、それがエアコンさんの意見なんだよ」


「ごめん、何言ってるかわからない、じゃあ修理をお願いすればいいじゃん」


「うん、でもエアコンだったり電化製品が使えなくなるのって、私本当によくあるから、なおったり、また壊れたりするの面倒くさくて」


「なんか、渚の生き方みたいだね」


 それは煉が私といるときの口癖だった。そう言うとき、煉はいつも嬉しそうに嗤った。煉は私の生き方がどうしようもなく間違っていると思っているらしくて、それはひどく彼を安心させるらしい。自分でも自分の生き方がへんてこなことをを否定しようとは思わない、でも煉のように、みんなみたいにふつうに生きれるとは到底思うことができない、けれどそれは嗤われなくてはならないことだろうか、その言葉と乾いた嗤い声を聞く度に、考えがまとまらない私に対して煉は大抵、たたみかけるようにこう言った。


「別にいいけどさ」


 その言葉を聞く度に、その度に、心の中の私は一段、もう一段と、心の海底に潜った。彼の、誰の、誰の手も届かない場所、そんな場所を探した、すぐ一つのこと、誰かのことだけで埋まってしまうこの心を彼からできる限り遠ざけるために。泳ぎ方も知らなければ、飛び方だって知らない、あなたをこの世界で生かしてあげると掴まれた掌はすぐ放されて踏みつけられる、へたくそでいい、うまくなくていい、ただこの掌をひとりで自由に動かして生きていける場所に私は行きたい、いつもそんなことを願った。


 前触れもなくふとした瞬間に訪れる、自信のじの字も見つからなくなったような軽い身体の感覚で、見つめた世界は、とてつもなく美しく見えて、なにもかも触れてはいけないものなんだと思える、ふつうの人のルーティンを反芻して一生懸命に頭の中で組み立ててなぞろうとする思考回路の無邪気さは二十歳を迎える少し前ころから底がつき始める、知らなくてもいいような大人への過程ばかりを学んでいく、失われた輝きは戻らない、戻らないから諦めたとしたら世を歩けなような姿になるからそれもできない、ここがどこでも明日がなんでもどうでもいいなんて考えるのは、この世界を生きる普通の人々に対してひどく失礼だけれど、じゃあ私は何のために生きているのだろうと問えば、学校の先生は面白がるように教えを諭す。笑い事じゃないんだよ。厚塗りした自分の声は自分の声なのか、もうやめて、もういい、それでも今は今であり続けて、それがあとどのくらい続くかなんて考えたくなくても考えてしまう。


 指先で何気なく、壁をなぞってみた。部屋に閉じこもったままでは、私は外の世界を知らないままだ。もしかしたら、四角いワンルームをずっとぐるぐるしているのかもしれない。ワンルームですらない、のかもしれない。そうだ、私は扉も開けられるし、どこまででも行ける。誰のものでもない。私を自分のものだと勘違いした人々はとても滑稽だ。ごめんなさい、私はもっと遠くに行きたい。懐かしい、海辺で聴いたおじちゃんの声だけが、そうだと頷くように心の底で波打っている。


 *


「渚か、うん、いい名前じゃねえか」


「そう、かな、お父さんが好きな歌の題名からとったって、深い意味はないんだよ」


「ははっ、いいんだよ、人の思いなんて少ししか見えないもんだ、渚って言葉を、サザンが歌ったように、お前の父ちゃんがお前に名前をつけたように、誰彼みんなであくせく言葉をつくってんだ」


おじちゃんは、真っ白な歯を見せて笑う。


「渚って名前は、お前のもんだろ。父ちゃんの気まぐれなら余計な。いい名前だよ、海で生きたものはいつかきっと渚になるんだとおらは思うが、生きている時からその澄んだ空気と一緒に生きられるなんて、うん、なんだか、うらやましいよ、きっと世界中のどこにでも、どこにいても、渚は渚でいられるんだろうな」


 私がおじちゃんくらいの年齢まで生きれたとして、その時、誰かにこんな風な何かを手渡せるようになるだろうか。生きていると、いろんな感情の、悲しみも喜びも、いともたやすく想像を超えていくことがある。今まで知っていた何倍もの痛みにつぶされてしまうこともあれば、この世に存在しているとすら考えなかった大きな暖かさや幸せと出逢わせてもらうこともある。


「おじさん、あの、どうしたら、おじさんみたいな暖かい大人になれますか」


「暖けぇ、おらがか、ほう、港では女泣かせの朔太郎で有名だがな。なに、ねえちゃん、見る目があるじゃねえか」


 見る目がある、ない、私はその言葉が苦手、というよりもかなり嫌いに近かった。もしも見る目がなかったら、この世界のこんな暖かさを見つけることができないのだとしたら、あまりにも理不尽だ。それに、一人の人が一生で見ることができるものはあまりにも限りrある。そのなにかを、あるとされる見る目以外の眼差しを、無言で蹴落としてしまうようなその表現が寂しくて、なんだか好きにはなれないのだった。


「私が見たんじゃありません、あなたが見せてるんです。わたし、こんな風な質問を誰かにする日が来るなんて考えたこともありませんでした」


「なに言ってんだ、ねえちゃん。立派ななりして子どもみたいなこと言いやがって。お前が見たものはお前の見方なんだよ、発する言葉もだ、物事の自分なりの見方を見つけよう、自分なりの言葉を渡そうと努力できて、はじめて責任をもって生きれんじゃねぇか」


 おじでゃんは、いつも私の目をまっすぐに見て話をしてくれた。おじちゃんの目はやっぱり暖かくて、私の瞳のなかにも何か光っているものがあって、それを見つけてくれているような気がして、とても新鮮で、なんだか信じられなくて、私がわたしじゃないみたいな気持ちになって、なにがふつうなのかが分からなくなれるくらいに、まだわたしはいまよりも少し若かった。


「何を暖かい、冷たい、正しいと見るか、それをどうやって決めるか、まあ決められないことも多いが、そのなかで藻掻いてこそ大人なんだよ。いいか、あなたが言わせたんだなんて言葉は、一世一代の愛の告白にでもとっておけ、まぁそんな甘ったれた告白、おらだったらごめんだがな」


 太陽が嫌いだけど、おじちゃんと太陽が映る世界は好きだ。好きという気持ちを、わたしは多分、このときに初めて知った。


「おじちゃん、もう私、行くね」


 目の前の海岸一面に、びっしりと敷き詰めらた岩は、平均したらきっと日本人の平均の拳の大きさくらいなのかもしれない、私という名の硝子と、外の世界という硝子のほんの少し間に、広まった風景が、織りなされる波に轟くまいと響く静寂が、この海岸をぐっと支えるこの大小さまざまな岩たちにもきっと宿っている。その力の一つになれるかな、小さな一歩にぐっと力を込めた。


「ねえちゃんは、どこから来たのか知らねえが、旅人風情だから出逢うものが新鮮に映るし、何にでも染まりやすい年頃だろう。いいか、くだらねえもんには巻き込まれるな。くだらないを毎日積み重ねても、大人になることはできる、くだらねえのなかから人は宝石をつくれる、でもそこで諦めて、誰かの不幸を願うような本当にくだらねえ馬鹿達には絶対に巻き込まれるんじゃない」


「おじちゃん、誰にでもそんなこと言うの」


「おうよ、おらはなぁ、海を本当に愛してくれる奴の味方だからな、」


 きらきらした世界で、正しさを美しく叫ぶ人たちは怖い。自分は悪くないと叫ぶように、悪をなくそうとする人も怖い。でも私が一番怖かったのは、ただ声を殺したまま、傍観者となって何もかもの責任を放棄しようとしている自分自身だ。それは、誰かにとってはふつうと無知という名のとてつもない暴力なのだから。悪意の有無なんて話の次元でなくて、命の繋がりで生きる責任を放棄した生き物ほど、手に付けられない凶悪な獣はいない、でもこの世界の繋がりは度々身に余ってしまう辛さを伴う、現代社会を生きている私たちは誰しも凶悪な獣かもしてない、それを身をもってしっていても、そこから抜け出すために多くの人があたりまえに心に宿すという、愛という代物を私は自身のなかに見つけられなかった。


「海、を、私は本気で愛していますか」


「なんだそれ、そうか、気づいてねえってことは、もっともっと本気で愛してくれるのか。んにゃ、未来が少し楽しみになったなあ」


「この町に来る前に、祖母の家を出る時に、おばあちゃんに言われたんです。大人になるっていうのは、手の繋ぎ方を学びながら、根を張るようにこの世界を愛していくことだって。でも私、愛ってわからなくて」


「なんだ、愛がわからねえ、なんだお前、馬鹿だったんだな」


おっちゃんは、眉毛を大袈裟に逆八の字にして、ふーっと海の方に息を吹き出した。


「嬢ちゃん、いい加減にしろ」


そう一言吐き捨てると、おっちゃんはそそくさと網をかき集めて、


「んじゃぁ」


と言って、速足で歩いて行った。と思ったら、くるっと振り返って、太陽みたいな声で私を照らした。


「ばーか」


 思わず、ふふっと揺れる心が頬まで滲んだ。ばか、か。優しい言葉しか使ったらいけない、そう自分に言い聞かせてきた。ひとたび、怖い言葉を使い始めたらきっと、わたしの心はリミットを忘れてそれに染まってしまうと思うから。使いたいとも思わなかった、悪い言葉の力を知っているから。でも、こんな風に、優しい悪い言葉の響きもあるのだと、思うけれど、でもやっぱり悪い言葉は悪い言葉だ。おじちゃんは好きだけれど、おじしゃんのそういう言葉を聞くのは嫌だ。けれど、違う、おじちゃんの言葉は、わたしが知らない言葉だった。


「そうか、わたしはばかなのか」


 ずしずしと遠のいていく背中が、確かな時を、わたしへの怒りとともに刻んでいく。大人っていう生き物を信用してないなんていうと、子どもっぽいと言われるけれど、信用できないものを言い伝えだからと信用できると思い込む方が子どもっぽいと思う私でも、この人の言葉はなぜか心の芯にまっすぐに響いた。

 

 どうしても何かに迷って、心が壊れそうになっても、きっとわたしはこの場所にこよう。一歩、一歩、この海まで歩んでるのだと思い出そう。


「おじちゃん、わたしも賢くなれるかな」


 少しずつ遠くなる背中の流れが、夕暮れと重なって薄くなっていく。三時間のアルバイトで、お客様に笑いかけるために、”こんな世界でも、相反する感情に染まっても、人を愛せ“と叫ぶ歌を何十回と聞いてから出かける私の日常は、おじちゃんには想像もできないだろう。愛なのかもわからずに、一日をかけて絞りだした一滴の愛の模造も、容易に切れば蜜の出る木の香りとだけなり果てて、どさくさなしがらみにからめとられていく、そんな風に深まっていく闇とともにある人生も、きっとおじちゃんは知らない。泪をこらえた意味を、リトマス試験紙やCTや最新技術にかけるような目線で吟味される、若者の日々も、きっと彼は知らない。傷を受けた瞬間は、どうしてもこらえられない気持ちに襲われることがある、落ち着けば、帰るべきは社会で個人でないと思える、でも混乱のさなかでふと、抱く、地を真っ二つ割ることができるのではないかという、折られた花の叫びが、叫びを自分の中に閉じ込める、花を折る人と私は別の生き物だ、そう言い聞かせる、きっとおっちゃんはそんなことをしなくても、まっすぐに太陽を追いながら生きていける。うらやましいとかそうじゃないかとかではなくて、きっと彼が私の人生を理解できないように、私も彼の人生を理解することはできないだろう。折られた花は、呆れた顔で死んでいった。言葉を忘れた人間を凝視しながら、何か言ってみろと、見つめながら死んでいった。その視線の先にいるのはいつも私だった。私は愛を知らないと思うことで自分自身を守ってきたのだ。でもどうだろう、おじちゃんのように、まっすぐに、誰かのためではなくて、私自身を表すために、私の愛を生きようとしたことがあっただろうか。


 紫炎の海と空の境界がおじちゃんを隠していく、彼の帰るべき場所へと、彼を導いていく。もう見えなくなった、おじちゃんと結びかけた糸が消えていった夜の海風から、地球を何周もしてきた海の唸りが、暗い夜を灯し続けてきた松明の香りとともに、炎のかけらが私の耳に映えて、身体の芯がぐつぐつと燃えはじめた。


 *


 あの砂浜と、この日々は地続きだろうか。どうか続いてほしいと思う。アルバイト先の小さな地元のスーパーで偶然に再開した時、おじちゃんは何も言わなかった。私も何も言わなかった。彼はいつも、小さなスーパーの入口に少しだけ置かれる切り花のなかで、一番元気のなさそうな花束を一つと、缶ビールをひとつ、私が今まで出会った仕草たちでは並ぶものがなくて、とても現実とは思えないほど優しく、この世界に残された幻と思われた愛という名の現実をただひとり守り続けるような、永いにふれるような手つきで、レジに差し出す。はじめて彼女と言ってくれた人にさよならをしたよ、はじめていろんな話をたくさんした友達に呆れられてしまったよ、ふつうの人が生きる世界とは違うのかもしれない、あたりまえの毎日のなかで心が潰れて粉々に砕けても、いらっしゃいませなんて笑ってる、靄のかかった海のような日々で、あの日の海とおじちゃんをお思い出すと、光の粒が世界のスクリーンへと融解しはじめて、暖かな紫炎の海風に包まれる。ここがどこだろうと、わたしがだれだろうと、そんなことはどうでもいい、あの生まれたての夕凪を生かした彼の松明が、静かに私のうちでも燻っている。おじちゃんが教えてくれた夕凪に抱かれ、綻んだ顔を見たい人びとができたんだ。私にできることは、こんな風に言葉を書き留めることだけ、だけど、だからこそ一生をかけて、この世界の凪を、私は、ここに刻み込みたい。一人の人が一人の人と出逢う、それは途方もない分母に苛まれている。人は、多くの他者の世界に対して、ほんとうに、小さな存在で、でもそんな小さな存在が、ねえ、きっとこの景色を描いている。私が今からどんなに努力しても、恵みの雨の一滴や、種の一粒や、光の一筋にしかなれないかもしれない、そうとさえなれないかもしれない。



 真っ暗になった海辺に、突如どすーんという尻もちの音と「いってーいっ」というおじちゃんの声が響いた。驚いて振り返ると、おじしゃんの相変わらずの威勢のいい声が聞こえてきた。


「あぁ、くっそー、こりゃ、母ちゃんと海の女神さんとがおらの取り合いをしてんな、あぁ、なんでぇ、もてる漢はつれぇなぁ」


















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[一言] 綴られている言葉のひとつひとつがとても味わい深くて、何度でも読み返したいと思える作品でした。 不安定な主人公は、不器用ながらも自分で考えながら、一歩ずつ一歩ずつ進んでいくのでしょう。 主人公…
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