「助走」(2)
ひとけのない住宅街にさしかかると、ホシカは変形を解除した。
変形?
そう。鋭い流線型の戦闘機の各部品が裏返り、ホシカが魔法少女の姿へ戻ったのだ。白を基調とした魔法少女の格好から、さらに女子高生のそれへと早変わりする。
落下中の一瞬にすべてを終え、ホシカは宙返りとともに地面へ降り立った。
あたりにはホシカ以外の人影はない。
「心配すんなって、イングラム。時間がきたらちゃんと帰ってやるから」
大きく伸びをした手を頭のうしろで組むと、ホシカは鼻歌まじりに歩き始めた。
「さて、こっちのほうだったよな、賭博場は。金欠だから、さいしょは下着でも賭けに出すか……」
ふと吹きつけたのは、火薬のような薫りの混じった風だった。
かすかな違和感に、足を止めたのはホシカだ。視界の端に、束の間ちらついて消えたのはなんだろう?
黒い蝶?
ホシカの片目に、呪力の五芒星が浮かび上がったのは次の瞬間だった。
「危ねえ!」
バク転してかわしたホシカの下で、地面は破裂した。
石畳をうがって硝煙をあげるのは、巨大な弾痕だ。身を伏せて走るホシカを追い、銃弾は立て続けに壁を射抜いていく。魔法少女の呪力センサーを感度マックスに広げてあたりを探るが、狙撃手の姿はとらえきれない。わかったのは、その狙いがとてつもなく正確無比であることだけだ。
転がり込んだ壁の裏側で息を殺しながら、ホシカは用心深く聞き耳をたてた。
「マシンガンがあるのかよ、この世界には……上か!」
叫ぶが早いか、ホシカは変身した。人から魔法少女へ。魔法少女から戦闘機へ。
高速で横回転する戦闘機の残像を、銃火の連続が貫いて追う。体をかすめた弾丸の衝撃に舌打ちしながら、ホシカは呪力のロケットの推進炎をさらに強めた。まわりの建物より頭ひとつ抜けて高い鐘塔に、銃弾より早く舞い上がる。
かんだかい激突音を、はでな火花が飾った。
ホシカの拳から生えた鋭い翼刃を、鐘塔の狙撃手が交叉した拳銃で受け止めたのだ。
魔法少女のふるう腕力を防いでおきながら、メガネの少女は涼しげにささやいた。
「リハビリの手伝いはできたかな、伊捨星歌?」
「そういうそっちも、美須賀大付属の制服……じゃあ、おまえが?」
「染夜名琴だ」
銃声を合図に、ふたりはその位置を変えた。ナコトの鉛の牙を跳ね返した塔の鐘は、不吉な響きを残して揺れている。
一挺を頭のうしろへ引きしぼり、もう一挺はまっすぐ前へ。二挺の大型拳銃を油断なく身構えながら、ナコトは告げた。
「おまえの勝手気ままな行動のせいで、メネスとイングラムが困っている。わたしといっしょに城へ来るんだ」
発射寸前のミサイルのごとく体のバネをたわませながら、ホシカは聞き返した。
「いやだって言ったら?」
「まず足を撃つ。つぎに手。それから腹を撃ち、さいごに頭だ」
「なら、ついてきてみやがれ!」
まばたきひとつで戦闘機へ変形したホシカを追って、次々と開いたのは衝撃波の傘だ。
上下左右に蛇行しながら低空を飛ぶホシカへ、ナコトは口笛を吹いてみせた。
「よく知っているらしいな、銃の避け方を。これでは当たらん」
またたく間に小さくなるホシカの後炎を眺めながら、ナコトは拳銃へ語りかけた。
「テフ、追いつくぞ?」
ナイアルラソテフの声で、拳銃は答えた。
「ちょっと厳しいかもしんねえな。なんせ相手は真性の魔法少女だ。おまけにこの呪力の波形は、どう読んでもスピード特化型だぜ。いくらリミッターを切ったおまえでも……」
挑発的な笑みに、ナコトの唇はゆがんだ。
「おもしろい」
コマ落としのようにナコトの姿はかき消え、あとに残されたのは人型の黒い炎だけだった。
いっぽう、飛んで逃げるホシカは鼻であざ笑っている。
「目にもの見たか! だれもあたしには追いつけねえ!」
「どうかな?」
ナコトの声は、ホシカの耳もとで響いた。
黒い炎の足跡を残して壁面を疾走したナコトが、ホシカの真横に現れたのだ。上下逆さまになりながらナコトの一閃した蹴りは、戦闘機の機首をもろに直撃している。もよりの空き家を何軒かまとめてぶち破り、ホシカは勢いそのままに地べたを転がった。
雨あられと降り注ぐ破片の下、魔法少女に戻ったのはホシカだ。痛む頭をおさえて四つん這いになりながら、血の混じった唾とともに吐き捨てる。
「痛ってえ……速え。あたしのスピードを抜きやがった」
「ほんの数秒間であれば、常人以上・魔法少女以下のわたしでもおまえらを超えることができる。限界を超えた加速で崩壊する肉体を、呪力再生の重ねがけで相殺しながらな。すこしばかり、地獄のような心身の痛みに耐える覚悟は必要だが」
がれきから飛び出したホシカの拳と、ナコトの拳銃は交錯した。
ホシカの翼刃はナコトの喉仏にあてられ、またナコトの銃口はホシカの眉間を照準している。ホシカは下、ナコトは上だ。
触れれば切れるような恐ろしい牽制状態のまま、ふたりは動けない。
肩で息をしながら、先に口を開いたのはホシカだった。
「なかなか、やるじゃねえか。死にかける体を、むりやり再生して動かすだって? じゃあマジなんだ、悪魔に寄生されてるってうわさは?」
「寄生の宿主となるのも、そう悪くはないぞ。血に飢えた〝星々のもの〟にいいように巣にされるだけの、おまえら魔法少女に比べたらな」
返事するナコトも、さすがに息があがっている。全速力のホシカに追いついた代償は小さくない。
「はいふたりとも! ストップ、セレファイスの破壊!」
ホシカとナコトが振り向いた先、水滴でできた呪力の門をくぐって現れたのはイングラムだった。こちらも呪力の浪費で息も絶え絶えになりながら、身を折って声をしぼりだす。
「このレースバカども! なんべん転移しても追いつけないじゃないか!」
ふたりの間に割って入るや、イングラムの顔にはふたつの凶器が突きつけられている。
大型の拳銃と、鋭い翼刃だ。血の気を失ってお手上げするイングラムへ、ホシカは殺気立った威嚇をぶつけた。
「しつこい男は嫌いだぜ?」
それに続いたのは、冷淡なナコトの舌使いだった。
「邪魔するな。魔女狩りの最中だ」
こめかみに青筋を浮かべ、イングラムは言い返した。
「呪力を無駄遣いするんじゃない! 都に久灯瑠璃絵が現れたぞ! 出番だ!」